二十六話 僕らの七時間春闘
とある仕込みが早めに終わった午後の話である。
かり、かりかりかり。そう音を立てて、クラダさんはペンを走らせた。
「これで、いいのかしらぁ?」
「はい、クラダさんの分はこれで完了です。あとはダイケルさんですね」
「任せておきたまえ、サインは得意だ」
いや、ダイケルさん、変なサインはいらないんですよ。と言おうとしたところである。ブイローさんが店の中に姿を現した。
「おぅ、お前ら顔突っつき合わせてなにしてるんだ?」
「おやブイローさん。見ての通り書類を書いてるんですよ」
僕とクラダさん、ダイケルさんとアウレンさん(7メートル先)は店のテーブルで集まって書類を書いていた。発起人は僕である。
「いや、だから書類を書いて何をやってるって聞いてるんだよ。借金の保証人集めてるんじゃねぇんだろ?」
そりゃそうだ、だがいい機会なので僕はブイローさんに一つ咳払いをしてから説明する。
「先ほどですね、僕とダイケルさんがハケチャッピーさんに『うちで働かないか?』って勧誘を受けたんですよ」
ハケチャッピーさんは真正面の高級レストランの経営を任されており、なおかつブイローさんを激しく憎んでいる。なるほど、僕とダイケルさんが抜けるとこの店は基本立ち行かないので的確な攻撃といえる。
「おう、あのハゲチャビンまだそんなことやってたのか。んで、出て行くのか?」
ブイローさんの言葉に僕は首を振る。
「僕もそこまで不義理ではありません。ですが『今の労働環境に不満はないのかね?』と言われて『ある!』と即答しちゃうくらいでしたのでそれはいけないなと思いまして」
「お前、言いたいことは必ず言うのな。その辺徹底してらぁ」
言いたいことは分かるが、あるものはあるのである。
「なので、行動に移らせてみました。今書いてたのは、その書類です」
「結局何がしたいんだよ」
「僕も中央で覚えた言葉ですが、『労働組合』を発足させていただきます」
僕はブイローさんに一枚の書類を突きつけ、胸を張るのだった。
「で、その『どーどーくみあい』ってのはなんだってよ」
まぁ、その反応だろう。僕だって初見はそういう反応だった。
「労働組合です。一人では経営者に敵わない労働者が、徒党を組んで直談判をする組織だと思ってください」
「げ、めんどくせー」
だろうね。実際めんどくさい目に合うのである、これから。
「はい、基本的には賃上げ要求したり有給休暇の要求をしたりします」
「ってか、それ良いな。俺も一口入れねぇ?」
「……ブイローさんが入ったら僕ら誰に賃上げ要求するんですか」
この人は相変わらずこれである。
「いや、だって俺も有給休暇が欲しいぜ?」
「ブイローさんに有給休暇はありません、その給料誰が払うんですか! あなたは『休む』って言ったらその日が休みですよ!」
「給料は?」
「あなたは払う側じゃないですか!」
ちょっと考えましょうよ! 僕は襟を正して続ける。
「これで、四人経営に不服のある人間が揃ったので、労働交渉を始めます」
「俺の休暇はー?」
いい加減くどいが、勿論、その話もするのである。
「んじゃ、その話から行きましょう。ブイローさん、臨時休業の時の給金は払ってください」
「なんでだよ」
「なんでだよじゃないんですよ! 『今日は気分が乗らないから休み』って言われても、僕らは働くつもりで来てるんですから急に休暇取らされて賃金無くなったら困るんですよ!」
「アルバイトを探せば良いじゃないか、その分」
「平日の午後からいきなり探して見つかるアルバイトがあるかっ!」
僕の言葉の後にダイケルさんが付け足した。
「後、前日の片付けや仕入れてしまった食材の処理があるから、ミーとミスターウィリックは結局働くことになってしまう」
「週に六日働く約束で来てるんですから、今後はその計算で週給を要求します」
ブイローさんは口を尖らせつつ、椅子にどかっと座り。……ふてぶてしいのは、まぁ許すか。今日は偉い側の立場だ。
「んじゃ、週に七日働かせてもいいのか?」
「良いです。ですがその場合、休日出勤として給料を二割増しで貰います」
「げ、えげつねぇ」
呻くブイローさんに僕はため息混じりで答える。
「相場です。相場よりちょっと安いくらいです。なにか反論は?」
「ん、嫌だ。めんどくせぇ」
だからこの人はっ!
「とりあえず、要求を先に述べてしまいますね。次、休暇について」
「俺には休むなって言っておいて、そっちは休むのかよ」
「僕らはきっちり休みを貰う権利があるんですよ! その穴を埋める仕事はしてから休むから平気です! 無責任に休むのは怪我か病気の時くらいです。そっちもしっかりしておきましょう」
「はっきり言って、この職場は危ないことが多いから……」
アウレンさんも遠いながらもはっきりと言ってくる。後々職場で怪我をした時の手当の話もすべきだろう。
「えーっと、次なんですが。特別な仕事を押し付けるときは、その日の分の給料はください。主に僕の話です」
「そういう時は報酬渡してるからいいじゃねーか」
「よく考えたら見合ってません。後、そういう時でも仕込みとかは大体やってるじゃないですか、くださいったらください……それからですね」
「うげ、まだあんのかよ」
そりゃあある、言いたいことは山ほどある。
というわけで、僕らは営業体制や、無駄な仕事、今この話し合いに割いてる時間の手当まできっちり、とっくり話しあった。
「……こ、これだけ、これだけ話し合っておいて。ブイローさん、なんで一つも首を縦に振らないんですか」
「振ってたまるか、俺だって払いたくないもんは払いたくねぇ」
……思ったよりこの男強情なのである。いつもの『めんどくせぇ』で払うと思ってたのに。
「ってーか、お客さんがもう並び始めてますよ、いい加減火を入れないと仕事始められませんよ」
「嫌だ。今日は仕事を休んででも徹底的に争うぞ」
お客さんたちに動揺が走る。そりゃそうだ。
「ミスターウィリック。この間言ってた『ストライキ』っていうのは」
「あれはやる気のある経営者にだけ有効な手段です。この男の場合我々が休むって言ったら意気揚々と休みかねないっ!」
その時、お客さんの中から一人、ぺたぺたと歩いてきた。イワシのギルマン、カタクチ君だ。
「やぁ、何でも、労働環境について話しあっていたとか」
「ええ、そうなんですよ。カタクチくんからもなにか言ってあげて下さい!」
「我輩を見てその話をするのでありますか? この、二百四十時間連勤を勤め終えて憩いを求めに飲みに来たこの我輩を見て!」
その時、場の空気が凍りついた。
そう、知る人ぞ知るこのカタクチ君。推定労働時間はおおよそ一日二十四時間の、超過密勤労ギルマンであるからだ。確かにこの世界において彼ほど労働環境を改善しなければいけないギルマンはこの世に存在しないだろう。
奴隷ともいう。
「まぁ、言いたいこと言えたから仕方がありませんね」
僕は、カタクチくんにそう述べて注文のリッテルを目の前に置く。ウェイトレスを使わなかったのはその一言を言うためだ。
「まぁ、そう思うべきなのであります」
カタクチくんにフライの盛り合わせを渡しながら言う。これは、注文の品ではなく、お詫びの品だ。まぁ、捨てるようなものばかり揚げてあるのだからタダみたいなもんだし。
「それにしても、カタクチ君って給料もらってましたっけ? 一人で飲みに来るのなんて凄い珍しいですね?」
よく考えると借金のカタに働いているとはいえ酷い話である。サ・バーンさんに今度話し合いに行こう。
カタクチ君はバクバクフライを食い、グビグビリッテルで流しこんでから答えた。
「ああ、それなのでありますが、久しぶりにサ・バーンさんから臨時ボーナスを貰ってね」
その言葉に、耳をそばだてていた四人は一斉に口にした。
『……臨時ボーナス!』
結局、我々はブイローさんの耳にタコが出来るまで責め立て、ボーナスの受け取りに成功するのだった。
なお、中身が雀の涙でもう一度我々の戦争が始まるのはまた別の話である。