二十三話 ナニーさん剣法帳
荒い、息遣いが聞こえる。
汗が滴る頬を伝って、顎から落ちた。切っ先がぴくりと動いた瞬間。
「はぁっ!!」
リチャードさんの剣はナニーさんの頭を強かに打ち据えていた。
チュンチュンとスズメ鳴く公園で、リチャードさんとナニーさんの戦いは終わった。
本日通算で十二戦やってナニーさんの全敗である。リチャードさんすげー。
「何度も言ってるが剣というやつは、振り回す道具ではないぞ。そりゃ、腕力だけで言うのなら男としてはどうかと思うのだが、君のほうが上だ。剣を体の器官のひとつにした上で、体全体で剣を動かすんだ、今は何を言ってるかさっぱりだろうが、突然覚える」
ナニーさんは立ち上がると、頬を伝った汗を拭う。ぼこべこになった、シーブレードのスリーブを替える。
シーゼット藻という、海藻がある。硬い繊維質が豊富なので、縄などの材料に使われることが多いのだが、こいつの葉肉は煮だして固めると、脆く、柔らかくて、軽い変な物体になるのだ。
それを元に作り出されたのがシーブレードだ。剣術修行用の剣で、刃のない細身の鉄剣にシーゼット藻で作ったシースリーブを被せて使うのだ。当たっても痛いぐらいで済むようになるが、素人は風の抵抗で振り回すのも難しくなる。この二人は流石だった。
余談だが、東の国には『シーナイ』という練習用剣が有名らしい。良くは知らないけど名前からするとシーブレードに似ているのだろうが、どういうものだろうか。
「しかし、壊れませんね。リチャードさんのシースリーブ」
そう、ナニーさんのは打ち合うたびにボコベコになっていくのだが、リチャードさんのシーブレードは綺麗なままだった。
「こいつを上手く扱えるようになってからが一流さ。さ、今度はこっちが受け太刀に回るから、来い」
「イェアああああ!!!」
気勢とともにナニーさんが突っ込む、振りかぶりの速度は目で追うのがやっとだが、やっぱり腕で振っている感じがする。
ぎんっ、と高い金属音を上げて、シーブレードふたつが叩き付けられる。ここでもナニーさんの方だけおもいっきり凹んでいた。
「すっごい本気で振り回してるみたいだけど。これ、中身は鉄剣なんだから当たれば骨が折れるぜ」
するっとリチャードさんが横にずれると、ナニーさんの体は大きく傾いだ。その頭に最小限に動きでリチャードさんは、もう一発スパァンっと小気味良い音を立てて打ち込むのだった。
「いや、強くなれるとは思うんだけどね、今日はこのへんにしておこう。俺も仕事があるしな」
手ぬぐいで顔を拭きつつリチャードさんは言う。表情はまだまだ余裕そうだ。
「あ、ありがとうございましたっ……」
ナニーさんは、ベンチで横になって答えた。小一時間振り回されるだけであのモンスターラヴァーズがああなるのか、剣術修行すげーな。
「にしても、ナニーさんあれだけ打たれたのに怪我らしい怪我はありませんね。あれってまともに殴ったら骨が折れるんですよね?」
「そうだよ。だけど、ヴェイン疾風一刀流の教本には『シーブレードで骨が折れるようになって一人前、怪我させずに打ち込めて一流』とあるのさ。それなりに使えるようだけど、やっぱり我流は我流だ」
リチャードさんは大量に出たシーブレードのゴミを片付けながら答える。ナニーさんはヘトヘトなので僕も手伝った。
「……それにしても、ヴェイン疾風一刀流って教本まで出てるんですね」
「世界で一番一般的な剣術だからね。亜流も多いようだが、本流は疾風一刀流だ。習い事には男子はだいたい剣をやるんだが、ウィリック君のところは違うようだね」
「はい、剣はさっぱり。なにぶんギルマンの多い地域でしたから」
ついでに言うとローレライに育てられているのだが、流石にそこまでは言えない。剣に頼らないローレライと剣が怖いギルマンの間で育つと武器に一切触れることはないのだ。おかげでずいぶん弱く育ってしまった。
「でも、それだけに興味ありますね。どんな剣術なんです?」
「ヴェイン疾風一刀流は先手必勝ばかりに目が行くが、堅実な一刀流流派だ。構えは上段もしくは中段で相手の頭か首を狙う剣術だな。小細工はあまりしない」
「そして、卑怯者の剣術だ」
ぬっと現れて茶を差し出してきたのはジジムムさんだ。
「なんで、剣術修行やってたリチャードさんやナニーさんじゃなくて、僕に茶を」
「それはワシの師匠だからだ。ささ、ずいっと」
なんか腑に落ちないが、受け取って啜る。うわ、甘い。砂糖が一杯入ってるのか、豪勢な。
「俺はザンド白影真流のやつから茶を受け取る気にはならないよ、死にかねん」
「何を言っている、前捕まった時に毒は全て没収されたではないか」
二人の剣呑さに眉を顰めつつ疑問を投げかけた。
「ところでその、卑怯者の剣術ってなんです? 前もなんかちらっといざこざがあったみたいなこと聞きましたけど」
「ああ、お互いの開祖、つまりヴェインとザンドって二人が決闘したことがあったんだよ。場所は、ガンリュウ島っていうところさ」
その、リチャードさんの言葉にジジムムさんが割って入った。
「我が開祖ザンドは船の櫂を削って剣にし、目的時刻より大分遅れて到着したのだ。いわゆる相手をいらだたせるための策略としてな」
というより、木製のオールを削って剣にするって、それは高い剣だなぁ。あとどうやって漕いだんだろう。ジジムムさんの言葉にリチャードさんが繋ぐ。
「するとヴェインは現地でキャンプをしてて、作った昼食を食べてる最中だったらしい。どうも三日ほど早く現地についてしまったようでな。こちらの開祖はせっかちで有名だったんで、こんな逸話がいっぱいあるんだ」
「なんというか、それなりにダメな人たちですね」
リチャードさんは頷いて言葉を続ける。
「そして、立会人の元、開始が宣言された。開祖ヴェインは、長剣の鞘を邪魔だと感じ投げ捨てた。それを見たザンドが『お前の負け』とまで言った所で斬り殺したらしい」
「そう、話も聞かん、卑劣漢の話ではないか!」
ジジムムさんは激高してるが、リチャードさんは肩をすくめ。
「まぁ、『もう開始の合図が出てるから試合中に話そうとするザンドが悪い』ってことになってるようだが、互いの流派にとってここは平行線でね。おかげで軋轢が絶えない」
僕が言うのも何だけど、なんだかなぁ。歴史はもうちょっと綺麗に修正してくれなかったのだろうか。
復活したナニーさんは、膝を折りリチャードさんに尋ねた。
「リチャードさん! 私は弱いつもりはないんですけど、何が足りないんでしょうか!」
「僕としては、なんでナニーさんが今より更に強くなろうとしてるのかが恐怖以外の何物でもないんですけど。いえ答えなくていいです、想像だけでも怖いのに」
僕の寿命が風前の灯である。ナニーさんは何故かあの手この手で愛する人を殺そうとする。病気だ、この人やっぱり病気だ。
「ナニーさん、あなたは確かに腕力は強いし。我流とはいえ、よく技も磨かれている。多分一介の剣士としても、十分やっていけるだろう」
ナニーさんは素直に頷く。あまり勉強にならないでいただきたい。
「だが……戦闘での観察力が足りず、相手の行動に気が取れず、『我が我が』と攻撃一辺倒だ。要するにあなたは……」
そこで一拍置き、リチャードさんは言う。
「あなたは空気が読めない」
ナニーさんは雷を受けたようなショックを受け、崩れ落ちた。
「むしろあなたが空気を読めてたと思ってたことに驚きです」
僕は追い打ちをした。
「剣で大成は無理ですかー。看護師だけじゃあんまりだから、何か手に職つけようと思ったんですけど」
「やらないでください。手加減できない人間が乗り出して良い世界じゃありません」
僕とナニーさんとジジムムさんはサ・バーン診療所へ向かっている。ナニーさんは大きなゴミを抱えて腰に鉄剣を差していた。
「……なんでジジムムさん付いて来てるんです?」
「いや、ワシもまだ前の傷が癒えていないのだ」
さいですか。ナニーさんが続いて言う。
「そういえば、まだ通院でしたね。今朝方院長が逃走したため、捕まえて開かせるまで大分待ちますけど平気ですか?」
「問題ない」
「いえ、サ・バーンさん逃げたなら追いましょうよ。なんで剣の練習とかしてるんですか?」
「いえ、逃げたのが海の中だったのでカナヅチの私じゃ手に負えなくて、カタクチさんとダイケルさんにお願いしてます」
「それ、果たしてそもそも帰ってくるんですかね……」
言いながら、僕は最後にリチャードさんが呟いた言葉が気になっていた。
(最も、彼女が『開眼』したら、ひょっとすると俺でも敵わない可能性が出てくるけどね)
ぜひともその可能性は潰してもらいたい。恐ろしい。……ん? あれ?
ドサリ、と僕の身体が傾いで倒れる。ちょっと痺れてるぞ、これ!
「な、な……」
そう言っている僕に、ジジムムさんが笑い始める。この人の茶が原因か!
「くくく、ワシが一服盛ったのが、やっと効いてきたわ。場所もおあつらえ向きに路地裏。これ以上の好機はないの」
「な、なんでこんな」
ジジムムさんは剣を二本抜き放ち。僕に歩み寄ってくる。
「ふふふ、ワシは勘違いしておったわ、確かに師事をしようとして受け入れられぬのは当然のこと。我が開祖も師匠から最初は何も教えられずに、どんな卑怯な手を使っても一本入れるべしと言われていた、つまりはそういうこと!」
「違う、断じて違う!」
思わず心から叫んでいた。と言うかその開祖だいぶ歪んでるなぁ!
「しかしこんなに簡単に行くとは思ってなかったわ! 覚悟!」
凶刃が僕に迫ろうとした時の事だった!
「ィェアああああ!!」
がきぃっんと、高い音を響かせて、ナニーさんの刃のない鉄剣がジジムムさんの二本の剣に当たる。ジジムムさんは顔をしかめて一歩下がった。
「貴様がいたか小娘、だが、ワシより弱いリチャードより弱い貴様程度、一捻りにしてくれる」
「愛する人を殴っていいのは私だけよ!」
「あの、殴らないでください。せめて自覚してるんならやめる努力をしてください」
僕を無視して二人の剣がぶつかり合う、なんと、劣勢はジジムムさんだ。ザンド白影真流は受け手に回りやすいと聞いたが、攻撃一辺倒のナニーさんにとっては相性が良いのだろう。ガンガン攻めるナニーさんにジジムムさんの防御が追いつかない。一撃が重く、ジジムムさんが受けるたびに体が傾ぐ。
「む、ぐ……ぐぉっ!?」
ついに、バランスを崩してジジムムさんが倒れた、トドメだとばかりに飛びかかるナニーさん。どっちが暴漢だか分かりゃしない。
「かかったな小娘!」
しかし、剣を捨てジジムムさんは懐から布袋を取り出し投げる。それは振りかぶるナニーさんの右手に当たった。ナニーさんは、右手から剣を取り落とす。
「ふ、まさか使うとは思わなんだ。即効性のシビレ蛾の鱗粉だ。素手で触れると瞬時に痺れて力が入らなくなる!」
勝ち誇るジジムムさんは、そういえば手袋をしていた。あの人芸が多いなぁ。って、これは、まずい気がする。
「こ、これは、み、右手がしびれて、握れません……」
「右手一本痺れればもう戦えぬ。これだから一刀流の使い手は不便よの!」
ジジムムさんは、剣を拾いなおして、立ち上がる。まずい、僕は思わず叫ぶ。
「逃げて! ジジムムさん!!」
「え?」
「右手がダメなら、左手があるっ!!」
痛烈な高速左ストレートがジジムムさんの顔面を貫くのだった。ああ、ダメだった。
「脚があるっ!!」
ハイキックが倒れそうになるジジムムさんを引き起こし。
「肘があるっ!!」
肘が顔の中心を捉え、今度こそ打ち倒し。
「膝があるっ!!」
ジャンプして膝から腹の中央に向かって、追い打ちをかけた。
「騒ぎを聞きつけやって来ては見たが……手遅れだったな」
「ええ、『開眼』してしまいました」
ナニーさんは、圧倒とかいうレベルを超えている。これは蹂躙だ。
「こうなると、俺でも勝てるかわからん。だが、一市民が死ぬのをこのまま見過ごすわけにはいかんな」
「お手伝いします」
僕は痺れる体を起き上がらせる。実は、ローレライは人間と体の作りが微妙に違うので毒や薬の効きがイマイチなのだ。あくまでイマイチというレベルだが、この毒は弱いものだったため、大して動きに支障はない。
そうして、僕らは厳しい戦いに赴くのだった。
そのころ、サ・バーンは障害物競争のように壁を飛び越えながら、路地裏を疾走していた。
海から陸へ上がってなお走り続ける彼に、目の前は見えていない。
暴走した彼が全てをなぎ倒し、最強を立証するまで、あと三十秒。
余談だが、医者が逃げたため四人の治療は非常に困難だったことを追記する。