十八話 アウレンさんといっしょ
「ここで良いかな、と」
納屋の中に使い古しのコップを置く。中には塩水と漂う生物が一匹。
「なにしているの?」
アウレンさんが寄って来て、納屋の入り口に立つ。最近、やぁっと7メートルの領域に達したところだ。彼女はそれ以上好きな人に近寄ると気を失う。
「ああ、ゴキフリですよ。昨日大騒ぎしていた」
「ああ、ゆすり目的で食事の中にゴキフリ入れて店長に殴られてた人だよね」
「そうそう『魚屋だからっていくらなんでもゴキフリが混じったりするかよっ!』って、すごく正論なんだけどさ」
取り留めもない話をする。話の渦中にあるゴキフリはコップの中で浮いている。銀色でいかにも固そうな尖った姿をしていた。
ゴキフリを知らない人はそこそこいるだろう。彼らは深海生物で、極稀に底引き網などに混じっている。『五器の振りをする』の名前の通りスクリュードライバー、栓抜き、ペンチ、缶切り、ドリルに似た姿をしていて、身体は一片に至るまで金属製で食べるところはない。一種ギルマンよりも不思議な生物だった。
鉄魚と同様に鉄の原料になることはある。勿論料理に混じったりすることはない。
「……で、それ、どうしましょ? 飼っちゃうの?」
「いや、ゴキフリの餌とか知らないし。……というか、死ぬかどうかも分からないんだけど。まぁ、深海生物だから暗いところにおいておくべきかなって」
最も、ポケットの中にずっと入れていてさらに熱々の煮込みの中に突っ込まれてなお生きている生き物である。いらんお世話であっただろうか。
「まぁ、今晩にでも海に放り込んであげよう。さぁ、ブイローさんじゃないけど一睡するかな」
今日はちょっと眠い。色々あって疲れが溜まっているのだろう。こんな日は夕方までゆっくり寝てからご飯を摘んでまた寝るのが良い。
「お、納屋が開いてら……めんどくせぇな」
ぎぃ、バタン。
「ちょっと、ブイローさん、中いますよ」
声をかけるが、ブイローさんは気にした様子もなく鍵をがちゃんと閉める。
「ふああ、寝るか」
「ちょっと! ブイローさん!! ……あ、さてはあなた寝ぼけてるでしょう!? ちょっ!?」
この納屋の最大の欠点は、外から鍵をかけられるとどうしようもないことだ。そして、僕は完全に失念してた。
「はうっ」
アウレンさんが倒れた。
というわけで、僕には何の危害もないが何となく緊張感のある二人っきりが始まった。
「……ん、うん?」
「あ、起きました? 頭、気をつけてください」
アウレンさんは、半身を起こすとゴンッと音を立てて天井に頭をぶつけた。
「~~っ!?」
「ああ、遅かったですね。ちょっとでも距離をあけれるように押入れの二階に入れさせてもらいました」
ベッドもあったのだが、埃だらけだったので使ってない。アウレンさんを寝そべるスペースはある程度あまり布で拭いておいた。案外元から綺麗だったのは掃除好きのおじいさんがいたせいだろう。
「……あ、ああ、はい。ごめんなさい、どのくらい気を失ってたんだろ?」
「八時間」
「……はいっ!?」
「夕刻の鐘の音を聞いたので、八時間近く経ってるはずです。すげぇ暇でした」
もう、すっかり暗くなり始めている。今日は残念なことに休日なので、ブイローさんはすっかり眠ってるんだろうあの野郎。あの人は、深夜になって起きて屋台に飲みに行くので当てにならない。
「……しかし、参りましたねこれ。明日の朝ダイケルさんが来るのを待つしか無いのか」
そう考えると急にお腹が空いてきた。ポケットを漁るとボンボンが三つ。ひとつをまずアウレンさんに放り投げる。
「え、あう、あの、ありがとう」
アウレンさんは、包を解くと赤いボンボンを口の中に放り込んだ。
「うわ、あまい……じーんってする」
「僕も頂こうかな」
僕も、それに習って青いボンボンを口に入れる。甘い、ああ、美味しい。
『もっと光を』
もう一個は、ちょっと勿体無いが明かりにした。これで明日の朝まで光っているだろう。
……この明かりを見て誰か気がついてくれないかという淡い期待である。
「すっごい平和な時間を過ごしてる気がする。命の危険がないって素敵」
「なんなんです、それ?」
アウレンさんは知らないだろうが色々あったのである。
時間の感覚はない。無駄に長い時間を過ごしたって感覚だけはある。まぁ、サバと無人島を過ごすよりは有意義な時間であろう。
「なにか話でもしましょうか。ブイローさんのお父さんは海の底だって聞きましたけど、アウレンさんは実家暮らしですよね? どういったご家庭で?」
「あ、はい。お父さんは特に働きもせずふらふらとしていてお酒を飲んでくだ巻いてたりするかな。お母さんは蒸発しちゃった」
ん? なんか、突然唐突にとんでもない話し聞いた気がするぞ!?
「ちょ、ちょっと待って、なんなのその家庭環境」
「お母さんがギルマンと逃げちゃったのが最初で。それ以来お父さんは『俺はギルマン以下の男なんだ』って、意気消沈しちゃって」
アウレンさんは手真似で泣く振りをする。重い話が急にコミカルになった。
「ああ、うん、それは僕でも落ち込むわ。それはひどい。というか、ギルマンと人間の駆け落ちなんて始めて聞いた」
「あ、お母さんはギルマンだよ」
おいちょっと待て。
「……お父さんは?」
「ギルマン」
こら待て。
「話を纏めると……ギルマンが夫婦ゴッコしてて、その家庭でアウレンさん暮らしてたんですね。おじいさんは何をしてたんですか?」
ブイローさんは、アウレンさんが生まれた時はまだ少年だったろうから責任能力はないだろうが、ヒオラーさんは看過できないはずだ。
「私は生まれた時から孤児院にいたから……ブイローさんが叔父だって分かったのは最近の話なの。ヒオラーさんはすっかり死んだことになっちゃってて」
「……ああ! 要するにアウレンさんもローレライのところの子だったんですね! で、街に引き渡すときに、親縁がいないことになってて、孤児扱いになってた、と」
ローレライと結婚して子供が生まれるときに孤児院に引き取って貰うことは、別に珍しいことではない。その時に手違いがあることも珍しくはない。珍しいのはその後だ。
「……で、なんで養父がギルマンなんです?」
「はぁ、元は稼ぎの良い名士でしたので町長が許可したらしくて。今も貯え自体は残ってるんだけど……手に職を付けないのも良くないなって探してたら、ヒオラーさんの孫だということが発覚して」
「こういうのも何だけど、もうちょっとマシなことにならなかったのかってレベルなくらいめんどくさい話ですね」
あと、いくら稼いで地位があるからといってギルマンに養子を出すこの街のシステムはちょっと間違ってると思う。
「ゴキフリ、時々ピクッとするんですね」
コップの中のゴキフリを指でつんつんといじるアウレンさん。
「飼ってる人を見たことはあります。水槽にあれが大量に浮かんでるさまは見ていて『うわぁ』って思いました。集団でぴくぴくしてるんです、怖い」
「そろそろ深夜でしょうか……」
「今日に限って誰一人通りがかりませんね、ちくしょう」
お腹の音が鳴る。アウレンさんが恥ずかしそうに顔を背ける。僕だってお腹が空いた、やっぱボンボンひとつというのは辛い。
「缶詰のひとつでも落ちてないのかな、納屋……」
暇だし、納屋の中をゴソゴソ漁って見る。お、なんだろう、瓶が箱に詰まっている。飲み物だったら嬉しい。
「なに? なにかな?」
アウレンさんが遠目に覗きこむ中、僕はラベルを読む。未開封だしラベル通りの中身だろう。
「……調味料の瓶を見つけました。これは食えません……ソースの一種のようですね。放置されてるってことは美味しくなかったのかな?」
「ああ、それ、ブイローさんが押し売りから買わされたやつかな。一本銅貨一枚で十本買うとおまけが付くっていう」
なるほど、箱のなかには十本ある。ということは試しもしなかったのか。もったいない。
「へぇ、おまけってなんです?」
「もう一本貰って、ブイローさんは銅貨十一枚支払わされてたね」
「……その商売のスタイルって、この街独特のジョークかなにかですか?」
ということは、十一本買って一本試したのか。よほどまずかったと見える。
「何々、本ソースはなんでも美味しく食べることが出来る。たとえフライパンでも浸せば美味しく頂くことが出来るのだ……なんか、凄いな」
ん? その下に、読みにくいけど小さな字でなにか書いてあるぞ。
「このソースを使ったことによるあらゆる中毒症状に当方は関与しない。なお、追加のソースは以下の住所で金貨一枚にて購入可能……」
僕は、改めてソースを厳重封印した。今度捨てようこれ。後でリチャードさんに聞いた話だが、その組織はこの間摘発されたらしい、世の中から悪が一つ消えていた、良かった。
アウレンさんは、押入れの二階にある箱から、いろいろ見つけ出してた。どうやら道具入れっぽい。
「糸ノコギリとドライバーとトンカチと手錠ですか……」
「何をするために集めたものなのかわからないね」
凄い、並べるととてつもなく猟奇的。
「使えそうか確認してみましょう、糸ノコギリ!」
「ダメっぽい! 刃がボロボロだよ!」
ゴミだ、後で捨てよう。
「ドライバー!」
「ダメっぽい! ここどこにもネジ穴がないよ!」
使えなくはないので後で適所に再配置しよう。
「トンカチ!」
「ダメっぽい! 叩いたら頭が取れた!」
クズ鉄屋に売ろう。
「手錠!」
「あ、使える、ちゃんとはまる!」
「おお、まともなものありますね……で、アウレンさん、なんで自分に手錠はめてるんですか?」
「……鍵、どこかな?」
「おい、待て」
これはアレか? 朝までに逆に急いで鍵を探さないと僕が誤解される感じか? そういう感じなんだな!?
「急いで鍵を探しましょう!」
「あっ! ウィリックさん! これ見て!」
「どうしました、鍵が見つかりましたか!?」
アウレンさんは、手錠をはめたままコップを見つめ。
「ゴキフリが、二匹に増えてる」
「……本当だ。生命の神秘ですね」
今日分かったこと、ゴキフリは分裂して増える。
ちなみにゴキフリを駆使したら手錠は外れました。便利。
「深夜も、更けましたねぇ」
「静かな、いや、なんか、忘れてる予感がするぞ」
「ぉ……ぼぉええええええええええ!!!!」
そこで周辺に響く音響兵器!! そうだ、今日はジャスティーナさんが来てるんだった!!
隣に越して来ているローレライのジャスティーナさんは、たびたびこうやって愛を歌にするのだが、その声は殺人的なのだ!!
「な、なに!? これ!!」
「区画が違うあなたは知らないかもしれませんが。これが、生きる迷惑音の殺人機械ジャスティーナさんの……発声練習です!!」
「発声練習!?」
そう、その通りである、詰まるところ。
「これから本格的に歌い始めます!! いつもはこの段階で止めに入るんですけど、しまった、うかつだった!!」
区画に破壊的でかつ止めに入ろうにも止めに入れない歌声が響き渡る。賢い人はもう逃げに回っているだろう。ダイケルさんは期待できない。あの人のダンスは音が聞こえないと意味を成さないので、この音量マックスの状況では効き目がないのだ!
そして、僕達は逃げれない!
ちゅん、ちゅんちゅん。
悪夢のような、いや、天変地異のような一夜が去った後、僕は朝日が差し込むのを見て目を覚ました。
扉に隙間が開いている、ジャスティーナさんの声は物理的な破壊をもたらしたのだ。うわ、脱出できたのに嬉しくない。
「扉、開きましたね」
「そうですね」
僕らはもぞもぞと起き上がり、扉を抜けて外へ出た。まずは、ジャスティーナさんに苦言を申し立てようか……そう思っていた時であった。
「おう、ウィリック、朝早いな。納屋掃除していたのか?」
「ブイローさん、あなた、なんともないんですか?」
「おうよ、今日はついうっかり二十二時間くらい寝ちまったぜ」
この人逆にすげぇ、と僕は思った。
余談だが、気が付くとゴキフリはコップから溢れだしていたが、この現象を学会に発表するかどうかは凄い悩みどころであった。