十四話 銀貨袋亭のあるめんどくさい日
「パノミーパンと海鮮パスタとフライ盛り合わせ入りましたー!」
「はい!」
「おぅ、ダイケル、皿が足りん。早く拭いてくれ」
「ヘイ! 任せてくれたまえ」
忙しい時間、この店のかき入れ時は夜の八時だ。港湾労働者が一同に働きを終え、ひと風呂浴びて飲みに来る時間帯になる。この店は決して広い方ではないので、回転率が命だ。結果として一番良く出るのはディナーセット(二人前)を二人で食べに来る客となる。
「くっそ! どいつもこいつもウマそうに食いやがって。屋台で済ますかこの際綺麗に消えて無くならねぇかな、客」
「ブイローさんあなたは何を言ってるんですか」
この人は忙しい時はいつもこうだ。客を忌々しい敵か何かと勘違いしている。……実際、彼は雨で暇な時はのんびり酒を飲みながら。
「めんどくせーからもう閉めるか」
と言うのだった。この経営者危ない。
「まぁ、ともあれ今日も行列出来てますから急いでいきましょうよ。お客さん待たせたくない」
「待たせておけ待たせておけ、そのうち諦めて帰るだろう」
「……やっぱダメですねこの人」
「ミスターブイローについては諦めたほうが賢い、皿が上がったぞ」
その時、店の中のほうがちょっとざわめいていた。喧嘩が起こった様子は見られない。というか、ダイケルダンスとギルマン剣法の効果か、最近この店で喧嘩らしい喧嘩が起きない。
「どうしたんですか? クラダさん」
「あらら、それがね、大変ですよ」
クラダさんがシナを作って答える。僕はウェイトレスに用事があるときはクラダさんに頼む。アウレンさんとは物理的に距離(十一メートル)があるからだ。
仕事の手を止めてホールに出ると、これはまた珍しい客層の人物が来ていた。
恰幅のいい男性でタキシードを纏っており、その上にコート。樫のステッキなどを持っている。いかにも上流階級の男だ。何やら凄い髭を蓄えていた。後ろに、護衛らしき黒スーツで屈強な男を三人ほど連れている。
「あの……ご注文のほう、いかが致しますか?」
果敢に攻めるアウレンさんを男は一瞥して髭を撫でつつ答える。
「ゆっくり決めさせてくれ。この店の品度を知りたい。後、水を一杯。水だけでも店のレベルは知れるからな」
「ほらよ、まず水、シケた客だなおい。あと四人でテーブル席二つ使うのはやめてくれ、他の客がつっかえるだろう?」
だんっと乱暴にタンブラーを置いたのは、ブイローさんだ。おお、あの人もやる時はやるんだな。
「このワッタァシをドゥベルゲング・リーザンと知ってのことか」
変なリズムで言い返した男に、ブイローさんは答える。
「い、いや、チョット待ってくれ。言われても覚えきれねぇ。ドベ、ドゲ? ああ、リーザンさんでいいな。知らねぇよ」
僕もいまいち覚えきれない。リーザンさんは、ごほんと咳を払うと。
「このドゥベルゲング・リーザンを知らないとは、やはりモグリか。『リーザンの華麗なる旅』を始めとしたグルメ本を総勢二十と四冊! 世界中に影響を与えるグルメこそ私だ! 私の心づもり一つで君の店など吹き飛ぶぞ、明日から客が消えてもいいのか!?」
「マジ!? それ嬉しい! 俺寝ても良いんだな明日!」
ブイローさんは握手を求める。よもやその方向で共感されるとは思っても見なかったのかリーザンさんは躊躇う。この人の怠け癖ははっきり言って特筆ものである。変に怠ける口実を作らせてはいけない。
ほら、客の皆さんがブーイングを投げかけている。ブイローさんは『店をたため』と言われたら『じゃあたたみます』と言う人なのだ。客はそれをよく知っていた。
「ごほん! いや、そうではないだろう? もっと、言うべきことが」
「ってーもなー。この街、レストランうちともう一つしかねぇから多分どんなにまずくても客は絶えねぇし。と言うかあっち行ったほうが良いんじゃねぇの? 美食家好みの高級店だぜ?」
「む、ぐ……いや、しかし、まぁ、だな。こういう店でしか得れないものがある。うむ、今日はこの店の気分だ」
うん、この人たち。いや、まさかな。
「……で、メニュー決まったかい? 早くしてくれ。この店は飲まない客は長居はしない約束なんだよ」
「ふむ……では、そうだな、スッテェーキを人数分とパンに葡萄酒を貰おう」
「おう、なら、銀貨六枚な」
掌を出すブイローさんにリーザンさんは焦った様子で。
「ちょっと待った、何だねそれは」
「何って、前払い一品銀貨一枚だよ。ああ、パンと葡萄酒も人数分だったか? それなら銀貨十二枚な。金貨二枚で払って釣りも出るぜ」
「いやいやいや、このワッタァシから金を取ろうというのかね!」
ああ、なるほど。いるのだこの手合は、稀に。俗に言う『居丈高な食い逃げ』というやつである。食うだけ食って権威を笠に着てサインの一つも押し付けて帰ってしまおうというクチである。この店が先払い制だったから良かったが、違ったら面倒になっていたであろう。
「そりゃ取るよ、なんだい貧乏人かい。貧乏人はこの街は屋台で食うといいよ」
この勝負、ブイローさんの勝ちである。
「結局ステーキ一枚だけ注文しやがった、セコいんだかセコくないんだか。ラーメンでも食ってりゃいいのに」
ボヤきながら銀貨を弾くブイローさん。なんだかんだで食べて帰るのか、結構な根気だな。
「でもどうするんです? あの手合は本当に本は書いてる場合が多いですから、なんだかんだで変なものを出したら叩かれる可能性は無くはないですよ?」
僕の経験では、とにかく食べたという既成事実を作ってから全力で叩くパターンが考えられる。そうなっては結構厄介だ。そういうふうに人をこき下ろすしか考えないグルメ本というのは結構あるのだ。
「おう、ステーキ一枚焼きゃいいんだろ? まずくはならねぇよ」
「うん、だけど、うちのステーキは正直そう良い肉を使ってるとは言い難いですよ」
何しろ銀貨一枚で量を提供しようというのがコンセプトだ。どうしても海原の月夜亭には質で劣る。
「それもそうだな……んじゃ、お前焼け」
「それもそうです……えぇっ!?」
「ちょっと待て、何がどうなってそうなるんですか!?」
僕の抗議にブイローさんはめんどくさそうに答える。
「いや、不味いって言われたら『部下に任せたんで』って言えば言い訳にならねぇ?」
「それならそういう客に最初っから部下に任せるような料理店がダメですよ!?」
「俺は客を区別しねぇよ! んじゃ、俺はラーメン作ってくから」
あ、逃げた! こんちくしょう!!
「しょうがないですね……『アレ』使ってみていいですか?」
その言葉にブイローさんは振り返り。
「ああ、今日の賄いで出す予定だった『アレ』使うのか。……悪くないんじゃね?」
そう答え、二人でニヤリと笑った。
「おお、待たされたではないか! さて、どんなものを出してくるのだ? 生半可なものでは許されんぞ?」
「こちらになります」
「これは、また、広いが凄まじく薄いな。流石貧乏ステーキ」
そう、僕が出したステーキは鉄板一杯に広がるほど薄く作ってあった。上にタマネギのソースがかけてある。
「食べてみてください。違いが分かるはずです」
「ふん、どうせ硬くて臭い革靴のようなステーキだろう」
そう言うと、ステーキにナイフを入れる。ナイフは驚くほどすっと入った。
「む、むぅっ!?」
リーザンさんは、カットしたステーキを慌てて口に放り込む、二、三回噛んで、すぐ飲み込んだ。
「こ、これは柔らかい! これは、何の肉で作ったステーキだ!?」
「牛の肉ですよ。ただし、工夫に工夫を重ねていますけど」
リーザンさんは、ガタンと席を立つ。さすがに味の違いくらい分かる人だったか。
「これが牛だと!? どんな高級な肉よりも柔らかいではないか! 何の魔法を使った!」
「使ってねぇよ。今度新作で出そうと試作はしてたが、そいつは工夫だ」
客にラーメンを出しながらブイローさんが呟く。
そう、これは僕が旅のギルマンから聞いた調理法で、いつか試してみたいと思ってこの間進言したのだ。何度か試作はしていたが、客に出すのは始めてだった。
延々延々と叩きに叩いた肉をタマネギのソースに漬け、タマネギをきれいに落としてから、それを焼く。焼いた上から別に作ったタマネギのソースをかければ完成だ。とてつもなく柔らかくなる、タマネギのステーキである。
旅のギルマンの名前はシャンピニオン。名前をとってシャンピニオン・ステーキと呼ぶ。
「こ、これは確かに凄い……ぜひとも紹介させてくれ、作家生命を賭けて大々的に宣伝」
「すんなよ! 絶対やるなよ!! 店にこれ以上客が来たら俺が寝る暇がなくなるじゃねーか! 美味いもの食いたきゃ、海原の月夜亭に行けよ!!」
うん、この人はこれだから。
そして、小一時間後の銀貨袋亭は、変わらぬ喧騒に包まれていた。
いや、変わったことはあった。
「いやはや! この店の方々はみんなお優しい!!」
リーザンさんはリッテルを片手に笑う。四人で一品という悲しい状況を見かねて店の常連が皆おすそ分けを始めたのだ。この店は、一人や二人で食うには多い量が出るので、そういうことをよくやる。
というわけで、みんなで注文したものを持ち寄って騒いでいるのである。宴会してる客といそいそと定食食って帰る客が住み分け出来てるのがこの店の凄い所だ。
「なぁ、ウィリック。俺、すげーめんどくせーこと考えちまったんだけどよ」
「なんです? 僕も似たようなこと考えてました」
「この店、もう四人常連が増えそうな気がするんだけど」
「同意です。嫌ですね」
餌を与えないでくださいって張り紙でもしようかしら。