十三話 ギルマンと絶対に逃げ出してはいけない料理店
僕らは、大通りを歩いている。向かうはレストランだ。
「ところでどうして、この面子なんでしょうか?」
僕とサ・バーンさん、ヒ・ラメイさん、クラダさんの四人だ。お魚天国か。
「まぁまぁ、ここは海原の月夜亭でご飯を奢るということで。ワタクシ芸術家の端くれになれましたので結構な臨時収入があったので」
ヒ・ラメイさんは生活環境を向上させましょうよ、と言うのをギリギリこらえる。ギルマンにとって宵越しの金など不要だろうからだ。
食事が完全に趣味になるギルマンにとっては、生活費という概念が死んでいる。彼らにとって勤労とは、その後の趣味に費やす金を得る行為である。
それに、何よりなんだかんだで僕も海原の月夜亭での食事は始めてで楽しみなのだ。安いコース料理が普通に一人前金貨一枚とかするレストランなので、僕には高嶺の花だった。
「……にしても、クラダさんはまだギルマンのよしみで分かるかもしれませんが、なんで僕なんです? ヒ・ラメイさん」
二人は、クラダさんにはかなり世話になっているのだ。クラダさんはこう見えてもかなり気配りのいい人で、貧乏な二人にしょっちゅう余り物を持って行っている。
銀貨袋亭は深夜にうっかり注文を受けると大量の残飯が出るため、余り物の率が高い。何とかしろとブイローさんに進言中である。
「実は、父と二人で前行こうとしていたんですけど。入り口で『ギルマンのみのお客様はご遠慮いたします』と言われまして」
「む……なるほど」
正直僕は数合わせだということだが、まぁ、それなら納得である。この手のギルマン差別は少なからず存在する。僕としては彼らを尊重したい。彼らなくして我々の生活は成り立たないのだから。
「あと……知らない女の人とレストランとか、怖い」
ヒ・ラメイさんはプルプル震えるのだった。あのな。
レンガの上にセンスの良いタイルを貼り付けたデザインの店内で。開放感にあふれた光が取り込みやすいガラス張りが多い店だ。なるほど、これは『高級店』だ。前に一度ちらっと見に来たことはあるが店内に入るのは初めてだった。
「四名ですけど」
幹事のヒ・ラメイさんが言うと、ギャルソンは明らかに顔をこわばらせた。む、ちょっと嫌な感じ。そして僕を一瞥すると。
「では、こちらの個室にお願いします」
と案内する。
だいぶ歩いたあと、案内されたのは石造りで武骨な、横に何部屋も並び、分厚い鉄の扉のついた部屋だった。何だ、この何かを想起させるような部屋。
「あの、これ……」
とてもではないが食事をしたい部屋ではない。壁になんで染みがあるんだ。
「どうぞお入り下さい」
半ば強引に部屋に入れられる僕ら。鉄のテーブルに鉄の椅子で座らされる。おかしい、さっきまで見てたテーブルは木製で高級感溢れてたぞ、何だこの差。なんかちょっと鉄の椅子が歪んでるし。
「では、こちらがウェルカムドリンクでございます。ご注文の方はお決まりでしょうか?」
「あ、あの」
僕の言葉を遮って、メニューを見ていたヒ・ラメイさんが言う。
「では、この、シェフの気まぐれコースを四人前。ワインもおすすめで数本見繕って下さい」
あ、割と良いコースだ。どうやら、ヒ・ラメイさんは本当に財布が暖かいらしい。いや、じゃなくてね。
「はい。では、ごゆっくりおくつろぎ下さい」
ギャルソンは、慌ただしく重い扉を締める。
ぎいいぃぃ、がちゃん。カチャッ。
「待て。今、何の音がした。うわ、鍵かかってる、なんだこれ!?」
がちゃがちゃと扉を揺するが、開く気配がない。というか、何でこの扉こんなに分厚いんだ!?
「閉じ込められてるんじゃないですか、これ!? 一体何の冗談なんです!?」
「ヒ・ラメイのメジャーデビューにかんぱーい」
「そこ、乾杯しない!?」
ここにギルマンと一緒に逃げられない食事会が開催されたのである。
まぁ、とりあえず、逃げられないなら待つしか無いわけで、ウェルカムドリンクを飲むこととなる。
「うわ、凄い。これ、オレンジの果汁なのか。これは贅沢品だ」
僕自身、オレンジなんて中々口にしたことはない。果実というものは、ローレライに優先して与えられる上に日持ちがしなく、更に樹木で何年もかけて育てる贅沢品の極みだ。
ローレライとして口にしたことは、確かに何度かあったが、旅に出てからは始めてではないだろうか。しかもこれは果汁で砂糖を加えてある。ギルマンが飲んでいるということはあちらの分には砂糖は入ってないのだろう。細やかな気遣いだ。
「……これさえ、なけりゃね」
下座の僕の後ろには威圧感を感じさせる扉。よく見たら、下の方には拭き取りきれてない血痕さえある。何たる地獄の扉か。
「まぁ、料理とかお酒を持ってきた時にチップを出して席を変えてもらおう。景色だって料金のうちだし……」
そこで扉の後ろからギャルソンの声が響いた。
「ワインでございます、白の十五年物、ブドウが特に良い年のものを選びました。お楽しみ下さい」
そう言って鍵を……開けずに、扉の横に付いている小さな扉が開き、台の上に盆に載せたワインとグラスが置かれる。
「……って、ここ、監獄かよっ!? おい!! ちょっと開けろ!!」
ドンドンと扉を叩く、だが反応は帰ってこない。何なんだこの店!?
ともあれ、出された白ワインの味は爽やかで格別だった。しかし、何か腑に落ちない。
「あの、この店、何か変じゃありません?」
「いや、この前菜も旨いですよ。ウィリック君」
「美味しいですね。新鮮なトマトとチーズ……確かにうちでは真似できない味だ」
物凄くフレッシュなこのチーズ、どこから仕入れたか聞きたい。聞きたいが、ギャルソンの顔が物理的に見れない。
その時、隣の部屋から激しく扉を叩く音と怒号の声が聞こえた。
「おい!! こらてめぇ!! 出せよぶっ殺すぞ!!」
『ギョギョギョーーーー!?』
三人のギルマンが席を立ち驚く。そう、ギルマンは驚くと、走って逃げ出すのだ。
『ギョギョーーーーー!?』
隣の部屋でも驚く声が聞こえる。あっちにもギルマンいるのか。
「……って、うわっ!?」
僕が下座に座らされた理由も、個室の理由も、扉が頑丈な理由も、全て分かった。
『ギルマンが何をやったとしても自分で解決しないと死ぬぞ』って理由だこれ、生贄だ僕!?
僕はとりあえず、テーブルの下に滑りこむようにして隠れる。
『ぎょぎょぎょーーー!!』
ドッカンドッカン扉にギルマンたちはぶつかる、凄い扉だなぁ、あれ。……と言うより、逃げやすい窓でも付けてくれたほうがよほど嬉しいが、そうか、食い逃げ防止か。うん、ここ、監獄だ。
「ぎゃーーーー!?」
隣の人は断末魔の叫びをあげていた。僕は隣の人の冥福を神に祈った。
「はぁ、はぁ……落ち着きましたか」
『ハイ、落ち着きました』
網の中にある魚介盛り合わせセットに向かって僕は問いかけた。なんで持ってたかはわからないけど、荷物持ち歩いてて本当に良かった。この街では準備不足は死に直結する。
「とにかく、スープがとっくに来てるんで、ちゃっちゃと食べて帰ってしまいましょう! こんな所にずっといたら死んでしまう。きちんと時間がたっても美味しい冷製スープ出してる辺りが心憎いなちくしょう」
「きゃー!」
その時女性の叫び声が響く。どんな料理屋なんだよここちくしょう!
『ぎょぎょぎょー!』
「分かってますよ! とにかく逃げが先決!!」
「ぎゃあああああ!!」
「ええっ!? 隣の人あの状態で逃してもらえないの!?」
死んでしまう。ここは、戦闘不能になった段階で死んでしまうレストランだ!
「と、とにかく料理だけは美味しいのが余計に腹が立ちますね、ここ」
にこやかに会話を続ける。ギスギスした空気などだそうものならギルマン衆にフルボッコにされてしまうからだ。
第三の皿は舌平目のソテーだった。たっぷりのバターを効かせてあるので、メインを張っても許せる。
ここでギルマンたちは二回暴走した、とにかく時間をかけてやり過ごす。隣の人はまだ比較的元気な気がする、タフな人だ。
「僕も、できるだけ努力しますから、皆さんも頼みますからもういい加減慣れて下さい」
第四の皿は鴨のテリーヌ。これは素晴らしい、添えてある生野菜ともワインとの相性も抜群だ。ここで二本目のワインとして赤のワインがやって来た。なるほど、これから重い料理が来るよ、ということなのだろう。流れからすると、羊か牛か、楽しみだが、早くして欲しい。
ここでの暴動は一回。みんな元気がなくなってきたようだ。隣の人も息も絶え絶えだ、とにかく必死に食事を終えようという気概が感じられる。
第五の皿はなんと牛のステーキ。否応がなしにテンションが上がる。この環境でなければもっと嬉しい。普通はこういうレストランでは陶器の皿に盛られるのだろうが、あえて熱した鉄板というのが、ステーキは熱を食う食べ物である。という気概が感じられる。
ここでの暴走は三回、立て続けに絶叫が連鎖したのだ。多分ここと通常席の間が広く開いていたのは、ここの様子を一般客に伝えないためである。正しい監獄である。
隣の人の断末魔が聞こえた。
第六の皿は生野菜のサラダとパン、ここで口をスッキリさせて下さいという意味だ。これは心憎いところである。
ここでの暴走は一回。……僕も避け損ねでそろそろボロボロである。できれば終わりにしてほしいと思い始めていた。何よりなんでこの監獄こんなに悲鳴や絶叫が多いんだよ。隣の人はもう死体蹴りの状況である。
第七の皿はフルーツ。メニューにあるフルコースなら甘味を挟むのだが、ギルマンのために省いたのだろう。彼らは人工的な甘味を嫌う。出てきたのは、これまた入手が難しい桃であった。これはすごく嬉しい、もう終りが見える。
暴動の数を数えるのはやめた。隣からは、扉を叩く音とかすかな悲鳴だけが聞こえる。
「こちら、お持ち帰りの焼き菓子になります。ギルマンの方たちには砂糖不使用の焼き菓子などをご用意しています。……そして、できれば、お気持ちチップなどを頂けると」
やっと扉を開けたギャルソンに、僕は告げた。
「誰がくれてやると思うんだよ、こんちくしょう!」
このレストランにギルマンを連れてくることは一生無いだろう。なるほど、それが狙いなのか。
隣の人は、サ・バーンさんに頼んで急いで治療してもらったところ、なんとか一命を取り留めたという。
本当に良かった。