十二話 ギョまぼこの秘密
金色の魚を革手袋の手でわし掴みにして、まな板の上に乗せる。
この魚は、金魚だ。金魚とは小ぶりの魚で、主に海底に眠る金資源をついばむ魚であり、そのついばんだ金で体の表面を覆っている。
ローレライとの貿易というのは主にこの金魚を手に入れるのが目的であり、黄金はやはり人間を魅了するものだからか、陸の主な産業、麦にしろ、砂糖にしろはそのためにあると言っていい。
それだけ金魚は貴重なものだ。僕は今、それを捌いている。
金魚はお腹に開腹しやすいラインが有り、それに沿って包丁を入れると、簡単に開腹できる。内臓を外し、ボウルに入れる。
内臓は改めて煮だしてから濾して、水にさらして金が入ってないかを確認する。金魚は金を食べるからだ。こうして取れた金を砂金という。
僕は、その後、頭を落として別のボウルへ。頭の部分は別処理で煮込んで身を外す。煮こむのは身が外れやすくなるからだ。この頭の部分が一番多くの金が取れるから重用だ。
そして残りの身を開いて、慎重に包丁を当てて身を外す。この時身に金がついていてはいけない。かなり熟練の技術がいる。身はさらに別の足元の鉄籠に放り込む。
残った金を頭と同じボウルに入れれば一匹完成。これで僕の分のノルマは終わりだ。
「ふぅっ、よし。千匹完了。工場長、こっち終わりました」
挙手をすると、工場長がやって来て、全ての重量を秤で再チェックする。金を誰かが盗んでいかないかのためだ。ちなみにこの作業場ではポケットは禁止されている。それくらい厳重だ。
「よし、誤差はないな。千匹が二時間ちょっとか、お前凄い早いな。ここで毎日働けばかなり稼げるんじゃないか?」
「僕の仕事はあくまで料理人なので。小遣い稼ぎに身につけた技ですけど、やっぱり向いてないかなーって」
包丁を使うという意味では、この金魚の解体は似たような技術かもしれないが。金魚は身が崩れやすく、皮も薄くてしかも柔らかい。かなり熟練の技術者でないとこれを解体はさせてもらえないのだ。僕は飛び込みで実技試験を受けて、休暇を利用して働き始めていた。
「ところで、鉄魚の工場がちょっと間に合ってないそうなんだが、応援行って貰えないか、後でこちらが終わった奴も送ろうと思ってる。ボーナスは弾むよ」
「ふむ……まぁ、仕方ないですねぇ。ところで気になったんですけど、やっぱり、金魚の身はこっちの地方でもギョまぼこなんですか?」
「ああ、ギョまぼこだ。持ってくならやるぞ?」
金魚の身は脆い割に何故か筋張っていて、はっきり言って美味しくない白身だ。なので、繋ぎに海藻を混ぜて練って大きな四角い鉄の箱で蒸して蒸し物にする。これがギョまぼこだ。他にもタラやサメのすり身なんかも混ぜる。
「いえ、ギョまぼこはちょっと……」
好きではない、というか飽きた。馬車なんかには必ず積んであって、乗せてもらう度に箱ごと魔術の火で炙って魚醤をかけて食べるのだ。保存食として適していて、馬車に積みやすいのまでは分かるが、いい加減嫌気が差す。
「そうか、同じ建物の別の棟だ、案内板を見て行ってくれ」
「はい、分かりました」
「ダイケルさんもここにいたんですね」
僕の横で作業をしていたのは、ダイケルさんだった。黙々と鉄魚を剥いていたのだった。
悲しいことに最近本当に慣れてしまったが、包丁持った紙袋を被った極彩色の服は本当に軽いホラーだな。
「ああ、ミーも皿洗いばっかりじゃ料理の腕は上がらないからね。普段はユーたちの動きを見て覚えて、ここで魚をたまに捌いて勉強している。短い時間のバイトという事にはなってしまうが」
なるほど、意外……と言っては失礼か、ダイケルさんは普段から勤勉な人だ。そう、この人見た目以外は一番常識人なんだよ。
「僕はさっきまで金魚やってました。ここ、時給がいいから荒稼ぎには向いてるかなって」
「Oh! ユーは流石だね。金魚が捌けるのかい? あれは鉄魚に比べてかなり難しいって聞くけど」
「ありゃー確かに難しいですね、金魚綺麗に捌けたらダイケルさんも大体の魚が捌けますよ」
僕は鉄魚をさぱさぱ捌き始める。鉄魚の鱗は分厚く硬い。ラインにそってお腹に切れ目を入れたら、専用の器具……テコの道具だ、ペンチに似ているが開くことで使う。で一気にベリっと壊す。そして、身をスプーンでほじくりだすのだ。殻はすごく硬いので適当でいい。
「ところで、前々から聞こうと思ったんですけど。親の家業である漁師を継ぎたくなかったってのは聞いてましたけど、なんでいきなり料理人なんです?」
ダイケルさんも鉄魚をベリっとやりながら答える。
「ああ、とても簡単な理由だ。うちの家は母を早くに亡くしてな。私が料理をするようになって、それが存外楽しかったということだけだ」
うぉ、意外。
「確か、妹さんがいたんでしたっけ? お父さんと妹さんの家庭ですか?」
「いや、グランパもまだ健在だ。二人で、前に乗ったのよりもう少し大きな船を買って、まだ金魚漁を続けているよ。だから経済的には大分楽で、ミーがこういうことをしてても大丈夫なのさ。妹は徒弟として商売の勉強をしている」
ダイケルさんの一家かぁ。正直想像もつかないな。想像もしたくない。
「船が二隻っちゃ、凄い稼いでますね。この辺金魚結構獲れるんですか?」
金魚は群れる魚なので、獲れるときはものすごく獲れる。しかし、ダメなときは全然ダメだ。最も近海にはあまり住んでいないので、人間が獲る金魚などほんの少しの量で、基本的にローレライが大部分を穫っている。何でもローレライはこいつの漁獲量をコントロールしてるんだって噂もあるくらいだ。
「そこそこじゃないかな? うちは金魚だけじゃないんだ。海産物が案外なんでも、網にかかった分は全部持ち帰る。食べるには困らなかったよ」
うん、それはダイケルさんの体を見たらだいたい分かる。食べるには困らなかったんだろうなぁ。ダイケルさんやっぱリ大食いの部類だし。この際だ、もうひとつ質問しよう。
「んじゃ、もうひとつ。ダンスは? どうしてダンスなんです?」
最初っから聞いてみたかったことだが、今まで怖くて聞けなかったのだ。
「ある夜の事だった、その夜は、流星がとてもきれいな夜だった……」
おお、何かいい話っぽい?
「そこで突然神からの啓示が降りたのだ!『これからの時代はダンスである』と! そこで私はダイケルダンスを習得し、華麗なるダンスを瞬間的に踊れるようになったのだ!」
「全然ダメな理由だった!?」
なお、紙袋については聞けなかった、だって怖いんだもの。
金魚の加工場にだってお昼の休憩くらいはある。僕は無料のギョまぼこは遠慮して、持参してきていたパノミーのサンドイッチにかぶりついた。中身は魚のそぼろである。
ダイケルさんは、持参してきていたバスケットを開いた。
「うわ、細かいですねぇ」
そこには綺麗に整えられたお弁当が入っていた。野菜がメインでパノミーと一緒に頂くスタイルのようだ。わざわざ、パノミーに混ぜ物して色付けが施されていて芸が細かい。
ダイケルさんの料理スタイルはこの通り繊細だった。ただ、時間がかかるのでうちのようなレストラン向きではない。やっぱり家庭料理の域を出ない。
「おひとつどうかね?」
「あ、いただきます……ん? あれ、次男さんじゃないですかね」
挙動不審に休憩所を出て行った影は、確かに次男さんだった。昔は借金の取立人をしていたやくざな商売の彼は職を失っていた。どうやらここで働き始めた……ようだが、どうも様子がおかしい、嫌な予感がする。ダイケルさんも頷き、二人で席を立つ。
彼は、金魚工場の誰もいない窓の一つをこじ開けようとしている最中だった。あっちゃあ。
「よし、この窓から……」
「次男さん? ちょっと」
「う、うわぁ!? おおお、俺はまだ何もしてないぞ!」
「これから何かするって言ってるようなもんですね……やめておきなさい、金魚の盗難は重罪ですよ?」
床にへたり込んだ次男さんに手を差し出す。
「ヘイ、ユー。真面目に働いたほうが無難だぞ。一応試験に受かって鉄魚を剥くくらいの技量はあるんだろう?」
「いや……俺、剥くのが遅くって、あんま稼げそうになくてさ」
しゅんとなって俯く次男さん。ああ、ったくもう。
「後で一緒に並んで作業しましょう、コツ教えてあげますから。慣れれば銀魚くらい剥けるようにもなりますよ」
嘘ではない。ある程度器用ならばあれはコツの世界なのだ。金魚は無理でも銀魚くらいならいけるだろう。練習なら鉄魚でも出来る。
「ほ、ほんとう?」
「本当です」
「騙したりしないか? 罠にはめて陥れたり、罪をかぶせて脅そうとしたり、海の中に蹴落としたり、給料かっぱいだりしようとしないか?」
……この人、どういう人生送ってきたんだ。なんか同情する。
「大丈夫、大丈夫です」
「ありがとう、こんないい人始めてだ。俺たち、もう、生パノミーを齧ったり、生ごみあさろうとして野良犬に負けたり、小銭拾いをしようと街中駆けずり回った挙句に空の財布落としたりしなくていいんだな」
……なんて報われない人だ。
「救ってあげようじゃないか、ユー」
ダイケルさんも涙声で頷くのだった。
「まさか、ボーナスが全部ギョまぼこだとは思いませんでしたね。僕はあそこで働くのは、どうかと思いました。ケチすぎるでしょうあの金魚工場」
僕とダイケルさんと次男さんの分、合わせると二十ケースにも及ぶギョまぼこが揃った。
なお、一つの大きさは大ぶりの枕ほどもある。日持ちするとはいえ、これはなぁ。
「まぁ、給料だけはきっちり貰えたのでいいのではないか? ミーはギョまぼこは嫌いではないが、これは進呈しよう」
「えっ?」
次男さんに、リアカーを差し出す。
「僕も独り身なんで遠慮します。苦手でもありますし、お腹いっぱい食べてくださいね!」
「えっ、えっ?」
こうして、ぽつねんと立つ次男さんとギョまぼこ二十ケースが残った。
あとで知った話だが、次男さんはギョまぼこが大嫌いだったらしい。
ごめん。