十一話 ギルマン剣法帳
ビュンビュンと風を切る音が連続で響き渡る。立て続けに繰り返されるそれは、剣が空を切る音だった。
「精が出ますね」
「これくらいしか取り柄がないからな! はっは!」
素早く嵐のように振られ続けている剣を、僕は目で捉えることが出来ない。流石はヴェイン疾風一刀流の師範。
僕は朝早く公園でその様子を見ていた。別に特に日課だとか、何かをしようと思ったわけでもない。たまには早起きして散歩しようと思っただけだ。
そこで、こちらは日課らしいリチャードさんの素振りの様子を見かけたのだ。
「と言っても、やっぱり一流の人間っていうのは良いですよ。今は警邏ですけどリチャードさん剣だけで身を立てるつもりあるんです?」
「今はないな! 武芸者で身を立てるとどうしても人を斬ることになる。俺の師匠は人を斬るより悪を斬れと常に言っていた。だから、俺はこのままの仕事で出世したいよ」
「格好良いなぁ」
「はぁっはっはっは!! 甘っちょろいことを言う!! だからヴェイン疾風一刀流は!」
どこからともなく声が聞こえる。
「どこだ!?」
「ワシはここだぁ!!」
声の元を見ると、一本の木の上に立つ初老の男の姿……うわぁ馬鹿がいる。
「公園の木に登ることは、街の条例により禁止されている、今すぐ降りなさい!!」
「細かいことを言う! こちらのほうが迫力が出るのだぁ!!」
「ていっ」
ばたん。と音を立てハシゴを蹴る。ハシゴは音を立てて倒れる。
「こらっ! 貴様!! ハシゴを蹴倒すな、ワシが降りられんではないかぁ!!」
「リチャードさん、今のうちに応援呼んできていいですよ。逃げられないでしょう」
「そうだな」
「ワシの話を聞けぇ!!」
「うわっ、ずいぶんと野次馬が集まったね」
「ええ、リチャードさん。あの人ずっとわめいてるもんですから」
おかげでこの近辺の人間は、朝も早くから木を取り囲んでいる。ぶっちゃけ僕の知り合いは全員だ。みんな暇してることで。
「というか、ギルマンもこう言うの見に来るんですねサ・バーンさん」
「ああ、怖いもの見たさというやつだよ。実際怖かったら逃げるんだけどね、はっはっは!」
ここまでがギルマンジョークだ。ああめんどくさい。
「……で、当人は?」
「ご覧のとおり、わめき疲れて休んでいます。一応、知り合いに頼んで触れないようにさせています」
ダイケルさんやアウレンさんの助けはありがたかった。クラダさん辺りも良くギルマンをまとめてくれてる。このへんは客商売やってる人の強みだな。なおブイローさんはベンチで座ってた。
ぜーぜーと肩で息をする男に、僕らは声をかける。
「んじゃ、今からお縄につけるから大人しくしてるんだぞ」
「ハシゴかけますかね」
こうして、降りてきた男は大人しくお縄に……とは行かなかった。腰に下げている二本の剣を抜き放つ。駆け寄る警邏の人たちとにらみ合いになった。既に抜剣してる人もいる。
「おい、手荒な真似になるぞ。覚悟しているのか?」
「貴様、ヴェイン疾風一刀流の使い手と見た。ワシはザンド白影真流の使い手、ジジムムである。今日は貴様に勝負を挑みにやって来た」
「……む」
リチャードさんは、表情を強張らせる。僕にはさっぱり分からないのでこっそり聞く。
「なんなんです? それ」
「ザンド白影真流はヴェイン疾風一刀流によく突っかかってくる流派なんだ。なんでも昔いざこざがあったらしい。だから、道場破りとかは今でもたまに見かけるんだが……真剣の勝負とは穏やかじゃないな」
「ふん、臆したか?」
ジジムムの挑発にちょっと僕は不安になったが、リチャードさんは、顔色一つ変えることなく言い切った。
「ああ、人を斬らずとも勝負はできるから、人を斬る剣術勝負なら遠慮願おう。どうぞ不戦勝しましたと言いふらしてくれ。その時、誰が君の実力を認めるかは知らないがね……他をあたれ」
リチャードさんは鼻で笑った。彼は大人だ、上手いこと挑発で返した。ジジムムは唸ってから。
「わ、分かった。鞘付きで挑もう……それなら」
「わぁーーーーーーはっはっはっはっは!! その話待ったぁ!!」
馬鹿は二人いた。
その人はいつかサ・バーンさんの借金取立てをしていて、今貧乏のどん底にいる長男さんでした。
「長男さん、軽犯罪ですよ? ハシゴを奪ってまで何やってるんですか?」
「目立つほうが良いだろう! その話俺も混ぜてもらおう!! 浮かび上がるこの日を待っていたのだ!!」
「……え? 剣使えるんですか、あなた」
長男さんは腰に下げた、ちょっと古びた剣をえいやと引き抜いて言う。
「勿論だ! 俺はヴェイン疾風一刀流師範代!」
おお、凄い。
「……の試験に落ち続けた経歴のある男だ!」
「無理言わないからやめなさい。あなた絶対浮き上がれないですよそのルートじゃ」
「頼む! やらせてくれ! もう三食パノミーからの生活から逃げ出したいんだよ!」
リチャードさんと僕は顔を見合わせる。まぁ、やらせるだけならタダだし。
そういうわけで、謎の剣術大会がスタートしてしまった。
「あれ、どうなんだろうね。まったく」
「ええ、でも、結構面白い勝負ですよ? 血が滾ります」
「ナニーさん、怖いからやめて」
ダイケルさんやアウレンさんは観客を整理しているので、基本僕の横にはナニーさんになった。怖い。あそこのギルマン観客席で高みの見物してるサ・バーンさんに恨み事の一つも言いたい。
「では、始めるか。そこな男、かかってくるが良い」
長男さんは、剣を振りかぶりの上段に構えた。警邏の人が一人、審判につく。合図代わりの手旗を振り上げた。
「ヴェイン疾風一刀流は先手必勝!!」
長男さんは、いきなりダッシュで突撃を決め……ようとして見事にコケた。そこをジジムムが右手の剣で頭を打つ、終了。
「ほら、言わんこっちゃない」
「あれは、本当に悪い例ですね」
「ナニーさん、剣分かるんですか?」
「はい、昔我流でちょっと齧ったことがあるんです」
あの暴力はきちんと技術に裏付けられていたのか、道理で凄い破壊力だと思った。
倒れた長男さんを警邏が引きずっていく、めでたく長男さんは御用となった。なるほどこりゃあ楽だ。
「ふぅ、んじゃあ、やるか」
リチャードさんが出てきて。剣を中段に構える。
「ふん、やっと真打ち登場か。噛ませ犬にしては弱すぎたな」
「……正直俺もあの弱さに関しては脱帽する」
言ってあげるな。
リチャードさんが剣をまっすぐ構えると、張り詰めた空気のようなものが生まれた。素人の僕でも分かるほどだ。
ジジムムは二本の剣を構えて、ジリジリと距離を詰めていく。すると突然リチャードさんがダッシュをかけた。
リチャードさんは息もつかせぬ連続攻撃をジジムムに叩きつける。剣戟の音が一気に響き渡った。
「どうしたんです、あれ?」
「リチャードさんの見事な先の先です。ジジムムは仕掛けようとしたんですけど、その気配を読まれて一気に攻めこまれました。ヴェイン疾風一刀流の先手必勝とは、こういうのを言うんです」
結構、分かるんだなナニーさん。……などと話していると、僕から見てもジジムムは圧倒的劣勢に立たされる。しかし、いきなり、リチャードさんは飛びのいた。
「含み針……この程度でなんとかなると思ったか」
リチャードさんの手首に針が数本刺さっていた。ジジムムがニヤリと笑ってダッシュから攻撃を仕掛ける。
「……ぐ、この……卑怯、な」
だが攻撃が始まる前に、リチャードさんは倒れた。顔色が悪い、明らかに毒だ。その倒れたリチャードさんをジジムムは追い打ち据える。
「はっはっはぁ!! 勝てばいいのだ、勝てば!」
更に打ち据えようとする彼の剣を腕で受け止めた人物がいた。
僕だ。正直、超痛い。だがやせ我慢して言う。
「だからって、やって良い事と悪いことがある。……後でぶちのめしてやるから覚悟して下さい。要するに、勝てばいいんですよね?」
「小僧が、このワシにザンド白影真流に勝てると?」
「なんでもしていいんならね。サ・バーンさん、ちょっと見てあげてください! 大丈夫ですか?」
「問題ない、毒は抜ける。後遺症などもなさそうだ、暫く寝かせておけばいいだろう」
「ぐ、すまない……だが、ウィリック君、君は素人だ、怪我じゃすまないんだぞ?」
「大丈夫です」
僕は、リチャードさんに言うと剣を借りた。
「ちょっと乱暴な使い方しますね?」
「おい、ユーいくらなんでも。ミスナニーにでも任せたほうが確率が高いのでないか?」
「そうは行きません、ダイケルさん。余所者の僕ならともかく……これでもしナニーさんが勝ったりしたらリチャードさんがナニーさんより弱いってことに……」
そう、僕が退く訳には行かないのだ。僕は顔を覆った。
「Oh……」
ダイケルさんも顔を覆った。
「勝負前に言っておきますけど、何をやられてもお互い恨みっこなしですからね? 最悪死にますよ?」
「はっ、剣の持ち方も分からない小僧が何を言っているのだ、ほれ、かかってくるといい、なんでもしてみろ」
僕は、右手の剣を後ろに回るほど大きく振りかぶり、左手をポケットに突っ込んだ。あまりやりたくはない手段だ。だが、見過ごせない。ここで見過ごすほど、僕は大人ではないのだ。
「はっはぁっ!」
気勢とともにジジムムが突進してくる、織り込み済みだ。僕は振り上げた右手をその場でまっすぐ振り下ろした。剣は、まっすぐ投げ飛ばす。
僕は案外怪力で、鉄の棒を投げれば岩に刺さったことがあるほどだ。無論、当たれば怪我では済まない。それを感じ取ったのか、ジジムムはその剣を、両手の剣で受け流した。まずひとつ。
僕は、一歩下がりながら。意訳呪文を唱える。左手からボンボンを一個投げる。
『すっ転んでしまえ!』
ジジムムは、たまらず転ぶ。これでふたつ。だが、転ばせた程度で僕は勝てるとは思わない。
右手を右ポケットに突っ込みつつ、左手にもう一個はさみ込んでいたボンボンを投げる。
『もっと光を!』
ギルマンたちの客席の後ろを、照らす、突然の光にギルマンたちは慌て出す。みっつ。
そして、僕は右のポケットから、丸い玉を一つ取り出して地面に叩きつけた。これで最後。
ぱぁんっ!!
『ぎょぎょぎょーーー!!!?』
一斉に、ギルマン達が慌て出す!!
これは、かんしゃく玉という東に近い地方の遊び道具だ。地面に叩きつけて遊ぶのだが、実はこれの音を聞くと、聞き慣れていないギルマンは『必ず』『百パーセント』慌てふためいて集団逃亡を開始するのだ!
『ぎょぎょーーーーーー!!?』
そして、背後はなんか突然光ってるから心理的に行きたくない。そして今、冷静さを欠いているギルマンたちは迂回するということを思いつけない。
ここまで言えば分かるだろう。
今向いている方向に、一目散に突っ込んでくるのだ、彼らは。
僕は、その場から一目散に逃げ出した。
後ろで轢き潰されるジジムムを確認せずに。
「ダイケルさん! あのギルマンたちを追って止めてきてもらえますか?」
唖然となっている観客のうち、ダイケルさんに言う。ダイケルダンスを期待してのことだ。
「あ、ああ、でも言わせてくれ、ミスターウィリック……ユー、案外無茶苦茶するんだな。ミーは君を怒らせないようにするよ」
僕は、その言葉に笑顔で返した。
これぞ必殺ギルマン剣術。
ジジムムは三日間意識が戻らなかったと、サ・バーンさんから聞いた。
「お願いだ!! あの卑怯さはもはや神の領域、ぜひとも弟子入りさせていただきたく!!」
三日後、僕はうんざりしていた。重体だっていうのに元気だなこの人。殴ったら死んじゃいそうだし、僕はめんどそうに手で追いやるしか無い。
「しっし! 今仕事中って分からないんですか!? というか、弟子なんか取れませんよ! 教えることがあるわけじゃなし!」
「いや、私は開眼した。持ちうるすべてを使う! その姿勢、その姿勢を是非!!」
このジジムムからの懇願は、彼がふたたび入院するまで続いたという。
原因は聞くな。