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今日は桃姉の調理実習の日だ。悪夢のようなバナナマフィンから解放される日でもある。桃姉のお菓子作りはおかしかった。砂糖と塩を間違えるなんてベタなまねはデフォルト。なぜかアレンジ意欲が強くて「カラメルを入れてみるんだ」とか言いながら真っ黒焦げの砂糖の塊を投入したり、「まろやかになるかも!」とか言ってマヨネーズを投入したりしていた。散々アレンジし尽くしてからやっと「教本通りが一番かも」という真実に気付いたようだった。教本通りにやっても散々失敗はしていたが。失敗作を食わされるのは毎回オレと義父さん。しかも練習している理由は攻略対象の好感度を上げるため。いい加減勘弁しろと言いたくもなる。
そんな日々も今日でおしまい。しかも結衣お姉ちゃんから差し入れを貰える約束を取り付けた。オレグッジョブ。合気道の稽古の日だったがサボることにした。
学校でも今日は一日機嫌が良くて「雪夜なんかいいことあったのかよ?」とか聞かれた。教えなかったが。学校が終わって一度ランドセルを置きに家に戻ってから、時間を見計らってミルククラウンの少し先にある公園へ足を運んだ。人気のない公園だ。この時間帯子供くらいいてもおかしくないはずだが、立地が悪いのだろうか。
ミネラルウォーターを買って飲みつつ携帯のアプリで遊びながら待っていると結衣お姉ちゃんがやってきた。
「雪夜君お待たせ。ごめんね、待たせて。」
「大丈夫だよ。遊んでたし。結衣お姉ちゃんこそ凄く急いできたんじゃない?ごめんね、急がせちゃって。」
「ううん。確かに急いできたけど、早く雪夜君に会いたかったから。」
「……。」
わかってるんだよ。『早く報告したかったから』って言う意味なのは。でもね、ちょっとくらい期待するじゃん?男だし。
「オレも結衣お姉ちゃんに早く会いたかったな。早く会えて嬉しいよ。有難うね?」
にこっと微笑む。糖分100%でお送りしております。
結衣お姉ちゃんの頬が赤くなった。ん。ちょっとくらい意識してもらえたかな?
それから結衣お姉ちゃんの報告を聞く。桃姉は攻略対象を固めた班で調理して、作ったお菓子は六崎兄弟に渡したそうだ。桃姉の失敗の話も聞いた。結衣お姉ちゃんが阻止してくれたらしいけど、いっそ阻止しないで失敗作を献上したらどうなるのか試したかったな。酷い奴だと思われたくないから黙っておくけど。
「―――というわけだったんだよ、雪夜君。」
長い説明が終わった。2人でベンチに腰掛けて話を聞いていた。
「ふーん?結構満遍なく好感度上げにかかってる感じだね?オレも桃姉にさりげなく好きな人いるか聞いてみてるけど『私はユキと月姉がだーい好きだよっ』とか言ってなんか嘘っぽいし。」
そう言う『好き』を聞いてる訳じゃないと分かってるはずなのに誤魔化される。まだ心が決まっていないのか、もしくはオレに知られたくないのか…オレに知られたくないって言う事は本命はともあれオレをキープしておきたいってことだよな。我ながら胸の悪くなる結論だ。
ミネラルウォーターのペットボトルをぺこぺこさせる。
「七瀬さん、今回二人にお菓子渡してたけど、その場合好感度ってどうなるんだろう?」
双子にあげた場合か。片方にあげる場合と双方にあげる場合、両方のメリット、デメリットを考えつつ口を開く。
「うーん、これはオレの予想になるけど、オレは初めてマフィン貰った時は嬉しかったよ。多分これはゲームであると同時に現実でもあると思うんだ。だから当然今回マフィン貰った二名も好感度が上がると思う。ただ上がり幅が…たとえば双子がいて片方だけにマフィンを渡したとするでしょ?そうしたら特別扱いされた方の一人はかなり喜ぶと思う。逆に貰えなかった方の一人はかなり桃姉に対する好感度を下げると思う。両方にあげるという事は“特別扱いされてる”という優越感も無ければ“自分だけ貰えない”という劣等感も無い。結果二人の好感度はただ微上昇するだけだと思う。全部想像だけど。」
全て推測。証拠など何もないが。二人に同時にあげた場合は「自分も貰ったけど、他にも貰ってるやつがいるんだな」と思う感情のセーブがかかるだろうから、微上昇。そこまで急激に好感度は上がらないと思う。
「そっか。そうなのかも。今回二宗君と三国君と田中君はただ同じ班だったってだけで、特別何かアクションを起こされた訳じゃないから好感度は上がってないのかな?」
「それはどうかな?ただ同じ班だったって言うけど、その前に数あるクラスメートの中から“自分を誘ってくれた”っていう前提条件があるだろ。それって普通嬉しい事なんじゃないかな?」
「あーー!そっか。もーイベントじゃないところで好感度が上がったり下がったりわけがわからないよ。」
結衣お姉ちゃんは頭を抱えた。まあ現実とゲームが同居する現在の状況は分かりにくいかもね。オレは苦笑いした。
「それこそ“ノートに書かれていない部分は不確定要素”ってことなんじゃない?」
「なるほどね。」
現実だもの。不確定要素の割合の方が多いのは当たり前の事だ。まあ班が攻略対象で埋まってたのは『情報提供役を活用した場合、攻略対象との遭遇率が上がる』って書かれてたからその影響かもしれない。
オレは膨らんでいる結衣お姉ちゃんの頬を指でつついた。
「それで?結衣お姉ちゃんはオレに渡すものがあるんじゃないかな?」
差し入れを催促してみた。こういうのって自分から言い出しにくいと思うしね。
「むぅ。雪夜君。これ私たちが作った分。貰ってくれる?」
結衣お姉ちゃんは鞄からいくつかの包みを出してきた。落とさないよう、そっと渡してくれる。透明なセロファンでラッピングされているのは今まで見た事のないお菓子だった。もう片方は箱を開けてみたが、シュークリームだった。
「ありがと。結衣お姉ちゃん。今食べてもいい?」
多分結衣お姉ちゃんは食べた時の反応を見たいと思ってると思う。作り手なら普通思う事だ。多分その場で食べて欲しいから今日の待ち合わせ場所が喫茶店じゃなくて公園なんだと思う。
「いいよ。美味しくなかったらごめんね?」
丁寧にラッピングを捲って見た事のないお菓子を口にする。ゆっくりと咀嚼して飲み込んだ。甘い中にもほのかな苦みがあって凄く美味しい。コーヒー味だ。差し入れしてくれることを約束した上でのこの味のチョイスという事は……
「おいしいよ。コーヒー味だね?もしかしてオレの味覚に合わせてくれた?」
図星だったようだ。結衣お姉ちゃんは恥ずかしがって俯いてしまった。カワイイな。
くすっと笑ってしまう。
「シュークリームも食べちゃうよ?」
「うん。」
シュークリームの箱を開けて中身を取り出す。口に含むとサクッとした歯ごたえと共にバニラのいい香りがする。口どけトロトロのクリーム。文句なしに美味しい。
「こっちもいいね。俺シュークリームって普段あんまり食べないけど生地がサクッとしてておいしい。クリームも香りが良いし。」
「そう。良かった…」
照れている結衣お姉ちゃんが可愛くて、オレのこと考えてくれたお菓子のチョイスが嬉しくて、自然と微笑んだ。それにしても美味しい。
「結衣お姉ちゃんはお菓子作り上手だね。」
桃姉のお菓子を体験した後、予想以上の物が出てきたから吃驚してしまった。
「実はお菓子作りが趣味なんだ。」
「へー。家庭的。」
お菓子作りが趣味?喫茶店以外で前にも美味しいお菓子食べたことあるな。結衣お姉ちゃんの家で出された道明寺…
「……あれ?もしかして前に結衣お姉ちゃんの家行って出してもらった和菓子も手作りだった?」
「うん。一応。美味しかった?」
「うん。凄くおいしかった。あんまりきれいに出来てるからお店で売ってあるやつかと思ってたよ。気付かなくってごめんね。…オレ鈍いなー」
女の子の手作りの品に気付けないとかオレ、ダメ男。ちょっと凹む。今度からはこんなことないように気をつけよう。
「ううん。美味しく食べてもらえたなら良いんだ。」
「お菓子じゃないけど、体育祭で作ってきてたお弁当っていうのもすごく興味あるな。今度オレにも作ってくれる?」
さりげなくおねだりも忘れない。お菓子でこの味の結衣お姉ちゃんのお弁当なら期待が持てる。二宗が食っててオレが食ってない事も気に入らないし。
桃花ちゃんの黒魔術。桃花ちゃんはメシマズです。料理は不得意分野。
廃棄物処理班雪夜&パパン。