使用人異聞
こんな部屋ではなかったのですが。
私はそう思いながら、かつてこの屋敷の中心だった部屋に足を踏み入れました。埃っぽく、なのになぜか湿った空気のする部屋。在りし日は気品あふれる煌びやかな人々が出入りした場所も、今はその面影すら残っていません。教養深さを感じさせた古い書棚はすべて取り払われ、ぽっかりと見栄えの悪い空間が出来上がっています。旦那様が姿を消してからそれほど月日は経っていないといいますのに、なんという有様。なんという不幸。なんという――。もしかしたらこの部屋が顕著に表れているだけで、屋敷全体が今までとは違った空気に包まれているのかもしれません。なんだか喉が苦しくなってきました。
何とはなしに机を見ると、青いブックカバーのかかった『もつれていく世界』という題名の文庫本の隣に、書きかけのノートと鉛筆が置かれていました。見慣れた美しい文字で書かれているのは日付、天気、出来事。どうやら日記のようです。無作法なこととは知りつつも、好奇心には勝てずにパラパラとそれを捲り、ふと、思い出深い日付が目に留まりました。
七月三日 雨
ええ、憶えています。梅雨が明けたという話は出鱈目だろうと思えるくらい、雨が強く降り頻る日でした。七月三日。この日は私がここで初めてお勤めした日なのです。
随分とまた、懐かしい……いえ、今日は三月の半ば。それほど月日は経っていないのでした。この半年ほど身辺が目まぐるしく移り変わっていったので、そう思えるのでしょう。今一度日記に目を遣ります。
七月三日 雨
吃驚した! 本当に吃驚した!
私はずっと専属の使用人が欲しいと思っていた。多分、それをお父様に伝えたのは春の初めごろだったと思う。けれど我が家――藤井家は古い家柄で、残念なことにそのぶん敵も多い。藤井の家を守るためには、絹布よりもなお細かい編目のふるいで審査しなければならないのだ。当然、そうそういい人材が見つかるわけもなく、周囲からは諦めた方がいいと諭された。だから、そんなことを言ったことすら忘れていたのに。
「葉子、今日からお前に専属の使用人をつけよう」
話がある、と言われてお父様の書斎に行ってみると、これだ。本当に驚いた。お父様曰く、
「お前はずっと自分付きの使用人を欲しがっていただろう? 実は、私は長い間、葉子に合うような使用人を探していたんだ。なかなか良いのがいなかったんだがね、ようやく見つかった」
流石お父様。藤井の辣腕当主と広く謳われるだけのことはある。
「本当にありがとうございます、お父様!」
私は思いがけない贈り物に興奮しながらも、お父様に感謝の意を述べた。犬や装飾品、果ては別荘まで、今までありとあらゆる贅を凝らした品々を受け取ってきたけれど、今日に勝るものはきっとこれからもこの先も、そうそう目にすることはないだろう。喜んでいる私を、お父様はこれ以上ないというほど愛おしげな眼で見つめていた。
私は藤井家の長女だ。そしてたった一人の跡取り。私の生きるこの世界で、しかも藤井のような旧家と呼ばれる身分で、家を引き受けられる人間が文字通り唯一というのは、極めて異例だと思う。でも、事実そうなのだ。私は唯一無二の後継者。そしてお父様の寵愛を一心に受ける愛娘。傍から見れば、私の置かれている立場ほど恵まれたものはないだろう。どんな家であろうとも、親族間での跡目争いは必至だ。避けては通れぬ茨道が、すでに均され舗装までされているのだから、学校の友人たちの間でも私は羨望の的だった。
けれど、本当にそうだろうか。私は、この藤井という古くから続いている大家を、一人きりで回していかなくてはいけないということが、現時点で定められているのだ。勿論結婚はするだろうけれど、どうしたって様式は婿取りとなる。つまりは次男以下を貰う形にせざるを得ないのだ。諸々のことを考えて、私よりも執務に明るい人間が来ることを期待してはいけないだろう。
ああ、何をつらつらと書いているんだろう。
簡単に言ってしまえば、そんな重たい枷を嵌められた私は、何があっても傍にいてくれる人間が欲しかったのだ。友人、などといった曖昧なものではなく、きちんと段階と手続きを踏んで、明確に私の味方だといえるような人間が。私を支えてくれるような、優秀な人間を傍に置きたかった。
清香。
お父様が用意した使用人は、清香と名乗った。山利清香。サンリ、なんてなかなか聞かない名字だけれど、それ故に彼女の出自には大凡の予想がついてしまった。確か、破産した千葉山の分家にあたったはず。藤井とは比較にならないにせよ、元々はある程度裕福な身分だったはずだ。それにお父様は「私に見合う使用人」を用意したと言った。礼儀所作や教養など、普通の使用人ではあまり重きを置かないようなところにも、相当な気を払ったとするならば。没落貴族の息女を引き取るという状況に、何の違和感も抱かない。むしろ、それなら納得できる。
というのは、清香を形成するすべての部品から、隠しきれない知性が滲み出ていたからだ。切れ長の瞳、つんととがった顎、肩で切りそろえられた黒々とした髪、雪のように白い肌。どれをとっても惚れ惚れとする。理想の使用人だった。
礼を言ってお父様の部屋を辞した後、私は清香を部屋に引き入れた。「お嬢様のお部屋に最も近い使用人部屋に住まわせていただきます」とは、彼女の言だ。聞くところによると、彼女の仕事は私の生活補助が殆どで、お父様が言いつけた重要な仕事よりも、私の雑談の相手が優先されるとのことだった。つまり、本当に、私の、私だけの完璧な使用人なのだ。
「よろしくお願いいたします、お嬢様」
凛とした空気を漂わせながらも、清香は柔らかに微笑んだ。素敵。なんて素敵なのだろう。私はきっと、彼女を気に入るだろう。いや、もうすでに。
今日は随分とたくさん書いた。恐らく、この日記を付け始めてから、一番書き込んだのではないだろうか。でも、それぐらいに、今日は吃驚して、興奮して、高揚しているのだ。
明日から清香との生活が始まる。楽しみだ。
ああ。私の、大切なお嬢様。この日記は、紛れもなく彼女のものです。私が敬愛した、ただ一人のお方。それがこの日記の主、藤井葉子様でした。
私がこの屋敷にお世話になるまでの過程は、葉子様が想像なさっていたことでほぼ相違ありません。山利の家は、かつて権勢を馳せた大家――そして今は跡形もなくなってしまった、千葉山の分家筋にあたりました。分家、と一口に申しましても、その家格は様々です。私のように本流から程遠い位置に属する人間になると、それこそ破産となどというよほど重要な話でない限り、滅多に繋がりを意識することはありませんでした。最低限の知識と教養を身に着けて、そこそこ立派な家に嫁げば、あとは自由。山利含む千葉山の家系に不利益をもたらさないのであれば、行動を制限されるということもなかったのです。
ですから、葉子様は大層褒めてくださっていますが、実際のところ私は決して有能とは言えませんでした。確かに、教育は普通の使用人よりも良いものを受けてきました。けれど、それは食事の作法や立ち振る舞いの如何であって、男性の斜め横で静かに傅くための教養です。彼女の望んだような社会に通用する能力は、何も持ちえていなかったのです。
全くの期待外れ。使えない小娘。葉子様とて、さぞかし失望したことでしょう。
七月十二日 晴れ
清香が来て一週間が過ぎた。家全体の様相を鑑みると、表面上は今までと何も変わらないように見える。当然だ。我が家の使用人はそれこそごまんといるのだから、たった一人増えようが減ろうが大した出来事にはならない。誰も、山利清香という少女が入ってきたことなど、気に留めていなかった。
けれど、私は違った。当然と言えば当然だけれど、清香によって生活の様式が一変した。日替わりだった使用人の顔ぶれが清香一人に統一され、給仕や生活用品の管理など、基本的なことは清香によってなされるようになった。それこそ、朝起きてから夜眠りにつくまで、彼女はずっと私の傍にいた。
そういえば、清香はかつて裕福だったのではないか、という私の予想は、どうやら合っていたらしい。というのも、お世辞にも清香の日頃の仕事ぶりは、熟練のそれとはほど遠かったからだ。給仕で食べ物を零すことはないにしろ、危うさを感じてしまうこともしばしば。最近では慣れてきたようで、心底ほっとしている。そんなところを総じて見てみると、清香の行っていることは精々お手伝い程度。身の回りの世話、という意味では流石に使用人とは言い難かった。
けれど、そんなことはどうでもいい。ただの使用人なら他にもいるのだ。私が求めていたのは、どんなときでも私を裏切らない人間。私を精神的な意味で補助してくれる使用人なのだから。人間性を考慮すると、清香は充分満足に値する使用人だった。何が満足だったのか、って?
彼女の最も秀でた点は、何といっても、その目を見張るような知識量だった。
私だって、女学園ではそれなりの成績を修めているし、将来藤井の運営を行っていく人間として、世事に疎くてはいられない。そういった実用的な知識ならある程度は持っていると自負していた。でも、清香のそれは意味合いが全く違っていた。彼女の「知識」を目の前にして、私の知っている事象は、単なる「情報」でしかないのだということを知った。
清香の趣味は読書だそうだ。
私は本というと、例えば作法や経営関係の書籍を教科書のように扱うだけで、言い換えれば自分の益を吸収するための道具としてしか読んだことがない。ずっとそれが普通なのだと思っていたけれど、清香曰く「それでは人生の八割損をしている」らしい。そんなことを言うくらいに、彼女は本を読むのが好きで、ふとした拍子に飛び出す古今東西のあらゆる知識は、たびたび私を驚かせた。
清香。私だけの使用人。
彼女を過大評価して、何でもできる優秀な使用人として扱う気はさらさらない。でも、私は清香が好きだ。私の持っていない知識を、無意識の努力によって手にしている彼女。それを教える時も決して高慢にはならず、自身の立場を弁えている。その一方で、見えない壁があるというわけでもなく、時折冗談を口にしさえする。そんな清香を、どうして満足できないなどと言えるだろうか。
お父様、本当に、ありがとうございます。
私は愛されていました。大して仕事ができないながらも、葉子様の寛容なお心によって、愛されていました。この役立たずの私を。ああ、それだけで充分です。身にあまるほどの光栄、一生の幸せ。この言葉を受けた今、私はきっとどんな過酷な運命をも受け入れることができましょう。
先ほど申し上げました通り、私は他家に嫁ぐことだけが生きる意味でしたので、特にこれと言って行動を制限されることはありませんでした。女のくせに、とあまり好まれないこと――例えば竹馬やら鬼ごっこですら、本家は黙って見逃してくれていました。というよりは、無関心だったという方が正しいのかもしれません。どちらにせよ、私は大好きな読書を誰にも咎められずに行うことができました。
しかし、そこには何の意味もありません。傍から見ればただの無用の長物。葉子様のように、何か目的があって手に入れたものではないのですから。そんなガラクタを思いがけず高く評価して下さった葉子様に、私ができることは一つだけ。
七月十三日 晴れ
清香が本を貸してくれた。聞くところによると、彼女は家族が散り散りになっても、本だけは手放さなかったそうだ。なんていう執着。そんな大切なものを、私にすんなりと貸してくれるとは、正直思ってもみなかった。大切に読ませてもらおう。
ちなみに、私が今まで女学園の学科の授業で読んだことがあるのは、芥川の「蜘蛛の糸」と太宰の「走れメロス」、後は鴎外の「高瀬舟」くらい。この事実に対して清香は
「それらも確かに面白いですけれど、あまりにも教育が前に出すぎている感は否めませんね」
という、よくわからない返答をした。そんな彼女が貸してくれたのは夏目漱石の『こゝろ』と『みずうみ』。後者はシュトルムという外国人の作品だという。どんな話かわからないけれど、楽しみだ。
七月十八日 晴れ
両作とも読了。後味としては『みずうみ』の方がいくらかましか。清香にそう伝えたところ、思いのほか彼女も同意してくれた。好きな相手を奪う側と奪われる側では、被害者の立場にいた方が、遠慮なく相手を怨めるからなのかもしれない。読者としても、主人公が可哀想、と感情移入もできる。勿論『こゝろ』の先生も、最終的に自死を選ぶほど苦悩したのだろうが、その苦悩が私には理解できなかった。そもそも、そうまでして人を愛するということがよくわからない。私は自殺なんてしたくない。なんでこの人はこんなに考え込んでいるのだろうと思ってしまった。
清香は次の本に『仮面の告白』という題のものを貸してくれると言ったけれど、なんだか不吉なタイトルだったので遠慮した。難しい感情の変化もなく、わかりやすく、自殺もしない本はないか、と聞いたら江戸川乱歩の『怪人二十面相』を宛がわれた。この『怪人二十面相』、もとは少年少女向けの所謂児童書らしいが、作者自身は「芋虫」などの一般向け小説も書いていて、広く世間に名前が知られているという。面白そうなので借りてみた。ちなみに清香はその「芋虫」も読まないかと言ってきたが、彼女の顔にはどことなく意地の悪い笑みが浮かんでいたので、やんわりと断っておいた。
なんて、勘のいい人なんでしょう。ご自身が理解できる範囲の本だけを、無意識のうちに選び抜くとは。凡人ができることではありません。
勘違いしないでください。嫌味でも、葉子様の物わかりが悪いなどと言うつもりも毛頭ないのです。ただ、葉子様のような名家の御令嬢は、恋愛は勿論、お見合いもせずに男性のもとに嫁ぐのが慣例とされ、そこに疑問を抱くことは許されません。ですから、恋愛について書かれた教材を用いるのはご法度なのです。すべてに厳しい検閲がなされていると言っても過言ではないでしょう。もし「真実の愛」などを求めて家を裏切ることがあろうものなら、それまでに投じてきた資金が無に帰してしまうのですから。恋愛について書かれた小説を葉子様が「よくわからない」と評することを、特別異常だとは思えないのです。
異常だとは思えない、のですが。やはり学校側の薄暗い策略を感じずにはいられません。あんなに聡明な葉子様が、恋愛の如何すら知らないのはあまりにも――あまりにも、もったいないと思ってしまったのです。『こゝろ』も『みずうみ』も、男女間の縺れを描いた作品です。決して幸せな結末を迎えるとは言えませんが、少しでも知識の足しになればよいと思いまして、老婆心ながらこれらをお貸ししたのです。
江戸川乱歩の「芋虫」は、ただの冗談でした。これを薦めて、変な誤解を生んでは困ります。葉子様の鑑識眼は、私のことをも救ってくださいました。
七月二十日 晴れ
暑い日が続いている。さんさんと降り注ぐ太陽のもとで読んだ『怪人二十面相』は、想像以上におもしろかった。ミステリと呼ばれるジャンルも今まで手を付けたことすらなかったけれど、いい意味で捏ね繰り回された論の展開は、少年少女向けといえど侮れない奥深さがある。これは開拓の余地ありだ。
江戸川乱歩、なんて変なペンネームだけれど、これは外国の小説家エドガー・アラン・ポーの名前をもとに作られているらしい。ダジャレ、もとい高度な言葉遊びだ。この作者もミステリを書いているとのことだったので、「モルグ街の殺人」を清香に頼んで貸してもらった。彼女が最も面白いと思う推理小説を尋ねると、かなり迷った末に『そして誰もいなくなった』という作品を挙げた。読んでみたらいい、という言葉を受けてこちらも借りることにした。
いつもいつも本を借りてばかりでは申し訳がないので、彼女にブックカバーを贈ることにした。ビーズで縁どられた薄いピンクのサテン地に、小花柄が刺しゅうされている。少女趣味かもしれないが、とてもかわいらしくて、私は同じ柄の青色を使うことにした。つまりお揃い。誰かと同じものを持つなんて初めてだ。清香は喜んでくれるかしら。
七月二十一日 晴れ
よかった。清香はとても喜んでくれた。飛び上がらんばかりに喜ぶ彼女を見ていたら、なんだか私もうれしくなった。彼女の放った「こんな高価なもの」という発言は否定しておいたけれど、ここだけの話、実は少し高かった。でも、それでもいい。私は清香が喜んでくれて嬉しいし、彼女と同じものが持てて幸せだ。少し値が張ったくらい、なんてことはない。それよりも、彼女が大切につかってくれたらそれでいい。
ええ、葉子様。私は本当にうれしかったのです。葉子様からものを戴いたこと、それが他でもない葉子様によって選ばれたものであること、そして葉子様とお揃いであったこと。そのどれもが、言葉では表せないほど嬉しかったのです。少し、涙が出てしまうほどに。あの贈り物は、今でも大切に使わせていただいています。
葉子様も、よく使っていて下さったようです。日記の隣に置かれていた青いブックカバー。少しくたびれた感が出ているところが、言いようのない愛しさを感じます。
随分と日記を読みふけっていたようです。埃が喉に入ってしまったのか、どうも気分が良くありません。私は肩をぐるりと回して、ついでに部屋もぐるりと見廻しました。すると飛び込んできたのは現実の薄暗い部屋、調度品の残骸。かつての栄光はもうどこにも見当たりません。そう、この日記に書かれていることは、所詮過去の記録。太陽が天に上がって沈むがごとく、空に放った紙風船がゆるゆると落下していくがごとく、この家も盛者必衰の理を表し始めたのです。
七月二十三日 曇り
小説はどちらも読み終わった。夜の睡眠を削ってしまうくらい話が面白くて、どんどん引き込まれていってしまったのは不覚としか言いようがない。「モルグ街の殺人」も『そして誰もいなくなった』も、予想できない最後だった。外国の作家はどうしてこうも奇想天外なことを思いつけるのだろう。不思議だ。そういえば、『そして誰もいなくなった』の夫妻の名前には、アナグラムが仕掛けられているらしい。
アナグラム。聞いたことがないその単語は、清香によると、ある言葉の順番を入れ替えて別の言葉を作り出す、ということだそうだ。例えば「こころ」が「ロココ」……といった具合に。こういった言葉遊びが隠されている作品は意外と多いようで、日本のいろは歌などもアナグラムとして括られているとのこと。面白い。確かに、五十音表を入れ替えて意味のある歌を作っているのだから、アナグラムと称してもいいのかもしれない。
今日はシャーロック・ホームズのシリーズ本を借りた。骨が折れそうだが、とても楽しみだ。
七月二十四日 曇り
台風が近づいてきているらしい。どうも雲行きが怪しいし、湿気がうっとうしい。
清香にアナグラムをつくってほしいと頼んだけれど、流石の彼女もなかなか浮かばないようだった。私も「せいか」が「せかい」になるくらいしか思いつかなかったし、そもそもアナグラムを解くのは難しいのだ。単純に計算して、五文字の入れ替えで考えられるのは百二十通り。字数が多くなればなるほど、考えられる単語の数は多くなるのだから、難易度も上がっていく。謎をつくること以上に解くのが難しいというのは、世界共通のようだ。その点を考えると、小説家たちに改めて敬意を抱かずにはいられない。
七月二十七日 曇り
昔から懇意にしている佐々木の叔父様が我が家に遊びに来た。叔父様はお父様の古い友人で、特に仲が良い方だ。粗相をしないようにご挨拶したけれど、急いでいたのか二言三言お話ししただけで、お父様と一緒に書斎に引きこもってしまった。一体何があったのだろう?
八月一日 雨
とうとう台風がやってきた。かなり大きいようで、窓に雨風が叩きつける様子は、いくら私の家が壊れることはないとわかっていてもぞっとしてしまう。清香も眉を顰めながら、空模様を見守っていた。こんな日は読書に限る。晴耕雨読ともいうし(とはいっても晴れても本は読むのだけれど)、清香に借りたホームズシリーズを読んでしまおう。
八月五日 晴れ
天気の変化が激しく、体調が崩れやすいみたいだ。私も一昨日昨日と床に就いていたし、お父様は昨日からお部屋で寝込んでいるらしい。大丈夫かしら。清香曰く、夏の暑さは冬の寒さよりも気を付けなくてはならないそうだ。清香が涼しげな顔をしていてよかった。彼女の整った顔を見ていると、少し涼がとれる気がするのだ。
この次のページは十月四日と、随分間が開いています。それも仕方のないことでしょう。この数日後、旦那様はそのまま帰らぬ人となってしまったのです。
葉子様の落ち込みようは相当なものでした。只一人の肉親を失ってしまった葉子様。その立場故に、他者の前で悲しむことが出来ない葉子様。藤井の跡継ぎとして、その細い肩にすべての重責が圧し掛かってきた葉子様。すべてすべて、本当にお可哀想なことでした。けれど、彼女が本当の意味で不幸だったのは、この後の出来事でした。
『小公女』の主人公セーラは、父親が死んだことによって王族のような生活から一転、下仕えの中でも更にみじめな身分に落とされました。あの父親は、ダイヤモンド鉱山という山を掘り当てようと資金をつぎ込んでいたところで、友人に裏切られ病に倒れてしまったのです。旦那様も同じでした。これは後々知ったことですが、佐々木様というご友人がいらしていたあの日、彼らは大きな事業に手を出す計画を練っていたのでした。そして悲しいことに、旦那様が書類に判を押してから数日と経たず、事業は泡となってしまったのです。その衝撃で旦那様はみるみる衰弱し、そのままお亡くなりになりました。シナリオは芸がないほど『小公女』そのものです。違うのは、藤井家のダイヤモンド鉱山は永遠に掘り当てることが出来ず、葉子様がすべての尻拭いをしなくてはならなくなったということでしょう。
旦那様はそもそも、こんなにも早くご自分が荼毘に付されるとは思っていなかったのでしょう。当時、葉子様の婿すら決めていらっしゃいませんでした。もし、あのような状況下にあっても、あらかじめ婚約者として金持ちの男性を宛がっておけば、いくらかましだったのではないかと思います。相手の実家に担保してもらったり、それが出来なくとも二人で藤井の運営を分担したりすることもできたでしょうから。今となっては後の祭りです。葉子様はお一人で指揮を執っていかねばならず、しかも旦那様の四十九日すら終わっていない状態で婿探しをすることは、憚られたのです。
この辺りは、正直私もあまり思い出したくありません。身の回りが下落している様を、誰が好き好んで話したがるというのでしょう。ですから、端的にまとめますと、一応の覚悟はあったものの、まだ確たる自覚はなかった葉子様が、予想外の状態で藤井の家を背負うことになった。そこにある未来はなんでしょうか。決まっています。
私は、すでに山利の没落を経験していました。家が徐々に落ちていく感覚というものは、実に嫌なものです。屋敷には形容しがたい重い空気が充満し、誰一人として冗談を口にしなくなります。一人でも明るい人間が居ようものなら、こぞって涙の沼地へと引きずり込み、幽鬼のような表情に作り替えるのです。そして、残念ながら藤井家にも、その空気は充満していました。
私の敬愛した藤井葉子様は、消えてしまいました。物理的に、ではなく、精神的に。あの、明るく理知的で美しい乙女は死に、代わりに表情の暗い経営者が生まれました。彼女は不安と焦燥から誰彼と無く怒りをまき散らすようになり、その様子に古参の使用人でさえ近づけなくなりました。
私はと言いますと、引き続き葉子様のお世話をさせていただいていました。日頃の給仕や生活の補助をするだけの、単純作業。かつてのように、二人笑いあって本の感想を言うということは一切なくなってしまいました。むしろ、彼女はご自分が行っている運営に首を突っ込まれることが、何よりも嫌なようでした。それでも私は、いつか必ず優しい葉子様が戻られるのだと、信じていたのです。葉子様に無視されても、許可するまで話しかけるなと命じられても、私はそれを耐え、忠実に守っていたのです。
ですが、流石に話しかけるなという命令には困りました。日常生活の補佐をしていれば、当然こちらからお伺いを立てなくてはならないことも出てきます。しかし、葉子様は黙れと仰いました。それを守れずに、どうして専属の使用人と名乗ることが出来ましょうか。
どうすれば。
十月四日 曇り
大分間が開いた。
藤井の家は、傾いている。それは勿論、お父様の失敗が理由の大部分になるのだろうけれど、それだけではない。もしお父様が生きていれば、もう少し光が見えていたのかもしれない。清香は私が疲れていると言って本を持ってきた。どこにそんな時間があるというのだろう。そのまま読まずに返した。
葉子様にお貸ししたのは、『愛は愚道ですか』という恋愛小説でした。全く現実味のない話を読んで、多少の気晴らしにでもなればいいと思ったのですが。残念ながらお役には立てなかったようです。けれど、読書は私と葉子様を繋いでいた、最も太い糸なのです。これしきのことでめげていては、かつての柔らかな思い出すら否定してしまうことになってしまいそうで、私は必死に葉子様に本をお渡ししました。中身に興味が湧かないのであれば、表紙だけでも目を通していただきたかったのです。本の装丁は、時に目を見張るほど美しい。それを眺めるだけで、心が穏やかになってくれるかもしれないと期待したからです。
十一月三十日 曇り
また間が開いてしまった。相も変わらず忙しい。眠っていても途中で目が覚める。
お父様が亡くなっても残ってくれていた使用人だけれど、そろそろ彼らに給金を支払うのも難しくなってきた。大体、私の身辺のことは清香がやっているのだから、彼女一人残して後は他の家に行ってもらった方がいいかもしれない。大きな仕事は、その都度人を雇った方が合理的だろう。
十二月四日 雨
寒いのに雨。嫌だ。目の下に隈ができていることに気付くが、どうしようもない。
十二月十日 曇り
薄暗い天気の日が続く。でも、太陽が出ていると目が痛いから、曇りの方がいい。
清香が『タニータ着』という外国の写真集と、クリスマス付近だからだろうか、サンタクロースに関する絵本を持ってきた。サンタクロースの方は、挿絵に父親らしき人物が載っていたためそのまま返したが、『タニータ着』は綺麗な表紙だったので借り受ける。タニータとはどうやら宿か何かの名前らしく、色彩豊かな街並みは紙面越しにも活気を伝えてきた。綺麗だ。今日はよく眠れそうな気がする。
もう一つの『買ってほしいお願いは』という本は読んで下さりませんでしたが、葉子様のお役に立てたようでよかったです。むしろ、私は迂闊でした。父親の描かれた本をお渡しするとは。あの時、葉子様は「私の気持ちを理解する気はないのか」と怒鳴りつけましたが、それも尤もなことです。言われるまで理解しなかった愚鈍な私は、それ以降、父親の書かれていない話を探すことにしました。
十二月二十五日 晴れ
今日はクリスマス。でも、清香には普段通りの生活をするように伝えた。そんな贅沢をするようなお金はこの家にないし、そもそも私には祝う相手がいない。
一月十九日 曇り
年は明けたけれど、誰も新年の挨拶に来ない。去年はあんなにたくさんの人が来ていたのに、落ちぶれた家には用はないということなのか。旧家藤井が、こんなところで途絶えてしまうなんて。誰も来ない。誰も来ない。誰も来ない。誰も来ない。誰も来ない。
一月三十四日 晴れ
清香は何を考えているんだろう。私は時間がないのだと、あれほど言っているのに。また本を渡してきた。しかも、よりによってミステリのようだ。『熱のない雹』、馬鹿馬鹿しい。あんなの、平凡な日常を送る人間が読むものだ。果たして彼女には、私が平凡で安定した生活を送っていると思っているのだろうか。それを思うと、どうしようもなく腹が立って、本を地面に叩きつけた。あんなものいらない。いらない。
いいえ、違うのです。違うのです葉子様。私はただ、あなたの役に立ちたいだけだったのです。ただ必要とされたかっただけ。
あの本は、私の最後の希望でした。私たちの過ごした日々を連想させる、謎解きの小説。もし、あの本を読んで、葉子様が一言「面白かった」と仰ったならば。それだけで、それだけで私は満たされたのです。
もう、どうにも。
一月七十五日 晴れ
机の上に『星の遺伝子』という本が置いてあった。
日記はここで終わりのようです。
私は葉子様のことを、本当に尊敬しておりました。ですが、葉子様は変わってしまった。私に話しかけるなと命じられた。黙れと。それを守れずに、どうして専属の使用人と名乗ることが出来ましょうか。
私は考えました。思い出を辿りながら考えました。
そして、気付いたのです。
アナグラム。
話せないのなら、伝わるように工夫すればいいのです。簡単なこと。彼女がかつて、あの穏やかで完璧な最上の日々に、興味を抱いたアナグラムを使えば、命令に背くことにはなりません。そしてそれに気付くということは、彼女は本質的にはあの優しい葉子様なのだという証明にもなるでしょう。葉子様がその謎を解くことを、私は期待しました。嘆願しました。渇望しました。けれど、葉子様はその思いの一つにも、気付くことはありませんでした。伝わらない伝言は只の文字。只の文字に、価値なんてないのです。
私は問いました。『愛は愚道ですか』――具合はどうですか、と。葉子様は目もくれませんでした。
私は申し出ました。『タニータ着』――役に立ちたい、と。目は通してくださいましたが、葉子様は意味を見出しませんでした。
私は請いました。『買ってほしいお願いは』――お願いわかってほしい、と。葉子様は私の愚かさのために不快を露わにしました。
私は確認しました。『熱のない雹』――必要ないのね、と。葉子様は……葉子様は、それを地面に叩きつけました。
限界でした。私は必要のない人間。あんなにも、あんなにも慕っておりましたのに、その過去すら下らないと唾棄されてしまった。私は、優しい過去から遠ざかっていく葉子様を、これ以上見たくなかったのです。
ですから……あら、日記はこれで最後だと思っていましたのに、どうやらまだ一頁残っていたようです。罫線に合わせておらず日付も書かれていないところを見ると、メモ程度に書いた事項のようです。
月 日
星の遺伝子
ほしのいでんし
しのいでんしほ
しでのほいしん
しんしいのでほ
しんでほしいの 死んでほしいの
これは、最後の。最後に渡した小説の題名です。日記に書かれている通り、死んでほしいの、というアナグラムを乗せて、葉子様にお渡ししたのです。まさか、気付いておられたとは。
ですが、もう遅いのです。遅すぎたのです。私は足元を見ました。
人形のように清らかな顔で、美しい乙女が根の国へ旅立っています。山利清香の用いた青酸カリを飲んだ彼女は、それほど苦しみもせずに倒れ伏しました。もう、この屋敷には私以外誰も残っていません。人のいない家は、驚くほど速く朽ちてしまいます。泡沫の記憶。私たちの思い出も、そのまま消えてしまうのでしょう。
もうそろそろ、この家を後にしなければ。喉も苦しくなってきましたし、私とて生きていく術を見つけに行かなくてはならないのです。私は日記を机に置きました。そして、私と色違いのブックカバーをゆっくりと開き――開き。
息が止まりました。葉子様。葉子様。葉子様。葉子様。葉子様。私が敬愛した、ただ一人のお方。美しく聡明で優しい葉子様。彼女がアナグラムに気付いていたなら、どうして防御をしなかったのでしょう。私を解雇すれば、それで身の安全は図れたはず。そのことに今の今まで気付かなかった私は、どうしようもないほど愚かでした。
机に置かれていた『もつれていく世界』。葉子様も日記に書かれていたではありませんか。世界、は清香のアナグラムだと。では、このタイトルは。
苦しい。喉が、気道が細くなっている気がします。いえ、気ではないのでしょう。これは、きっと、葉子様からの伝言なのです。彼女に手をかけた愚かな女への、最後の命令なのです。
清香も連れて行く、と。