きみのはなし2
静かな住宅街にあるごく普通の一戸建て。
「遠藤」と表札のある家のインターフォンを鳴らした。
「こんにちは。私は以前早百合さんにお世話になった高山と申します。お礼に伺ったのですが早百合さんは居られますか?」
暫くすると「今出ます」と声が聞こえた。
出てきたのは、40代前半と思われるやはりごく普通の男だ。
俺は持っていたケーキを軽く持ち上げながら、できるだけ明るく会釈をした。
「はじめまして。」
その男、遠藤さんは顔を歪めた。
「早百合は先月亡くなりました。」
仏前で手を合せながら、俺は早百合さんの遺影を見た。明るい笑顔だ。
写真というものは幸せな過去を保存できる素晴らしいものだな、
なんて考えていると、遠藤さんが早百合さんの事故のいきさつを教えてくれた。
早百合さんは、塾に行っていた娘の愛美ちゃんを車で迎えに行く途中、運転を誤って壁に激突。
病院に運ばれたが助からなかったそうだ。
見ていた人によると、その日は雨風が強く、早百合さんの乗っていた車のフロントガラスに
傘が飛ばされてきて、驚いた早百合さんがハンドルを切ってしまったそうだ。
もちろん俺はそんなことは知っていた。
自分が死んだ経緯を早百合さん本人に何度も聞かされているからだ。
俺にはそういう亡くなってしまった人が見えてしまう。
そしてそういう人の声が聞こえてしまう。
今とても悲痛な顔をしている遠藤さんには見えていないが、早百合さんは目の前に居るのだ。
にこにこ笑って。
『いやぁ。聞けば聞くほど私っておっちょこちょいよねぇ。はっずかしい!』
若い。反応が若い。一人沈んでいる遠藤さんが気の毒になってくる。
と、そこに玄関から子供の声がした。
「ただいまぁー」
愛美ちゃんだ。
途端に早百合さんの顔が泣きそうになった。
『愛美!』
居間に顔を覗かせて、「お客様?」と聞いてくる。
赤いランドセルが可愛い。小学校3年生だそうだ。
「高山さん、娘の愛美です。
愛美、こちらお母さんのお友達だそうだ。ご挨拶なさい。」
「こんにちは!」
肩までの髪をゆらしてぺこっと頭を下げる。
素直で元気そうなところが、なんとなく早百合さんに似ている気がした。
「今日は土曜日だから、学校が早く終わるんですね。
そうだ、良かったらケーキ持ってきたんで食べて下さい。」
そういって箱を差し出すと、愛美ちゃんの顔が輝いた。
「これ、愛美の大好きなケーキだ!」
「実は、このケーキ屋に妻へのプレゼントを買いに行ったものの、なかなか店に入れなくて。
ほら、初めての店ってちょっと入りづらいでしょう。ましてケーキ屋なんて男一人で。
でも店の前でウロウロしていたら、早百合さんが見るに見かねて一緒に入ってくれたんです。
で、お勧めケーキも教えてくれて。
それがまた妻に大好評で。喧嘩していたのも忘れて仲直りできたんですよ。
遅くなってしまったけど、早百合さんにお礼がしたくて来たんですが・・・遅すぎてしまいましたね。」
俺は考えておいたシナリオを二人に聞かせた。
二人は早百合さんを思い出してか目に涙を想い浮かべている。どうやら信じてくれたようだ。
実際はなんてことはない。
駅の改札を出た所で早百合さんが困ったようにウロウロしてたから俺が声をかけてしまったんだ。
どうかしたのって。
「ケーキを駄目にしちゃった。良い点取った愛美へ、せっかくご褒美買ったのに。
この前のテストが悪かったから凄く怒ってしまって。今度は褒めたいの。
愛美、愛美、どこにいるの。お迎えが遅くなってごめん。ケーキ買ったから。
よく頑張ったねって。偉いねって。ちゃんと頑張れる子だねって言ってあげたいの。」
駅は早百合さんと愛美ちゃんの待ち合わせ場所だったんだろう。
俺は事故のショックで動転している早百合さんが落ち着いたら、一緒に愛美ちゃんに会いに行くことにした。
自分の死を受け入れられない人は多い。
やりたかった事が突然できなくなるのだから、そんな自分は認めたくないんだろう。
これは潔いとか、未練がましいとかいう問題ではないと俺は思っている。
例えば早百合さんが、愛美ちゃんを褒めてあげることを、さっさと諦めてしまうことの方が、俺には寂しいと思うんだ。
「そういえば、愛美ちゃん、こないだテスト頑張ったんだって?
お母さんがすごく自慢していたよ。
愛美ちゃんは勉強もお手伝いもとてもよくやってくれるって。」
そういうと、ケーキを頬張っていた愛美ちゃんの瞳からみるみる涙があふれた。
ママ、ママとケーキと涙でぐしゃぐしゃになりながら呼ぶ声は、
愛美ちゃんには見えないはずの早百合さんがここに居るのを知っているようだった。
そして呼ばれる度、早百合さんが愛美ちゃんを強く抱きしめてあげているのが見えた。
俺は、遠藤さんにすみませんでした、と謝って二人の家を後にした。
門を出ると、俺の監視人・深沢が腕を組んで立っていた。
「さて、妻に大好評のケーキとやらを買って帰るか。」
このシナリオは深沢の考えた(きっと過去の経験からだろう)ものだというのに、何故か嘲笑っているような気がする。
俺が文句を言いかけた瞬間、サイダーの泡が優しくはじけるような感覚が身を包んだ。
パチパチ、とキラキラの中間のような音に混じって、早百合さんのありがとうという声が聞こえた。
目の前で深沢が目を丸くしている。そうか、憑きものが落ちるところを見られるのは初めてか。
「俺は早百合さんが往っちゃってどっと疲れちゃった。家で待ってるからケーキはお前一人で買ってきてくれよ。」
ケーキ屋の前でウロウロする深沢を想像して自然と顔がにやけた。