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9.魂の値段
《iネットニュース・トピックス(二〇一〇年八月十五日 配信)より》
今年五月、世界でもっとも大きなオークションハウスで、ひとつの小石が競売にかけられ、話題になった。南米のとある国から出品された薄紅色をしたその小石には、短い手記が添付されていた。それは、第二次世界大戦下のドイツで、ナチス総統ヒトラーの主治医を務めていたエルンスト=ギュンター・シェンクの手記だという。手記の内容は、以下の通りだ。
『世界ではじめて魂の重さを計量したのは、合衆国マサチューセッツ州の医師ダンカン・マクドゥーガルだ。彼は、死に臨んだ六人の患者の体重を死ぬ寸前と直後で比較し、魂の重さは約二十一グラムであることを突き止めた。一九〇七年のことである。
その後も多くの学者が魂の実体を突き止めようと、様々な考察と実験を繰り返してきた。そして、マクドゥーガルの実験から二十年後の一九二七年、ついにひとりの男が魂の抽出に成功した。それが、ミュンヘンに在住していた科学者であり哲学者であり医師でもあるハイリヒ・バッケンシュタインだ。
バッケンシュタインは、死後に失われる二十一グラムは、気体であろうと考えた。そして、その気体を捉えようと、動物を使って様々な実験を繰り返した。
マクドゥーガルは、犬を使った実験では死後の体重軽減は見られず、犬には魂がないと断定したが、バッケンシュタインは、それはマクドゥーガルのキリスト教徒的先入観が計測を読み過たせたものではないかと考えたようだ。もしくは、マクドゥーガルの考える魂と、バッケンシュタインの考える魂の定義に、差違があったものと思われる。
バッケンシュタインは、いわゆる〝生物〟と呼ばれるものを動かしているエネルギー源そのもののことを〝魂〟と捉えていた。そして、生物を動かす元となる物質は、細胞内――おそらくコンドリオソーム(今でいうミトコンドリアだ)の中に含まれているのだろうと推測した。バッケンシュタインは、その特殊な高エネルギー体を〝有機プラズマ〟と呼んでいたが、いわゆる〝プラズマ〟とはまた別の現象であることを明確にするために、語源を同じくする〝エクトプラズム〟という名称を用いることもあった。ただし、バッケンシュタインが言う〝エクトプラズム〟は、一九一三年にノーベル生理学・医学賞を受賞したアレルギー研究の第一人者であるシャルル・ロベール・リシェが発見した、霊体を物質化または視覚化する反物質を意味する〝エクトプラズム〟とは別物である。
バッケンシュタインは、長年の研究で、〝エクトプラズム〟は、生物が死ぬと間をおかずに性質を変化させ、気体となって体外に出てしまうことを突き止めた。その研究の詳細は、残念ながら今では失われてしまっている。
バッケンシュタインの論文は、当時の科学界からは非科学的妄想と非難され、キリスト教会やイスラム教会からも神への冒涜として糾弾され、彼が属するユダヤ人の間でも、異端の研究であると危険視されたため、わずかな部数発行されたものの、すべて廃棄を余儀なくされた。処分を免れた一冊を私がたまたま眼にすることができたのは、まったく幸運なことだった。
バッケンシュタインの考察と計算は緻密で、論理は明確であり、それを論破することが私にはできなかった。私の記憶に残るものだけでは、あの長大な数式を再現することは不可能なのが本当に残念でならない。彼の論文が失われてしまったことは、人類の重大な損失だと私は思う。
バッケンシュタインは、動物実験の末、ついに人間の魂の抽出と、その固定に成功する。彼は、その実験に、難病に罹り余命わずかだった六歳になる自分の娘を使った。幼い娘に彼が行った行為を非人道的と非難することは容易だが、私には彼の心情が解るような気がしてならない。
彼の実験は、その一度きりで終わろうとしていた。彼の命は、ダッハウの強制収容所で尽きようとしていたのだ。しかし、運命の導きが、彼に二度目となる魂の抽出を行わせたのだ。その実験の対象こそが、ドイツ第三帝国のアドルフ・ヒトラー総統だった。ヒトラー総統の許で働いていた私は、総統の指令によってバッケンシュタインを呼び寄せ、総統に引き合わせた。
ユダヤ人であるバッケンシュタインの手を握り、頭を下げて己の命を委ねようとしている総統の姿を見たら、今の歴史家たちは、どう思い、どう評価するだろう。私は総統の側近くいた者として、総統が、戦勝国の歴史家によって植え付けられたイメージとはまったく別人であったと断言する。
それはさておき、バッケンシュタインは、その見事な手法によってヒトラー総統の魂を抽出し、石として固定することに成功した。その場に立ち会ったわれわれは、確かに総統の魂を見た。そして、この石が、間違いなくその魂を凝結したものであることを確信した。
私は、総統の遺言によって、この石を守り続けてきた。しかし、もう私の命も長くない。この石を、私の遺志を継ぎ、守り続けてくれる人物に託す。これは石であって、石ではない。様々な意味で、人類の宝だと私はそう信じている。
今後、この石を持つことになった者は、だれであれ、これを石として扱ってはならない。ヒトラー総統その人として、見合った取り扱いをするように。固く遺言するものである。
一九九八年十二月二十日
エルンスト=ギュンター・シェンク アーヘンにて』
プリントアウトされたワープロ原稿に記されたサインは本物であると鑑定されたが、本文に関しては専門家の意見が分かれている。
真贋のほどは定かではないが、それでも、ヒトラーの主治医を務めた人物が、ヒトラーの魂であると書き記した手記とされるものが添付されたこの石が、話題にならないわけがなかった。
ナチス礼賛の材料になるのを避けるために、出品を取りやめるようにとの圧力がかかり、一時は騒然としたが、競売が中止されることはなかった。
落札した人物は中国の実業家とも、日本人だとも言われているが、安全のため身元の公表は避けられている。ただ、手に入れた人物の談話だと言われるものだけが伝わってきている。石の持ち主は、知り合いにこう語ったという。
『石は、淡い光を含んで神秘的な色合いをしている。ほんのりと温かく、柔らかみすら感じる。そして、不思議なことに、この石を握りしめて眠ると、必ず夢の中にひとりの少女が現れ、はにかみながら微笑むのだ。黒い巻き毛に青い眼をした、可愛らしい六歳ぐらいの少女が――』
持ち主の夢に現れるというこの少女は、いったい誰なのだろうか?
この石の謎が解き明かされる日はくるのだろうか?
さて、肝心の値段だが、たった二十一グラムのこの玉石に付けられた最終価格は、八百万USドルだった。人ひとりの魂の重みを表すものとして、その値段が打倒なものかどうか、その判断は、この記事をご覧のみなさまに任せるとしよう。
了