主食と副食←これがジャパンユニーク
食生活が国際化し、地球上のすべてのおいしいものが、コンビニで買える日もそう遠くないのだろうかと思える昨今、パンやスパをごはんの代わりにして、おかずを頂くという日も珍しく無くなった。
健康とかに悪い影響が無く、かつ、味としてもなんら問題がないのなら、それこそ好きなモノを好きなように食べるのはそれこそ個人の勝手だ。
日本は、食材にそれほど恵まれた国ではない。
なにしろ熱帯原産の元は水草だった稲を、主食に選択しているぐらいだ。温帯の長い冬が明けるのを待っていては、収穫期に間に合わなくなる稲のためにわざわざ暖かい室内で苗を育て、春に田植えを行ってまでこの水草に執着したのは、ほかにまともな作物がほとんど無かったからである。
さらに調味料となるスパイスもほとんど取れない土地柄だ。
全国民が一丸となって独自の調味料開発に取り組むことになったのはある意味必然だったのだろう。
その結果スパイスではない合成調味料に関しては、世界トップクラスだと自信をもって言える。
本来、味噌も醤油も昆布もかつおぶしもにぼしもきなこもみりんも、さらに付け加えるのなら、味の素もキューピーマヨネーズもカゴメケチャップも、日本の和食をよりおいしくするために生まれたもののはずなのだが、今や、そんなこだわりは忘れ去られ、もう何でもアリ状態で使われている。
逆に流入外国人の目にも、これらの日本が独占的に使用していた調味料の万能対応ぶりも目に止まり、かなりの国で普遍的な物品へとなりつつあるらしい。
あと百年もしたら、料理の原産地なんてものは何の意味ももたない情報になり、全世界のレストランで似たようなメニューが提供される時代になってしまうのかもしれない。
食材や調味料よりも、私が和食について世界の中でユニークだな、と感じていることが別にある。
どうせ世界に広がるのなら、地球人口が現在進行で爆発している現在、こっちの方が広がればいいのに、と思う次第だ。
ところがこっちは、外国人も必ず目にしているはずだし、体験もしているはずなのに、全然注目されていないのである。
何かというと、主食と副食を分けて考えることだ。
ごはんが主食で、おかずが副食だ、という発想は日本独自だと思うのである。
西洋におけるパンはごはんのような主食かと言うと、どっちかというとこっちがおかずが足りなかった場合のサブ食材みたいな感じだ。だからパンが無い食事は珍しく無い。
だいたい呼び方だってそうだ。メインディッシュがパン皿だなんて発想はない。
日本人の一般的イメージは、おかずはごはんのお供であり、ごはんだけではさみしいからおかずが必要というものだ。つまりごはんをよりおいしくするための存在がおかずなのである。西洋の真逆だ。
もちろん現代の和食とされるものでも、寿司やそば、うどん、あるいはおにぎりなど、ごはんのおかずという発想には含まれないモノもある。が、これらは、そもそも江戸時代の町民のファストフード的なものだと考えれば納得である。
まともな、ちゃんとした食事となれば、一人に一つの食膳が用意されるのがかつての日本での常識だった。
いつ頃から始まった習慣なのかは分からないが、相当古い時代、たぶん、縄文や弥生時代から始まったはずである。
というのも、役割分担を考えると非常に合理的に計算されているからである。
なぜ合理的と言えるのか。そしてなんでこんな考え方を必要とするようになったのか、ちょっと考えてみたい。
クルマに例えると和食の役割分担はこのようになっている。
ガソリン→エネルギー補給目的→炭水化物→主食
オイルや補充部品→身体の機能維持、成長促進(ビタミン、タンパク質、脂肪)→副食
この考え方の優れたところは、例えば部族や家族で食材をシェアする時、エネルギー補給と機能維持で明確に配分する考え方を変えられることだ。
身体の大きさはエネルギー消費に直結している。だからおとなは小さなこどもよりたくさん食べるのが当たり前であり、たいていの場合からだが大きい男の方が女よりも大食いだ。
が、機能維持で摂取しなければならない食材になると話は別だ。
身体の大きさも年齢も関係無い。
そんなにたくさん必要というわけではないが、無くても大丈夫という人間はいないのである。
主食は身体の大きさや年齢、性別を考慮しかなりの幅をもたせることが合理的。
一方、副食はどの人間にもほぼ等量になるように配るのが合理的なのである。
つまり限られた量の食料をコミュニティ全体で合理的に消費するためのアイデアとしては理想的なのだ。
この合理的な食料配分システムが社会で機能するためには、その前の段階として、食事をする際は、一人分ずつが分けてサービスされることが常識になっていなければならない。
だから一人分の量が見た目にもハッキリ分かる形として食膳が誕生したのである。
そして当然、主食に関しては、おかわりが認められている。一方おかずにはそれはない。
実に合理的だ。
ミニチュアのテーブルのようなものに一人分一式がセットされた形で配膳される姿というのは私の知る限り日本でしか見たことがない。
外国でのサービスは、鍋やフライパンで調理された料理が切り分けられたり、スプーンで分けられるだけだ。高級レストランのコースみたいなものは、フィレンツェ貴族が始めた道楽文化であり、日本の食膳とは発想の大元が違う。
太古の昔、日本はそれだけ過酷な食糧事情だったということだろう。
さて食事に贅沢さを極めるようになった日本人が、この先、確実に食料切迫が現実化する80億地球人口の中で、どんな食生活を続けることになるのか、私がちゃんと見届けられることはたぶんないだろうが、ちょっとだけ気にはしているのである。




