第7話 再建暦
端末がないと、整合院は静かすぎる。
紙の擦れる音。
ページをめくる指の音。
廊下を歩く靴音。
それだけで一日が流れる。
私は校閲官だ。
読むことを奪われるのは、手足を奪われるのと似ている。
だが、読む道具は端末だけではない。
紙。
公告。
帳簿。
そして外部に残した指紋値。
私は整合院の机に座り、まず「出力物」だけを積み上げた。
I.A.C.への逆照会返答――紙で出した控え。
受領書――再建暦同期対象と書かれた紙。
隣国が受領した処刑予定者一覧の写し――A-17と欠けた円が残る。
紙が増えるほど、息が落ち着く。
整合していないものは、紙の上で浮き上がる。
私はラザル監督官に言った。
「監督官。再建暦は“将来運用”の用語だと言われました」
ラザルは廊下の端を見た。
監査局の影が、まだ消えていないか確認するように。
「……その言葉が文書に載った時点で、終わりだ」
「何が」
「未来が“制度語”として侵食した」
侵食。
私はその言葉を控え帳がない代わりに、紙の余白に書いた。
侵食:制度語の混入
ラザルが低く言う。
「端末がなくても調べる方法はある。だが、目立つ」
「目立ちます」
「なら、最短で当てろ。再建暦が何か」
私は頷いた。
最短で当てる。
そのために必要なのは、係数でもログでもない。
**暦の“出力”**だ。
換算式が変われば、日付の意味が変わる。
意味が変われば、支払い期限も、契約日も、処刑日も変わる。
つまり暦は、国の背骨だ。
背骨がズレれば、国は歩けない。
だから、背骨は隠される。
⸻
私は整合院を出た。
監査局の目があるから、遠くへは行けない。
だが、王都には「誰でも見られる暦」がある。
王立学府の公開書庫。
そこには毎年発行される王都暦が置かれている。
貴族も商人も、税のために見に来る。
私は身分札を提示し、閲覧席に座った。
厚い革表紙の本を開く。
王都暦(本年版)
月ごとの祝日、徴税の締切、契約更新の標準日。
私はその中の“基準表”を探す。
暦の換算表。
旧暦と王都暦の対応。
地方暦との対応。
そして――暦補正の注記。
ページの隅に小さな文字があった。
> 注:暦補正は王令により改訂されることがある。
当たり前の一文。
当たり前だからこそ、嘘を隠せる。
私は今年版と、昨年版を並べた。
差分を見る。
祝日は同じ。
徴税期限も同じ。
だが――換算表の端の、極小の数字が違う。
小数点以下の補正値が、わずかにずれている。
私は指先でなぞった。
0.003。
0.004。
誤差に見える。
だが私は校閲官だ。
誤差は、意図の別名だ。
私は紙に写した。
昨年:補正値 0.003
今年:補正値 0.004
たった0.001。
だが、暦の補正値が0.001動けば、国民の“整合指数”の計算に影響する。
そして処刑予定者一覧は、暦補正が同時同期された。
I.A.C.の備考欄にそう書かれていた。
私は息を吐き、次の本を開いた。
王立学府・暦算教本(改訂版)
改訂版。
この言葉に、私は敏感だ。
表紙裏に、改訂履歴がある。
改訂日:本日未明。
改訂理由:誤差補正。
改訂者:――
空白。
私は目を閉じかけた。
誤差補正。空白。未明。
すべてが揃いすぎている。
私は改訂版の本文をめくり、換算式の章を探した。
そして見つけた。
今年版の換算式の末尾に、昨年版にはない一行が増えている。
> 再建補正項を適用する場合、補正値はI.A.C.同期値を優先する。
私は指を止めた。
再建補正項。
再建暦。
言葉が繋がった。
つまり――
再建暦は、新しい暦そのものではない。
既存の暦に“再建補正”をかける運用の総称。
公告なしでできる。
国民は気づけない。
基準暦を変えたわけではない。
基準暦の扱い方を変えた。
私は紙に書いた。
再建暦=再建補正項の適用運用
公告不要/換算式のみ変更
この瞬間、背筋が一度だけ冷えた。
未来改版が混入したのではない。
もっと正確に言うなら――
未来の運用が、現在に導入され始めている。
混入ではなく、導入。
侵食ではなく、移行。
⸻
整合院へ戻る途中、端末のない鞄がやけに軽い。
私はラザル監督官の部屋に入った。
「わかりました」
ラザルが顔を上げる。
「再建暦は、暦そのものではありません。換算式に“再建補正項”を入れ、I.A.C.同期値を優先する運用です」
ラザルの顔から、血の気が引く。
「……I.A.C.同期値を優先?」
「はい。つまり、基準は国内ではなく外部です」
ラザルは椅子に深く座り直した。
「終わってる……」
その声は、初めて人間の温度を持った。
私は淡々と言った。
「監督官。これで“国家整合妨害”の意味が変わります」
「どう変わる」
「私は演算を妨害したのではありません。移行運用の存在を、言葉にしました」
ラザルが目を細くする。
「言葉にしただけで、罪になる」
「はい。便利です」
私は机の上に、学府の教本の写しを置いた。
「再建補正項の記載があります。改訂日が未明で、改訂者が空白です」
ラザルが紙を見つめる。
「……これは証拠になる」
「なります」
私は続けた。
「そして、欠けた円は監査局印ではありません。改訂者印です。改訂者が空白である代わりに、印だけが残る」
ラザルは息を止めた。
言い切るには早い。
だが、辻褄は合う。
そのとき、ラザルの端末が鳴った。
差出人:王宮監査局。
件名:「聴取継続」
私は見なくてもわかった。
監査局は止まらない。
止まらないから監査局だ。
ラザルが低く言う。
「……次は、換算式の“誰が”を問われる」
「私は答えません」
「なら、どうする」
私は淡々と言った。
「逆に問います。『なぜ公告がないのに運用語が文書にあるのか』と」
ラザルが短く笑う。
乾いた笑いだった。
「……お前、本当に厄介だな」
「整合していないので」
私は答えた。
そして、整合院の廊下の向こうから、足音が近づいた。
黒い制服。
監査局。
扉が開く。
現れたのは――セドリック・ハーンだった。
無表情。
欠けた円の胸章。
彼は私ではなく、ラザルを見て言った。
「ベネット監督官。執行官として、手続き確認を」
ラザルが硬く答える。
「……何の手続きだ」
セドリックは淡々と言った。
「処刑執行の前倒しです」
私は瞬きをした。
三ヶ月後。
そのはずだった。
セドリックが紙を一枚、机に置いた。
執行予定日:七日後
理由欄:誤差補正。
私は静かに言った。
「整合していません」
セドリックは初めて、私を見た。
「整合しています。再建補正項が適用された」
再建補正項。
さっき見つけた言葉が、ここで刃になる。
私は淡々と返した。
「なら、私は七日後に死にます」
セドリックは言った。
「記録上は」
⸻
(第7話・了)
続きが気になったら、ブクマ/★で応援いただけると励みになります。




