第14話 署名者
ラザル監督官の識別番号が、空白になった。
紙の上で。
制度の中心で。
それは、宣告に近かった。
欠落者は一名。
次に欠落するのは誰か。
答えは、増え続ける。
ラザルは名簿を握りつぶさなかった。
握りつぶせば、証拠が消える。
消えるなら、こちらが負ける。
彼は紙を机に置き、私を見た。
「……K-02だ」
「はい」
「欠落者台帳の二人目」
私は淡々と確認する。
「監督官。あなたの職位はまだ残っています」
「記録が薄くなるには段階がある」
ラザルの声は低かった。
「最初は番号。次に権限。次に配属。最後に名前」
私は頷かない。
段階がわかったなら、次は速度だ。
「監督官。K-02が発行される前に、K-01の“署名者”を特定します」
ラザルが目を細くする。
「署名者?」
「欠落者台帳は監査局発行でした。だが担当欄は空白だった。空白は都合で埋められる。埋められるなら、誰が埋めるかを追えます」
「台帳は回収された」
「紙は回収されました。形式は残っています」
私は机の上の受領書を指で叩いた。
保全物件受領書。
封印番号。返還期限。発出部署。管理番号。
そこに必ず残るものがある。
管理番号と押印規格。
「監査局の帳票規格で、K-01はどの分類に入りますか」
ラザルは苦く笑った。
「端末がないお前に、それがわかるのか」
「わかります」
私は淡々と言った。
「監査局は“便利な言葉”を使います。
そして便利な言葉は、必ず定型句になります」
定型句。
定型句は帳票規格の一部だ。
⸻
私たちは整合院の紙庫へ行った。
端末がなくても閲覧できる「帳票見本簿」がある。
各部署が使う公式帳票の見本が綴られたものだ。
見本簿は“共有”が前提だから、改ざんされにくい。
改ざんすれば全員に影響が出る。
監査局の項目を開く。
召喚状。
保全通知。
聴取要請。
差押え。
――そして、「整理」。
私は指先を止めた。
「整理通知書(様式G-12)」
見本には、こう書いてある。
> 整理対象:
> 整理理由:
> 整理担当:
> 承認者:
私は視線を落とした。
承認者欄の右に、小さな注記。
> 承認者は再建印を保持する者に限る。
再建印。
私は息を吐いた。
「監督官。ここです」
ラザルが覗き込む。
「……再建印保持者?」
「はい。つまり欠けた円を“付けられる者”です」
ラザルが低く言った。
「監査官ユスティナの胸章は欠けた円だった」
「はい。彼女は保持者です」
私はさらにページをめくった。
帳票見本簿は、時々“古い版”も残る。
運用を変えたとき、差分を把握するためだ。
古い版の注記。
> 承認者は再建印保持者に限る。保持者名簿は院長室保管。
保持者名簿。
院長室。
今、最も近づきたくない場所。
だが、近づくしかない。
私は淡々と言った。
「監督官。保持者名簿を確認します」
ラザルが苦い顔をする。
「院長室は監査局の巣だ」
「だから、紙で確認します」
「紙?」
「院長室に行かなくても、保持者は“押印痕”で分かります」
押印痕。
印は消えても、紙に圧が残ることがある。
紙は繊維だ。圧は繊維に残る。
私は見本簿の承認欄にある再建印を、斜めから見た。
欠けた円。
極薄い凹み。
「監督官。再建印には固有の欠け角があります」
ラザルが目を細める。
「……同じ印でも、欠け方が違う?」
「はい。欠け方は押す人の癖にもなる。
同じ型でも、押す位置が違う。圧のかけ方が違う」
ラザルが小さく息を吐く。
「お前……印相学みたいなこと言い出したな」
「紙相です」
私は淡々と答えた。
「校閲官は、紙の癖を見ます」
⸻
次に私たちが向かったのは、整合院の「受領簿」だった。
監査局が保全物件を回収するとき、必ず受領書が出る。
その控えは整合院側にも残る。
控えは消せる。
だが控えの“番号飛び”は残りやすい。
私は直近一週間の受領控えを確認した。
控え帳保全解除。
端末保全。
欠落者台帳K-01回収。
そして――K-02の予告通知。
私はK-01回収の受領控えを取り出し、承認欄を斜めから見る。
欠けた円。
印は薄い。
だが圧が残っている。
欠け角の位置。
私は紙に小さく図を描いた。
欠けは十二時方向。
少し左に寄っている。
次に、控え帳保全解除の受領控え。
同じく欠けた円。
欠け角。
位置が、違う。
今度は十二時方向、少し右。
私は静かに息を吐いた。
「監督官。再建印保持者が複数います」
「……複数?」
「はい。少なくとも二人。欠け角が違う」
ラザルの目が鋭くなる。
「じゃあ、ユスティナだけじゃない」
「はい」
私はさらに、端末保全の受領控えを見る。
欠け角。
今度は、十二時ではない。
十一時方向。
三人目。
私は図を紙に並べた。
•A:欠け角 左寄り
•B:欠け角 右寄り
•C:欠け角 斜め(十一時)
「監督官。再建印は“個人に紐づく”」
ラザルが低く言う。
「つまり――署名者がわかる」
「はい」
私は答えた。
「欠落者台帳の担当欄が空白でも、印の欠け角で“誰が押したか”の候補を絞れます」
ラザルが紙を睨む。
「……だが名前がない」
「名前は紙に残ります」
私は淡々と言った。
「押印者は自分の名前を出さなくても、押した事実だけ残る。
そしてそれを消すには、紙を消すしかない」
ラザルが苦く笑った。
「紙を消すのが得意だったな、あいつら」
「はい。だから外へ出します」
私はI.A.C.の返信文を思い出した。
第三者改版介入。
上位印。
I.A.C.は、上位印の名称を探している。
こちらが出すべきは――
「監督官。I.A.C.に照会します」
ラザルがため息をつく。
「またか」
「はい。ですが今回は“質問”ではありません。“情報”です」
私は言った。
「再建印保持者が複数存在する。
欠け角が異なる。
つまり“運用者”が複数いる。
そして欠落者台帳K-01は、そのうちの誰かが押した」
ラザルが低く言う。
「I.A.C.が動けば、再建印の上位主体にも刺さる」
「はい」
私は続けた。
「そして――再建印保持者名簿の存在を、I.A.C.に知らせます」
ラザルが顔をしかめる。
「院長室……」
「名簿があるなら、奪えばいい」
ラザルが私を見る。
「奪う?」
「閲覧です。」
私は淡々と答える。
「ただ読むだけです。」
その瞬間、
扉がノックされる。
正確な三回。
入ってきたのはユスティナ・グレイだった。
灰色の外套。欠けた円。
彼女は私の机の上の図を一瞥し、淡々と言った。
「校閲官。印の観察は不要です」
「不要ではありません」
「不要です。あなたのために」
その言い方が、最も危険だった。
ユスティナは続けた。
「K-02が発行されました」
ラザルの肩が、ほんの少しだけ強張る。
ユスティナが紙を置く。
欠落者台帳K-02。
欠落者:一名
原因:整合整理
担当:ベネット監督官
承認印:再建印
私は承認欄を、斜めから見た。
欠け角。
――十一時方向。
さっきのCだ。
ユスティナではない。
セドリックでもない。
第三の保持者。
私は静かに息を吐いた。
ユスティナが淡々と言った。
「ベネット監督官。明朝、監査局へ」
ラザルが低く答える。
「……承知した」
ユスティナは最後に私を見た。
「ノヴァリア。あなたはこれ以上、紙を見ないことです」
そして、扉が閉まった。
私はラザルを見る。
「監督官。時間がありません」
「……ああ」
私は紙に一行だけ書いた。
K-02 承認印:欠け角C(十一時)
そして、静かに言った。
「次は、保持者名簿です」
⸻
(第14話・了)




