第12話 照合
欠落者:一名。
その担当欄は、私の筆跡で埋められていた。
控え帳を閉じたあと、部屋の音が戻ってきた。
紙が擦れる音。遠くの足音。魔導灯の微かな唸り。
ラザル監督官は、私の控え帳を見つめたまま動かなかった。
「……書いてないんだな」
「書いていません」
私は即答した。
否定は言葉ではなく、手順で示す。
「監督官。調査します」
「端末はない」
「紙があります」
私は鞄から、昨日の受領書の控えを出した。
封印番号。保全解除。結び直しの記載はない。
だが結びは違った。
手続きの不備は、私の武器だ。
「まず、控え帳の“改ざん”ではなく、“挿入”の可能性を確認します」
私は控え帳の該当ページを開き、紙面を指でなぞった。
筆圧。
インクの濃淡。
紙の毛羽立ち。
私の文字は、文字の癖が同じだ。
同じだからこそ、違いが出る。
私は言った。
「この一行だけ、乾き方が違います」
「乾き方?」
「インクの乗りが浅い。昨日の私の文字より新しい」
ラザルの目が細くなる。
「昨日の夜に書かれた可能性がある、と?」
「はい。保全解除前、つまり監査局の中で」
ラザルが低く息を吐いた。
「……俺たちは、監査局の中で“お前の字”を書ける人間がいる前提で動くべきだな」
「いえ」
私は淡々と否定した。
「字を書ける人間がいる、ではありません。字を書いたことにできる仕組みがある」
ラザルが私を見る。
「仕組み?」
「欠落者台帳です」
私は机の上の「欠落者台帳」を指で叩いた。
表紙に欠けた円。再建印。
「この台帳は、昨日まで存在しませんでした。存在しない台帳が、今日から“公式”として置かれています」
「……整合整理のための帳簿、という建前か」
「はい。建前は便利です」
便利な建前は、いつも危険だ。
私は深呼吸を一度だけして、調査の順番を組んだ。
1) 私の記録がどこまで消えたか
2) 欠落者の枠が何を指すか
3) “私の筆跡”がどこから出たか(または、どう作られたか)
順番が狂うと、相手の土俵になる。
⸻
1)私の記録はどこまで消えたか
端末はない。
だから私は、紙の“制度記録”を使う。
整合院には、端末がなくても閲覧できる冊子がある。
職員配属簿(年度)
権限付与簿(週次)
校閲差戻し簿(当月)
どれも端末とは別に、紙で保管される。
紙は遅い。だが、遅いほど消しにくい。
私は配属簿を開いた。
今年度の整合院職員。
校閲官の欄。
――私の名前は、ある。
だが注記が違う。
> エリス・ノヴァリア(代理閲覧者)
代理閲覧者。
役職ではない。
“薄くするための分類”だ。
私は次に、権限付与簿を開いた。
通常、校閲官には「校閲承認権限」が付く。
それがないと仕事ができない。
私の欄。
権限:なし。
付与:未記載。
付与が“なかった”ことになっている。
私は淡々と書いた。
配属簿:存在(代理閲覧者)
権限簿:不存在(付与未記載)
存在するが、機能しない。
存在は薄い。
最後に、校閲差戻し簿。
差戻し記録は改ざんされにくい。
なぜなら、行政の事故を防ぐ履歴だから。
私は当月分をめくった。
差戻し案件の列。
担当者欄。
――空白が多い。
昨日までは担当者名があったはずの欄に、空白が増えている。
そして、その空白の連なりの中に一つだけ、文字がある。
Elys Novaria
私は指を止めた。
そこは、私が先日差し戻した案件の番号に一致していた。
差戻し簿には残る。
だが、名簿からは薄れる。
矛盾だ。
矛盾は、誰かが急いで整えた証拠だ。
私はラザルを見る。
「監督官。私の名前は、消す場所と残す場所が混在しています」
「……完璧じゃない」
「はい。完璧ではありません。だから追えます」
ラザルが低く言う。
「次は欠落者だ」
⸻
2)欠落者の枠は何を指すか
欠落者台帳の一行目。
欠落者:一名
原因:整合整理
担当:――(控え帳では私の筆跡で埋まっている)
私は台帳のページをめくった。
二行目はない。
一名だけ。
つまりこれは“事故対応”ではない。
狙って作った帳簿だ。
私は欠落者台帳の裏表紙を見た。
帳簿には、形式要件がある。
発行部署。発行日。管理番号。
発行部署:王宮監査局
発行日:本日
管理番号:K-01
K-01。
“01”は最初の番号だ。
最初に作られた帳簿。
私は淡々と呟いた。
「この台帳は、今日始まった制度です」
ラザルが唸る。
「今日始まった制度で、欠落者が一名出ている」
「はい。制度が人を作りました」
そして、制度は次に何をするか。
人を増やす。
欠落者を増やす。
「監督官。欠落者が“次に増える条件”を探します」
「どうやって」
「分類コードです」
私は紙を引き出した。
第1部で出た分類コード。
N-AF-03(国家整合妨害)
そして今回の台帳の管理番号。
K-01。
規則性がある。
私は言った。
「監査局は、帳簿番号と分類コードで人を動かします。帳簿番号K-01は“最初の欠落者”です」
「つまり、次はK-02?」
「はい。もしくは、欠落者が増える前に“欠落の枠”を増やす」
私は、職員名簿の空欄に戻った。
空欄は一つだった。
だが、欄そのものが“作れる”なら――増える。
私はラザルに問う。
「監督官。空欄を作れる権限はどこにありますか」
ラザルは即答しない。
即答しないのは、答えが危険だからだ。
「……院長か、監査局だ」
「監査局です」
私は断言した。
「欠落者台帳が監査局発行だからです」
ラザルの拳が机の端を軽く叩いた。
「じゃあ、次は誰が欠落する」
私は一つだけ候補を挙げた。
「私の“代理者”です」
「代理者?」
「代理者を通せ、と書かれています。つまり代理者が私の代わりに端末に触る。端末に触れば、改版介入の痕跡が残る。痕跡が残れば、整理対象になる」
ラザルが目を細くする。
「……身代わり」
「はい。代理者は身代わりになりやすい」
ここで、次の問いが生まれる。
代理者は誰か。
⸻
3)“私の筆跡”はどこから出たか
監査局が私の字を真似た?
それは説明として弱い。
真似るには時間がかかる。
だが監査局は“急いで整えた”。空白が混在している。
もっと短い方法がある。
私は控え帳の最初のページを開いた。
自分の名前。
日付。
業務の写し。
私の筆跡の“標本”が、そこに並んでいる。
私は言った。
「監督官。監査局が必要なのは、私の筆跡そのものではありません」
「じゃあ何だ」
「“私が書いたことになる一行”です」
私は欠落者台帳の担当欄を指で叩く。
「担当者欄に私の名を書いておけば、責任は私に寄ります。寄れば、私が欠落の原因になれます」
「……欠落者の担当が、お前なら、次の欠落もお前の責任にできる」
「はい」
つまり、これは罠だ。
欠落を作る。
担当を私にする。
欠落が増えるほど、私が“欠落の中心”になる。
そして最後に――私自身が欠落する。
私は控え帳を閉じた。
「監督官。私は報告書を書きます」
「誰に」
「あなたにです」
ラザルが苦く笑った。
「……報告してどうなる」
「報告書は記録になります。記録は消されます。でも、消された事実が残ります」
ラザルは目を伏せた。
彼ももう、わかっている。
この戦いは、勝って終わるものではない。
残して続けるものだ。
私は机の上に、三つの紙を並べた。
•職員名簿(私の識別番号が空白)
•校閲差戻し簿(空白の増加と、私の名の混在)
•欠落者台帳(K-01、監査局発行、担当欄の空白)
そして最後に、控え帳の該当ページを開く。
私の筆跡で埋められた担当欄。
私は静かに言った。
「整合していません」
ラザルが低く言う。
「……これから、俺に“謎解き”をしろってわけだな」
「はい」
「根拠は?」
私は指で紙を叩いた。
「根拠は紙です。
ただし、明日には消えているかもしれません」
ラザルは笑わなかった。
「消える前に、外に出すか?」
「I.A.C.に照会します。欠落者台帳の存在は、国際認証の基盤を揺らします」
「……お前、また敵を増やす」
「整合していないので」
そのとき、廊下の外が静かになった。
静かすぎる。
嫌な静けさだ。
扉がノックされる。
控えめな、しかし正確な三回。
入ってきたのは、ユスティナ・グレイだった。
灰色の外套。欠けた円。
彼女は机の上の紙の並びを一瞥し、淡々と言った。
「校閲官。欠落者台帳は回収します」
ラザルが立ち上がる。
「監査官、それは――」
「整理です」
またその言葉。
便利な言葉は、いつも危険だ。
ユスティナは欠落者台帳を手に取り、封印紐で括った。
「なお、次の欠落整理の担当者が決まりました」
私は瞬きをした。
「誰ですか」
ユスティナは私ではなく、ラザルを見て答えた。
「ベネット監督官。あなたです」
ラザルの顔色が変わる。
私は静かに息を吐いた。
次に消されるのは誰か。
答えが一つ、増えた。
⸻
(第12話・了)
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