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第11話 欠落者

第2部:欠落者台帳が始まります。処刑を逃れたエリス・ノヴァリア。第2部では、エリスの権限が悉く制限されてしまいます。検閲官としての権限を奪われたエリスはどう戦ってゆくのか?引き続きお楽しみください。

 処刑は止まった。


 止まったはずなのに、王立整合院の廊下は、昨日より静かだった。


 静かというより――薄い。


 人の声が、壁に吸われる。

 靴音が、途中で消える。

 魔導灯の光が、一定のはずなのに、場所によって濃淡がある。


 私はエリス・ノヴァリア。

 王立整合院の校閲官。


 ……だった。


 正確には、今もそう名乗っている。

 だが記録がそうかは、別問題だ。


 整合の揺れは、必ず「整える」動きに繋がる。

 整えるとは、誤りを直すことではない。


 ――痕跡を揃えることだ。


 控え帳は戻ってこなかった。

 端末も戻ってこなかった。


 代わりに渡されたのは、薄い紙一枚。


 > 「業務復帰まで、当面は閲覧制限を継続する」

 > 「必要な文書は代理者を通すこと」


 代理者。


 便利な言葉は、いつも危険だ。


 私は自席に座り、空になった端末台を見た。

 そこに端末がないこと自体が、ひどく不自然だった。


 校閲官から目を奪う。


 それが、この国の「整え方」だ。


 背後で、椅子を引く音がした。


「……エリス」


 ラザル・ベネット監督官。


 いつもより声が低い。


「戻ったのか」


「戻されました」


「意味が違う」


 私は返さなかった。

 意味が違うことはわかっている。


 ラザルは紙束を机の上に置いた。


「お前が言っていた“薄くなる”が、もう始まっている」


「どこですか」


 ラザルは答える代わりに、紙束の一枚を指で叩いた。


 王立整合院――職員名簿。


 毎月更新される、内部用の公式名簿だ。

 配属、職位、権限、識別番号。


 そして、整合指数。


 名簿は“個人の存在”を担保する。


 私は紙をめくった。


 自分の名前を探す。


 探す、という動作が、久しぶりだった。

 これまでは探さなくても、そこにあった。


 見つかった。


 Elys Novaria


 ある。

 存在する。


 私は一度、息を吐いた。


 だが、そこで終わらなかった。


 名前の右にあるはずの欄が、いくつか欠けている。


 職位:空欄。

 権限:空欄。

 端末:空欄。


 そして、最も重要なもの。


 識別番号――


 空白。


 私は紙を指でなぞった。


 識別番号は、空白にならない。

 名簿の形式上、空白では登録できない。


 空白のまま載るということは、誰かが“空白のまま載せた”ということだ。


 私はラザルを見た。


「これは、いつ更新されましたか」


「今朝だ」


「承認印は」


「……整合院長」


 院長印。


 整合院長は、昨日まで私を見向きもしなかった。

 見向きもしない人間が、今日私の名簿を触った。


 それだけで十分、整合していない。


 私はページをめくった。


 識別番号順の索引表。


 そこに、さらに不自然があった。


 番号は連番で並んでいる。

 欠けることはない。重複することもない。


 だが――一箇所だけ。


 空欄がある。


 番号:____

 氏名:____

 所属:王立整合院

 職位:____


 氏名がない。番号もない。

 所属だけがある。


 存在が、枠だけ残っている。


 私は瞬きを一度だけした。


「欠落者ですか」


 ラザルは目を伏せた。


「名簿上は、そうなる」


「誰です」


「わからない」


 わからない。

 名簿上に「誰かわからない枠」がある。


 それは名簿の意味を壊す。


 そして――壊された名簿が、平然と配られている。


 私は紙の余白に、ペンで小さく書いた。


 欠落者:一名(枠のみ)


 書き終えた瞬間、ラザルが低く言った。


「監査局が来た」


 廊下の空気が変わる。


 足音。一定。複数。

 黒い制服。


 扉が開く。


 入ってきたのは、セドリックではなかった。

 昨日の若い監査官でもない。


 灰色の外套を羽織った女。


 胸章には、欠けた円。


 声は平坦だった。


「王宮監査局。監査官ユスティナ・グレイ」


 彼女は私を見て言った。


「エリス・ノヴァリア校閲官。記録の整理が完了しました」


 整理。


 便利な言葉は、いつも危険だ。


「あなたの処刑予定は削除されました。これは整合処理です」


 私は淡々と返した。


「削除ではなく、訂正ですか」


「訂正ではありません。整理です」


 訂正なら、履歴が残る。

 整理なら、残らない。


 私はさらに問う。


「私の識別番号が空白です。これも整理ですか」


 ユスティナは目を逸らさなかった。


「はい」


「識別番号は空白になりません」


「なります」


「規程に反します」


「規程は更新されました」


 私は言った。


「更新文書はどこですか」


「機密です」


 機密。


 便利な言葉は、いつも危険だ。


 私は紙を一枚、指で叩いた。


「欠落者の枠があります。これも整理ですか」


 ユスティナの目が、ほんのわずかに細くなった。


「その枠は、あなたの業務に関係ありません」


「関係があります。名簿は整合院の基盤です」


「あなたは現在、校閲官ではありません」


 私は一瞬、呼吸が浅くなった。


 それは怒りではない。

 誤りを見つけたときの反応だ。


「私は校閲官です」


「記録上、違います」


 ユスティナは淡々と言った。


「あなたは“代理閲覧者”です」


 代理閲覧者。


 役職ではない。

 人間を薄くするための呼び名だ。


 ラザルが低く言う。


「監査官。名簿の欠落は何だ。誰の枠だ」


 ユスティナはラザルを見た。


「該当者なし」


「枠があるのに?」


「枠は枠です」


 意味のない会話。


 意味のない会話が制度になる瞬間ほど危険なものはない。


 私は淡々と、しかし確実に言った。


「整合していません」


 ユスティナは一拍だけ沈黙し、手にしていた書類鞄から一枚の紙を出した。


 受領書。


 封印番号と、返還期限が書かれている。


「あなたの控え帳。保全解除です」


 私は手を伸ばしかけて止めた。


 返ってくる。


 返ってくるということは、改められている可能性が高い。


 私は言った。


「封印番号を確認します」


「どうぞ」


 私は紙を受け取り、番号を見る。


 封印番号は一致している。


 だが、封印紐の結び方が違う。


 私は目を細めた。


「封印紐を結び直しましたか」


 ユスティナは平然と言った。


「保全の過程で必要でした」


「いつ」


「昨夜」


「誰が」


「監査局です」


 答えになっていない。

 だが、この程度の“雑な答え”が出てくるのは、焦りの兆候だ。


 私は封印を解かず、控え帳を鞄に入れた。


 開くのは後だ。

 ここで開けば、ここで奪われる。


 ユスティナは続けた。


「なお、あなたの端末は返還されません」


 私は淡々と問う。


「理由は」


「不要だからです」


 不要。


 それはこの国で、人を消すときに使う言葉だ。


 ユスティナは最後に、紙を一枚置いた。


 職員名簿の訂正版――ではない。


 「欠落者台帳」。


 表紙に欠けた円。


 私は目を離さなかった。


 台帳の一行目。


 欠落者:一名

 原因:整合整理

 担当:――


 担当欄が、空白。


 私は言った。


「担当が空白です」


「整理です」


 ユスティナは言い切り、扉へ向かった。


「欠落者の件は、追わないことです。あなたのために」


 その言い方が、最も危険だった。


 “あなたのため”。


 それは脅しを柔らかくする言葉だ。


 扉が閉まった。


 室内が静かになる。


 ラザルが言った。


「……欠落者台帳なんてもの、昨日まで存在しなかった」


「はい」


 私は控え帳を机の上に置き、封印のまま指で叩いた。


「監督官。私はこれから控え帳を開きます」


「今ここで?」


「ここで開きます。今開かないと、また整えられます」


 私は封印紐を解いた。


 革表紙を開く。


 ページをめくる。


 私の筆跡。

 確かに私の文字。


 だが――途中で止まった。


 あるページ。


 私はそこを見た瞬間、息が止まった。


 欠落者台帳の一行目と同じ項目。


 欠落者:一名

 原因:整合整理

 担当:――


 そして、その担当欄。


 そこに、文字がある。


 私の筆跡で。


 「Elys Novaria」


 私は、書いていない。


 読んでもいない。


 なのに、私の文字で埋められている。


 ラザルが低い声で言った。


「……お前の字だ」


 私は小さく息を吐き、最後に言った。


「整合していません」


 控え帳を閉じる。


 そして、控え帳の余白に一行だけ書いた。


 欠落者:一名。

 その欄は、私の筆跡で埋められていた。



(第11話・了)

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