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第10話 整合の外側

 監査施設の空気は、乾いていた。


 石の匂い。

 紙の匂い。

 そして、誰かの息を吸い取るような沈黙。


 私は窓のない廊下を歩かされた。

 足音は一定。監査官の歩幅も一定。


 ここは、整合院と似ている。


 ただ一つ違うのは――

 ここでは「整える」のではなく「確定させる」ことだけが目的だということ。


 聴取室の扉が開いた。


 机。椅子。白い灯り。

 向かいに座っていたのは、セドリック・ハーン。


 無表情。欠けた円の胸章。


 机の上には、私の控え帳が置かれていた。


 封印紐は解かれていない。


「校閲官」


「はい」


「確認する。あなたは再建補正項を“将来運用”だと言った」


「文書にそう書かれていました」


「その文書は?」


「王立学府の暦算教本です」


 セドリックは頷いた。


「改訂版は回収済みだ」


 回収。


 便利な言葉は、いつも危険だ。


「あなたが見た改訂版は、今この施設にある」


 彼は書類袋から一冊の薄い冊子を出した。


 表紙には、欠けた円。


 私は瞬きをした。


 王立学府のものではない。


 もっと“上”の書式だった。


「これは何ですか」


 私は答えない。質問する。


 セドリックは淡々と言った。


「暦算運用要綱。監査局管轄」


「要綱に、なぜ欠けた円が」


 セドリックは一拍だけ沈黙し、言った。


「欠けた円は監査局印ではない」


 私は心の中で一つ、線が繋がった。


 彼は続ける。


「欠けた円の正式名称は――再建印だ」


 再建印。


 私はゆっくりと息を吐いた。


 言葉が出た瞬間、世界が確定に近づく。


 再建暦。再建補正項。再建印。


 全部、同じ軸だ。


「再建印は、何の印ですか」


 セドリックは答えた。


「再建運用に関わる改版介入の印だ」


 改版介入。


 つまり、未来側の手が入る。


 私は淡々と言った。


「監査官。あなたは昨日、『現在は将来の一部だ』と言いましたね」


 セドリックは否定しなかった。


 否定しないのは、記録に残ると困るからではない。

 否定できないからだ。


「あなたは、未来を現在に導入している」


「未来ではない」


「では、何ですか」


 セドリックは平坦に言った。


「再建計画だ」


 再建計画。


 国の外側で決められた基準。

 暦補正同期。I.A.C.への介入。


 私は質問する。


「再建計画の制定日は」


 セドリックの目が、ほんのわずかに動いた。


 昨日、I.A.C.が問うた問い。


「制定日は存在しない」


 セドリックは言った。


 淡々と。


「存在しない?」


「再建計画は、制定するものではない。起動するものだ」


 起動。


 それは制度ではない。


 制度の外側の言葉だ。


 私は静かに言った。


「整合していません」


 セドリックは目を細める。


「整合している。再建印が押されている」


「印が押されれば整合するのですか」


「そうだ」


 その瞬間、私は理解した。


 整合指数は、真実を測るためのものではない。

 再建印を通すための装置だ。


 再建印が押されたものだけが“正しい”ことになる。


 私は淡々と尋ねた。


「監査官。私の処刑は、再建印のためですか」


 セドリックは答えなかった。


 答えないのは、答えが肯定だからだ。


 彼は話題を変える。


「今日、執行日が再修正された」


 私は瞬きをした。


 七日後。


 それがさらに動く。


 セドリックは紙を一枚差し出した。


 執行予定日:本日

 理由:誤差補正

 承認印:再建印


 私は紙を受け取らず、質問する。


「誤差補正で、なぜ“本日”になるのですか」


「暦補正同期値が更新された」


「誰が更新しましたか」


「I.A.C.だ」


 私は静かに言った。


「I.A.C.は暦補正同期をしないと言っています」


 セドリックの目が、初めて揺れた。


 ほんの一瞬。


 だが私は見逃さない。


 彼が言った。


「……I.A.C.は知らない」


「知らないのに同期している?」


「再建計画の優先権が上だからだ」


 上。


 制度の外。


 私はようやく、今日のゴールが見えた。


 再建計画は、王国の上位にある。


 だから監査局が動く。

 だから整合院が縛られる。

 だから私が処刑される。


 私は淡々と言った。


「では監査官。再建計画の上位主体は誰ですか」


 セドリックは答えなかった。


 答えないのは、名前を言うと終わるからだ。


 そのとき。


 扉の外が騒がしくなった。


 足音。複数。紙の擦れる音。


 セドリックが眉を動かす。


 扉が開く。


 入ってきたのは、監査官ではなかった。


 灰色の外套。国際整合連盟の紋章。

 そしてその後ろに、隣国レオルディア連邦の使節。


 空気が変わる。


 制度が、外から入ってきた。


「王宮監査局に通告します」


 I.A.C.の使者が淡々と言った。


「貴国より送達された文書に、当連盟規程に存在しない『暦補正同期』が記載されている。

 加えて、改版符A-17に当連盟以外の上位印が介入している。

 当連盟は相互認証を停止する」


 相互認証停止。


 王国の輸出入、契約、外交が止まる。


 つまり、国が止まる。


 セドリックが立ち上がった。


「そんな権限は――」


「あります」


 使者は淡々と遮った。


「規程第七条。第三者改版介入が疑われる場合、当連盟は認証を停止する」


 セドリックの顔が、初めて歪んだ。


 “整合”の外側に、制度がある。


 私は静かに息を吐いた。


 外に出した封筒が届いた。


 届いたから、ここにいる。


 レオルディアの使節が続けた。


「当連邦は、貴国の処刑執行についても照会する。

 整合院校閲官の処刑は、制度の健全性に反する」


 セドリックは言葉を失った。


 監査局は国内で強い。

 だが国外では、ただの一部署だ。


 I.A.C.が動けば、監査局は動けない。


 それが、制度の力。


 セドリックが私を見た。


 無表情のまま、低く言った。


「……あなたがやったのか」


 私は答えない。質問する。


「監査官。再建計画は、制度の外側でしたね」


 セドリックは黙った。


 I.A.C.の使者が言った。


「本日の執行は停止する。

 当該案件は国際整合委員会の審査対象とする」


 停止。


 処刑が、止まった。


 ただし――止まったのは処刑だけではない。


 同時に、王国の“整合”も揺れた。


 揺れれば、必ず“整える”動きが入る。


 私はその瞬間を待っていた。


 待つのは得意だ。校閲官だから。


 そして、来た。


 端末のない私にもわかる。


 廊下の魔導灯が、一瞬だけ暗くなる。


 演算陣が再起動する合図。


 制度が、整え直される。


 数分後、セドリックの端末が鳴った。


 彼は画面を見て、固まった。


「……何だ」


 I.A.C.の使者が覗き込み、淡々と読む。


「処刑予定者一覧――該当なし」


 該当なし。


 私は瞬きをした。


 私の処刑予定は、消えた。


 成功だ。


 だが――成功は必ず代償を連れてくる。


 私は静かに言った。


「監査官。確認してください。私の記録を」


 セドリックが私を見る。


「何の」


「整合院への配属記録。報告書提出記録。改版符提出履歴」


 彼は苛立ちを隠せない手つきで端末を操作した。


 そして、眉がわずかに動く。


「……おかしい」


 私の胸の奥が静かに冷える。


 セドリックが低く言った。


「配属記録が……一部欠落している」


 欠落。


 それは、私が選んだ代償だった。


 処刑予定は消えた。

 だが、その代わりに――私は“薄く”なる。


 I.A.C.の使者が淡々と言った。


「整合処理が走った。

 再建印の介入痕跡を隠すため、関連記録が整理された可能性がある」


 整理。


 便利な言葉は、いつも危険だ。


 私は息を吐き、セドリックに言った。


「監査官。あなたは今、再建計画を守りましたか。隠しましたか」


 セドリックは答えなかった。


 答えないのは、答えが両方だからだ。


 私は立ち上がった。


 処刑は止まった。

 だが、勝利ではない。


 整合が揺れれば、また整えられる。

 また誰かが消される。


 私は紙を拾った。


 控え帳は戻らないかもしれない。

 端末も戻らないかもしれない。


 それでも私は、読む。


 空白を見つける。


 整合していないところから埋め直す。


 私は最後に言った。


「整合していません」



(第10話・了)

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