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第1話 処刑予定者一覧

※静かな文書ミステリーです。

「整合していない」一行から、王国の“正しさ”が崩れ始めます。

 王立整合院の朝は、静かだ。


 廊下を歩く靴音は吸い込まれるように薄くなり、壁の魔導灯は一定の明るさを保ち、書庫の空気はいつも少し冷えている。


 ここでは声を張る人間がいない。必要がない。

 紙と記録は、話さなくても伝わる。


 私はエリス・ノヴァリア。

 王立整合院――整合演算にかけられるすべての公文書を最終確認する、校閲官だ。


 王国では、正しさはしばしば“数字”で扱われる。

 税も、任官も、恩赦も、罪の重ささえ、整合演算を通した指数で並べ替えられる。


 人はそれを公平と呼ぶ。

 私は、便利だと思っている。

 便利な仕組みほど、書式の外側にあるものを見落としやすいだけで。


 人は私の仕事を、地味だと言う。


 それでいい。地味であることは、整っていることだ。


 私の席は窓際ではない。むしろ窓から遠い。

 視界に空が入ると、目が止まるから。


 机に置くものも少ない。


 黒い筆記具。

 薄い金属板の下敷き。

 そして、ひとつだけ――小さな革表紙の控え帳。


 私はこの控え帳を、肌身離さず持っている。


 最初は、ただの仕事の癖だった。

 差し戻した文書が、翌日には“最初から問題なかった形”で戻ってくることがある。

 誰が直したのか、記録だけが曖昧なまま。


 間違いは訂正される。

 それ自体は正しい。

 だが、ときどき――訂正されたのが「間違い」ではなく、「見た事実」のほうだと思う日がある。


 だから私は写す。

 空白ごと。


 理由は単純だ。


 空白は、必ず写す。


 それが私の仕事の癖であり、信条であり――この国では、ちょっとした防御だ。


 王国のすべては、整合演算で再計算される。


 血統。功績。罪状。神託。魔力量。

 そして、その記録がどれだけ「整っているか」。


 それを数値にしたものが、整合指数(Alignment Index)。


 整合指数が高い者は、守られる。

 低い者は、弾かれる。


 数字は冷たい。だが冷たいほど、王国は安定する。


 ――少なくとも、そう信じられている。


 私は朝の業務端末を起動し、今日の回付一覧を開いた。


 最初に確認するのは「未確認文書」。

 各所から届いた文書束を、演算にかける前に校閲官が走査する。


 誤字、脱字、日付、形式、署名、印章、改版符。

 空欄があれば、止める。


 止めないと、空欄は「都合のいい文字」で埋まることがある。


 私は一覧を、上から淡々と追った。


 徴税台帳。

 河川工事の契約書。

 騎士団の装備更新。

 神殿の奉納記録。

 王立学府の卒業認定。


 どれも問題なし。


 指先が自然に次の項目へ移る。


 ――そこで。


 目が、止まった。


 「案件名:処刑予定者一覧(定期)」


 整合院に、こういう一覧は届く。

 司法庁が、月に一度、整合演算のために提出する。


 私は淡々と開いた。


 画面に、複数の名前が並ぶ。


 氏名。

 所属。

 整合指数。

 執行予定日。

 罪状。

 執行許可印。


 いつも通りだ。いつも通り――のはずだった。


 私は一行目を見た瞬間、呼吸が少しだけ浅くなった。


 癖だ。

 誤りを見つけたとき、身体が先に反応する。


 私は黙って、その一行を指でなぞった。


 氏名:エリス・ノヴァリア

 所属:王立整合院

 整合指数:94.218%

 執行予定日:三ヶ月後

 罪状:――


 最後の欄が、空白だった。


 罪状欄は空白であってはいけない。

 罪状がなければ、処刑は成立しない。

 そして、整合指数が九十を超える者は、通常、処刑対象にならない。


 王国の制度は、そうなっている。


 私は瞬きもせずに、二行目、三行目を確認した。


 他の処刑予定者は、罪状が記載されている。

 指数も低い。


 つまり――


 私だけが、例外。


 私は手を止めた。


 この案件を「誤記」として戻すことは簡単だ。

 空白を理由に差し戻し。形式不備。終了。


 だが。


 私は控え帳を開いた。


 革表紙の内側に、薄い紙の匂いがする。

 私はそこに、必要事項だけを、正確に書き写した。


 氏名。

 所属。

 指数。

 予定日。

 そして――罪状欄の空白。


 書き終えた瞬間、心拍が一拍だけ遅くなった気がした。


 控えがある。

 なら、消されても、私は「見た」と言える。


 私は再び画面を見た。


 執行予定日を、拡大する。


 三ヶ月後。日付は具体的に示されている。

 形式も正しい。司法庁の印もある。


 では、なぜ罪状が空白なのか。


 私はスクロールを下げ、改版符バージョンを確認した。


 改版番号:A-17

 最終改訂:本日未明

 改訂者:――


 改訂者欄が、空白だった。


 私は口の中で、何も言わなかった。

 声にする必要はない。私は校閲官だ。


 ただ、整合していない。


 空白が二つ。

 そして、空白の先にあるものは、たいてい――誰かの都合だ。


 私は端末の通知欄を開き、案件の取り込み元を確認する。


 司法庁提出。

 受入番号。

 連携経路。


 そこまでは、いつも通り。


 だが、最後に表示された付帯情報が、私の指を止めた。


 「演算予定:承認済」

 「校閲:未承認」


 承認済み。

 校閲の承認なしで、演算予定が通っている。


 あり得ない。


 整合演算は、校閲が通さなければ動かない。

 それが王立整合院の存在理由だ。


 私は、控え帳の余白に小さく追記した。


 校閲未承認で演算予定承認済。


 書き終えたところで、背後から机を軽く叩く音がした。


「エリス。今日も静かだな」


 上司の声だった。


 振り返ると、整合院の次席監督官、ラザル・ベネットが立っていた。


 理想を語る人ではない。

 数字を信じる人だ。

 そして「早く回せ」が口癖の人でもある。


「処刑予定者一覧、入ってましたよね」


 私は控え帳を閉じ、端末の画面を彼に見せた。


「形式不備があります」


「不備?」


「罪状欄が空白です。改訂者欄も空白です」


 ラザルは一瞬だけ眉を動かした。

 それから肩をすくめる。


「司法庁のミスだろ。差し戻しでいい」


 差し戻しでいい。

 それは、正しい。正しいが――足りない。


 私は淡々と言った。


「もう一つあります。校閲未承認で、演算予定が承認済みです」


 ラザルの視線が画面の表示に落ちる。


 沈黙が一呼吸ぶんだけ伸びた。


「……演算班が先に通したのか?」


「規程では不可能です」


「規程は現場で曲がる。だから整合院があるんだ」


 彼は言い切って、端末の縁を指で叩いた。


「とにかく、回付を止めるな。差し戻し。終了」


 私は、反論しなかった。


 反論は言葉でやるものではない。

 反論は、記録でやる。


「承知しました」


 私は処刑予定者一覧に、形式不備として差し戻し指示を入れた。


 ――送信。


 画面に「差し戻し完了」と表示される。


 その瞬間だった。


 端末が一度だけ、白く瞬いた。


 通信が途切れたのかと思った。

 だが違った。


 処刑予定者一覧の件名が、一覧から消えていた。


 私は瞬きをした。

 戻る。更新。再読込。


 ない。


 まるで最初から存在しなかったように、案件が消えている。


「……今、消えました」


 私は淡々と告げた。


 ラザルは鼻で笑った。


「取り込みの同期がズレたんだろ。よくある」


 よくある。

 そういう言い方をする人間がいることは、知っている。


 私は控え帳に手を置いた。


 紙の上には、私の文字がある。

 氏名、指数、予定日、空白。


 消えた事実は、控えが証明する。


 私は立ち上がり、棚から当月分の「司法庁受入台帳」を引き出した。


 受入番号で確認する。

 該当なし。


 私はページをめくる手を止めた。


 受け入れた記録が、ない。


 つまり。


 今消えたのは案件だけではない。

 受入の痕跡ごと、消えている。


 私は、控え帳をもう一度開き、書いた。


 「処刑予定者一覧:受入痕跡消失」


 胸の奥が、妙に静かだった。


 怖い、という感情ではない。

 怒りでもない。


 ただ。


 整合していない。


 私は控え帳を閉じ、机の端に置いた。


 次にやるべきことは決まっている。


 調べる。

 確認する。

 そして報告する。


 それが校閲官の仕事だ。


 私は、もう一度端末を開いた。


 検索窓に、名前を打ち込む。


 Elys Novaria


 候補が出る。

 公文書の履歴。

 配属記録。

 資格証明。


 そこまでは正常だった。


 だが、一番下に小さく表示された一文が、私の指を止めた。


 「司法関連:特記事項あり」


 クリックする。


 開かない。


 権限不足。


 画面には、短い表示だけが出た。


 「閲覧権限:制限中」


 理由欄は――


 空白だった。



(第1話・了)

ここまで読んでくださってありがとうございます。

もし「この違和感、気になる」と思ったら、ブクマや★で続きを後押ししていただけると嬉しいです。

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