「貴女に虐げられている!」と言われましたが、いつも傍に居るワンちゃんが全て見ています。~因みに貴女が間抜け面と言ったその犬は王太子殿下です~
「困りましたわね」
昼休憩に差し掛かり、私は溜息を吐きます。
ここは王立魔法学園。教養と魔法の技術を磨く為に貴族を集めた教育機関です。
侯爵家の中でも政界で力を持つナヴァール侯爵家。
その長女ノエラとして相応しい振る舞いをしてきたお陰で、社交界における私の評価は高く、学園ですれ違う方々からも尊敬の眼差しを向けられるような淑女でした。
しかしある時――婚約者であるアンセルム・ド・スミルノフ侯爵子息が、別の異性と親しくなり始めた頃から、私の悪評が広がり始めました。
同級生のタチアナ・ド・ギャルニエ男爵令嬢。
彼女はアンセルムの一つ下の学年――私と同級生の御令嬢です。
アンセルムと私は元々政略的な理由から婚約を結んだ身ですから、そこに恋愛感情はありません。
おまけにアンセルムは容姿は整っているものの、美しい女性に目がない男でした。
そんな男ですから、男性の庇護欲を掻き立てるような、小さくて可憐な少女タチアナ様の姿に心を奪われるのも仕方のない事でした。
問題は、まず、アンセルムがタチアナ様への好意も婚約者を軽んじる態度も一切隠そうとしなかった事。
彼が私を蔑ろにしているせいでスミルノフ侯爵家はナヴァール侯爵家を下に見ているという噂が流れ始めました。
彼はナヴァール侯爵家の顔に泥を塗るような行いをしたのです。
また、自分が気に入られているという自負からか、タチアナ様はアンセルムへあからさま色目を使うようになります。
彼女の家は男爵家という、貴族社会においては弱い立場にあります。
ですから彼女も、彼女の家も出来る事ならば玉の輿を狙いたいと考えていたでしょうし、彼女にとって異性に簡単に靡くアンセルムは非常に都合の良い存在だったでしょう。
あとは、単純に彼の容姿をタチアナ様が気に入ったというのもあったのかもしれません。
彼と腕を絡ませる彼女の様子は、嫌々ながら媚を売っているようには見えませんでしたから。
さて、こうして両想いになったであろうアンセルムとタチアナ様。
彼らの共通の敵は、言わずもがな私です。
二人は考えました。
アンセルムが私との婚約を解消できる、正当な理由が欲しいと。
そしてその結果――二人は結託し、私の悪評を流しました。
特にアンセルムは、嫌々ながらとはいえ婚約者として私と過ごす時間はこれまで多くありましたから、少しの真実に大きな嘘を混ぜることだって容易にできました。
彼と二人きりになる機会も多かったわけですから、その時に私が何か悪事を働いたと主張すれば、私の無実を証明できる者もいません。
タチアナ様もまた、小柄で愛らしい人物像を駆使していじめられっ子役を演じました。
私は彼女とは違い言葉遣いが少々厳しく、また愛嬌というものは持ち合わせていませんでしたし、小柄で立場の弱い少女が涙を流せば、一定数は彼女へ同情を寄せるものが現れます。
そうして気が付けば――私は学園で孤立してしまっていたのでした。
すれ違えばひそひそと囁かれる噂、奇異の目。
それらに晒されながら私は溜息を吐きます。
他の生徒がいる場所は非常に居心地が悪いものですから、私は学園の裏庭へ向かいます。
この学園には広々とした中庭や庭園がありますから、外で食事をとる生徒達は皆そこに集まるのです。
狭く、野花が点々と咲いている芝生には誰も近づきません。
私はそこで食事を広げました。
以前ならば使用人を使い、場所を広々と取って堂々と食事をとっていましたが、そんな事をすれば悪目立ちし、笑われ者にされてしまうでしょう。
ですから今は裏庭のベンチに腰掛け、自分で持ち歩けるサンドイッチをいくつか膝の上に広げて昼休憩を過ごしています。
そして今日もいつも通り昼食をとっていた時。
「クゥン」
何とも可愛らしい鳴き声が聞こえてきました。
「あら?」
私は目を丸くし、声のした方を見ます。
すると茂みの中、小さく丸まる子犬の姿がありました。
「な……っ」
陽の光を反射する銀色の毛並み。ふわふわとしたそれが風に揺られています。
海のような深みのある青に、宝石のような澄んだ美しさを持つ真ん丸な瞳。
何とも愛らしいその姿に私は目を奪われ……我慢できずに傍まで近づきました。
「か、かわいい……ですわ……」
近づいても逃げる様子のない子犬には飼い主の存在を知らせる首輪もありません。
「野良犬かしら。それにしてはとても綺麗だわ」
恐る恐る手を伸ばすと、期待を裏切らない……いえ、期待以上の手触りがありました。
艶やかでありながらもふもふとしたその毛並みが癖になり、私は暫くそれを堪能します。
それから少ししてふと、違和感を覚えました。
あまりにも反応が鈍いのです。
瞬きはしていますから、一応は意識があるのでしょう。
しかし私が近づこうと、好き勝手に触れようと、嫌がるどころかあまり反応を示さないのです。
「クフゥ」
弱々しい声がしました。
私は漸く、その子犬が弱っている事に気付きました。
「た、大変だわ」
慌てて子犬を膝の上に乗せます。
勿論、私では子犬の容態などわかりもしませんから、適切な方に見てもらわなければと思うのですが……学園に獣医はいません。
では誰に相談すれば良いのか?
子犬の容態を気に掛け、励ますように撫でながら私は頭を悩ませます。
その時でした。
ポン! という枕を軽く叩いた時のような、空気の抜ける乾いた音がしました。
同時に膝の上に乗っていた子犬から白い煙が飛び出し、気が付けば子犬とは比べ物にならない重さが膝に乗ります。
突然の重さに驚き身を固めたのも束の間。
煙が引いた先で一人の青年の姿が顕わとなりました。
美しい銀髪に青い瞳。長い睫毛を持つお人形のような精巧で冷たさすら感じる顔立ちを持つ男性。
私は彼を知っております。
と言いますか、学園で――そして国中で彼を知らない人物を探す方が難しいでしょう。
王太子、エルヴェ・アルチュール・レグロース殿下。
「あ」
私と目が合い、彼が短い声を上げました。
一方の私はというと、頭が真っ白なまま呆然としてしまいます。
ええ、勿論王太子殿下の存在に緊張しているだけではありません。
私の膝に乗っていた子犬が突然同年代の異性に代わり――しかもそれがこの国の未来を背負うお方のお体なのです。
そんな高貴な方が私のお膝に乗っている、そして何故か犬が人に変化したというトンチキな状況。驚きの二段構えです。
「で、ででで殿下ァッ!?」
淑女として育った私ですが、この時に出た素っ頓狂な声は精々産声として上げた事があるかどうかという程度に品がありませんでした。
「あー…………すまない」
エルヴェ殿下は気まずそうな謝罪を一つして即座に私の膝から降りる。
そして顔を顰めたまま私の前に座り直した。
「え……えっ!? 先程のワンちゃんは……で、殿下は一体どちらから……!?」
突然の事に頭が追い付かない私は次々と疑問を口にします。
「先程貴女が抱いていた犬が私だ」
そんな疑問に端的な返答を返す殿下。
状況的にそうとしか考えられないとしても、私の混乱は中々解けません。
「順に説明させてくれ」
困惑しきった私の前で、エルヴェ殿下はおずおずと手を上げました。
且つて、世界中に災厄を呼び寄せた『魔族』という存在がいた。
その魔族の長を討ち取り、その場所に建てられたのが我が国、レグロース。
魔族の長を討ったのが初代国王であり、エルヴェ殿下を含んだ王族達は皆、初代国王の血を引いている。
さて、現在、国中で神格化された初代国王だが、実は魔族の長との激しい戦の中、強力な呪いを受けてしまったのだとか。
それは魔族の長が己の敗北を察した時の事。
彼はせめてもの悪あがきにと――そして憎い相手に最大限の嫌がらせをしてやろうと、後世にまで続く呪いを初代国王に掛けたのだとか。
そしてそれこそが――
「――『愛玩動物になってしまう呪い』……?」
「……そうなんだ」
突飛な話に私は面食らいました。
エルヴェ殿下は神妙な面持ちで頷いています。
「普段は人としての姿を保てるのだが――疲労や不調、天気の変化などによって体内の魔力の流れが不安定になると呪いに負けて獣化してしまうようでな」
「そ、そのようなお話は――」
「一国を背負う立場でありながら、嫌がらせのせいでたまに小動物になってしまうなど、あまりにも面目が立たないだろう? これは非常に重要な機密情報として管理されている。漏洩したものは一人残さず極刑だ」
「そ、そんな……っ」
そのような重要な情報を、私は知ってしまったというのか。
私はエルヴェ殿下の告白に衝撃と危機感を覚えましたが、しかしすぐについ先程見た愛らしい子犬の姿を思い出し、緊張感は完全に消し飛んでしまいました。
「『いやでも子犬が可愛いからありか』というような顔をするのはやめてくれないか」
「エスパーですか?」
「私にとっては深刻な問題なのだがな……」
「も、申し訳ございません。勿論殿下にとっても国にとっても深刻なお悩みだということは承知しているのですが」
しかし先程の子犬があまりにも愛らしかったのでどうにも緊張感が保たれません。
すっかりほっこりと和んでしまっていると、エルヴェ殿下が咳払いをしました。
「まあいい。本題はこの先だ」
「え?」
「ノエラ・ド・ナヴァール嬢。貴女に頼みがある」
てっきり事情説明と口止めこそが本題だと思っていた私はエルヴェ殿下の言葉に目を丸くする。
「私の傍に居てくれないか」
「……へっ?」
まるでロマンス小説に出て来るプロポーズのようなセリフ。
彼の発言の意図が分からず驚いていると、エルヴェ殿下は慌てて否定をしました。
「違う、変な意味ではない。実はこの呪いには対処法があるんだ」
「対処法……?」
「『魔力の質が似ている者と接触する事』。こうする事で私と触れた相手の魔力が共鳴し、私の乱れた魔力の流れが安定するようになる。先程まで随分と乱れていた魔力が、あの短時間で人の姿を取り戻せる程に安定した。……恐らく私と貴女の魔力の質は余程似通っていると考えられる」
「な、なるほど……」
エルヴェ殿下は真剣な顔つきで私を見つめている。
「私は元々魔力の質が特殊なようで、呪いを抑えられる相手がいなかったんだ」
王太子という立場はかなり多忙なはずです。
その中で、魔力の流れの安定まで気に掛けるのは中々に難しい事なのでしょう。
だからこそ彼は人目に付かない裏庭で息を潜め、回復を待っていたのだろうと私は察しました。
「この先のスケジュールを考えるに、今以上に疲労が蓄積されるのは明白だ。しかし、その生活に貴女がいてくれれば……とても心強い。どうだろうか」
迷う余地はありません。
そもそも、王太子であるエルヴェ殿下の頼みを断れる程の立場ではありませんし、私でお役に立てる事があるならばそれは喜ばしいことに違いありませんでした。
あと、もふもふに触れる権利が合法的(?)に得られる訳です。
……ええ、勿論これが最大の理由ではありませんとも。多分、きっと。
「構いませんわ、殿下。私でお力になれるのでしたら、是非」
「助かる。感謝するよ、ノエラ嬢」
殿下に手を差し出され、私はそれを握り返します。
こうして私の、子犬に触れるだけのお仕事――いいえ、殿下の体裁を保つための重要なお仕事は始まったのでした。
それから毎日、私達は裏庭で落ち合う事になりました。
数週間、生活を共にすることでエルヴェ殿下の体質についても少々詳しくなりました。
どうやら彼は人になるには魔力の安定を求められるが、子犬の姿になろうとする分には魔力の不安定さに関係なく変化することが出来るそう。
疲れ切ったエルヴェ殿下が魔力の共鳴ですぐに人の姿に戻ってしまうので少々残念に思っていたのですが、ある日人の姿に戻った彼にもう少し長く子犬の姿を保てないかとお願いしたところ、渋々ながら子犬の姿になってくれたのです。
(それにしても……近いですわね)
ある日の昼休憩の頃。
魔力共鳴を終えたエルヴェ殿下と並んでベンチに座りながら、私は昼食を取ります。
離れている間も魔力の安定をなるべく持続させたいからという理由で、彼は私にぴったりと密着しています。
「あの……殿下」
「どうした」
「私、その……一応、婚約者がいる身ですから、その」
「……ああ、そうか、すまない。確かに貴女の淑女としての体裁を考えられていなかったな」
皆まで言わずとも察してくださった殿下はポフン、と音を立てて子犬の姿になります。
子犬になれ、とまで求めたつもりはなかったのですが、これはとても嬉しい誤算です。
私は子犬の姿になったエルヴェ殿下と沢山触れ合いながら、充実した時間を過ごしました。
子犬のエルヴェ殿下が愛おしいのは勿論のことですが、人としての彼との親交だって深めておりました。
殿下は公務に、私は日頃の視線や悪評に疲れ切っておりましたから、それを忘れられる何気ない時間はとても貴重だったのです。
青い空を見上げ、穏やかに流れる風に身を委ね乍ら、何気ない会話をします。
過ごす時間が増えていく内に、私達の間には軽口など、気兼ねないやり取りも増えていきました。
「貴女の噂の事だが、何か手伝える事はあるか?」
「ありがとうございます、殿下。しかし私の方は問題ありませんわ。事実無根ですし、言いたいお方には言わせておけばよいのです」
「だが、今のままでは生きづらいだろう」
「殿下の苦労には及びませんわ」
私が答えれば、エルヴェ殿下は困ったように眉を下げます。
きっと、私に恩を感じているからこそ何か報いたいと思ってくださっているのでしょう。
彼はとても誠実で、義理堅いお方でした。
これまでは社交界で挨拶を交わす程度の関係でしたが、彼の内面を深く知れた事で、彼が未来の国を背負うのならばこの国は安泰なのだろうと思えました。
「では、今は誓いだけにしよう」
「誓い?」
エルヴェ殿下はそう言うと私の前に跪き、私の手を取る。
「で、殿下……っ! 私などに頭を下げるなど」
「貴女を本当に困らせる事が起きた時は、必ず力になろう」
エルヴェ殿下は優しく微笑みます。
「誰よりも、一番にだ」
王太子に頭を下げさせてしまったという罪悪はありました。
けれどそれ以上に――彼の心遣いを、とても嬉しく思いました。
「…………ありがとうございます、殿下」
私が頭を下げれば、エルヴェ殿下が照れ臭そうにはにかみます。
「こちらこそ。私は貴女に本当に感謝しているんだ。魔力の安定に関しては勿論だが……貴女と過ごしている間は日々背負っているものの重圧を忘れられる」
「私も、同じ気持ちですわ殿下」
「そうか」
立ち上がったエルヴェ殿下と私は視線を交わしながら笑い合いました。
それから、彼は照れ臭そうに咳払いをします。
「今日は日々の礼も兼ねて、もう少し、貴女の期待に応えてあげよう」
それから彼は――ポンッという音を立てて子犬の姿になりました。
私は喜びながら彼を抱き上げます。
そうして、楽しいひと時を共に過ごすのでした。
その最中で私は、遠目に揺れる影を見た気がしました。
後者の影で揺れたそれは人のように見えました。
けれどそちらへ顔を向けた時、そこには何もなく。
(……気のせいかしら)
私は深く考えることをやめ、お昼の残り時間を子犬の殿下としっかり堪能するのでした。
***
それから一週間が経った頃。
「――ノエラ・ド・ナヴァール! お前との婚約を破棄する!」
腕に子犬(エルヴェ殿下)を抱えたまま、私は校舎のエントランスでそう告げられます。
放課後だという事もあり、周囲には人だかりができていました。
何故殿下が腕の中にいるのかというと、勿論魔力の共鳴の為。
私達は裏庭で落ち合い、いつものように過ごしていました。
そこへタチアナ様を連れたアンセルムがやって来て、私の腕を掴むと半ば無理矢理エントランスまで連れて行きました。
そして目的地に着くや否や、彼はここぞとばかりに大きな声を張り上げて婚約破棄を宣言したのです。
大勢の晒し者にする為にわざわざお膳立てしたらしい彼の手厚さに呆れと腹立たしさを覚えました。
けれどそれもほんの少しだけ。
それ以上に私の心を支配したのは――
(で、でででで殿下を連れて来てしまったわぁぁああっ!?)
エルヴェ殿下が腕の中にいるという事へ対する焦りでした。
本当はアンセルムが私を引っ張っていくときに置いて行こうと思っていました。
けれど私が両手を離せば、何故か殿下は私にしがみ付き、離れようとしなかったのです。
私が支えないままでいれば殿下は落下し、怪我をしてしまうかもしれませんでしたから、私はそのまま彼を抱いて連れて来るしかなかった――という訳です。
しかしまさか、連れられた場所でこのような事が起き――しかも数えられない程の生徒に取り囲まれるような事態になるとは。
これは非常にまずいと私は気が気ではありませんでした。
万が一にも、何かの拍子でエルヴェ殿下が人の姿に戻ってしまえば彼の秘密が公になってしまいます。
王太子としての面目の為にも、私や目撃者の命の為にも、それだけは阻止しなければなりません。
私が動揺している正面では、アンセルムとタチアナ様が交互に学園での私の悪行とやらを明かしていました。
やれアンセルムを無能だと罵っただの、学園で彼が持ち歩いていた宝石を盗んだだの、家の政界での影響力をちらつかせて脅迫しただの。
タチアナ様に魔法で泥を被せただの、階段から落としただの、馬車に細工をして横転させようとしただの。
そのようなお話を長々とされておりました。
勿論身に覚えはありません。
「大変申し訳ありませんが、全く身に覚えがありませんわ」
「しらばっくれるつもりか! どこまでも性根が腐った悪女め!」
「嘘なんてついていないわ! 私、ずっとずっとノエラ様に虐げられているの!」
「ああ、泣かないでくれ。勿論わかっているさタチアナ。全てはあいつの苦し紛れの主張に過ぎない。――安心してくれ! ここには俺達の味方しかいないに決まっている」
タチアナ様が涙ぐみ、それをアンセルムが必死に慰めています。
私は何とか平常心を保っているフリをしていますが、心臓は未だかつてない程に暴れ回っておりました。
もうさっさとこの場を立ち去りたい。
そんな思いに駆られますが……残念ながら、ここで罪を認める訳にはいきません。
例え腕の中に王太子殿下がいるとしても、それ以前に私はナヴァール侯爵家の長女。家の体裁は守らねばなりません。
「一つお伺いいたしますが、お二方がおっしゃった私の悪事……実際に発生したのはいつごろでしょうか」
「昼休憩、もしくは放課後に決まっている! その時間、お前はいつも人目を避けてコソコソとしていただろう!」
「なるほど。因みに全て最近のお話でしょうか」
「そうよ! どうして惚けるんですか……! 私達はただ罪を認め、二人で愛し合う事を許して欲しいだけなのに……!」
「罪は認めませんが、後者に関してはどうぞ、ご勝手に」
(ああああ全然終わる気配がしないわぁぁああ! いつまで続くのかしらこの茶番は)
腕の中で殿下がぷるぷると身震いをしました。
手持無沙汰なのでしょうが、もう少しの辛抱なのでお願いですから我慢してください。
「な……ッ、何だ、その態度は!」
「無実の罪を擦り付けられそうになれば誰だって不愉快になりますわ。それと生憎、その時間帯の私の動向を知っているお方はいらっしゃいます。アリバイならば成立させられますわ」
私は殿下へ視線を落とします。
彼は私が本当に困った時には力になると言いました。
ならば、どこかで彼を人の姿に戻し、アリバイを立証してもらえないだろうか。
そんな望みを抱いたのです。
しかし、私が一端の離席を申し出るよりも先。
タチアナ様が大きな声を上げました。
「嘘よ! ノエラ様はいつだって一人だったわ! ノエラ様の傍にいたのは今腕に抱えているお友達(笑)だけ! 私を虐める時だっていつもそうだったもの!」
(み、見られてた――!?)
どうやら、私が子犬の殿下と共にいるところをタチアナ様は見ていたようです。
もしや殿下の体質までバレてしまったのではと思った私は思わず体を緊張させ、言葉を詰まらせます。
私が反論できなくなったからでしょう。
タチアナ様は勝ち誇ったように笑い、捲し立てました。
「そもそも何故侯爵令嬢ともあろうお方が獣とお友達に? 獣と親しくなったところで政界では生き残っていけないのではありませんか? ――アリバイの成立? それに口裏を合わせて嘘を吐いてもらいでもするのですか!? ああでも、獣の中でもその子は一段と難しそうですわね? その――酷い間抜け面をしたおチビさんでは!!」
「ヒ――」
思わず引き攣った息が漏れました。
次に思ったのは……ああ、終わったと。
私ではなく――タチアナ様が、です。
私は恐る恐るエルヴェ殿下へ視線を落とします。
相変わらずつぶらな瞳で愛らしい容姿の子犬様ですが、やはりというべきか、彼はグルグルと喉を鳴らしております。
大変ご立腹です。
「さっきまでの威勢はどこへ行ったのでしょう? まさかたった一匹の味方を馬鹿にされて怒りで声も出なくなってしまわれたのですか?」
自分が何をしでかしたのかもわからず、すっかり調子に乗ってしまわれたタチアナ様。
そんな彼女の良く回る舌を何とか止めようと、私が口を開きかけたその時でした。
突然、私の腕の中からエルヴェ殿下が飛び出します。
彼はそのままタチアナ様の胸元へ大きく飛び掛かると、彼女が付けていた高価そうなネックレス――恐らくはアンセルムが贈ったものでしょう――のチェーンを噛み千切って奪い取り、エントランスから逃げていきます。
「な、なんだこのけだものッ!」
(やめてけだものとか呼ばないでぇぇっ!!)
「きゃあ! あ……! 私のネックレス……! 待ちなさいクソイヌ!!」
(クソとか言わないでぇぇぇええ!!)
次々と吐き出される失言に頭を抱えていると、タチアナ様が真っ先に飛び出し、殿下が逃げた方へと向かっていきました。
因みにアンセルムは動物の毛に弱いのでくしゃみを連発させていて動けそうにありません。
私は彼をおいて、エルヴェ殿下とタチアナ様を追いかけました。
二人を追えば、裏庭まで戻ってきます。
「お、追いついた……っ! それ、返しなさいよ――」
「ま、待って――」
険しい顔をしたタチアナ様。
顔を真っ赤にしながらエルヴェ殿下を追い詰めた彼女は、ネックレスの宝石を取り返すべく飛び掛かりました。
残念ながら私の制止は間に合いません。
そして――
ポンッ
と、音がします。
その瞬間、子犬の姿は消え――タチアナ様の前に立ったのは見目麗しいお姿のエルヴェ殿下。
彼は飛び掛かって来るタチアナ様を華麗に躱しました。
タチアナ様が情けない悲鳴と共に転びます。
それから、目を白黒させながらエルヴェ殿下を見上げました。
「――え? で、殿下……?」
「やぁ。タチアナ・ド・ギャルニエ」
「え? な、なん、なん……え? ここにいた犬は…………」
「勿論、私さ」
ぽかんと呆けてしまうタチアナ様。
当然の事です。
そんなタチアナ様を見下ろしながら、エルヴェ殿下は盗んだ宝石を彼女へ握らせます。
「王族は特別な魔法が使えるんだ。ちょっとした暇潰しのつもりで楽しんでいただけだったのだが」
エルヴェ殿下は微笑みを浮かべる。
しかしその眼光は鋭く、凍り付きそうな冷たさがあった。
「誰が『クソイヌ』で『間抜け面』だって――?」
「ヒ、ヒッ……こ、これはその、違うんです、で、殿下」
「王族に向かってこの口の使い方とは……不敬以外の何物でもないな。なぁ、そう思うだろう?」
誰もあの愛らしいお姿を殿下とは思える訳もありませんから、彼の主張は聊か横暴だ、というのが私の見解でした。
しかしその横暴さがまかり通ってしまうだけの力が、王太子にはあるのです。
そしてそれはタチアナ様とて理解していたのでしょう。
彼女はすっかり怯え、震え上がり、涙を流し始めました。
「ああ、そうだ。勿論彼女のアリバイも私が証明できる。彼女の主張を疑う事が何を意味するか……そして今から貴女が何をすべきかも、わかるな?」
王太子に嫌疑をかける訳には勿論いかない。
低く圧のある声にタチアナ様は何度も小刻みに頷くと、大きな声で泣きながら走り去っていきます。
何度もすっ転んでは立ち上がり、そして彼女はこう言うのです。
「ごめんなさぁぁいっ! 全部嘘です! 私とアンセルムがノエラ様の悪評を広めていましたぁぁああっ!! ノエラ様は無罪なんですぅ! ごめんなさぁぁあいうわぁぁぁあああん!! ゆ゛る゛し゛て゛く゛た゛さ゛い゛ぃぃぃいいいっ!!」
私とエルヴェ殿下(人の姿)が遅れてタチアナ様の後を追い、エントランスまで戻っても尚、泣きじゃくる彼女の懺悔は止んでいなかった。
突然タチアナ様に裏切られ、共に罪を晒されたアンセルムは顔を真っ赤にしてタチアナ様を宥めたり、「自分は無罪だ」「何かの間違いだ」と言葉ばかりの弁明を繰り返しましたが、その傍ではタチアナ様が自分やアンセルムの悪行の過程を事細かに語っていたが為に、彼の言葉を信じるものはどこにもいませんでした。
こうして私は学園での平穏と信頼を取り戻したのでした。
***
すっかり騒ぎになってしまったエントランス。
そこに残るアンセルムとタチアナ様の姿は見るに堪えず、私は逃げるように帰宅を選びました。
エルヴェ殿下も付き添い、馬車の元へ向かいますが周囲には人気がゼロ。
学園中の方々がエントランスの騒ぎにつられているのでしょう。
「あの……ありがとうございました、殿下」
「構わないさ。約束しただろう?」
「それは、そうなのですが……その、タチアナ様に明かしてしまっても良かったのですか」
エルヴェ殿下の体質は機密事項だと聞かされていた私はおずおずと問います。
するとエルヴェ殿下は問題ないと笑いました。
「仮に今の彼女が「子犬の正体は王太子だった」と言ったところで誰も信じないだろう。そもそも、私を恐れて無駄な話をしない可能性もある。それに見栄も張らせてもらったからな。……あれが王族を苦しめる呪いだとは思わないだろう」
見栄。確かにそうだと私は思いました。
彼は自分が楽しむために魔法で子犬になっていたと言いましたが、実際は子犬になってしまう体質に悩まされているだけ。
正反対の言い訳でした。
その乖離がなんだかおかしくて、私はプッと吹き出します。
「おい」
「す、すみません。可愛らしい人だと思ってしまいまして、ふ、ふふっ」
「子犬の時と同じ扱いになっていないか? 不敬だぞ」
「も、申し訳……っ、ふふ」
「……仕方がない。不敬な侯爵令嬢には、罰として一ついう事を聞いてもらおうか」
エルヴェ殿下はそう言うと私の正面に回り込み、手を差し出しました。
「私と婚約してくれ」
「……へ?」
「婚約者との縁は切れただろう。ならば私と新たな縁を結んだとて、問題はないはずだ」
「それは……魔力の共鳴の為ですか」
「ああ」
わかり切っていた返答です。
彼は自身の体質に苦しんでいるからこそ、私を求めています。
分かっていたけれど、それでも私の気持ちは大きく沈みました。
私は、彼と過ごす時間がとても楽しいと感じていましたし、尊いものだと思っていましたから、同じ気持ちでないと知って悲しくなってしまったのです。
けれど、その時でした。
「だが、それだけではない」
「え?」
「貴女と過ごす何気ない時間が、気楽で、楽しくて、心地よいと感じていた。……例え呪いが消えようとも、この時間を手放すのはとても惜しいと思う」
整った容姿だからこそ、エルヴェ殿下のお顔立ちはどこか冷たく厳しい印象を受けやすい。
けれど今の彼は頬から耳の端まで真っ赤に染め――あどけなさを感じさせるような笑顔を浮かべておりました。
「だから、私と共に生きてくれ。これからも……呪いに悩まされなくなったとしても」
エルヴェ殿下のそのお言葉が、打算からくるものではないことは、そのお顔を見れば明らかでした。
本心から愛を伝えてくださる殿下のお言葉が嬉しくて、照れているそのお姿が愛おしくて、私は目が僅かに潤むのを感じながら笑みを咲かせました。
「――はい、喜んで」
エルヴェ殿下の手を取ります。
すると腕を引かれ――唇にそっとキスを落とされました。
夕日を背に私達は笑い合い、それから同じ馬車に乗って学園を去っていくのでした。
後に、タチアナ様はお家ごと潰え、社交界でお姿を見かけなくなりました。
アンセルムもまた、どこへ赴いても蔑まれ、社交界に居場所をなくし――最終的に廃嫡されて家を追い出されたと聞きました。
その後、お二人がどうなったのかはわかりません。他人である私には関係のないお話ですから。
今の私が気にすべき事は、小さく愛らしい体をどう愛でようかという事と――
――その後仕返しのように甘やかしてくるであろう愛しの婚約者様の愛情にどう耐えようかという事。
ただ、それだけなのです。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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それでは、またご縁がありましたらどこかで!




