第98話 敵陣(3)管制室
——快が管制室に現れる10分前
侵入者の様子を管制室内から監視カメラで見ていた局員達は、その侵入者が密室に閉じ込められたことに少しの安堵を覚えていた。
「室長…本当にいいんですか。相手は能力者とは言え子供ですよ。催眠ガスだけならまだしも、次の区画に水を張っておくなんて…」
「あぁ、俺も非人道的な事をやっているのは分かっている…だが、これも局長の指示だ。無力化する気で挑むのでは無く、殺す気で行けと……これで無力化できるならそれに越したことはないが、万が一を想定するのなら従う他ない」
「そんな…あの局長がそんな指示を…」
局長の指示だと伝えた途端に信じられないと言った表情をする女性局員に、室長と呼ばれた中年の男は侵入者の映るモニターから目を離さず、真剣な面持ちで情報を補足する。
「浅霧局長はその若さや普段の威厳のない軽い態度で勘違いされがちだが、必要に迫られれば冷酷な判断の出来るお人だぞ…そして、そういった命令を下す時の局長の判断はいつも間違っていない」
「…局長にそんな一面が…私、知りませんでした。浅霧局長はてっきりたまたま局長の座に就いただけの運のいい人かと。優秀な人だなんて全然…」
「まぁ、そういった認識になるのも無理はないだろう。あの人はサボるのが上手いというか、要領が良過ぎるからな。側から見れば普通にダラけてるようにしか見えん。俺もきっと自衛隊時代のあの人を見た事が無ければ、今頃こうして10以上も年下の上司の言う事なんて聞いて居なかったさ」
「局長の自衛隊時代に一体…」
「待て、話はここまでだ」
局長の過去が気になるのか、話を深掘りをしようとする女性局員。
だが、それを絶えずモニターを見続けて居た室長の男が緊迫したような声で遮る。
「おい、催眠ガスを入れてから何分経った」
「は、はい…さ、3分程です!」
「そうか、ならやはり今回も局長の判断は正しかったのかもな」
侵入者は未だ閉じ込められているのにも関わらず、深刻そうな表情をして呟く室長に、女性局員は首を傾げる。
「そ、そこまで心配する必要はないのでは?」
侵入者の身体能力が脅威的なのは、既にこれまでの侵入者を観察していて女性局員にも分かっていた。
この広い施設の最上階まで武装部隊を無力化しながら到達したことと、それ以上の進行を妨げる為に降下させた壁の中にとてつもない速度で走り滑り込んで見せたこと…いずれも通常の人間に、それも子供の体躯ではまず不可能なことだ。
しかし、今の侵入者は依然あの密室に閉じ込められている。加えて、催眠ガスまで入れられ、無力化はもはや時間の問題。
何なら女性局員にとっては、局長の指示といえど、突破された時を想定し次の空間に水を張るというのは少々やり過ぎだと感じているくらいだ。どれだけの破格の身体能力を有していようと、生物である以上、呼吸は生命維持には欠かせない。
故の疑問。
状況はこちらの優勢の筈なのに、何故そこまで室長が焦っているのか。
「心配する必要はない…か。お前には分からないか、あの異常性が」
「異常性…ですか?」
室長にヒントを貰いモニターを見るも…侵入者は絶えず頑強な壁を殴りつけているだけで、やはり最後の悪あがきにしか見えない。
「お前が考えていることは分かる。アレが最後の悪あがきにしか見えていないのだろう。だが、それは違う。奴は、何もダメ元で攻撃を繰り返してるんじゃない。破壊できるという確信を持ってあの行動に出ているんだ…」
「そんな訳ありません。あの壁は幾つもの耐久テストを乗り越えた特別性なんですよ。素手で壊せる訳ありま…え?!」
女性局員が室長の言葉に反論しようとするも、施設内の設備の状態を確認できるモニターを見て、言葉に詰まる。
「…気付いたか。壁の耐久値は奴が拳を振るう毎に着実に削れていっている」
「そ、そんな…さ、催眠ガス!いくら何でももう直ぐ催眠ガスの効果が出るはずです!」
「…既にガスを投入して5分は経過している」
「なら、なんで動いてるんですか…」
「…分からん。催眠ガスが効かない特殊体質なのか、はたまた催眠ガスが不良品だったか…………それとも単に息を止めているのか…」
「息を止めてるって5分以上もですか…それもアレだけ動きながらって…もうめちゃくちゃじゃないですか…」
「あぁ…めちゃくちゃだ」
2人の会話で、侵入者の進行を食い止め安堵していたのも束の間に、周りの局員達も不安に駆られ始める。
「…で、でも、あの壁を破ったところで大量の水が流入するだけです。なので、どっちにしたって無力化は時間の問題の筈ですよね?」
「…そうだと良いんだが」
『……』
局長の指示のお陰で既に次の手は打ててある。だが、あり得ない事を立て続けにやってのける侵入者に、得も言えぬ不安感が拭えず、管制室にいる局員達は固唾を飲んでモニターを見守る。
——ゴンッッ
——ゴンッッ
——ゴンッッ
そんな中、侵入者は機械のように無駄のない動きで拳を振い続ける。
そして、ついに…
『!?』
侵入者が腕を壁に貫通させる。
それに局員達は驚き目を見開くが、室長は想定通りとでも言うようにモニターを見続ける。
「…やはり破られたか。耐久値が削られている時点でこうなる事は分かっていたが…実際に見ても信じられんな。あの小さい体のどこにそんな力があるっていうんだ」
「私も信じられません…ですが、これもスキルの1つなのでしょうね。種類は…やはり身体強化の類でしょうか」
「あぁ…多分な」
室長は、女性局員の言葉を短く肯定し、つい口をついて出そうになる言葉をすかさず飲み込む。
もしかしたら身体強化の能力ではないかもしれない……なんて事を、散々脅威的な身体能力を発揮して見せた侵入者を見た後に局員達に言うのは不安を煽る行為に他ならない。
能管内では既に強大な組織である鬼灯の情報は一通り共有されている。
鬼の面をした能力者集団。これまでに接敵した者は2人のみだが、そのどちらも脅威的な戦闘能力を有していたという。
1人は、風の能力者。
そして、もう1人は鬼灯の首領だという脅威的な身体能力をもった子供。身体的な特徴からして、侵入者はこちらで間違いない。
未だ情報は少ないながらも、能管きっての能力者である森尾次長が負けたという事実から、能管内の鬼灯に対する警戒は最大レベルと言っていい。
だが、そんな事実がありながらも、未だに推定となっている情報がある。
それが、鬼灯の首領のスキルだ。
その首領の見せた能力は間違いなく身体強化の類…だが、森尾次長の「相手はまだまだ全力を出していないように見えた」…という証言から鬼灯首領のスキルを断定するのは未だに見送られている。
室長はこの事実を前に密かに思う。これで本当の能力を隠しているのだとしたら、そんなの誰が勝てるというのかと…。
「…ここからどうする気なのでしょうか」
壁に腕を貫通させて以降、微動だにしなくなった侵入者を見て不安そうな表情をする女性局員。
「分からん。だが、腕を貫通させた事で壁の外側に水がある事には既に気が付いているだろう」
「観念するでしょうか…」
「いや、この程度で観念するなら催眠ガスの時点で諦めていただろう。現に呼吸を止め続けているし、何かを企んでいるのは間違いない」
『……』
そうして、皆が緊張してモニターを見つめる中、侵入者は唐突に動き出す。
腕を引き抜き、そのまま水が流入するのにも構わず、直ぐ横のガスを噴射した壁のある場所を、殴りつけ始める。
「まさかっ!」
「…あぁ、まずい。あの野郎、はじめから手を抜いてやがったんだ」
「って事は……」
「あぁ、来るぞ。確実に…」
『?!?!』
室長の言葉により、ある程度の落ち着きを保っていた局員達はパニックになり始める。
——バコンッ
そして、それに拍車をかけるように、侵入者が通路の壁を簡単に破って見せた。
あの得体の知れない怪物がもう直ぐこの場にやってくる…その事実が、戦闘員ではない局員達から簡単に平静を奪う。
「皆、落ち着け!落ち着くんだ!気持ちは分かるが、冷静になってから避難を始めろ!それと、データのバックアップを取ったUSBは絶対に忘れるな!」
そんな中でも正気を保っていた室長は、自衛隊時代に災害派遣の現場で何度も見たようなその光景に、驚きながらも必死に落ち着かせようと声を掛ける。
だが、その効果は薄く、我先にとばかりに出口へと飛び出す者まで出てくる。
しかし、局員達がそうこうしている内にあっという間に、侵入者は管制室にまで迫る。
——ゴンッッ
『!?!?』
直ぐ近くの壁を殴る音に、半狂乱となっていた局員達は一瞬静まり返る。
『わぁぁぁ!!!』
そして、再び半狂乱となり出口へと走り始める。中には、驚愕で腰を抜かす者まで居る始末だ。
「クソっ」
そのどうしようもない惨状に室長は愚痴を吐くが…壁を破壊された時の事を想定して、何とか壁際にいる局員だけでも反対側へと避難誘導をする。
そして、遂に…
——ガッシャーンッ
「ふぅ、重要な場所だからか一際頑丈だったな……」
『……』
「……あ、お邪魔します」
登場して早々、そう軽い口調で挨拶をしながらも異様な存在感を放つ小さな体躯をした鬼に、その場に残っていた者は、圧倒され誰も声を発する事ができなかった。




