第86話 幕開け
「おーー、空中散歩とはまさにこの事だなー」
俺は、一定の群れを成して飛ぶクロウズの背に立ちながら悠々と景色を眺める。
「やっぱり空を飛ぶのは気持ちいいな。治癒のスキルは気に入っているし、不満もないんだがな。この部分だけはテンマが時折羨ましいと感じる」
高度1000メートル程の高さの位置を飛んでいる影響か、夏場だというのに暑さを感じない。寧ろ、速度による風もあるから涼しく感じる程だ。
やはり、クロウズを強化していて良かったな。通常のカラスならまずこんな無茶な飛行は出来ない。
「しかし、能管の奴等も随分と出世したもんだな。テレビでは観てたが、実際に見てみると迫力が段違いだ」
それなりの建物が立ち並ぶ中、一際異様な存在感を放つキューブ型の巨大施設。それは広大な敷地面積を有しており、その周囲は軍事施設をも彷彿とさせる堅牢そうな柵が備え付けられている。
「はっ、警備は万全ってか?」
快は、その迫力にも物怖じせず、いつものような好戦的な笑みを浮かべる。
たった数年でこれ程の施設を作れるものなのか、郊外とはいえ何故これ程の施設が政府が公表するまで何の話題にもなっていないのか…実際に目にしてみると、色々と腑に落ちない箇所はある。
だが、今はそんな事はどうでも良い。
今はとりあえず目下の作戦成功の為に、俺は侵入経路を探さなくてはならない。
「んー」
強化した視力をこれでもかと動員して、上空から侵入できそうな経路を探す。
いくら無機質な造りの施設とはいえ、関係者の出入りは少なからずあるはずだ。となれば、敷地内の人や車の流れを見れば自ずとその出入り口は見つかる。
「あそこだな…」
そうして、周囲を暫く観察を続けていると、ある箇所で人や車の姿がパタリと見えなくなる場所があるのを発見した。
「なるほど、流石は用心深いな。車にしろ人にしろ、会員証のような物を認識させなければ、施設内部には入れないのか」
道理で広大な敷地がある癖に、見かける車両が少ない訳だ。恐らく、重要度の高い人や物等の安全性を考慮して、施設内にそのまま駐車場やら何やらを備え付けているのだろう。
探せば他にも入り口はありそうなものだが、この用心深さならきっと他の場所でも会員証は必要だろう。それなら、何処を侵入経路にしたとしてもあまり変わらない。
「あそこで決まりだな。そもそも、どうせ施設内部の何処に何が保管されているかなんて俺には分からないしな。中にさえ侵入できれば後はどうでもいい」
元よりこの作戦は俺の治癒頼りの出たとこ勝負の要素が大きい。なら、作戦決行前に出入り口を目視確認出来たただけで、上々の出だしと言えるだろう。
「さて、俺の方は早々に準備も終わったし、後はテンマ達が事を起こすのを待つばかりなんだが……アイツらは上手くやってくれるのかね」
快は下に向けていた視線を上げて、テンマ達が事を起こすであろう方向を見つめる。
「ま、心配したところで今はあのバカ共を信じて待つしかないしな。その時まで、俺は引き続き空中散歩を楽しむとするか」
——とある都市近郊部
「この辺りでいいかなー?」
「あぁ、快の提示した条件にも当てはまるし良いと思うぞ」
「そっか!なら早速イエローに連絡しちゃうね!快ちゃんもそろそろ到着している頃だし……そうだな〜、5分後!余裕を持って僕たちも5分後に作戦開始ってことで良いかな!」
「あぁ…」
興奮した様子でスマホを操作するテンマに了承の返事をすると、銀次は緊張した面持ちで眼下に広がる街を見下ろす。
人、車、店…街を構成するそれらは日常を全うしようと忙しなく動いている。
それを自分達が5分後壊す。大層な理由がある訳でもなく、作戦を遂行する上で必要だから壊す。
そう思うと、自然と体が震える。
もちろん、直接的な危害を加えるつもりはない。だが、その余波は見えないところで確実にあるはずだ。
きっとこの後の戦闘で街には少なくない被害が出るだろう。そして、その被害は到底今日だけで収まる程軽微なものではないのだろう。当然、復旧にも時間は掛かるだろうし、復旧後も以前のままいく保証は無い。
今日で日常を壊される人間がいる。確実に。
分かっている。全てを承知の上でやるんだ。
銀次は、全身の震えを止めるように拳を力強く握り締める。
「ガゥゥ?」
「俺は大丈夫だ。ありがとな、クロ」
自分を心配するように身を寄せるクロに、銀次は優しく撫で付けて返す。
緊張か、恐怖か、不安か、興奮か…この期に及んで無意識にも自分でも判断のつかない感情を放ってしまっていたのかもしれない。
「弱いな」
自身に言い聞かせるように呟く。
どんなに下らない目的であっても、どんなに危険な作戦であっても、どれだけの人を犠牲にしたとしても…快とテンマに着いていくと自分は既に心に決めている。
被害を出すのを直前に少し動揺はした。
だが、決して覚悟が揺らいだ訳ではない。
「テンマ、あとどれくらいだ?」
「ふふっ、銀ちゃんも待ちきれないんだね!」
「あ、あぁ…」
内心、少しでも緊張を共有しようと時間を聞くも、テンマには緊張等まるで感じさせない満面の笑みで返される。
そして、そんな戸惑う銀次を他所に、テンマはそそくさとスマホで時間を確認する。
「ん〜あとね…1分くらいかな!もう少しだ!あはは、楽しみだね!!銀ちゃん、クロ!頑張ろうね!」
「そうだな」
「ガゥゥ!」
「うんうん、やる気十分だね!良かった良かった!でも、あんまり心配しなくても大丈夫だからね!いざとなったら僕が守ってあげるから!」
作戦直前になって急に頼もしい言葉を吐くテンマ。
「あぁ、ありがとな」
「ガゥ」
だが、つい先日、殺されかけたばかりの銀次とクロは、そのテンマの話に頷きつつも、話半分に聞いておく事にした。
そして、被害者達は分かりあうように互いに顔を見合わせる。
「巻き込まれる事だけはないようにしような。クロ」
「ガウ」
テンマはそれにも気が付かずに眼下にある街を見下ろし、今か今かと作戦の開始を嬉々として待つ。
「さーて、30秒前だよ!!2人もそろそろお面をつけようか!!」
テンマの言葉で、銀次は腰元にポーションと共に下げてある鬼の面を手に取る。
身バレを防ぐために、テンマのワガママを元に快が作ったという特注の鬼面。シンプルな作りでありながらその機能性は抜群で、強度の方も快の骨が混ざっていてゾウが踏んでも壊れない程だとか。
「ふふっ、いいね!2人共似合ってるよ!クロは……まぁ、面の機能は果たしてないけど、頭に付けると可愛いからね。うん、似合ってる!なんだかチームって感じ!」
「チーム…チームか」
テンマからなんとなく発されたその言葉で、銀次は不思議と力が漲るような気がした。
「…10秒前!ふふっ!遂にだね!」
「あぁ。で、テンマ…どうやって作戦を始めるつもりなんだ??」
「あ」
露骨に呆けた声を出すテンマに銀次は焦りを露わにする。
「おい、まさかこの土壇場でノープランって事はないよな!?指揮権は全部僕に任せてって快に直談判してたよな?!大丈夫だよな?ちゃんと考えてあるんだよな?!」
「も、もももちろん!任せて!!!って、あと3秒?!?!」
テンマは銀次以上にあたふたとしながら、3秒という短い時間で作戦の始め方を考える。
そして…
「よし!プラン完成!…と同時に突撃だよ!!」
——ポーイッ
『?!?!』
ビルの屋上からテンマの手によって急に空高く投げ出される銀次とクロ。
「テンマ?!」
「ガゥゥウ?!」
強い風を感じながら急上昇を続ける銀次とクロは、困惑の顔をしてテンマの方向を見る。
しかし、テンマは既にその場にはいなく、自分達と同じ空中へと飛び立っていた。
「ふふっ!!やっぱり登場は派手に行かないとね!ちょうど良い舞台もあることだし!」
すぐ背後から聞こえてくるテンマの声。
いつの間に?と驚くが、今の銀次にそれを追求する余裕はない。
このままではいくら強化した肉体といえど、着地の際に怪我を負ってしまう。いや、まだポーションを使うだけで済むなら良い。だが、このままでは下手すればそのポーションすら割れてしまう。
「テンマ!着地は?!」
「大丈夫!任せて!」
銀次の切迫した声にも、テンマは余裕のある声色で返す。
そして、銀次とクロが急上昇から急降下を始めた頃。
テンマは、1人宙を蹴り銀次とクロを追い越して、猛スピードで地面へと向かい始める。
そして、テンマが地面へ直撃する瞬間。
「風系統術『羽風はかぜ』」
何かを口ずさんだと思ったら、強烈な風の塊が地面へと放たれた。
「これは…」
「ガゥゥ…」
その衝撃波で急降下していた銀次とクロの落下速度は、まさしく鳥が翼で減速するように緩やかになる。
「ふふっ、決まった…」
「それを言わなかったら決まってたと思うぞ」
「ガウ」
着地して尚、何処ぞのスーパーヒーローの着地体勢を維持したたまでいるテンマに、銀次とクロは呆れた視線を送る。
「銀ちゃん、少し黙ってて。もう少しで砂塵晴れるから…やっぱり、登場はカッコよくないとでしょ。…何なら銀ちゃん達も一緒に…」
「やらない」
「…そう…あ、晴れてきた晴れてきた!」
周囲にいる人々の反応を心待ちにするテンマ。
しかし…
『な、なんでクマがこんな所に…?!』
『おい、あの黒い毛並みってヒグマじゃねーか?!』
『ってか、今空から降ってこなかったか?!』
いざ砂塵が晴れてみると、周囲の人々の関心は、全てクロへと向けられていた。
「ガ、ガウゥ……」
「…テンマ、立ち上がるなら多分今のタイミングだぞ。それと、注目を集めやすい交差点のど真ん中に降りたのはいい案だったと思うぞ」
「………うん」
図らずして注目を集めてしまい申し訳なさそうにするクロと慰めの言葉を掛けてくる銀次にやるせなくなったのか、テンマは特に反抗することなくスッと立ち上がる。
「…よ、よし。プラン通りかっこよく登場も済ませたことだし、早速ひと暴れするとしますか…くらえ、風系統術『弾』」
——ガシャンッ
『?!?!』
唐突に撃ち落とされる信号機に場内は一瞬静まり返る。
『え、今…あの人がやったのか?』
『た、多分…くらえって言ってたし』
『そ、それって…の、能力者って事か?』
民間人への危害を最小限にするためにと配慮して放った攻撃であったが、その配慮が仇となったのか…未だ向けられるのは困惑と好奇の視線ばかりで恐怖はない。
中には、スマホで撮影しだす者まで居る始末だ。
「テ、テンマ…嫌な予感がするから念の為言っておくが程々にな」
「ガゥゥガゥゥ」
「ふふっ。やだな、銀ちゃんもクロも。そんな心配そうな顔しなくたって大丈夫だよ。僕だってあの一件で加減を覚えたんだから」
明らかに引き攣っている笑顔でそう言うテンマに、銀次とクロは黙祷するように静かに下を向いた。
「風系統術『鬼雨百刃』」
そして、容赦なく降り始める刃の雨。
それは、その場にある信号だけでなく、周囲にある車をも切り刻んだ。
「こ、これが加減だと?」
「うん、よく見てみなよ!車から煙とかは出てるけど、人にまで攻撃は届いてないよ!」
「そ、そんなば…!?」
銀次はそんなわけ無いと周囲を確認してみる…だが、確かに車に乗っている人はもちろん、歩行者の誰1人として攻撃の被害を受けた様子の者はいなかった。
『………』
ただ、人々は突然の出来事に驚愕のあまり放心するようにその場に固まる。
そして、テンマはこのタイミングで密かに交差点の脇に控えているイエローとアイコンタクトを交わす。
——コクッ
テンマの合図に気付いたイエローは、すかさず大きく息を吸い込む。そして、大衆の恐怖感と不安感を煽るように、声高々に叫び散らかす。
「の、ののぉりょくしゃだぁーー!!!の、のぉー力者が暴れてるぞぉぉおーーーーーーー!!!!」
『うわぁぁぁぁぁぉぁぁぁあ』




