第78話 懐疑
「いーなー!」
「…」
「いーなーいーなー!」
「…」
「いーなー!快くんいいなー!」
「……なぁ、メガネ女児」
俺に急に呼ばれたメガネ女児は、隣の席でピクっと肩を震わせる。
「な、何かな」
「俺も結構我慢したことだし、そろそろこの騒がしい鶏を締めても許される頃合いだと思うんだが、客観的に見てどう思う」
「さ、流石に締めるのはダメじゃないかな…」
「そうか、それは残念だな………なら一発殴るのはどうだ?」
「いや、殴るのもちょっと…グーは流石にね…」
「パーならいいと?」
「ダ、ダメだよ!せめて……デ、デコピン?……い、いや、やっぱりダメ!どんな理由があっても暴力はダメだよ!」
「ならコイツの発言による精神攻撃はいいのか?」
「……」
おいそこで黙るな、幼馴染兼世話係。
俺が目下イライラしている理由は、もちろん鶏にある。
というのも、コイツはここ最近、休み時間の度に、いや、暇な時間が少しでもあれば、俺に向かって先程のような質問でもなんでもない喧しいだけの言葉を投げかけてくるのだ。
そして、更にたちが悪いのは、この迷惑行為自体に鶏自身に全く悪気がないことだろう。加えて、毎度の事ながら別に俺が反応しようがしまいがお構いなしなのも厄介な要因だ。
その為、いくら黙れと言っても効果がない。完全なる暖簾に腕押し状態なのだ。
事の発端は、なんてことはない。
鶏が…つい先日行われた運動会で、父さん監修のもと応援に来ていた母さんの状態を見て、俺に近々兄弟が出来ることを知った。それだけだ。
問題は…一人っ子である鶏が、俺に兄弟が出来るという事実をめちゃくちゃに羨ましがっていることだ。
そこで冒頭での「いーなー!」という無意識口撃へと至るわけだ。
だが、流石にこれ以上は我慢できない。煩いのはいつものことだし仕方ない。しかし、こうも同じ単語ばかりを飽きもせず繰り返されるのは、流石に堪えるものがある。
きっと、俺に治癒能力がなければ、確実にノイローゼになっていただろう。
「おい、鶏。お前が俺を羨む気持ちはもう十分分かったから、その同じ単語を無闇矢鱈に呟くのをやめてくれ。それは、もはや呪文の域だ」
「分かった!!んーー、じゃあそうだ!快くん、赤ちゃんってどうやったら出来るの??」
「おい、呟くのは辞めてくれとは言ったが、別に他の話題を出してくれとも頼んでないぞ」
「え、そうなの!でも、気になるから教えてよ!赤ちゃんってどうやったら出来るの!」
なんだ、コイツ。もしや、親に作ってくれとでも頼むつもりか?まぁ、どっちにしたっていいか。面倒ごとはパスするに限る。
「だってよ、聞かれてるぞ…幼馴染兼世話係。保健体育の授業すら碌に聞かないこのバカに子供の作り方を教えてやれよ」
「は、へ、わ、私?!…え、あ、赤ちゃ…ん?!つ、つつつくり方!?」
俺の華麗なるパスをメガネ女児は、湯気が出そうなほど顔を赤面させ狼狽える。コイツ、さては大分むっつりだな。
しかし、あたふたとしながらもメガネ女児は、なんとか最適解を導き出す。
「お、お母さんに聞いてみたらいいんじゃないかな…そ、それか、先生とか…」
「えー、ママと先生にはもう聞いたよ!でも、聞いてもよく分からなかったの!」
既に質問済みとは、そしてそれでも分からないとは…さすが鶏だな。俺やメガネ女児の予想を軽く上回るバカさ加減だ。
「な、なんて言ってたの?お母さんとか先生は…」
なるほど、自分の口からでなく、鶏自身に言わせるのか。メガネ女児も頭を使ったな。上手い切り返しだ。
メガネ女児の逆質問に、鶏はんーと唸るようにして上を見上げて説明された内容を思い返す。
「んーとねー、ママはパパと仲良くしてればその内勝手にできるって言ってた!それで先生は、こうはい?すれば出来るって言ってた!!」
なるほど。まさかの問題は鶏ではなく、そっちにあったか。2人とも気まずさから見事に教育の義務を怠ったな。
母親の仲良くしていればってのは論外として、教師の方は間違ってはないが、完全に鶏に伝わらないと分かっていて言った確信犯だろ。交配の意味が分かる奴なら、そもそもこんなバカな質問はしない。
あー、ダメだ。メガネ女児も流石にこの事態はお手上げなのか、ついに水に浸した電化製品のように煙を出してショートしてしまった。
ってことは、つまり…
「ね、よく分からないの!だから教えて!もしかして、快くんでも分からないの??」
やっぱりだ…せっかく面倒ごとをメガネ女児へパスしたのに、そっちが使い物にならなくなったからと、自動的に回答権が返ってきやがった。
ま、こうなったら仕方ない。望んでいない回答権は場外へと蹴っ飛ばしてご退場願おう。
「いや、当然知っている。ただ、バカに教えるのが難しいだけだ」
「あたし、バカじゃないもん!だから説明してくれたら分かるよ!」
「いや、バカだから分からないな。現に、親と教師の説明でも理解できなかったじゃないか。ってことは、バカってことだろ」
「あたしバカじゃないもん!なんでイジワルするの!」
「これは意地悪じゃない、単に事実を述べているだけだ。そもそも何で人に聞くばかりで、自分で調べようとしないんだ?その思考回路がもうバカそのものなんだよ」
「あたしバカじゃないもん…自分で調べられるもん」
「ほー、そうか。なら早速調べに行ってこい。ほら、早くしないと休み時間が終わってしまうぞ?それとも、バカには図書室の場所まで教えてやらないといけないのか?」
「むぅ!バカじゃないから、図書室の場所くらい分かるもん!帰ってきたら、ちゃんと快くんに赤ちゃんの作り方教えてあげるから、もうバカって言うのやめてね!!」
「はいはい、何でもいいから早く行ってこい」
「うん、行ってきます!!」
そう律儀に手を上げて、ドタバタと音を立てて教室を後にする鶏。
はじめに散々バカと言われたのに、既にそのことを忘れて楽しそうに出て行った。やはりバカだ。てか、バカは嫌なのに鶏はいいのか。相変わらず思考が読めないな。
まぁ、とはいえ、これで静かな休み時間を取り戻した。
「あ…あれ?!あーちゃんは?」
ようやくショート状態から回復したメガネ女児。
「アイツなら子供の作り方を調べに図書室に行ったぞ」
「え、なんでそんなことになってるの」
「いや、なに…分からない事は自分で調べなきゃ、いつまで経っても賢くなれないぞと優しく諭してやっただけだ」
「あー、うん。優しくね…なんとなく想像で補完出来たよ。あーちゃん、大丈夫かな。今頃、泣いてないといいけど」
コイツ… 俺の発言をまるで参考にしてないな。優しくと言っているのに一体どんな想像しやがった。
「心配なら追いかければいいだろ。俺もその方が静かになって好都合だ」
「ううん、それは大丈夫。あーちゃん、すぐ泣くけど立ち直るのも凄く早いから」
何だその厄介過ぎる性格。
「でも良かった、その様子だと本当に泣かせてないんだね!」
俺の反応から、そう心から安堵したように笑うメガネ女児。
コイツ、俺に対する信用ゼロだな。まぁ、泣かせた前科を思えば、それも仕方ないが。
正確な鶏の状況把握が終わりほっとしたのか、今度は鶏の代わりと言わんばかりにメガネ女児が話題を振ってくる。
「……私もいいなーって思うよ。弟か妹が出来るって」
「なんだ、お前まで。鶏じゃあるまいし」
「いやいや、あーちゃんの勢いが凄くて聞けなかったけど、私だって凄く気になってたんだよ!私は、上はいるけど下はいないから」
「そうは言うが、まだ生まれてもないんだから、俺に話せることなんて何もないぞ。俺は、性別すら知らないくらいだしな」
「え、そうなんだ。もう分かる時期ではあるんだよね?」
「あぁ、だが母曰く、生まれてからのお楽しみなんだとさ」
実のところを言うと、父さんも…そして、母さんですら、性別を知らなかったりする。定期検診でも、問題がないかだけ教えてもらっているのだとか。
まぁ、俺は母さんに治癒を使う過程で、マナで探ることも可能なのだが…それをするのは流石に野暮というものだろう。ってなわけで、俺が性別を知らないのも本当だ。
「そうなんだ〜!でも、確かにそれだと楽しみが増えていいかもね!快くんはどっちがいいとかあるの?」
「特にない。選べるもんでもないしな」
俺にとっては男が産まれてこようが、女が産まれてこようが関係ない。どっちにしたって俺の家族であり、庇護対象なのは変わらないからな。当然、性別による情の差も皆無だ。
「そっかー。まぁ、確かに私が快くんの立場でも、どっちでもいいかも。だって、男の子でも女の子でも、絶対に可愛いもん!」
「まぁ、それはそうだろうな。遺伝子の質が優秀なのは、長男である俺で既に証明されてる。こと容姿に限っては、美男もしくは美女なのは確定事項だろう」
「私…そういう意味で言ったんじゃないよ…でも、なんだろう。否定出来ないのがすごく釈然としないよ」
そう言い、俺の言葉に複雑そうな顔をするメガネ女児。
そんな顔をされても、事実なんだから仕方ないだろう。
「まぁ、でも…快くんがお兄ちゃんになるっていうのは、すごくしっくり来るよ。何でも出来るし、きっといっぱい頼りにされちゃうだろうね!」
「しっくりね…」
俺はメガネ女児から発された言葉を、ゆっくりと咀嚼するようにして繰り返す。
メガネ女児は…いや、うちの両親や鬼灯の奴等も同じようなことを言っていたが、皆の評価に反して、俺にはまだ兄というものがよく分からない。無論、自覚もない。
弟もしくは妹。その存在を守るというのは、母さんとの約束もあるし当然だ。
しかし、その存在に対して今ある大事な者達と同等の…愛情と呼べるものを注げるのかというと、俺自身どうも懐疑的だ。
というのも、俺は言わずもがな子供との相性がすこぶる悪い。
基本的に合理的な判断の下で動く俺と、鶏やテンマのように理知外の動きをする動物。相性が良いわけがない。
赤子なんてのはその最たる例だろう。どこで何をするのか全く想像できない。
まぁ、テンマのように扱ってもいいのならば、こんな心配も要らないのだが…相手が血を分けた家族であり、守るべき対象ともなれば、同じ接し方とは行かないだろう。
「はぁ…」
近々、確実に自分の前に現れるだろうその存在に思いを馳せると、無意識にため息が出る。
決して、疎ましく思っている訳ではない。楽しみという感情が全くないわけでもない。
しかし、どうも周りの俺に対する評価と、俺が自身にする評価が、食い違っているような気がしてならない。
俺が…良い兄になる?
そして、それがしっくりくる?
本当か?
「新しい家族、増えるの楽しみだね、快くん!」
「あー、そうだな」
隣で部外者なのに俺以上に舞い上がるメガネ女児に、俺は力無く返事をする。
「ふふっ、にしても快くんがもう少しでお兄ちゃんか。快くんなら大丈夫だと思うけど、そっちの方も頑張ってね!」
「まぁ、程々にな」
俺はメガネ女児の言葉に適当に返しながら、再度まだ見ぬ兄弟へと思いを馳せる。
兄…それは、やはり何度聞いても、何度改めて考えてみても、俺には不適格な称号だと思う。
だが俺は、いつの日かこの称号がしっくり来るものとなって欲しいと…心の内では、確かにそう思っている。
だから、まだ見ぬ弟か妹よ。
何の心配もする必要はない、安心して生まれてこい。きっと、お前の兄は頼りになる存在となってくれる。
でも、出来れば思慮深い子として生まれてこい。




