第76話 護衛動物
5月中旬。
護衛動物を見繕う期限として設定していた母さんの出産予定日まで残り2ヶ月を切り、いよいよ本格的に妥協することを視野に入れなければならない今日日。
俺は1人、未だ未捜索エリアとなっている野山へと僅かな望みをかけて、護衛動物の捜索へと来ていた。
——タッ
「……」
木々を足場に野山を飛び回り、上から地面を見下ろすようにして、動物の痕跡や姿を見逃さないよう注意深く辺りを観察する。
地面に足をつけないのは、これまでの失敗を振り返り、なるべく音や匂い等の警戒心を刺激しそうな情報を動物達に与えないようにと考えた結果だ。
行動を見直した影響か、幸いにも今日の野生動物との遭遇率は高い。
しかし、今のところその中にまだ目ぼしい動物は見つけられていない。
「うさぎ…ね」
視界の端に動くモノを捉え、そこに目をやると居たのはうさぎの群れ。
音を敏感に察知し、素早く走れるように進化した足の筋肉。音だけに限らず、嗅覚も敏感で危険を察知しやすく、生存本能に優れている。鋭利な爪や牙はないにしても、ジャンプ力やキック力に優れ、俺の強化術があれば立派な戦闘員に成長する見込みは十分にあるだろう。
おまけに見た目もキモくなく、周囲の人々から注目されても悪目立ちもしない。加えて、敵には初見では警戒もされにくいし、それを逆手に取れば奇襲攻撃を仕掛けることも可能だ。
総評としては、まぁはじめに考えていた条件であったなら、及第点といったところだろう。多少の焦りがある今なら、採用しても良いくらいだ。
採用しても良いくらい…本当の本当に採用しても良いくらいなのだが、ここで毎回ある一つの余計な考えが脳裏をよぎる。
『でも、ヒグマより弱いな…』
本当にあのバカは厄介な事をしでかしてくれた。お陰で、今日どれだけの動物を見逃したことか。
ペット枠兼戦闘員とペット兼護衛を主な任務とする動物。目的が異なる分、比較する必要がないのは、俺も十分理解している。
しかし、否が応でも比べてしまう。
そして、考えてしまうのだ。
テンマは結果オーライとは言え、有能な動物を発見したのに対し、俺は時間がなかったからと、家族の護衛という重要なポストに、可もなく不可もなくの妥協した動物を就かせるのか?…と。
——バキッ
無意識に力が入っていたのか、手をついていた木の幹を指の握力で抉って穴を開けてしまう。
「…ふぅ、落ち着け。今イライラしても仕方ない。怒るだけ無駄だ。何のために一緒に行きたいと駄々を捏ねるテンマを置いて、1人で来たのか思い出せ」
俺は、息を吐いて平静を取り戻し、キツく握りしめる拳を緩め、再び息を潜め気配を消すように努める。
冷静になって考えてみれば、ここで殺気を放って、動物達を刺激する方が馬鹿らしい。
それに、ここでうさぎを見逃して、本当に存在するのかもわからないスキルを所持する動物を探し始めたとしても、全体的に見れば大した痛手にはならない。
まだ捜索を始めて1時間程度。帰る時間を考慮したとしても、まだまだ制限時間は残っている。それなら、タイムリミットまでに納得する動物を見つけるまで粘れば良い。ただ、それだけのことだ。
それに、これまでの見逃してきた動物達も考え方を変えれば、決してマイナスにはならない。場合によっては次善策となりえる。
この辺りには、うさぎを含む野生動物が数多く生息する…この事実を把握できたのだから、後々いくらでも捕獲しにくることもできる。
よし、思考を巡らせることでだいぶ落ち着いてきた。これなら近づき過ぎない限り、動物を刺激することはないはずだ。
「…せっかくだ。もう少し高い所から探してみるか」
幸い、遮蔽物に隠れてさえいなければ、俺の視力で十分に動く物体くらいは捕捉できる。移動しながらの捜索もそれなりに試したところだし、ここらで方法を変えてみるのも一つの策だろう。
今後の動きを決めた俺は、うさぎの群れの居た地点から少し場所を移動して、さっきよりも高い位置で観測を始める。
そうして、何度か観測地点をズラしての捜索を続けた結果。
俺はようやくうさぎの群れ以来の動物を発見することが出来た。そして、それは幸いにもこれまでに遭遇したことのない動物だった。
「おー、あれはアライグマ?…いや、尻尾にシマ模様がないし、群れをなしているからタヌキか」
ネットでサラッと蓄えた動物知識だが、俺の記憶能力は本物だし、間違いではないだろう。
まぁ、本物を見たのは初めてなんだがな。
だが、正直なところ、護衛に相応しい能力さえ持っていれば、それがタヌキであろうが、アライグマであろうがどっちでも良い。
俺は、もう少し近くで観察してみようと、木々を足場に近付いていく。すると、どうにもタヌキ達の様子がおかしい事に気がつく。
「…ん、なんだあれは。いじめか?」
群れの総数は全部で10匹程度とそう多くはない。まだ子供のタヌキもいるようで、大きさにはそれぞれ個体差がある。
しかし、どういう訳か群れがある程度のまとまりを作っているのに対し、その場所から10メートル程離れたところに、あからさまに仲間外れのような扱いを受けている個体がいる。
はじめは、移動のスピードについて行けず、単に出遅れているだけなのかとも思ったが、特に集団の移動するペースが速いわけでもない。
なら、他の原因でもあるのかと、その後もしばらく観察を続けてみたが、特にそれらしい理由は見られなかった。
怪我をしているわけでも無ければ、生まれつき特別見た目が異なっていて、その姿の違いから仲間外れにされたという訳でも無さそうだ。
まぁ、タヌキの観点でおかしいと言われてしまえば、俺にこれ以上言えることはなく、話はそこまでなのだが。
しかし、少なくとも俺の視力では他の個体と差異はないように見える。となれば、視力に劣るタヌキがそれを理由に仲間外れをしているとは、やはり考えにくいだろう。
なら、実はタヌキの群れに寄生したアライグマだったり?…というどっかの絵本にありそうな設定の可能性を考えてみたりもしたが、しっかりとタヌキの特徴を押さえた姿をしているし、その線も薄い。
自分でもどうしてこんなに気になっているのかは分からない。しかし、何故だかこのまま放っておけない。
仲間外れにされている個体は、まだ大人になりきっていないような小さな個体のように見える。ということは、流石の野生界といえど、まだまだ庇護が必要な時期なのではないだろうか。
少なくとも集団を見る限り、同じような大きさの個体は群れの中でも大きな個体と連れ添うように動いている。
「しゃーない。見て理由がわからないなら接触してみるしかないか」
俺は、原因を探ろうとまずは仲間外れになっているタヌキの方ではなく、集団を形成しているタヌキ達の方へと狙いを定める。
そして、俺は木の側面を蹴ってタヌキ達の進行方向の妨げになるような位置に態々大きな音を立てて着地する。
——ズシッ!
『ッ!?』
突然、頭上から降ってきた俺にビクッと体を震わせるタヌキ達。
そして…
『………』
横たわってピクリとも動かなくなった。
「おー、これが本場のタヌキ寝入りというやつか。確かにこれは本当に死んでいるみたいだな」
しかし、耳を澄ませば微かに呼吸音は聞こえるし、通説の通り、びっくりした時に反射で起こる仮死状態なのだろう。
よし、ここまでは想定通り。
さて、本番はここからだ。
逸れタヌキと俺との距離は約10メートルはあった。それなら、あの個体だけは気絶するまでには至ってはいないだろう。
俺は、気絶するタヌキの集団から、先程まで群れの後方に追従するようについてきていた逸れタヌキの方へと視線を向ける。
するとそこには、逃げるどころか俺の方へと物怖じもせずに向かってくる姿があった。
「へーー、自分は仲間外れにされているくせに、ピンチには助けに入るのか」
俺は、感心するようにそのタヌキの動きを静かに見守る。
タヌキは元来、臆病な動物だ。反射で気絶してしまうのがその証拠とも言えよう。
しかし、その習性を無視し、あまつさえ自分を蔑ろにした仲間を守る為に、俺に向かってくるとは…まだ、子供だろうに大したものだ。
「ヴゥー!」
俺がその場で動かずにいると、そのタヌキは俺と気絶する集団の間に入り、威嚇するように唸りながら牙を見せる。
「そんな奴等を庇って何になるんだ?」
「ヴゥーー!!」
俺の言葉にもその個体は、庇う姿勢を崩さない。それどころか、俺を集団から遠ざけようと更に唸り声を荒げ始める。
『…?!…!』
そんな時、今まで気絶していたはずのタヌキ達に動きが見られた。どうやら、何匹かのタヌキが意識を取り戻したらしい。
そのタヌキ達のその後の行動は早かった。
『!!』
なんと、俺と相対している個体には目もくれず、今だ今だと言わんばかりにその個体1匹を置いて、一斉に逃げ出してしまったのだ。
中には、まだ目覚めていない小さな個体もいたが、それらは咥えて連れて行ったことから、やはりこの個体だけは奮闘虚しくも仲間と見做されて居なかったのだろう。
「ユーン…」
俺と対峙するタヌキは、その仲間達の背中を一瞥し、悲しげな声で鳴く。
しかし、このまま脅威となり得る俺を野放しにするわけにもいかないと考えたのか、そのタヌキは集団を追いかける事もしなかった。
「ヴゥ…」
それでも見捨てられた事は悲しいのか、俺に対する威嚇の声もどこか覇気がないように聞こえる。
「自分を蔑ろにした挙句、ピンチの時には迷わず見捨てる奴らを庇ってその場に残るなんて。お前も、随分と甘い…というか律義な奴だな。そういう奴らは総じて損をするんだぞ?」
「……」
終始これといった手を出さずに、ことの成り行きを見終わった俺が、そうタヌキに目線を合わせるように屈んで話しかけると、そのタヌキは少し警戒心を露わにした後、敵意がないことを察したのかジッと俺の方を見る。
——グシャッ
俺は、もしかしたら動物の餌になるかもと持参していたリンゴを背負っていたリュックから取り出すと、その場で握り潰してそのタヌキに差し出してみる。
すると、ペロペロと舐めた後、ムシャムシャと無防備にも食べ始めた。
まぁ、あんな集団の中にいたんだ。もしかしたら、餌も満足に食べられなかったのかもしれないな。
「結局、お前が何で仲間外れにされていたかは分からずじまいだったな。もしかして、なんか病気でも持ってるのか?」
それで避けられているのか?と、りんごを右手であげる傍ら、空いている左手でタヌキへと治癒を施しみる。イメージとしては、心身共に満遍なく癒す感じだ。
すると、そのタヌキは気持ちよさそうに目を細めながら、俺の手へ頬を擦り付ける。
「んー、特に何か変わったようには見えないが…精神的に病んでたのか?」
「ユーン」
「いや、ユーンって言われてもな。てか、さっきも思ったが、タヌキってそんな声で鳴くのな。イヌ科だから勝手にワンだと思ってたわ」
「ユーン!」
「あー、はいはい。どういたしまして、どういたしまして」
どうやら、思いつきで餌をあげたら懐かれてしまったらしい。タヌキは俺の体へと露骨に身を寄せる。
さて、これはまたどうしたものか。好奇心から色々と策を弄してみたが、仲間に見捨てられたところを目撃してしまった手前、この感じどうにも見捨てにくい。
そして、これまた面倒な事にやけに懐かれてるときてる。もしかしたらコイツは、俺が考えている以上に愛情に飢えていたのかもしれない。
幸い、コイツに護衛の適性は十分にある。
気概といい、義理堅さといい、ポテンシャルといい、犬猫ほどメジャーではないマイノリティ性といい。きっと鍛えれば、頼れる護衛動物へと進化してくれるだろう。
スキルを持った動物。その個性は今でも魅力的だ。しかし、今後コイツ程優れた候補は探してもなかなか見つけられないのも、また事実だろう。
もういっそ、コイツでいいか。うん、いいや。能力重視だけど、人柄も大事だしって事で採用しようか。
正直なところ、もうこれにばかり時間を取られるのも面倒臭いしな。スキルを持った動物は、そのうち縁があれば、手に入るだろう。それか、コイツに後々手に入ったスキルオーブを与えれば、万事解決だろう。うん、よし、解決解決。それを長期目標にしていこう。
「で、お前どうする?俺の脳内では勝手にもう護衛動物に任命しちゃってるんだけど…」
「ユーン」
俺を見上げて、首を傾げるタヌキ。
うん。これは、分かってないな。
「俺と一緒に来るか?」
俺は身振り手振りでなんとか意思を伝える。
すると…
「ユーン!!!」
どうやら俺の意思が伝わったのか、タヌキはバタバタと楽しげに俺の周りを走り始める。
「それは一緒に来るって事でいいのか?」
確認のつもりで試しに手を広げてみると、タヌキは走る勢いそのままに俺の胸元へ飛び込んでくる。
「おっと…」
油断していたところに来た予想外の衝撃に地面に座るように軽く尻餅をつく。
「どうやら了承は得られたみたいだな」
「ユーン!」
俺の言葉に分かりやすく頷くタヌキ。
「ん?」
しかし、了承を得たのも束の間。
突如、俺の手元から離れて、タヌキは俺と向かい合うように立つ。
「今度はなんだ」
「ユーン」
見てて…とも、言わんばかりにまっすぐに向けられる眼差し。
俺はそれに反応することなく、ただただ様子を見守る。
——スッ
突然、俺の視界から姿を消すタヌキ。
俺はそれに驚きのあまり目を見開く。
「おいおい…まじか。これはちょっと流石に想定外だ」
——スッ
俺がそう呟くと、タヌキは再び地面から生えるように姿を表す。
「なるほど…影を媒介にしているのか」
地面の中へ姿を隠しているのではなく、地面に映る自身の影へと姿を隠していたのか。これはまた護衛向きな能力で。
そして、俺はここで同時に何故このタヌキがこれまで仲間外れになっていたのかを理解した。
なんとなく背景も想像できる。恐らく、自分の意思ではなく、偶然スキルオーブを壊してしまったのだろう。そして、そのスキルを仲間の前でうっかり発動してしまった。きっとこんなところだろう。
それがどんな結果をもたらしたのかは、今更言うまでもない。
タヌキは臆病な生き物。得体の知れない能力を持つ個体にどういった感情を持つのかは想像に難くない。きっと、あの迫害は虐げようとして発生したものではなく、畏れから来るものだったのだろう。
そして、今。
コイツが迫害を受けるようになった根元でもあるその能力を、俺の前でわざわざ見せる意味とは…。
示すところは簡単だ。
俺は試されているのだ。この得体の知れない、不気味な力を持っている自分でも受け入れてくれるのかどうかというのを。当然、見限られる可能性も承知で。
「ふっ」
俺は自分でも不気味なほど、自然に口角が上がったのを感じた。
タヌキは、俺の反応を窺うように未だにじっと佇んでいる。
俺はそれに、大歓迎と言わんばかりに再度手を広げてみせる。
「俺と一緒に来い。タヌキ」
「ユーーーン!!!!」
タヌキは俺の胸元にまたしてもすごい勢いで飛び込んでくる。
受け入れられたのがよほど嬉しいのか、タヌキはスリスリと俺の体に身を擦りつける。
「んー、にしても、流石にいつまでもタヌキって呼ぶのは流石にまずいよな。これからは仲間?いや、家族の護衛だから家族になるのか?まぁ、そこはどっちでもいいか…差し当たってお前に必要なのは、取り敢えずは名前だな」
「ユーン??」
何言ってんの?みたいな顔で俺を見上げるタヌキ。やっぱり、まだ言葉の殆どは理解できないみたいだな。まぁ、それは強化でなんともなるからいいとして…。
やっぱり必要だよな、名前は。俺としても、持ち帰る前にはなんとか名付けたいところだ。でなきゃ、きっとまた大したセンスも無いくせにテンマが名前をつけたいと駄々を捏ねる。それはなんとしても避けたい。
「んー、まぁ、あんまり深く考えこんでもアレだしな。ユーンって鳴くし、シンプルに『ユン』で良いだろ。鳴くたびに自己紹介にもなるし丁度いい」
「ユーン??」
「そうだ、お前の名前はユンだ。これから忙しくなると思うけどよろしくな。ユン」
「ユーン!!!」
そうして、俺は念願の家族の護衛動物をゲットした。




