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狂人が治癒スキルを獲得しました。  作者: 葉月水
変わり目

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第72話 銀次vsヒグマ


「ガウゥ」


 クマは、銀次が一歩、また一歩と近づく度に低い唸り声を上げ、威嚇する。


「…!」


 威勢よく前に出てきたものの、そのあまりの迫力に銀次は、固唾を飲む。


 僅かに土で汚れた黒い体毛、自分と比較するのも馬鹿らしいくらいに太く大きい胴や脚、唸る口元から垣間見える鋭い牙。


 この存在を形作る全てから野生味を感じる。きっとこれまでに沢山の命を生きるために殺してきたのだろう。そして、それら全てはもれなく格下だったのだろう。


 自分を強者だと疑っていない。銀次を見据えるその瞳からは、怯えの色は一切感じられない。


 果たして自分の力は、そんな自然界の強者に対して通用するのだろうか。


 ジリジリと距離を詰めていく中で、そんな考えばかりが脳裏をよぎる。


 快やテンマとの鍛錬で手を抜いた事は一度も無い。というより、そんな舐めた真似をする余裕などなかった。ひと度、手を抜けば5秒と保たず死ぬ。そんな鍛錬とは名ばかりの生存闘争だったから。


 その為、これまで最善を尽くしてきた…と、胸を張っていう事は出来る。


 しかし、どうにも自信が無い。この生物に勝てるビジョンが浮かばない。


「ガウゥアッ!!」


 と、考えている側から、クマは鋭利な爪を携えた前脚を振りかぶって、自分の息の根を止めようとしてくる。


「ック!」


 その攻撃をなんとか後ろに飛んで距離を取って回避するが、クマは更に追撃をしようと既に距離を詰めてきている。


 その様子をしっかりと目で捉えながら、銀次は覚悟を決める。


 殺さなければ、殺される。言葉は通じずとも、自身に対し向けられる純然たる殺気で、それだけは理解させられる。


 それに、どうせ戦うしかこの場を切り抜ける方法はない。


 当然の如く、この様子を見物しているであろう2人が助けに入る気配はないし、なんなら呑気にまた下らないことで喧嘩しているような声さえ聞こえてくる。


「…ふぅ」


 銀次は、僅かにあった緊張を振り払うように小さく息を吐き、今しがた追撃をしようと距離を詰めてきているクマの動きを、冷静に見極め迎撃の態勢を整える。


 スピードが出ている状態なら、その巨躯を利用した体当たりに近い攻撃だろう。


 そう、当たりをつけた銀次は、クマの射程範囲直前でその背後に回るように、地面を蹴り宙に飛んだ。


「…っ!」


「グゥァ!」


 クマは宙に浮かぶ銀次を追って、立ちあがろうとするが、速度が出ていたせいか上手く体勢を整えられず、銀次に回避を許してしまう。


「…!」


 銀次は、攻撃を回避し着地した事に安堵する間もなく、旋回し速度を殺すように動くクマヘ切り返し、即座に距離を詰める。


 幸い、まだクマは銀次の方へ体を向けた直後で無防備な状態。攻撃を繰り出すなら今のタイミングだろう。


「…頼むから少しは効いてくれよっ!」


 そう願いを口に出し、銀次は助走でついた速度を上乗せした渾身の蹴りをクマの顔の側面から叩きつける。


「グゥァッ!?」


 攻撃を喰らったクマは、短い叫びを残して3メートルほど先に飛ぶように横たわった。


「…な!?」


 その状態にしたはずの張本人である銀次は、信じられないとばかりに抜けた声を出す。


「おー、やったね銀ちゃん、凄いぞ銀ちゃん!って、快ちゃん僕のポテチ取らないでよ!欲しいなら途中で買えばよかったじゃん!それ、僕がおやつに持ってきたやつだよ!」


「ったく、ポテチの1枚や2枚でケチくさい奴だなお前は」


「ケチくさいってもう半分は食べてるし、さっきも僕のチョコ取ったじゃないか!」


「あー、はいはい。ごめんごめん。観戦にちょうど良いつまみがあったから、ついな。帰りに買ってやるからそう怒るなよ」


「絶対だよ!」


「はいはい」


 木の上で下らない言い合いをする快とテンマを他所に、銀次は未だ信じられないといった顔をして自分の体を見渡す。


「俺が…やったのか…?」


 先刻、銀次の蹴りによって飛ばされたクマは、ゆっくりと起き上がると何が起こったのか分からないとばかりに、キョロキョロと辺りを見渡している。


 自分が繰り出した攻撃の驚くべき威力に、認識が追いつかない。だが、今の攻撃は確かに自分が放ったものだ。


「…そうか、俺が…」


 銀次は嬉しそうに自分の手のひらを見つめ、その後、ギュッと力を込めて拳を握りしめる。


 常日頃、既に人外の力を身につけている快やテンマを相手にしていたせいか、自分がどれだけの力を獲得しているのか、それをイマイチ把握しきれていなかった。


「その比較対象にヒグマって訳か…、全く相変わらずスパルタだな」


 その指示を出した鬼の視線を感じながら、銀次はハッと快やテンマを彷彿とさせる不敵な笑みを浮かべる。


 そして、そのまま四つん這いの体勢で唸りながら鋭い牙を見せ、再び威嚇し始めるヒグマに向かい駆け出す。


「ガゥアァ!!」


 向かってくる銀次に対し、クマは今度こそとばかりに前脚を持ち上げ、大きな咆哮と共に立ち上がり襲い掛かる。


「…っぐぅ!」


 裕に数百キロはあろう体重が銀次に一気にのしかかる。


 重い。


 高所から振りかぶられた右脚を、自身の左腕で御しながら同時に噛みついてこようとするクマの顎部を抑える。


 左腕にかかる重量は尋常ではない。爪も僅かに腕に食い込み出血している。加えて、クマは唯一自由な左脚をブンブンと振り回して、銀次の体を何処でもいいからと傷つけようとしている。


 とても余裕とは言い難い。一瞬でも全身に込める力を抜けば、たちどころに押し潰されてしまう。


 だが、そんな切迫した状況とは裏腹に、銀次の顔は喜色に溢れていた。


 何のスキルを持っていない自分が…本来なら敵う余地のないヒグマ相手に通用している。


 自分のこれまでは間違っていなかった。無駄ではなかった。


 その事実がたまらなく嬉しい。


 ——パシッ


 銀次は、唯一自由となっていたクマの左脚を、自身の右手で掴み拘束する。


 そして、ヒグマと組み合った状態を維持したまま、クマの胴体に向かって一方的に蹴りを繰り出し始める。


「ふんっ!」


「ガァッッ」


 クマは巨躯を支える為に、銀次のように脚を自由にする訳にはいかない。


 その結果、攻撃は銀次の一方的なものとなる。


 何度も、何度も、何度も、何度も。それから、銀次はクマの意識を刈り取るまで、蹴りを放ち続けた。


 途中、なんとか攻撃から逃れようと背面に倒れようとしたクマを、逃がさないとばかりに首根っこを掴み追撃を仕掛ける銀次は圧巻だった。


 ——サッ


 戦闘の終わりを見届けた俺とテンマは、息切れをする銀次とその側に横たわるクマの近くへと木の上から跳び着地する。


「お疲れ〜、銀ちゃん!凄いよ、圧勝だったじゃん!!」


「あぁ。まぁ、何とかな…」


 そう、興奮したように労うテンマに、銀次は安堵したように頬を緩める。


「流石にワンパンとはいかなかったか」


 俺は、銀次に軽く触れ、クマの爪によって傷付いた腕を癒しながら、声を掛けた。


 銀次は、治癒に礼を言うと、地面に横たわるクマを見下ろしながら答える。


「あぁ、流石に頑丈だったな。無防備の所に攻撃を放ったが、倒すまでに大分時間がかかった。割と全力の攻撃だったんだがな」


「そうか。まぁ、そこは伊達に弱肉強食の世界でここまで生きてないという事だろう。お前もまだまだってことだ」


「あぁ、まだまだだ!鍛え直しだな」


 実力不足を指摘したつもりだったのだが、俺の言葉に銀次は、今日一の笑顔を見せる。大方、自分にまだ伸び代がある事を嬉しく思っているのだろう。


「だが、幾らクマがしぶとくても、お前なら無傷で無力化する事も出来たんじゃないか?速度があったとはいえ、普段俺やテンマを相手にしているお前だ。それに比べればコイツは小回りも効かないし、決して躱せない程では無かっただろう」


 事実、銀次はクマの初撃を難なく躱していた。その要領で、ヒットアンドアウェイを繰り返せば、時間は掛かっただろうが、リスクを負わずに鎮圧する事も十分できたはずなのだ。だが、しなかった。それどころか、態々取っ組み合いまでして、勝負をした。


 そんな俺の指摘に、銀次は気まずそうに頭を掻く。


「いや、まぁ、それはそうなんだがな。今の時点での俺の実力を、実力の近い相手で試して把握しておきたかったんだ。正直、一発目を入れるまでは、自分でも本当に強くなってるのか半信半疑だったからな」


「なるほどな。で、把握した今ならどう思う。強くなってたか?」


「あぁ、なっていた!これまでの努力は決して無駄ではなかった!だが、まだ足りない。俺はお前らと肩を並べれるようになりたいんだ」


「なら、どうする」


「快、頼む!俺をもっと鍛えてくれ!」


 銀次の向上心に、快は内心ほくそ笑む。


 今の銀次に必要なのは、やはり格上との戦闘経験ではなく実力の近いやつとの手合わせだ。


 銀次自身も言っていたように、コイツは少し自分を過小評価している節がある。まぁ、それは十中八九、比較対象が俺やテンマしかいない影響なのだろうが、これは余りよろしくない。


 このまま成長すれば、無闇に敵を過大評価することが癖になる可能性がある。警戒のしなさ過ぎもよくないが、し過ぎもそれと同じくらい良くない。


 その点、このヒグマは銀次がスキルを獲得するまでの良い競争相手になるだろう。俺の強化術を施せば暫くは銀次の丁度いい手合わせ相手になるはずだ。


「…と、まぁ話はこれくらいにしていつまでも寝かせておく訳にも行かないし、そろそろコイツを起こすか」


 そうして、俺はヒグマに治癒を施す。


「!?…ガゥゥ!!」


 起きて早々に唸って敵意を剥き出しにするクマ。


「うわ、すごい敵意。銀ちゃんがボコボコにしたのに、全然懐柔出来てないじゃん。てかむしろ、悪化してるんじゃない?」


「だな…というより今度は俺ではなく、快やテンマに敵意を向けているようだ」


 確かに銀次の言うように、クマの視線は専ら俺やテンマの方へと向いている。


「なるほど、勝てない相手とは戦わない…か。ある意味、至極真っ当な選択だな。こいつが弱肉強食の世界でここまで成長できたのも頷ける」


「いや、快ちゃん感心してる場合じゃないでしょ!僕ら今にも噛み付かれそうなんだけど!どうするの??」


「どうするのと言われてもな、そりゃ銀次同様…勝てないと思わせるしかないだろう」


「というと?」


「格の違いを見せつけろ」


「なるほど…!」


 すると、テンマは早速とばかりにマナを練り上げ始める。


 そして、頬を緩ませ、木々の方に手を向けながら、俺やクマに見せつけるように呟く。


「風系統術『刃』」


 ——スパッ


 テンマの手元から出た風の刃が、立ち並ぶ木々を続々と切り落としていく。


「…ガゥ」


 その光景に、驚愕の余りさっきまで威勢よく唸っていたのも忘れて、クマは小さく高めの声を漏らす。


「ふふん、どうよ。僕の風系統術の威力は!」


「やり過ぎだ。見せつけたいのは分かるが、森林破壊も良いところだ」


「快の言う通りだ。一本で十分だったぞ」


「快ちゃんも銀ちゃんも反応悪いな〜。何ならクマが1番良い反応してるよ」


 これが、良い反応ね。


「おい、クマ公。驚き過ぎて唸るの忘れてるぞ」


「ガ、ガゥゥ…!」


 俺の言葉で、ハッとしたようにまたも唸り始めるクマ。威厳ある登場だったのに今ではもうかたなしだな。


「んー、今度は狙いが快ちゃんだけになったね」


「みたいだな」


「なぁ、悪い事は言わないから、歯向かうのはやめて大人しくしないか?快は…ちょっと限度を知らないんだ」


 強者の矜持かなにかなのか…依然、俺に猛烈な敵意を向け続けるクマに、銀次が説得を試みている。一度戦った手前、情が湧いたのかもしれない。


 だが、クマはそんな善意の声にも聞く耳を持たず、俺に襲い掛かろうと走って距離を詰めてきている。


 まぁ、3人の中では俺が1番弱そうに見えるだろうからな。この反応も無理はないだろう。


 群れの中に一際小さい個体がいたら、それは自然界では漏れなく庇護対象だ。クマからしたら俺はめちゃくちゃ狙い目の獲物なのだろう。


 口を開けてものすごい勢いで俺に肉薄するクマ。この様子だとやはり完全に食いに来てる。


「ガゥアッ!!」


「これから付き合っていくのだから、なるべく手荒な事はしたく無かったが、歯向かってくるなら仕方ないな」


 肉薄するクマに対し、俺は棒立ちのまま手を突き出し、迫り来るクマの顔面を鷲掴みにする。


 流石の重量ではあるが、踏ん張れば耐えられない程ではない。まぁ、地面が柔いから少し地面がえぐれるが、大した問題はない。


 触れる手先から即座にマナをクマの体内へと流し込む。


 そして…


「治癒系統術『断』」


 ——ストンッ


 俺の声と同時に、鷲掴みにしている左手に掛かる重量が一気に軽くなるのを感じる。


 地面を確認すると、クマの下半身だったと思われる物体と両前脚だった思われる物体の両方が転がっていた。


「よし、どうやら狙い通りに発動出来たみたいだな。複数箇所の同時切断と共にその患部の応急処置。我ながら見事な早業だ」


 おそらく痛みも一瞬だったのでは無いだろうか。


 しかし、俺の予想に反して、テンマや銀次の反応は鈍い。


「反応薄いなお前ら」


「いや、快ちゃんってマジで容赦ないなって、ビックリしてたとこ。クマを運ぶ為とはいえ、一瞬で3分の1の大きさにしちゃうなんて鬼畜の所業だよ」


「おい、元はと言えばお前のわがままが発端なのを忘れるなよ?」


「へい」


「ま、どっちにしろコイツを持ち帰るには、殺人ピエロの時と同様、クロウズ宅急便頼みなんだ。クマの無力化と軽量化。やるなら一気にどっちもやった方が良心的だろう?ほら、見てみろ。その証拠に随分大人しくなったじゃないか」


「快よ…一応確認なんだが、そのクマはちゃんと生きてるんだよな?」


「失礼だな。そりゃ生きてるだろ。一応生命活動に最低限必要な器官は残したつもりだ。ほら、ちゃんと息もしてるしな」


「いや、生きてるなら良いんだ。なに…声のひとつも上げないから、心配になってな」


 まぁ、そりゃ一瞬で下半身と両前脚を失ったら、流石の暴れん坊のクマでも大人しくもなるだろうよ。


 だが、確かにこれから銀次の手合わせ相手にしようとしているのに、元気が無くなるのは心配だな。


「おい、クマ公。ちょっと声出してみろ。お前が大人し過ぎて心配なんだってよ」


「…ガゥ」


「よし、大丈夫そうだな。じゃ、当初の目的とはズレたがやるべき事は片付けた訳だし、コイツをクロウズに任せて、俺たちは帰るとするか」


「おー!」


「ふぅ、なかなかハードな1日だったな」


 そうして俺たち3人は、軽快な足取りで帰路へとついた。






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