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狂人が治癒スキルを獲得しました。  作者: 葉月水
変わり目

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第66話 手綱


 火焚と対峙した森尾がはじめに取った行動は、獣化の変身度合いを引き上げる事だった。


 その結果、森尾の身体は徐々に人間の特徴を多く残した獣化状態からより獣の姿の割合が高い状態へと変貌を遂げる。


 四肢の先だけで済んでいた獣化は、肩元や太ももにまで及び、シャツの襟元からは僅かにだが黒い獣毛が確認できる。そして、爪や牙などの部位もより肉食獣を想起させる鋭利なモノへと変化していた。


 火焚という能管きっての問題児の手綱を握ろうとした手前、強気な発言をしたが実力は本物。今まで一度も敗北していないとはいえ、今日負けないという保証はどこにもない。


 他の管理官が成長していたように、火焚が森尾の関知しないところでレベルアップしている可能性は大いにある。


 だから、間違っても油断はしない。


 この形態は、その思いの表れだ。


 何が起こるか分からない現場での、行動不能は文字通り死を意味する。その為、マナの消費が激しく、長い時間持続させることが難しいこの形態は本来なら余程のことが無ければ使用しない…というより、してはならない。


 だから、これは後の戦闘を考慮しなくていい訓練室であるからこそ出せるある種の反則技…邪道な戦法とも言えるだろう。戦闘訓練という名目であるなら、実戦を想定していない以上、あまり褒められた行為ではないの間違いない。


 だが、勝敗の末に自分や能管の未来が懸かっているとなれば話は別だ。例えどんな邪道な戦法であろうと使う事は厭わない。


 この勝負に勝利するだけで、この問題児の素行を改めさせることが出来る。それが実現すれば、能管の戦力は今よりずっと安定したものになるだろう。きっと、それは民間人の被害の縮小にも繋がる。


 つまり、この勝負もとい賭けは、今後の能管でのベストな活動を見据えるならまたとない好機というわけだ。だから、何としても勝たなければならない。


 森尾は、そんな強い思いを胸に火焚を見据える。


「へ〜、最初っから全力って訳だ」


 容貌の変化と殆ど四つ這いのような腕をだらんとした低い前傾姿勢の構えを取る森尾を見て、火焚はニヤニヤと不敵に笑う。


「あまり時間をかけても仕方ないので」


「あっそ、ならアタシも本気でいかせて貰うよ」


 問答を仕掛けても一分の隙も見せない森尾に、火焚はつまらないとでも言いたげに、舌打ちをする。


 そして、臨戦態勢に入った森尾に注意を払いながら、火焚も自身の体に廻るマナを両の手の平から体外へと放出するようにイメージして、スキルを発現させる。


「…」


 すると、適温だった訓練室の温度が一気に上昇する。


 十分な距離を取っていて尚、感じる強烈な熱気に、森尾はその熱から守るように腕を顔前にまで上げる。そして、敵前で目を瞑ることのリスクを考え、腕の隙間から覗き込むようにしてなんとか視界を確保する。


 純度の高い獣化で様々な感覚が鋭くなった分、より一層熱を感じる。いや、きっとそれだけの影響ではないのだろう。


 それが、火焚の様子を見るだけで十分に確認できる。おそらく、火焚が普段以上の力を発揮しているのだ。


 轟々と荒々しく燃え上がる炎の熱気が、火焚の赤みがかったセミロングの髪の毛をゆらゆらとはためかせる。


「この際、マナの消費なんて考えねーよ。出し惜しみなしで行くッ!」


 そう威勢よく言い切った火焚は、早速その手にある炎塊を森尾に向け射出した。


 短期決戦と分かっての行動だろう。先の宣言通りそこに出し惜しみをしている素振りは一切感じられない。次から次へと炎塊が押し寄せてくる。


 だが森尾は、その連続攻撃の悉くを疾走し軽々と回避していく。


 火焚同様、マナの消費を考えなくていい分、スピードには余裕がある。裕に体の倍はある大きさの炎が直撃した時の攻撃力は計り知れないが、今の森尾であれば避けるのはそう難しいことではない。


 しかし、この回避行動は火焚によって誘導されたものだったのか、その回避した視線の先には一際大きな炎塊を手にした彼女の姿があった。


「こちとら、散々負けてきてんだ。回避される事なんて端から想定済みなんだよッ!」


 そう大声を張り上げる火焚は、なんの躊躇もなくその炎塊を森尾へと放った。


「…ッ!」


 正面から迫り来る猛炎の熱気に、森尾はすかさず息を止める。


 空気は水に比べて熱を伝えにくい。ただ、それは別に水に比べて熱伝導率が低いというだけで、火傷しないというわけではない。


 おそらく、ここまで高温の熱に晒された空気を吸い込めば、一瞬で口や鼻の気道は熱傷する。呼吸器官の障害が、運動能力の低下に直結する以上、それは避けなければならない事態だ。


 森尾は、息を止めたまま迫り来る炎が自分の元へ到達する刹那に、回避する手段を考える。


 右方向にはもうすぐそこに壁があり、十分な回避スペースはない。そのため、残る選択肢は広いスペースのある左方向へ切り返すか、真上へ跳躍するかの二択しかない。


 だが、ここで問題が生じる。


 上昇した身体能力に物を言わせた超スピードでの回避をしていた為、現状、炎が迫るのと同時に自身もまた炎に迫るように加速してしまっているのだ。


 つまり、このままであれば自ら炎に飛び込み自爆する。


 だが、どれだけ身体能力が上がっても、慣性の法則は無視することは出来ない。十分についてしまった勢いを、急にゼロにする事は不可能なのだ。


 このまま上方向に跳躍しても前に進む力が強すぎて炎を十分に回避することはできないだろう。きっと、下半身が炙られる事になる。


 しかし、だからと言ってここからスピードを落として真上に飛ぶなんて悠長なことも出来ない。そうすれば、まず間違いなく減速の段階で炎は直撃する。


 そして、たった今、左に切り返し回避することも不可能になった。


「ほらほら、どうした森尾ちゃんよ〜!!」


 火焚は、いやらしく森尾の逃げ場を無くすように嬉々として炎を左方向にも展開し始める。


 森尾のような身体能力を強化する類の能力と違い、火自体に攻撃力がある分、戦闘で加減し難い能力なのは理解できる。


 だが、その容赦の無さは、もはや訓練の域を超え殺し合いの範疇へと踏み込んでいた。火焚は、明確に森尾を殺す気でこの戦闘に臨んでいた。


 その火焚の行動がいつかの敵とダブる。その影響で、背中には嫌な汗をかき、当時のような死の恐怖が脳裏にチラつく。


 回復能力が上昇しているとはいえ、この火力だ…恐らく、この展開された炎塊のどれに当たっても、無傷では済まない。きっと、数ヶ月は療養が必要になる。いや、運が悪ければ現場復帰も叶わないかもしれない。


 だが、森尾はそんな攻撃を前にしても、決して怯むことはなかった。


「…ッフ」


 走るスピードを落とす事なく、息を少しだけ吸い直し、空気を入れ替えると、再び息を止めて、回避先へと舵を取る。


 森尾の選んだ進路は、一度は捨てた選択肢である右方向。つまり、壁だった。


 ——ザッ


 走る勢いのままに、壁方向に飛び上がると、そのまま壁に足の鋭利な爪を突き立てる。そして、その勢いと僅かな爪の掛りを頼りに、何とかと言った具合で壁を走る。


 だが、この壁走りは長続きはしない。入る角度が悪かったのもあるが、何より壁の素材が悪い。頑丈な上に、ツルツルとした素材の為、碌に爪がかからないのだ。


 その証拠に、まだ数歩しか走っていないのに、緩やかに地面へと重力によって押し戻される感覚がする。恐らく、もってあと5歩…いや3歩ってところだろう。それを過ぎたら、きっと自分の体は地面へと落下し、迫り来る炎に焼き尽くされる。


 だが、森尾に焦りはない。


 ことこの状況に至ってはそれだけの歩数があれば十分だった。元より、この不安定なこの場に長居するつもりはない。この行動は、あくまで回避の為に必要な予備動作のひとつに過ぎない。


 森尾は、残りの3歩を回避のための十分な助走とする為に、一歩、一歩に最大限の力を込める。


 そして、その間に回避先の選定も済ませ、3歩目の右足で思い切り壁を蹴る。


 壁の頑強さが跳躍に際しては、功を制したのだろう。獣化に伴い強化された脚力により、自身で想定していた以上の勢いで身体は宙に投げ出される。


 無事に迫っていた炎塊を飛び越え、あっという間に事前に選んでいた目的地へと到着した。


「……」


 元居た場所から見て、対角線上にある訓練室の天井の隅に、両手と両脚で体を支えながら、状況を見る。


「ははははっ…」


 肝心な火焚はというと…攻撃が直撃したと勘違いし、不用意にも高笑いをあげている。恐らく、自身で放った複数の炎塊が、却って視界を妨げることとなったのだろう。未だに攻撃を回避されたことに気が付いていない様子だ。


 ——サッ


 森尾は、状況の把握も程々に相手が油断している隙に、勝負を終わらせようと再度壁を蹴って火焚へと距離を詰める。


「?!…!」


 自身の放った攻撃が直撃して尚、叫び声すら聞こえない違和感に遅れて気が付いたのか、火焚は反射的に後ろを振り返り、ものすごいスピードで距離を詰めてくる無傷の森尾を確認する。


「ッ!!」


 驚愕に顔を染めながらも、火焚は咄嗟に攻撃を放つ。


 しかし、火焚によって放たれた攻撃は、先刻のような高火力の炎ではなく、ボーリングサイズ程の火球であった。


 咄嗟でマナを練る時間が足りなかったのか、単にマナの総量が心許なかったのか…その理由は定かではない。


 ただ、森尾のチャンスなのは変わらなかった。


「…ッ」


 その火球を森尾は特に避ける動作もせずに、距離を詰める傍らに手刀で薙ぎ払う。


 そして、火焚の目前で勢いを殺すように膝を曲げて着地をすると…その屈んだ態勢を利用し、即座に右足で足払いを繰り出す。


「…クッ!」


 火焚は、それで後ろに倒れ込むように態勢を崩す。だが、その状態になって尚、攻撃する意思は衰えず、倒れ込む傍らに森尾の顔面に手を向け再び火球を放つ。


「当たりませんよ」


 しかし、この期に及んでそんな付け焼き刃が森尾に通用する筈もなく、頭を横に倒すだけで難なく避けられる。


「まだ終わってね…ガハァッ」


 性懲りも無く、声を荒げて起き上がってこようとする火焚の腹を、森尾は容赦なく踏み付ける。


 そして、火焚がこれ以上無駄に足掻かないようにと、森尾は腹を抑えて転がる火焚に跨り、些か過剰とも思える連続攻撃…という名の往復ビンタを喰らわせる。


「…っ…っ…っ…っ…」


 森尾の両膝で肘関節を抑えられ、無抵抗のままに殴られる火焚は、文字通り喋る間さえ与えられずに攻撃を喰らい続ける。


 火のスキルと同時に、火耐性を持ち合わせているとはいえ、火焚の体は特別頑強というわけではない。火耐性はあくまで火耐性。殴れば当然ダメージはある。


 遠距離戦ならまだしも、近接戦なら耐久力と格闘能力のある森尾の方に軍配が上がるのは必然だった。


 通常の獣化であれば慣れている分、多少の殴る蹴るなどの加減は利くが、この純度の高い獣化は慣れていない分、一歩間違えば途端に大惨事になる。だから、加減のしやすいビンタという攻撃手段を取った。


 森尾は、火焚とは違って殺すつもりで挑んではない。負けを認めさせるのであればこれで十分だろう。そう思っての配慮。


 だが、たかがビンタとはいえ、森尾の強化された身体能力によって繰り出された攻撃には違いない。その威力は本物…というより、既に火焚の顔が腫れに腫れて、結果として如実に表れていた。


『これは決して、鬼灯との戦闘で顔の腫れた自分を見た火焚にバカにされたのを根に持っていた訳ではない』…と、そんな信憑性の薄い言い訳を自分にしながら、森尾は火焚への攻撃を止める。


「………」


 殆ど無傷な森尾に対し、ボコボコの火焚。


 流石にここからの逆転は不可能だと、または、これで負けを認めないのは往生際が悪いと感じたのか…火焚は仰向けの状態で力なく天井を見上げる。


「今回も私の勝ちって事でいいですね」


 森尾は、手を広げて大の字に横たわる火焚を見下ろしながら、勝敗の確認を取る。


「………なんでアタシは勝てないんだ」


 火焚は目線を森尾に向けるだけで、質問には答えない。しかし、自分の負けはしっかりと認めているようで、ボソリと悔しげに呟く。


 これはきっと森尾に投げかけた質問ではない。おそらく、敗北の悔しさからくる自責による自問だ。


 しかし、森尾はそんな火焚に訓練室を後にした郷田達のように、丁寧に改善点を口にし始める。


「あなたの火のスキルは態々言うまでも無く強力です。上級という高い等級も相まって、その火力は能管随一でしょう。ですが、それ故に使い方が雑になってしまっています」


 火焚は突如始まったダメ出しに露骨に嫌な顔をするが、森尾の言葉の続きが気になるのか口を挟まずにおとなしく耳を傾ける。


「火を生み出し操る…というシンプルな能力だからと考えることを放棄してはいけません。今回は、多少の策を弄していたようですが、それでも、マナの配分や敵の狙い、その時々の自分や敵のいる位置や環境の把握…スキルの使い方のみならず、戦闘中に考えなくてはならない事は幾らでもあります。無闇矢鱈に高火力の攻撃を放てば勝てる程、戦闘は単純ではありません。まぁ、端的に言うと考えが足りないという事ですね」


「…チッ」


 丁寧な言葉遣いでありながら、意外と辛辣な事を言う森尾に、火焚は一層気に食わないというような顔をして目を背ける。


 しかし、負けたからと言って賭けの事をこのまま有耶無耶にするのは、自分の流儀に反するのか、その事についてボソリと自ら言及する。


「………で、何を命令する気だよ」


「そうですね…正直言って、具体的にどんな命令にするのかはあまり考えていませんでした。なんとなくの方向性は決めていたのですが…」


「はっ、勝つのは既定路線ってか?」


「それは、まぁはい。でなければこんな勝負持ちかけませんし…」


 火焚は煽るように森尾を鼻で笑うが、森尾はそれを相手にもせずに、呑気にんーんー、と唸りながら賭けの報酬を考え始める。


「アンタ…やっぱり夢路の言っていた通りいい性格してるよ」


「え…はい、ありがとうございます」


「………」


 火焚は、皮肉をキョトンした顔で素直に受け取る森尾に思わず絶句する。


 素直で性格が良いのか、ひねくれて性格が悪いのか…そんな風に火焚が呆れていると、森尾が火焚の顔を覗き込んで口を開く。


「お待たせしました。命令の内容が決まりました」


「さっさと言いな」


 森尾の言葉に短く反応して、続きを催促する。


 だが、既に火焚には、何となく森尾がしそうな命令には予測がついていた。きっと、他の管理官と足並みを揃えろとか、迷惑をかけるなとか、そういった類のものだろう…と。


 火焚は、そんな命令に対するリアクションを適当に考えながら、気楽に森尾の言葉を待つ。


 しかし、その余裕綽々な態度は森尾の放った言葉ひとつで崩れる事となる。


「私の奴隷になって下さい」


「は…?」


 森尾から発された想定外の言葉に、火焚は耳を疑う。


 奴隷?誰が?


「は…?ではなく、私の奴隷になって下さいと言ったのです」


 森尾は、混乱する火焚に構わず、再度確認させるように命令の内容を告げる。


「……本気か?」


 動揺を悟られないよう冷静を装いつつそう確認を取るも、火焚の内心は決して穏やかではなかった。


「はい、元は火焚さんが例として出していたものですが、改めて考えてみると存外悪くない案だと思ったので、思い切って採用してみました。奴隷という響きはやや物騒ですが、これなら汎用性も高いですし、何度でも命令が可能です。素晴らしい案をありがとうございます」


 そう言って、森尾は火焚に深々と頭を下げる。


「……アンタ…やっぱり相当いい性格してるよ」


 身から出た錆なだけに強く抗議もできず、火焚は引き攣った笑みを浮かべて、精一杯の皮肉を口から絞り出した。





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近距離戦が弱いなら盾役が必要なのに仲間をカス扱いするのか…
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