第64話 実戦訓練
——東京某所のとある訓練室
青白い無機質な素材で囲まれた正六面体型の広大な地下空間。
そこで森尾は今、5人の能力者と相対していた。
——ジッ
自分を取り囲む能力者達を、文字通り獣の如く鋭い視線で見据える。
格下といえど、油断はない。
既に、獣化の変身は済ませてある。
森尾は、自分が多対一で手を抜けるほど強くはない事を身を以て知っている。
辛酸を舐めた初任務以降…強力なスキルを獲得し、どこか慢心していたあの頃の自分はもういない。
『…………』
森尾の到底訓練とは思えない鋭い双眸が、顔見知りという事でつい弛緩しそうになってしまう場の雰囲気を引き締める。
森尾同様、大失敗に終わった初任務を経験している3人…郷田、小林、夢路は、森尾が醸し出す殺気にも近い雰囲気に任務時に敵対した面の男を思い出す。
3人はグッと脚に力を込めた。そして、気を抜くとつい後ろに出てしまいそうになる足を、なんとか前へと踏み出した。
例え敵わなくとも、もう敵前で怯えるような失態は犯さない。これは、その意思表示だった。
そして、皆が後手に回り、様子を窺おうとする中…意外にもはじめに動いたのは夢路だった。
「やっぱり数の利は最大限活かさないとねッ!!」
夢路は、スキルを発動し、森尾と自分を除いた管理官4人の姿を模した幻影を多数出現させる。
そして、それらを一気に操作し森尾へ突撃させた。
「今のうちにッ!」
周囲に自分の意図を伝えるように叫ぶ。
夢路には、まだスキルによる有効な攻撃手段はない。一応拳銃は所持しているが、それも森尾に通用した試しはない。
そのため夢路は、今回の戦闘訓練では目的を撹乱の一つに絞っていた。中途半端に攻撃に参加するくらいなら、その分の労力をスキルの操作に割く方が有効だと考えたのだ。
『…ッ!』
夢路の意図を瞬時に汲んだ郷田と小林は、同時に地を蹴り数多の幻影に紛れるように駆け出す。
「おらぁ!!」
「…っ!幻影!?」
向かってきた小林の姿を模した幻影を華麗に捌きながら、森尾は驚いた。
以前までの夢路の幻影は、あくまで姿を模しただけのハリボテでしかなかった。しかし、今の幻影は声…つまり音を発していた。それも、姿を模した対象の声色そっくりに。
そして、よく観察してみると、幻影は声以外にも足音や服の擦れる音までの細部に至るまで忠実に再現していた。
臭いで幻影と本物との区別はつく。だが、そのあまりの再現度に幻影で実体がないと分かっていても、つい反射的に回避行動をとってしまう。
「…ハァ…ハァ…」
乱戦に巻き込まれないよう後方で控える夢路は、息を切らし額に汗を滲ませる。
たくさんの幻影を動かし、それと同時に音まで発生させるのは決して容易なことではない。マナの消費も激しいがそれ以上に、集中力を維持するのが難しかった。
しかし、夢路は攻撃を潔く捨てた分、以前にはない確かな手応えを感じていた。
『スキルなんてのは所詮使い手次第』
皮肉にも敵の言葉で、自分のスキルと真剣に向き合うことが出来た。これは、きっと自分だけでなくあの作戦に参加した皆が感じている事だろう。
以前のままであれば自分だけで森尾の注意を引くなんて事は出来なかった。いや、それ以前に当時の自分は姿を模した幻影を出すだけで満足していた。
しかし、今は違う。いつかリベンジを果たすためにと、明確な向上心を持って訓練に励んでいる。
あの屈辱あってこその成長…その事実に、多少の腹立たしさを感じながらも、夢路はニッと口角を上げる。
自分の能力の可能性に気が付けたのは素直に嬉しい。
だが、問題もある。幻視と幻聴…この同時操作に慣れていない分、消耗は激しく精神力という意味での負担は以前の比ではなかった。
今はかろうじて通用しているが、この撹乱も長くは保たない。
夢路の荒い息遣いからなんとなくその事を察した郷田と小林は、このチャンスを逃すまいと森尾を果敢に攻める。
幻影に紛れながらのヒットアンドアウェイを繰り返す。以前と変わらない手法ではあったが、それがもたらす結果は以前とは違っていた。
郷田は、数多の幻影の背後に隠れてギリギリまで森尾に接近する。
そして、実体がないという幻影の特性を利用し、幻影越しに渾身の一打を森尾の腹部へと放った。
「フン!!」
完全なる不意打ち。拳には物体を殴ったという確かな手応え。
しかし、幻影が霧散していき、視界が晴れてくると、そこには自分の拳をしっかりと手のひらで捉える森尾の姿があった。
「分かってますよ、郷田さん。幻影の姿や声がいくら実物と酷似していても…匂いは本人からしか出ていませんから」
「クッ!ふん!」
郷田は、動きを読まれていたことに悔しげに歯噛みすると、止められた右拳を引き、すかさず左拳を繰り出した。
「!」
森尾は、そのスピードに驚きながらもそれを仰け反りバク転する事で回避する…が、事前に未来を見ていたのだろう。回避先には、既に幻影ではない実体の小林が待ち構えていた。
「うしゃぁ!!」
「くっ!」
小林の右ストレートを咄嗟に腕で受けるが、そこから繰り出される想定以上の衝撃に思わず声が漏れる。
以前、小林はバンテージを巻いていたが、今はメリケンサックを装着している。そして、元がボクサーというだけあってパンチ力も並みでは無いのだろう。
だが、森尾は違和感を感じていた。武器の装着…それだけの変化では到底この衝撃の説明がつかない。
森尾は周囲にいる実体のない幻影を薙ぎ払いながら2人から距離を取ると、夢路と同様に後方に控えていた能管の新規メンバーを見つめた。
数多の幻影はあれど、初期位置から動いていない…いや、動けていない本物を特定するのは容易だった。
おかっぱヘアが特徴的な色白い低身長の男。歳は高校生くらいと若く、女性のような筋肉の少ない華奢な体をしている。
「なるほど…皆さんの急激な進化は、やはり与沢よざわさんの仕業ですか」
「は、はい!」
森尾に名前を呼ばれた与沢は、訓練とはいえ戦闘中なのにも関わらず不用意にも直立不動となった。
入局から間も無く、初めての戦闘訓練という事で緊張しているのか、与沢は冷や汗をダラダラと流して瞼をピクピクと痙攣させる。
「夢路さんには思考力の強化、郷田さんには速度の上昇、小林さんには攻撃力の増加…といったところでしょうか。いえ、もしかしたらそれ以外にも強化を施しているのかもしれませんね。見事です。正直、付与のスキルが戦闘でここまでの効果を発揮するとは思いませんでした……付与の効果で皆さんの弱点を的確に補っています」
「あ、あ、ありがとうございます!」
森尾の言葉に、恐縮ですと言わんばかりに与沢は90度に腰を曲げ頭を下げる。汗で濡れに濡れたおかっぱヘアからは、地面へと雫が垂れた。
「欲を言えば、自身も戦闘に加わる事ですが…」
「す、す、すみません…」
「いえ、よく考えてみたらあなたは戦闘訓練に参加するのは初めてなので仕方ありません。間接的にですが戦闘には参加したので、今日はそれで十分でしょう。以降は見学に回り、この空気感に徐々に慣れていってください」
「は、はい…!」
与沢は、森尾の言葉に声を裏返しながら返事をすると、見学に専念しようとそそくさと訓練室の入り口付近へと移動した。
それを確認した森尾は、与沢同様に今まで戦闘に参加していないもう1人の管理官を一瞥する。
しかし、その管理官は、森尾の鋭い視線にも動じず、腕を組み嘲るような笑みを浮かべるだけで、その場から一歩たりとも動こうとしなかった。
「ハァ…」
森尾は、その態度に呆れを滲ませたため息を吐く。
一方的に圧倒しては訓練にならない為、森尾は事前に5人で協力をして、戦闘訓練に当たるようにと指示を出していた…それなのにも関わらずこの態度だ。
森尾も、この何かと問題点の多い管理官が端から言う事を聞くとは思ってはいなかった。だが、ここまで露骨に指示を無視するとも思っていなかった。
ここまでするくらいなら、きっと自分がどれだけ他の管理官と協力するように促しても暖簾に腕押しなのだろう。その事が、これまでの態度や性格からしても嫌でも分かってしまう。
思惑もなんとなく分かっている。この様子を見るに、恐らく自分の望む状況になるまでは、梃子でも動かないつもりだ。
特定の管理官の我儘を聞くようで気は乗らない。だが、その状況にしなければ訓練にも参加しないと言うのならば仕方ないだろう。
スキルの情報公開以降、人手は徐々に増えつつあるとはいえ、依然能管に人員を遊ばせておく余裕はない。鬼灯という強大な組織や力に溺れ問題を起こす能力者の存在がある以上、問題児とはいえ貴重な戦力なのは間違いないのだ。
その為、森尾は気は乗らずとも、この問題児が早急に訓練に参加する為の場を整えなければならなかった。
この後の自分の行動を明確に定めた森尾は、それを実行しようと再び郷田、小林、夢路らに視線を向けた。先ずは3人との戦闘を早急に終わらせる。
「与沢さんによる強化もあり、皆さんは格段に強くなりました。しかし、それでもまだまだ足りません。実力不足です。正直言って、今の皆さんでも私が本気をだせば制圧するのに1分と掛かりません。何なら、変身するまでもなく勝てます」
「…ッ!まだ勝負の途中だってのに随分と上から物言うじゃないかよ。次長さんよ」
森尾の挑発とも取れる発言に、小林は咄嗟にムッとしながら言葉を返してしまう。
「そういうところが甘いですッ」
「…ッな!?」
森尾の策略に嵌りまんまと声を発した小林に、森尾は一瞬で距離を詰めて、鳩尾に拳を叩き込む。
「グハァッ!」
小林は、超スピードから繰り出される強烈な一打に腹を抱えて地面にうずくまった。
「せっかく幻影に紛れているのに、本物が挑発にのって声を発してしまっては元も子もないでしょう。激情が時に思わぬ力を発揮させるのは否定しませんが、感情豊かなのと興奮しやすいのとでは全く話が別です。以前とは違い、私の挑発に瞬時に激昂しなかったのは成長とも取れますが…今一度その短所を見直さなければ、せっかくのスキルが宝の持ち腐れになってしまいますよ。せめて今の攻撃くらいは避けてください。あなたにはそれだけの力が備わっているのですから」
小林を見下ろし森尾はそう言い捨てると、地面を蹴り、今度は疲労困憊って具合で露骨に息を切らす夢路の下へと距離を詰めた。
「夢路さんは、状況判断が甘いですね。いえ、甘々ですね。戦闘に参加していない者の幻影をいつまでも出しているのはハッキリ言って体力の無駄です。与沢さんの付与があるとはいえ、慣れていなくて余裕が無いのは分かります……ですがそれならば尚更、早々に自身の幻影を出すべきでした。あなたのスキルは、攻撃の要なのですから、なおさら本物の位置は隠すべきでしょう。あなたがいる限り、幻影は生み出せるのですから、それだけで攻撃の幅はグンと広がります……強力なだけに使い方が非常に勿体無いです」
「ハァ…ハァ…距離詰めるなり、攻撃もせずにダメ出しって…小林を狙って挑発した件といい…前々から分かってたけどアンタって意外といい性格してるわよね」
「ありがとうございます」
「いや、褒めてないんだけど…」
「現状、夢路さんに抵抗する術は無いので、精神攻撃で十分かと判断しました」
「あー、さいですか。参りましたよ」
森尾を見て「ダメだこりゃ」みたいな顔をして夢路が両手を上げる。すると、周囲に複数いた幻影が解除された。
そうすると、必然的に郷田の居場所が浮き彫りとなる。
森尾が辺りを見渡すと、幻影が解除されることで訓練の終わりを察したのか、郷田は未だ蹲る小林を心配し側にまで近寄っていた。
森尾は郷田と小林の下へ再び距離を詰めて、郷田にも他2人と同様に改善点を告げる。
「郷田さん。あなたは戦闘への参加率が少な過ぎます。もっと攻撃に積極的になって下さい。仲間を思いやり、連携での動きを重視するのは素晴らしいですが、それが攻撃の足枷となっては意味がありません。あなたの持ち味はなんと言っても硬化による耐久力です。最前線に出なければその効力は十分に発揮されません」
「足枷…か」
郷田は、森尾の言葉を物憂げに繰り返す。
「郷田さんが…最年長だからと皆を守らんとする意思は尊重します。それが心強くもあります。ですが、現状…郷田さんは皆の安否を気にするあまり、攻撃がおざなりになってしまっています。それだと、一時的に皆は守れても、一向に敵は倒れてくれません。戦う上での意識として最も重要なのはどう守るかではなく、どう攻めるかを考えることではないでしょうか……偉そうですみません」
「…いや、全くもってその通りだ次長さん。歳上だからと遠慮せずに言ってくれて感謝する。グゥの音も出ない程に正論だ。精進する。戦闘自体が短時間で済めば、それだけ被害が小さく済むのは紛れもない事実だ。その為には攻撃が必須…次長さんの言う通り俺は、少し奥手になり過ぎていた」
「分かって頂けたなら幸いです」
そう言い、森尾は軽く頭を下げる。
そして、郷田に続けて指示を出した。
「郷田さん。戦闘に参加した皆さんを訓練室の外へ連れ出してくださいますか?私は少し、あの問題児の相手をしなければならないので…」
「了解した…健闘を祈る」
郷田は、森尾の視線の先を確認し、後の展開が読めたのか、未だ怠そうにする小林を担いで足早に訓練室の出入り口へと歩き出す。そして、その道すがら夢路と与沢にも声をかけて、訓練室を後にした。
そうすると、訓練室には森尾とこれまで傍観していた管理官の2人だけが残される。場は整った。
森尾は、鋭い眼差しでその管理官を見つめる。
「これで満足ですか?火焚さん」
森尾の言葉に…火焚と呼ばれた女は、口角を吊り上げ不敵な笑みを浮かべる。
そして、挑発的な態度を崩さずに口を開いた。
「あー、満足だね〜」




