第62話 新しい命
直に世界がアッと驚くような新事実が明るみになるという頃。
俺は、意外にも別件でアッと驚かされていた。
「………」
夕飯の食卓にて母親である月下愛がなんの助走もなく放った一言に、俺はものの見事に言葉を失った。
「本当にめでたいなぁ!」
「うふふ、そうね〜」
想定外過ぎる情報に唖然とする俺を他所に…父さんは心底嬉しそうに笑い、母さんは愛おしそうに自身の腹部を撫でる。
そして、父さんは緊張した面持ちでテーブルに両手をついて母さんを見た。
「そ、それで、男の子か女の子か…もう分かったのか?!」
「うふふ、あなたったら気が早いわよ!まだ妊娠が分かったばかりなんだから、分かるとしてももう少し先よ!」
「ははは!すまんすまん!つい気が急いてしまってな〜!でも、そうか…もう、妊娠は間違いないんだな!!」
「えぇ、それはもうお医者さんにも確認してもらったから間違いないわ!予定日は、来年の夏頃ですって!」
「そうか!ははは!良かった良かった!本当に良かった!!」
眼前で楽しげに繰り広げられる両親の会話。
それに俺は少し置いてけぼりになりつつも…数分前に母さんの放った言葉は自分の聞き間違いでは無かったのだと確信する。
『快ちゃん!あなたお兄ちゃんになるのよ!』
どうやら、今になって俺に兄弟が出来るらしい。
普段、何かと豪快な父さんがこの程度の驚きで済んでいるという事は、少し前から夫婦間で既にそういった話は行われていたのだろう。これが本当に俺と同時に知らされたのだったら、父さんの性格からして今頃はどんちゃん騒ぎになっていた。
母さんの発言から察するに、今日改めて病院へ行き疑念が確信へと変わったのだろう。
俺も少ししてようやく事態を飲み込む事ができた。だが、状況の把握が済んでも、驚きが消えるわけではない。
「おーーー、どうしたんだ快!そんな、黙りこくって!!お前に弟か妹が出来るんだぞ〜〜!!……ってもしかして、お前…兄弟が嬉しくないのか??」
「…あら、そうなの…快ちゃん?」
母さんの突然のカミングアウト以降、喋らない俺を見て、何を勘違いしたのか両親は楽しげな雰囲気から一転、心配そうな面持ちで俺を見た。
単に驚いていただけなのだが、どうやらお門違いな要らぬ心配をさせてしまったらしい。
「いや、単に驚いていただけだよ。まさか、この歳になって新しく兄弟ができるとは思わなかったから」
10年以上も一人っ子として生きてきた所に、突然家族が追加されるのだ。これは、俺が驚くのも無理はないだろう。なんせ、この先もずっと一人っ子で生きていくのだと思っていたんだからな。
世間では、10歳以上歳の離れた兄弟も珍しくないが、いざ自分の身にそれが起こってみると、なかなかに信じ難い。
「そ、そうか?なら良いんだが…」
誤解を解く為に、俺としては嘘偽りのない本心を言ったつもりなのだが…何故だか両親の俺を見る目は変わらず切なげだった。
「なぁ…快」
「ん?」
呼びかけに短く反応すると、父さんはいつものように俺の頭をゴツゴツとした手で撫でる。そして、何やらやけに優しい声色で語り出した。
「新しく子供が産まれてもお前が父さんや母さんにとって1番大切なのは変わらない。それは絶対だ。だから、何も心配することはないぞ」
「えぇ、そうよ。1番大切な子が1人から2人に増えるだけ。ただ、それだけなのよ。どれだけ大きくなっても快ちゃんは、私の宝物よ」
両親は揃って、俺が如何に大事かという話をする。
どうやら、まだ誤解は解けていなかったらしい。というより、何故だか両親の頭の中では、俺の方が要らぬ心配をしていることになっているみたいだ。
この場では、このまま頷く方が楽だが、ここは一応誤解は解いておこう。後になって、変に気にされても困る。
「父さんも母さんも、何か勘違いしているみたいだから念の為伝えておくけど…俺、別にこれから生まれてくる子供に対して、マイナスな感情は一切抱いてないからね。ましてや両親の関心がそっちにばかり向いて悲しいとか、寂しいとかも微塵も思ってないから」
「そ、そうなのか…?俺はてっきり寂しいのかと…」
「私も…てっきり快ちゃんが噂の赤ちゃん返りにでもなったのかと…」
俺の言葉で、勘違いだと分かった両親は驚きながらも露骨にホッと安堵の息を吐いた。
一人息子に新しい家族の存在が祝福されないと思うと、気が気で無かったのだろう。
だが、流石に赤ちゃん返りは無いだろ…そもそも、まだ嫉妬する子供すら生まれてないんだし、もうすぐ俺、中学生だぞ。詳しくは知らんがそういうのってもう少し歳の差がない兄弟間に起こる事象なんじゃないのか?
「じゃ、じゃあ、本当に寂しいとか、兄弟が出来て嬉しくないって気持ちはないんだな?」
「うん、ないよ。そもそも、2人は結構な親バカだし、端からそんな心配はしてないよ。兄弟に関しても、まぁ…はじめは驚いたけど、今はすごく楽しみだと思ってるよ」
「そ、そうか!ははは!俺達は親バカか!だが、まぁ、快も喜んでくれて何よりだな!」
「うふふ、そうね!きっと、この子も快ちゃんの言葉を聞いて喜んでるわ。でも、親バカは聞き捨てならないわ!ウチの子は、本当に1番ですもの!!」
「うん〜、そう言われてみると確かに…あ、いや、こういう所が親バカなのかもな!ははは!だが、親バカで結構!!ウチの子は1番だ!」
父さんの再確認に応えた俺の言葉を聞いて、今度こそ両親は諸手を挙げて喜ぶ。
その光景を見ながら、俺は改めて兄弟という想定外な事態について考えを巡らせていた。
兄弟…改めて考えてみてもやはり想像できない。弟なのか、妹なのか。いや、それが分かったところで、兄としての自覚は芽生えないだろう。両親に要らぬ心配をさせまいとした手前、楽しみとは言ったものの、実際のところは生まれた時にどういう感情になるのかも見当がつかない。
スキルという不可思議な力の存在が明らかになる…という人類の歴史上で見ても類を見ない程の世界の変化を直前にして起こった驚くべき日常の変化。
既にスキルの存在を知っている俺は、当分は驚くことなどないと思っていた。そして、今後驚くことがあるとしてもそれはまず間違いなくスキル関連であろうとも思っていた。
しかし、まさかこんな身近なところで驚かされるとは思わなかったな。まぁ、これに関しては俺の想定以上に両親の仲がすこぶる良好だったということか。それなのに、10年越しという所が、子供は授かりものと言わしめるところなのだろう。
「無事に産まれてくれるといいわね〜」
「そうだな。母子共に健康であってほしいものだ」
何やら両親が出産の心配をしているが、俺が居る限り万が一、億が一の確率にでも大事に至ることはないだろう。加えて、毎日治癒を施せば流れる心配も殆どいらないはずだ。そういう意味では、俺に兄弟が出来るのはこの時点でほぼ確定事項なのだ。
「快…これから母さんは徐々に動きづらくなってくる。だから、俺達で出来る限り支えていこうな」
「うん」
いつになく真剣な面持ちで言う父さんの言葉に、俺は適当に頷いておく。
「うふふ…ありがとう2人共。でも、まだ大丈夫よ。それに、動けるうちは少しは動いた方がいいんだから!」
「そ、そうか?だが、無理は良くないぞ!今日から料理も洗濯も日替わりでなくて全部俺がやろう!快もたまには手伝ってくれな!母さんは、んー…散歩だな。食って寝て散歩だけしてればいい!!」
実際に出産する自分より張り切る父さんに、母さんはどこか嬉しそうに映る苦笑いを浮かべた。
「あなた!心配してくれる気持ちは嬉しいけど、過剰だと逆に落ち着かないわ!適度にお願い!それと、子供も増えるんですから、家事ばかりしないで仕事も疎かにしないようにね!」
「そ、そうだな。すまんすまん!」
「ふふっ。いいのよ。気持ちは本当に嬉しかったもの!」
早くも浮き足立つ父さんを軽く諌めた母さんは、今度は俺の方を向いた。そして何故だか、その眼差しは父さんと同様にいつになく真剣なものだった。
ん、今まで怒られた事などないはずだが、遂に説教でもされるのだろうか。
「快ちゃん。これからこの子の事で色々と苦労をかけちゃうかもしれないけどごめんなさいね?」
なるほど、どうやら説教ではなく真面目な話だったらしい。
母さんが言うこれからとは、産前と産後の両方を含めてのことを示しているのだろう。
ウチは自営業とはいえ共働きだ。そこに、何かと面倒を見なければならない赤子が加わるとなれば、必然的に俺の出番も多くなる。
「大丈夫だよ。まだ実感はないけど俺はその子の兄らしいしね」
「ふふっ。ありがとう快ちゃん!やっぱりウチの子は1番だわ!」
詳しく言わなくても諸々の事情を把握した俺を見て、母さんは更に親バカを悪化させる。
そして、俺の返答に気を良くした母さんは、続けて人差し指を一本立てて俺を見た。
「じゃあ、もう一つお兄ちゃんにお願いしても良いかしら?」
今度はなんだろうか。赤子の面倒を見るのは仕方ないとしても、なるべく面倒くさいのは控えたいのだが…。
そんな思いはあれど…俺はこの状況では是非もなく、大人しく首を縦に振って続きを促す。
「この子を守ってあげて。歳は離れてるけど、快ちゃんのたった1人の兄弟だから」
この言葉にはなんの他意も無いのだろう。だが、俺は母さんの言葉にほんの少しだけドキリとした。
これまでの世界なら、こんな平和な世の中で一体何から守るんだ…となっていたところだが、これからの世界は、きっとこれまでよりも一層危険度は増す。いつ殺人ピエロのような制御の効かないバカが出てくるかも分からないし、そういう意味では確かに用心する必要が出てくるだろう。生まれてくる赤子に限らず、父さんや母さんも。
ん……そう考えると、俺の弟か妹は随分と楽しい時代に生まれるんだな。ちょっと羨ましい。
だがまぁ、でも、お願いが簡単な事でよかったな。俺が殺さない限り、俺の周りで死人は出ない、というより出さない。世の能力者共と遊ぶ片手間に兄弟の1人や2人を守るのくらいちょろいもんだ。
「分かった。絶対に守るよ」
俺は、そんな決意を胸に母さんの言葉に力強く頷いた。




