第59話 銀次の覚悟
カラーズに諸々の情報を開示した日から数日。
俺は、珍しく銀次から呼び出され、学校終わりに拠点へと足を運んでいた。
「で、なんだよ頼みたいことって」
俺は着いて早々、既に到着していた銀次へ開口一番に要件を問う。
「快。俺と戦ってくれ」
「は?」
銀次の予想外の申し出に思わず声が漏れる。
見る限り銀次にふざけてる素振りはない。至って真剣な面持ちだ。
「その様子を見るに冗談って訳ではないみたいだな」
「あぁ、本気だ」
「どんな心境の変化だ?今までは肉体の強化をする事はあっても、初対面を除いて俺と戦った事なんてなかっただろう」
「そうだな。だが、別にこれは心境の変化って訳ではない。ずっと考えていた事だ。俺は、能力者と戦うには弱い。それは自分でもよく理解している。だから、今までは肉体の強化をする事で、その差を少しでも埋めようとしてきた。だが、それだけでは到底足りないというのがこの前の快やテンマを見て気付かされた」
この前…というのは、カラーズにスキルを披露した時の事を言っているのだろう。
テンマはマナの圧縮を。
俺は治癒系統術を。
確かに、俺達は銀次のいない間に結構な成長を遂げた。
能管との実戦を経た今、俺達の実力は能力者の中でも比較的高い位置にいるという以前にしていた俺の予想は間違っていなかった事が証明された。
俺やテンマ以外の能力者を知らない銀次からしたら、自分の力の無さに焦るのも無理はないだろう。
銀次は思い詰めたような表情をして続ける。
「殺人ピエロの一件、俺は事が終わるまで何も知らなかった。殺人ピエロを追っていた事も、政府と対立していた事も…全て。どんな時もお前らと行動を共にしようと決めていたのに、全て事後報告だったんだ…」
銀次は悔しげに拳を強く握りしめる。
なるほど…話の途中だが何となく銀次の言わんとしていることが見えてきたな。
「はじめは何故なんだという想いが強かった。俺達は仲間だったのではないかと。どうして俺に秘密にするんだと。だが、そこでふと気付いたんだ。俺の力不足が原因なんだと。快やテンマに同行すれば真っ先に危険になるのは俺だ…だから、快は俺を…」
「ばーか。何を思い詰めてるのかと思えば、全部お前の勘違いだ」
「……勘違い…だと?」
話を遮るように発された俺の言葉に、銀次は間の抜けた顔をする。
「まぁ、お前が雑魚で能力者と戦うには弱過ぎるってのは否定しないがな。だが、殺人ピエロの一件は、別にお前の力不足云々とか、身の安全を心配して秘密にしていた…なんて優しい事実は一切ない。あの一件は、元はと言えば俺とカラーズだけで対処するはずだったんだ。それを、お前同様に勉強しろって言ってあったテンマが、何故か嗅ぎつけてきてな…それで、余りにしつこいからなし崩し的に連れて行っただけだ」
「そ、そうだったのか…」
「あぁ。まぁだからと言って、お前が事前に知っていたとしても、精々お前に出来るのはカラーズや餓鬼道会メンバーの指揮をするくらいのもんだったがな。それもあって、わざわざ勉強の邪魔をするのもなんだと思って、結果的に事後報告になっただけだ」
「な、なるほど…全て、俺の勘違いか」
自分の落ち度と思っていたのが勘違いだと分かってホッとしたのか、全身に強張るように入っていた力が抜けていく。
「で、お前をここのところ思い悩ませていたものが、お前の思い違いだと分かったわけだが…どうする?」
銀次の性格上、なんて答えるかなんて分かりきっているが俺は念の為確認を取る。
「…改めて頼む。快、俺と戦ってくれ」
銀次は事実を知って尚、はじめと何ら変わらない真剣な眼差しで俺を見つめる。
「ま、お前ならそう言うだろうと思ったけどな。だが良いのか?実戦というのならまだしも特訓ならテンマの時と同様、俺は例え非能力者のお前が相手だろうと決して容赦しないぞ。それに、殺人ピエロの人体実験での経験を経て、俺は人体の限界というものを大方理解した。それは、つまり…どこまでなら問題ないか…という加減を覚えたという事だ。その意味は分かるな?」
「……!」
治癒の力を持ちながら、銀次よりも遥かに優れた身体能力を持つ俺が容赦はしないが、加減を覚えたと言った意味…。
その示すところをよく理解しているのか、銀次は大粒な汗を流しながら頷いた。
「それをお前が承知の上でも、あえて忠告する。俺と戦えば、お前はきっとこれまで受けてきた肉体破壊での痛みなんてのがバカらしくなる程の痛みを負うことになるだろう。それも一度や二度ではない…何度もだ。それでも本当にいいんだな?」
銀次の自己分析は概ね正しい。このまま、肉体破壊による強化を続けても、生半可なら相手ならまだしも俺やテンマのようにしっかりと力を磨き続けている能力者には一歩劣る。その差は、銀次が何かしらのスキルを獲得するまで決して埋まることはないだろう。
スキルは言わば奥の手だ。それがない銀次は、言ってしまえば決定打がない状態。
事実、俺はテンマや銀次に施した肉体強化はスキルの下地のような物と考えていた。
テンマには、スキルを十分に活かせるだけの頑強な肉体を。銀次には、いつどんなスキルを獲得したとしてもいいように十分な備えを。
しかし、銀次はそれを分かった上で、今回俺と立ち合いたいと言った。その目的は、スキルを獲得した時を見越しての更なる下準備だろう。
実戦を行う上で、実際に死の恐怖を経験しているのと、いないのとでは大きな差がある。経験に基づく覚悟という差だ。
その重要性は能管との一戦だけ見てもよく分かる。
殺すことを躊躇した獣女然り、敵前で怯えを見せた3人然り、そういう意味では能管メンバーはそれが圧倒的に足りてなかった。
これは、殺すつもりのない俺達が相手だったから助かっただけで、本来なら生死を分ける致命的な弱点だ。
俺の考えでは、銀次がスキルを取得するまでは下地を作るだけで、手合わせをするのを見送ろうと思っていた…だが、たしかにそういった覚悟を養うという意味では悪くない提案だ。
死の恐怖は実戦でしか味わえないし、ついでに肉体の強化もすればデメリットは特にない。まぁ、まかり間違ってもいい勝負をするなんてことにはならないだろうが、俺を相手取るだけで、銀次には得るものが確かにあるだろう。
これは俺なりの最後の忠告だ。
俺の治癒は感情には作用しない。俺との実戦が銀次に戦闘行為自体にトラウマを植え付ける可能性は大いにある。
だから、ここは見極めが必要だ。俺としても、今成長を急いで、銀次が戦えなくなるのは本意ではない。
だが、これだけ言っても…もとい脅してもやると言うのなら、銀次の覚悟はそれ程のものなのだろう。
ここでこれから待ち受ける恐怖に打ち勝ち頷けるかどうか…それが最初の関門とも言える。
俺がただのハッタリでこんな事を言わないのは、銀次は今までの俺を見てきてよく分かっている。
その証拠に、銀次は俺の言葉に、「はい」か「いいえ」の意思表示をするだけなのにさっきの比ではない大量の汗をかいている。
——ハァハァ
静寂に銀次の荒い息遣いだけが響く。
ただ、ここでやると頷くだけ。それは分かっている。だが、体が一向に動かない。動いてくれない。恐怖からか脳が指令を出してくれない。
戦ってくれ…とは言ったが、勝負にならない事はやる前から銀次も分かっている。
きっと、ひとたび頷けば本当に快の言った通りに、今までの比にならない苦痛を味わう事になる。
脳に加えて全身の骨や筋肉の破壊…快の言葉でこれまでの感じた激痛を鮮明に思い出してしまう。
あれ以上の苦痛……時間経過と共に想像を膨らませてしまい恐怖がどんどん増殖していく。
——このままではマズイ
そう…銀次が恐怖に呑まれそうになった時。
ふと、恐怖が和らぐのを感じた。
何故、和らいだのか…その理由は深く考えずともすぐに分かった。
自分は既に結構な仕打ちを受けている。
痛みに怯えるのなんて今更だった。
銀次はその事に遅れて気が付いた。
自分の感覚が狂ってきている自覚はある。
しかし、今回に限ってはこれまでに受けた過去の苦痛は、今後感じることになるであろう恐怖や痛みを耐え抜けるという自信へと繋がった。
銀次は、快の忠告にさっきまでの躊躇が嘘のように力強く頷く。
「あぁ、それでも俺と戦ってくれ。快やテンマが強いのはこの世界の誰よりも俺が知っている。もしかしたら、この先もピンチになんてならないかもしれない。だが、俺は万が一に備えたい。お前達が億が一の可能性でもピンチに瀕した時、それを救うことの出来る力を俺は身につけたい。今、戦っても勝負にならないなんて事は、百も承知だ。だが、そんなのは関係ない。今日はダメでも未来のどこかで役立つ力が身につくのなら、俺はどんな痛みや恐怖でも乗り越えられる」
「ははっ、そうか。銀次…どうやら俺は少しお前を過小評価していたようだ。覚悟だけならお前はもう十分、能力者以上のものを身につけている」
快は、銀次の恐れを一切感じさせない物言いに不敵に笑った。
そして、重心を低くして構えをとりながら銀次を見据える。
「非能力者に向かって俺を楽しませろなんて酷なことを言うつもりはない。だが、全力で抗って見せろ。それが、きっとお前を成長させる」
「あ、あぁ!!」
快の言葉に威勢よく返事をすると、銀次も重心を低くして臨戦態勢をとった。
——ゾクッ
快と対峙するだけで伝わる重厚な威圧感。
銀次はまだ戦闘が始まってもないのに怖気が走った。
「開始の合図はお前に譲ってやる」
快は、油断など感じさせない冷たい声色で呟く。
非能力者の自分に対しても、快は本気で相手をしようとしてくれている。
それを感じ取った銀次は、せめてもの精一杯をぶつけようと握る拳に再び力を込め直した。
そして、注意深く快を見据えながら開戦の幕開けを叫ぶ。
「はじめっ!」
——グシャッ
「おっと、初っ端からちょっとやり過ぎちゃったか?」
開始の合図をした直後に、自分の懐の中から聞こえてくる快の呑気な声。
それで、銀次は既に自分がやられていることに気が付いた。
「ガハッ…ハ…!?」
声を出そうにも口から出てくるのは、赤黒い血液だけ。鳩尾の辺りが熱を帯びている感覚がする。
違和感の原因を確かめようと、視線をゆっくりと自分の腹部へと下ろす。
すると、そこには自分の腹にめり込む…否。自分の腹を貫く快の腕があった。
それを確認した銀次は、快の小さい体にしなだれかかるように倒れる。
——トントン
快は、腹部を貫いた右腕一本で銀次を支えると、残った左手で軽く背中を叩いた。
「ごめんごめん。思ったより柔かったわ。次はちゃんともう少し加減するわ。まぁ、初っ端だし勘弁してくれよ。きっと、100回、200回と繰り返せば少しはやり合えるようになるからさ」
銀次は遠のく意識の中で聞こえてくる快の声に、早々に自分の選択を後悔しそうになった。




