第55話 落差
8月の茹だるような暑さが続く9月上旬。
「はぁ…」
俺は重たい足取りで学校へと向かっていた。
これはわざわざ言うまでもないことだが、別にランドセルの中にパンパンに詰めてある夏休みの宿題や教科書が重たいわけではない。
ただ、単に気が進まないのだ。
これはある種、殺人ピエロという丁度いいおもちゃの出現で、スキルを獲得した昨年よりも充実した夏休みを過ごせてしまった弊害だろう。
俺は今、元より嫌いな学校が一段と怠く感じてしまっている。
別に学校が始まったからと言って有意義な時間を過ごせないというわけではない。きっと学校でも授業中にマナ関連の鍛錬なんかはできるし、放課後や土日を有効に使えば、夏休み期間と同様に成果は上げられる。
だが、やはりそれは長期間に渡って好きな事に没頭できる長期休みと比べてしまうとどうしても効率は落ちてしまうのだ。
殺人ピエロの捜索、能力者管理局という政府機関との接触、殺人ピエロというスキルを所持した稀有な存在を対象とした人体実験、殺人、人体実験で得た成果の確認、治癒の応用技の考案…と、思い返してみても我ながら1ヶ月半という期間で沢山の事を成し遂げられた。
面倒な事も多かったがそれ相応の収穫はあったように感じる。
新しい情報や経験だけでなく、それらを活用した大幅な戦闘力の上昇。技の考案で試行錯誤を続ける内にスキルに対しての理解もだいぶ深まった。きっと夏休み前の俺と今の俺が戦えば秒で決着がつくだろう。
俺がこの夏休みに獲得したものはかなり多い。だからこそ、それを考えるとどうしても学校へ行く事の効率の悪さを感じてしまう。
でも、だからと言って学校を休むわけにも行かないのが辛いところだ。
夏休みに能管と接触したことで俺が子供の姿なのは既に見られている。小学校は義務教育な分この時期に、長期的に休む生徒がいたら不審に思い万が一にも目をつけられる可能性がある。それに、親への言い訳も面倒だ。
「はぁ…何にせよ俺はここに来るしかないってわけだ」
どんなにトロトロと歩いても、進んでる以上いつかは学校へ着く。それも小学校の学区なんてのはたかが知れてるし、家から学校までの距離なんてそこまで離れていない。
比較的遅めの登校だからか、既にほとんどの生徒は来ているようで、廊下までガヤガヤと騒がしい声が響いている。きっと昨年と同様に夏休み期間の過ごし方で話に花を咲かせているのだろう。
「はぁ…」
この後のほぼ確実に訪れるであろう展開を予想して怠さが再燃する。
無駄だと分かりつつも自分に治癒を使ってみるが、やはり気持ちにはなんら変化は見られない。
精神疾患ならまだ治せる見込みはあったのだがな。
——ガラガラッ
意思に反して辿り着いた自分の教室の扉を開けると、そそくさと自分の席へと向かう。
にしても教室の中はいっそう喧しい。
これは単に俺の視覚同様に強化しつつある聴覚が過度に性能を発揮しているだけではないだろう。このボリュームは強化前でも十分に耳が痛くなる程の騒がしさだ。
「…」
自分の席の近くまで来て、目の前に立ちはだかる強敵に思わず立ち止まる。
「あーーーー!!!快くんだ!!!おはよ!!!久しぶり!!!」
嫌な予感は見事に的中した。
予想通り、鶏は騒がしい教室内の中でもぶっちぎりの声量で声をかけてくる。朝イチで、しかも久しぶりでこの音量は流石に堪えるものがある。主に精神的に。
「お、おはよ…快くん」
そして、続けて控えめに挨拶をしてくるメガネ女児。
別に普通の対応なのだが、鶏と比較すると酷くまともに見えるから不思議だ。
「おはよう。ところで鶏」
「ん??なに!!!」
「元気なのは結構だが、もう少し声のボリュームを落としてくれ。でないと、今すぐにでも手が出ててしまいそうだ」
「分かった!!!少し小さくするね!!!でも、周りがうるさいから聞こえないと思ったの!!!」
別にお前の声なんか聞きたくないんだが?と言うのは簡単だが、言っても効果がないのは目に見えてるから態々無駄なカロリーは消費しない。
しかし、相変わらずバカなのは変わっていないようで、小さくするねと大きな声で言う鶏への怒りを拳を握り締めることでなんとか堪える。
「あーちゃん、また声大きくなってるから、もう少し小声でね。そんなに叫ばなくても聞こえるから大丈夫だよ」
「あっ、ごめんね快くん。気をつけるよ。気をつける!」
俺の気持ちを察したメガネ女児が、気を利かせてくれたおかげで鶏の声量は普通に戻った。
しかし、危ないな。もう少しメガネ女児のフォローが遅かったら今頃は間違いなく鶏の鳴き声で増して騒がしくなっていた。
これも殺人を経験した影響なのか。女児相手でもビンタくらいなら良いんじゃないかと耳元で悪魔が囁いていた。気をつけよう。今は例えビンタでも洒落にならん威力が出る。
俺が席についたのを確認すると、鶏は一息つく間もなく俺に話題を振ってくる。
「ねぇ、快くん。夏休み中ずっとどこ行ってたの?何回もみーちゃんと一緒に遊びに誘いに行ったんだよ??」
「あー、ちょっと自由研究で忙しかったんだ」
何回も家に来たというのに俺が鉢合わせなかったのは、夏休み中は殆ど廃工場に入り浸っていたからだろう。そういう意味では殺人ピエロに感謝だな。
コイツらと遊ぶより、殺人ピエロを切り刻む方がよっぽど疲れない。
「へー、そうなんだ!でも、残念だなー。快くんと遊びたかったのに」
「そうか」
「うん!あっ、でも快くんのお母さんがせっかく来てくれたからってパンくれたの!!」
「そりゃよかったな」
「うん!すごいおいしかったよ!ね、みーちゃん!」
「う、うん。すごい美味しかった。でも、行く度に毎回くれるからなんか悪い気がしちゃったな。快くんのお家だけど…元はお店で売っているパンだし」
「あ、確かに!お店のパンなのにお金払ってない!これって万引き?!」
申し訳なさそうにするメガネ女児と馬鹿みたいな慌て方をする鶏。
チャイムが鳴るまでのあと10分程。それまでこんな興味もない話に付き合うなんて到底耐えられん。昨年みたいにスキルオーブの目撃情報でも話してくれれば話も変わってくるが、様子を見る限りそれも無さそうだ。
よし、別にパンの事はどうでもいいが、鶏を追い払うには丁度いい口実だし使わせてもらおう。
俺は、あたかも深刻ですみたいな声色で鶏に告げる。
「鶏…お前はこのままだと無銭飲食に営業妨害で刑務所行きだ」
「え、そ、そんな。ど、どうしよう。で、でもみーちゃんも一緒に…なんであたしだけ!」
「おー、友達を売るとは薄情な奴だな。友達売却罪も追加だ。かわいそうに…このままだと殺人ピエロみたいに死刑もあり得るな」
夏休み中に世間を騒がせた殺人ピエロは死刑判決が出たというのが世間の認識だ。事実はどうあれそうなっている。
流石の鶏もあれだけ報道された殺人ピエロの件は知っているのか、涙目になりながら狼狽える。
「ぅぅ、どうしよう…快くん…死にたくないよぅ」
「そうだな。重罪と言えどお前はまだ子供だ。当分の間、自分の席で大人しく座っていればまだ情状酌量の余地はある」
「わ、分かった!大人しくしてる。そうすれば刑務所行かない?」
「あぁ、多分な。でも、少なくとも一ヶ月は大人しくしていなきゃダメだぞ。日本の警察は優秀だからな。騒いだらすぐに疑われる」
「分かった!あたし大人しくしてる。みーちゃんも念の為大人しくしててね!疑われてるのあたしだけかも知れないけど念のため!」
「わ、わかったよ」
鶏の何の意味もない忠告を前にメガネ女児は苦笑いを浮かべながら頷いた。
そして、鶏は足音さえ立てないように静かに自分の席へと戻って行った。
「ふぅ」
「ちょっとやり過ぎだったんじゃない?」
ようやく一息つけた俺に、メガネ女児が鶏の背を見ながら心配そうに呟いた。
しかし、俺はそれに悪びれもせず応える。
「あんな作り話に騙される方が悪いだろ。お前だってまさか信じるとは思わなくて止めなかったんだろ?」
「う、うん…まぁ、それはそうだけど…」
「ならほっとけ。ピュアと言えば聞こえはいいがな。あんなの詐欺師からしたらカモ中のカモだぞ。俺の嘘は実害はないんだからそこまで心配する必要はない。これも社会勉強のうちだ。お前も将来大人になった時にバカみたいに効能がある壺に大金支払って路上生活を送る親友の姿は見たくないだろ?」
俺の言葉に、メガネ女児は黙って頷いた。
きっと思いの外、鶏が嬉々として壺を買う未来が簡単に想像できてしまったのだろう。
冗談のつもりで言ったが、鶏を心配そうに見つめるメガネ女児の顔は割と真剣だった。その顔はどこか銀次と被る。
どうやら、幼馴染は苦労を背負う宿命らしい。




