第49話 醜悪なピエロ
——怒涛の県外遠征の翌日の廃工場
「許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい。許して下さい」
俺が早朝、廃工場へ出向くと、そこには硬い床に人形の如く打ち捨てられた殺人ピエロがいた。そして、何やらお経のように懺悔を繰り返し唱えている。
両手両足が損なわれている為か、催しても碌に動けなかったのだろう。その周囲の床には、水が流れたような跡が残っている。短い体のシルエットも相まりそれはまるで放置された赤子のように見えた。
俺が扉を抜けた所でその様子を眺めていると、後ろからテンマが声をかけてきた。
「おはよ〜、快ちゃん!」
「あぁ、おはよう」
短く返事をすると、テンマは俺の視線の先を確認する。
「わー、凄いね。もう届いてるんだ」
「あぁ、どうやらクロウズ宅急便は超特急で荷物を届けてくれたらしい」
ここでいう荷物とは、もちろん殺人ピエロの事だ。
昨夜、テンマが殺人ピエロの四肢を切り落とし俺が治癒を施した後。
俺達は能管の奴等に特定されないように、クロウズに指示を出して帰路に着いていた。
本作戦の中でも重要任務の為、当初の予定では、陰ながら監視役を担おうと思っていたのだが、クロウズがあまりに任せてくれと言わんばかりに頷くものだから、結果的に完全に運搬を委託させてもらった。
まぁ、後になって迂闊だったかと心配にもなったのだが、この様子を見る限りクロウズは重要任務を完璧にこなしたらしい。
そのおかげで、この場所を特定される可能性は限りなく低くなった。なんせ、人が利用する公共交通機関はおろか、人の手すら使っていないのだから探りようがない。
——カァー!
俺の元に一羽のカラスが飛んできて肩に乗る。どうやら、俺達が来るまでの間の殺人ピエロの監視役を担ってくれていたらしい。
「ははっ、至れり尽くせりだな。よくやった」
——カァー!!カァー!!
俺が労うとカラスは嬉しそうに鳴く。
「この分なら俺が頼んだもう一つの方も問題なさそうだな」
「もう一つの方??」
「いや、ちょっとな。今度話す」
俺の呟きにテンマが首を傾げるが、軽く流して話を変える。
これは、もし成功しているなら結構な朗報だからな。ちゃんとした結果が出るまでは黙っていた方が、ダメだった時の落胆も少なく済む。テンマなんか露骨に落ち込んで、受験勉強に支障が出そうだ。
でも、クロウズは俺の予想以上に優秀だったからな。あまり心配はしていない。きっと近い内にいい報告が出来るはずだ。
俺とテンマは仰向けの状態で力なく寝そべる殺人ピエロに元に歩み寄る。
俺達が視界に入るとお経のように唱えていた懺悔を辞め、殺人ピエロは怯えたように許しを請い始める。
「ひぃ!?…許して下さい!!許してください!!」
余程昨日の仕打ちが堪えたらしく、四肢のない体で何とか寝返りを打ち、必死に頭を下げようとしている。きっと頭を下げる事の多い人生だったのだろう。謙り方が堂に入っている。
まぁ、側から見たらうつ伏せに寝転んでいるようにしか見えないのだが。
「お前さ」
「?!…は、はい!!」
俺の呼び掛けに、殺人ピエロはビクっと肩を跳ね上がらせる。
「誰に、何を、許してほしいんだ?」
「あ、え…あ…っ…」
殺人ピエロは、俺の質問が予想外だったのか怯えながらも考え込むように俯く。答えを間違えたら死ぬとでも思っているのか冷や汗をダラダラと流している。
そして、汗と尿の匂いが混ざり、辺りに不快な匂いが充満する。最悪だ。
俺は考え込む殺人ピエロを他所に、隣にいるテンマに小声で指示を出す。
「おい、風で匂い飛ばしておけ。あと、コイツに気付かれないようにこれからの事を録音しておけ」
「ん?…分かったよ…」
小声で話した為か、テンマは俺の意図を汲んで理由を聞かずに承諾した。
——コホンッ!
そして、下手くそな咳払いと共にテンマはスマホと風を操作する。幸い、殺人ピエロは考えるのに必死で気が付いていない。
我ながら見事な心遣いだ。
俺は殺人ピエロに優しい声色で呼びかける。
「なぁ、殺人ピエロ」
このままじゃ怯えるだけで埒が明かないからな。少し話しやすいように場の雰囲気を整える。
「…は、はい」
うつ伏せの状態から背筋運動をするようにして必死に俺の方に視線を向ける。
本人的には必死なのだろうが、その様が滑稽過ぎて笑いが出そうになる。
しかし、俺は笑いを堪えて続けて優しく接する。
「昨日の事で勘違いしないでほしいんだが、別に俺はお前に怒ってる訳じゃないんだ。さっきの質問も、何故かお前が出会い頭に許して下さいと懇願するように謝って来たから、疑問に思って質問したに過ぎない。決して、お前が考えるような他意はないぞ?」
「で、でも…」
まだ俺が怖いのか続く言葉は出てこない。だが、殺人ピエロは、ならこの体は何だとでも言いたげな目で控えめに俺を見つめてくる。
「あぁ、お前の言いたい事は分かっている。でもな、昨日の事をよく思い出してみてくれ。お前あの状況で俺達なしで逃げ切れたか?ちなみに言っておくとお前を追跡していたのは、政府の能力者管理局とかっていう対能力者専門の取り締まり機関だぞ」
「せ、政府の…」
俺の言葉を脳内でゆっくり咀嚼しているのか繰り返すように呟く。
「そうだ。お前は政府に追われていたんだ。それも奴等はみんなお前と同様に能力者だった。それを踏まえてもう一度聞く。お前、俺達なしで逃げ切れたか?」
「む、無理です…で、でも僕のこの体は…あなた達が…」
俺の柔らかい態度に少し恐怖心が和らいだのか、今度はしっかりと言葉にした。
「あぁ、お前の体は確かに俺達がやった。でもな、これもよく思い出しみてくれ。あの状況でお前が単独行動をしていたら、間違いなくお前は殺されていたぞ。あの女は、お前が背中を向けた途端に銃をむけていたからな」
「そ、そんな…ならあなたは僕を助ける為に…」
まぁ実際には、獣女はコイツに銃を向けずに追おうとしたし、コイツが背中を向けて走ったのは俺が殺人ピエロと仲間ではないと明かしたからなのだが…どうやらまだ混乱しているのか都合の良い様に解釈してくれたらしい。これが正常性バイアスというやつだろうか。とにかく馬鹿で助かった。
「そうだ。俺がはじめにお前の足を奪ったのも、全部はあの女を動揺させてお前を殺させないようにする為だ。おそらく、政府の方針としてはお前を逃すくらいなら殺すというものだったのだろう」
「…でもあの女は僕を出来れば殺したくないって」
「それも、考えてみればおかしな話だ。今朝のニュースでやってたが、お前は前回と合わせて61人も殺害していたらしい。そんな奴を政府が大人しく身柄を拘束するだけで済ませると思うか?お前の事はマスコミも知っているからな。運良く裁判にもつれ込んでも死刑判決が出るのは間違いないだろう」
「…ならあの女は僕を騙して…クソッ」
俺の作り話に面白い程影響を受ける殺人ピエロ。よく考えてみれば、ツッコミ所は沢山あるのだが、それも自分の未来に希望を持ちたいから考えないようにしているのか、単に頭が緩いだけなのか、一丁前に怒りを露にするだけで気がついている様子はない。
「お前の腕や脚を切り落としたのも、政府に悟られずに運搬するための手段がカラスに運ばせるしかなかったからだ。でないと、せっかく逃げ切れても潜伏先がバレてしまうからな。何としても重量を軽くさせる必要があった…」
「全部…僕の為に…」
感動したように俺を見つめる殺人ピエロ。
テンマがそれを見て何やら引き攣ったような笑みを浮かべているが今は気にしない。
「でも何で…僕の事を…助けてくれるんですか…その人は僕のファンではないって…」
テンマの方を見て、疑問を口にする殺人ピエロ。
俺はそれに懲りずに華麗な味方ムーブで対応する。
「コイツは知らんが、少なくとも俺はお前のファンだぞ?初めてお前のニュースを見た時は、スキルをこんな大胆に使う奴がいるなんて!と随分と感心したもんだ」
「ファン…感心…ひひ、そうですか」
「あぁ、攻撃に特化したスキルじゃないのに、よく61人も殺せたもんだ…で、殺した理由は何なんだ?やっぱり人殺しが好きなのか?」
俺の言葉に気を良くした殺人ピエロは誇らしげに語り出す。
「まぁ、殺しが好きってのもありますけどね。殺す1番の理由は世の中が不平等だからです」
「不平等?」
「えぇ、今の世の中は見た目が全てです。容姿が良ければ優遇されるし、悪ければ何も悪い事はしていないのに非難される。僕はそんな扱いをこれまでたくさん受けてきました」
些か偏り過ぎた意見だが……まぁ、確かに清潔感は皆無だな。今も漏らしてるし。これが経験者は語るってやつか。やはり説得力が違うな。
俺は、そう脳内で茶々を入れながら聞くことに徹する。
「あなたも不平等だとは思いませんか?…って、あなたは容姿が優れているから分からないでしょうね。これは生まれた時点でその人の幸福度が決定付けられるようなものなんです。だから、殺すんです。世の中には不平等が溢れている。だから、恵まれている奴や幸せそうな奴を殺すことでそのバランスを整えるんです。世の中の不平等に嘆く者達の代わりに僕が粛清する…それが、僕の。神に選ばれた僕の使命なんです」
そう興奮したように語る殺人ピエロを見て、俺は脳内にあった事前に推測した殺人ピエロの情報を一新した。
殺人ピエロは快楽殺人者ではなかった。
人を殺す事で快感を得るのではなく、人を殺す自分に快感を得る自己陶酔野郎だった。
どんな異常者かと思ったら、まさか使命感を持って事に及んでいたとはな。想像以上だ。殺人ピエロの正体は、飛んだ選民思想の持ち主で、おまけにアラフィフで厨二病まで患っている激イタおじさんか。
蓋を開けてみれば大したことない小者だな。そう思うとコイツに殺された奴が不憫で仕方ない。
言ってしまえば、これは単なる嫉妬だ。
隣の芝生が青く見えるを体現したような…子供染みた嫉妬。
一見幸せそうに見える者も実際は色々と悩みを抱えていたりするものだ。こいつは表向きだけを見て、それを判断したに過ぎない。
そもそも、容姿がいい…からと言って、それが努力をしていないというわけではないだろう。
どんなに容姿のいい奴だって、食っちゃ寝をすれば太るし、肌も荒れる。綺麗な状態を保つにはそれ相応の努力が必要だ。
ただただ僻むコイツは何か努力をしたのだろうか?
いや、してないだろうな。それは体型が物語っている。
俺から言わせれば、コイツは容姿を良くする選択肢を捨てた代わりに、他の選択肢を拾ったに過ぎない。お菓子を食欲の限り貪るとかな。
とはいえ、今は味方ムーブを続行しよう。こういうタイプは大概正論が大嫌いだからな。
この際、余罪も炙り出しておくか。
「うんうん。お前の言う通り確かに世の中には不平等が溢れているな…それで、お前は人殺しだけにその力を使ったのか?それとも、もっと他に面白い使い方を試したりしたのか?」
俺の嘘の共感が余程嬉しかったのか殺人ピエロは気持ち悪い笑みを浮かべる。
「ひひっ、それはちょっとあなたにはまだ刺激が強いかも知れませんね…」
「構わんから話せ。人殺し以上に刺激的な話などたかがしれてる」
「ひひっ、そうですかね。では、失礼して…」
そして、殺人ピエロはこれまでの事を語り出した。それは、まるでバカみたいな武勇伝を嬉々として語る老害のように。
「うへぇ」
話を聞き終わったテンマは、露骨に顔を歪めた。
こうなるのも無理はない。
人殺し以上に刺激的な話などたかがしれてる…なんて言ったが、俺もこの言葉は撤回しようと思う。
殺人ピエロの話は刺激的かつ気色の悪い話だった。
はじめは能力取得の話から始まりなんてことは無かった。だが、後半になるにつれ、その内容は気色の悪いものへと変化していった。
「随分と楽しんでいたみたいだな」
俺は優しい口調をやめて、普段の話し方に戻す。余罪は散々炙り出したし、同調するのはこれで終わりだ。
しかし、殺人ピエロは自分語りをして気分がいいのかその事に気が付かず、意気揚々と聞いてもない話を続ける。
「ひひっ、まぁ、人に成り代わって体の関係を持つのは、慣れるまではドキドキでしたね。でも、何十個も年下の子とするのはたまりませんでした…全然知らない人なのに、彼氏に成り代わってるから、最中は好き好きとか言ってくるんです。それと、働かなくて良くなったのも最高ですね。姿を変えて知り合いだと偽れば大概渋々ですけどお金とか貸してくれますし、最悪店から盗んでも他の人に罪をなすりつけられますから…ひひ、本当に神の力です」
とまぁ、このような罪がスキルを獲得したという半年前からわんさかある訳だ。つまり、61人の殺害というのは表に出た氷山の一角にしか過ぎなかったのだ。
きっとこの様子だと、コイツのせいで冤罪で捕まった者もいるだろう。人間関係を壊された者もいるだろう。体を弄ばれたのに未だに気が付いていない者もいるだろう。もしかしたら、まだ明らかになっていないだけで、既に殺されている人もいるかもしれない。
だが、犯行時はいつも変身している為、決定的な証拠は残らない。極めて悪質だ。きっと、繁華街での殺傷事件時も相手が油断しやすいような姿で犯行に及んだのだろう。それなら、色々と説明がつく。
傷付けられたのは所詮他人だから、不憫だとは思うが、別に俺の心は傷まない。
だが、これは相応の報いを受けさせる必要があるだろう。少なくとも、被害者が感じた痛み以上の。
あー、この後の実験に精が出るな。
「神の力ね。たしかに強力だ。だが、不思議だな。お前のついさっきの言い分だと姿を変えられるお前は、お前流に言う恵まれた奴ってのに該当するんじゃないか?」
「ひひっ、そうですね。でも、僕は神のような存在ですから例外です。裁きは神がいなければ下されませんから…」
どんな言い訳をするのかと思えば、僕だけは例外と来たか…にしても、神に選ばれたとか、神のようなものとか設定がぐちゃぐちゃだな。神なのか、代行者なのかはっきりしてほしいな。
で、僕以外の恵まれた奴は粛清対象だったか。
「なら、俺の事も殺すか?俺は自分で言うのも何だが、だいぶ恵まれているぞ?顔はいいし、運動も勉強も出来るし、女にもモテるし、家族関係も良好だし、お金もある。向かう所敵なしだ。神の裁き番付みたいな物があるとするのならその筆頭に名前があってもおかしくない逸材だ」
「…あなたはある意味恩人ですからね。こんな姿にはされてしまいましたが、僕を助けてくれました。だから、殺しません」
はて、いつから力関係が覆ったのだろうか。殺せませんではなくて、殺しませんときたか。最初に比べて、随分と偉そうな態度をとるようになったな。
「それはありがたいな。なら、その温情に感謝して、俺も神に礼儀を尽くす事にしよう。俺のスキルは傷口を塞ぐことだけじゃなくて、欠損部位も治すことが出来るんだ」
「!?…それは、僕の体を元に戻せるということですか?!」
「そういうことだ」
「ひひひひっ、それは良いですね!褒美に全快したら僕の使徒にしてあげます」
「へー、そりゃいいな」
「えぇ、そうでしょう、そうでしょう!」
俺の言葉に殺人ピエロは、興奮したように顔を上気させる。
豚も煽てりゃ木に登るとは言うが、ここまで有頂天になる豚も見たことがないな。
てか、性犯罪者の使徒って何の罰ゲームだよ。
だがまぁ、いいか。使徒も考えようによっては悪くない。
「じゃあ、始めましょうか神様。何度でも全快させてあげますからね」
そう言い、俺は使徒の鏡のような優しい笑みを浮かべる。




