第47話 狂人vs獣女(2)
動いたのは獣女。
——パンッパンッパンッ
どこに隠し持っていたのか、拳銃で機動力を落とそうと脚を狙ってくる。
「…っ」
急な現代武器の登場に驚きはするが、それを咄嗟に横に飛んで回避する。体がゴロゴロと土を転がるがその勢いを利用し即座に身体を起こし次に備える。
「やはり避けますかッ!」
獣女の方を見ると俺が避けるのは想定の内だったのか、既に銃を投げ捨て動き出していた。
相変わらず凄い疾さだ。10メートル程の距離はあったはずだが、一瞬のうちに半分の距離にまで詰めてきている。この様子じゃ、俺の元に到達するのにはもう瞬き程の時間があれば十分だろう。
俺はその刹那に思考を巡らせる。
この期に及んで、下手な撹乱なんて狙うのは獣女にいいようにされてしまうだけだ。この森という空間はあまりにコイツの土俵すぎる。
敏捷性に劣っている以上、俺が今後取る行動として最適なのは素早い攻撃にも防戦一方にはなり過ぎずに、隙あらばカウンターをぶち込むこと。これだけだ。
我ながら理想を語り過ぎだとは思うが、理想を語らずして実現はあり得ない。
イメージの固まった俺は体勢を低くして迎え撃つ。小さい体を更に縮めることで狙う箇所を限定させる。
「フンッ!」
目前に迫る獣女は、鋭利な爪を俺の肩口めがけて振るってくる。
太い木の枝をも簡単に切り裂く攻撃。
いくら俺の体が頑丈とはいえ、これをまともに食らえばさすがに一溜まりもないだろう。
俺の体は打撃にはめっぽう強いが、斬撃に関しては強化が今ひとつ足りない。包丁程度であれば手を切ることもないが、これ程突き抜けた攻撃となれば完全にお手上げ状態だ。
ならどうするか。
「ッ!?」
左腕を構えて避けようとしない俺に目を見開く獣女。
しかし変わらず、俺は左腕を自ら断ち切らせるように獣女の爪に近づける。
——ブシュッ
嫌な音と共に前腕に鋭い痛みが走るが、俺はその痛みにも構わず残った右腕で隙だらけの獣女の腹部に下から突き上げるように拳を叩き込む。
「カハッ!?」
獣女の体は俺の拳の動きに沿うようにして跳ね上がる。
胃液を吐き出しながら宙を舞う獣女。
俺は、そこに続けて右足で軽くその場で飛ぶようにして踏み込み、左足で後ろ回し蹴りを放った。
「ブフッ」
それが左頬に直撃し、獣女は声にならない声を上げてぶっ飛んでいく。
「…」
追撃しようと脚に力を込める間際に攻撃を受けた箇所を確認すると、そこには中途半端に繋がる左腕があった。
戦う覚悟を決めたとはいえ、流石に子供の体の一部を切り落とすのは気が引けたのか、攻撃途中に躊躇したような痕が見られる。
かろうじて筋肉と外皮だけで繋ぎ止めているが、骨は完全に断ち切られている。
我が腕ながら結構グロい見た目をしている。
——ブチッ
俺は更なる追撃をする為に土を蹴りながら、それを力任せに引きちぎる。
元より肉を切らせて骨を断つつもりだったんだ。腕の一本や二本くらい喜んでくれてやる。
「…なっ!?」
流石に頑丈だ。
獣女は口の端から血を流し、腹部を抑えながらも既に立ち上がろうと膝をついている。コイツも追撃を警戒していたらしい…行動が迅速だ。
しかし、腕を自ら引きちぎる俺の行動に驚きを隠せない様子で呆然としている。
致命的な隙だ。
俺は右手に自らの左腕をバトンのように持ちその隙を見逃さずに距離を詰める。右手を振る傍ら鮮血が舞うが気にしない。
スピードに劣る俺が攻勢に出れるタイミングはそう多くは作れないし、この意表をつくやり方も2度目3度目はうまくはいかないだろう。
痛みなんて二の次だ。
警戒していたとはいえ、獣女はまだ完全には体勢を整えてはいない。
時間的余裕がない中、俺が完全な勝利を収めるには今が最初にして最後のチャンスだ。
この機会を無駄にはしない。
「おらっ!」
「クフッ…!!」
未だ膝立ちの獣女の眼前にまで迫ると、俺は走ってきた勢いのままに顔面に飛び膝蹴りを喰らわせようとする…が、それは身体を後ろに反らして受け流される。
だが、追撃はここで終わりじゃない。
ここは森。足場となる木はそこら中に立ち並んでいる。
俺は空中で身を翻して、木の側面に着地してそのまま屈伸するようにして衝撃を吸収し、再び飛び出す。この類の空中戦はテンマとの手合わせで散々磨かれている。場所を利用できるのは何も獣女だけではない。
十分な備える暇もなく背後から迫る俺の気配に、獣女は逆正座のような態勢から、ブリッジをするようにして地に手をつき、そのまま身体を腕の力だけで跳び上がらせる。
「ははっ、さすがの身のこなしだな!だが、生憎俺のリーチは今に限っては少し長いんだよ!」
俺は右手に持つちぎれた左腕を、空中にいる獣女に向かいすれ違いざまに刀のように振りかざす。
俺の体を離れたとはいえ、その質自体は変わらない。獣女の足先を払いバランスを崩させるくらいの強度はある。
「ッ!?」
俺の攻撃は狙い通りに行き、獣女はバランスを崩し地に尻をつく。
——ザッ!
俺はその後すかさず地面を蹴り切り返す。
そして、今度は左腕の切断面を獣女に向け振るう。
「ははっ、即席武器だが悪くない!」
獣女の爪によって断ち切られ、剥き出しとなった俺の骨が鋭利な槍となって、獣女の脇腹を貫く。
「グゥァッ…!」
悲痛な叫びを上げ、直ぐに突き刺さった俺の元左腕を抜き去る獣女。
俺と同じでコイツは打撃には強いが、斬撃や刺突には弱い。効果は抜群だろう。
地に這いつくばり右腕で腹部を抑え、出血を抑えようとする獣女。
通常深く刃物が突き刺さった場合には、刺さったもので止血がされている状態なのだから、直ぐには抜かない方がいい。
だが、コイツは抜いてしまった。
刺さったのが命を落とすような急所ではないとはいえ、多量の出血は血圧を低下させ、めまいを引き起こさせる。
まぁ、たとえ抜かなくても感染症なんかの恐れもあるし、どっちにしろ二つに一つだったんだがな。気持ち的にも、刺さったのが他人の腕なのだから咄嗟に抜きたくなるもなるだろう。
単なる思いつきだったとはいえ、意外にも俺の左腕は強力な武器となった訳だ。
血が地面に滴り、水溜まりを作っている。
コイツにもう先刻のような俊敏な動きはできないだろう。
ただ、そんなことは俺の油断する理由にはならない。
俺は更なる追撃を加えるべく獣女へと近付く。
痛手を追わせたとはいえ、コイツの耐久性は舐めてはいけない。獣化の変身が完全に解けるまでは気は抜かない方がいいだろう。
俺は這いつくばる獣女の顎を容赦無く蹴り上げる。
「グハッ…!」
思いのほか出血の影響が大きいのか、避けるような素振りもなく直撃し、無防備にも仰向けの状態になる獣女。
なんだかこの様子を見るにもう終わりにしても良いような気もするが、変身はまだ解けていない。
なら、俺の取る選択は変わらない。
「ガッ…ウッ…ウッ…ッ」
俺は、馬乗りの状態になり、残った右腕でだけで獣女の顔を殴り続ける。まだ左腕は最低限血を止める程度にしか回復させてない。
どれくらい殴っただろうか。
20回は殴ったか。
比較的整っていたであろう顔はみる影もなく腫れ上がり、獣のような身体的特徴はいつの間にか人間のものへと戻っていた。
獣女は腫れた瞼からうっすらと俺を見つめる。
「そう睨むなよ。お前も俺の腕をダメにしたんだしお互い様だろ?」
コイツの前では表立って治癒のスキルは使っていないからな。コイツは俺のスキルが身体強化の類だと思ってるかもしれないが、まぁそれはこの際言わなくても良いだろう。
隠せるうちは下手にバラさないほうが色々と楽だし、今後の楽しみにもなる。
「後学のためにお前が俺に負けた理由を教えてやる。お前に人を殺すだけの覚悟がなかったからだ。まぁ、仮にそれが伴っていたとしても、最後に立っていたのは俺だったと思うがな。ただ、これだけは言える。もしはじめからお前に俺を殺す覚悟があったのなら、ここまで一方的な結果にはなっていなかった」
これは、事実だ。
実際、はじめの方なんかはコイツに押され気味だったしな。
もしコイツのスキルをテンマのような頭のネジがぶっ飛んだ奴が手に入れていたのなら、俺はもっと苦戦ないし治癒のスキルを明かさずに勝利なんて結末は迎えていなかった。
等級の高さもあるが、このスキルはそれほどに強力なものだ。
俺が今回楽に勝てたのは、コイツが甘ちゃんだったからだ。今思えば、あれだけ人を殺していた殺人ピエロに殺したくないなんてほざいていた時点で色々と察せる。
「勉強代として殺人ピエロは俺が貰っていく。まぁ、これ以上犯行を続けさせたり、情報を拡散なんていうバカな真似はしないからそこだけは安心しろ」
ここからの逆転は不可能だと察したのか、獣女は目尻から涙を流す。
見るからに真面目そうな顔をしているし、責任を感じているのだろう。どこか雰囲気がメガネ女児と同じものを感じる。
この際だ。少し煽っておくか。
テンマにも復讐心を煽って置けと命令したしな。
責任感が強いなら、その分頑張って強くなってくれそうだ。
俺は、獣女の両腕を片手で取り押さえ、耳元へ顔を近付ける。
変身も解け、抵抗する気力を失った今、コイツに俺の力を跳ね除けるだけの力はない。
「悔しいか?…ならもっと強くなれ」
こういうタイプは責任感が強い分、自己犠牲精神が強い傾向がある。コイツ自身を脅してもあまり効果は見込めないだろう。
メガネ女児も鶏の為には割と体を張るからな。
それなら、それと同じようにコイツ以外を脅せばいい。
俺はそのまま言葉を続ける。
「でないと、次は全滅だぞ?…あー、次も見逃してもらえる…なんて都合の良い勘違いをしてほしくないから予め伝えておくが、見逃すのは今回限りだ」
貴重な遊び相手が減るのは困るし、見所はあるからよっぽど嫌いな奴じゃない限り、殺しはしないがな。
これは単にハッタリに過ぎないが、効果はしっかりあったようで抑えつけている獣女の腕には少し力が戻る。
「初回限定のサービスって奴だ。次もこんな体たらくが続くようなら、容赦無く蹂躙する。想像してみてくれ。能管とかいう組織で1番強いお前がこうなるんだ…お仲間は一体どうなってしまうんだろうな?まぁ、間違いなく五体満足とはいかないだろうな?」
獣女の抵抗が更に強くなるが、それ以上の力で押さえつける。
出血と殴られたダメージもあるのか、思った程の力は出ていない。どうやら、見た目以上に弱っているらしい。
「あんまり俺をがっかりさせないでくれよ?お前達には結構期待しているんだ…」
俺は、馬乗りに座っていた態勢から、獣女の腹を蹴って立ち上がる。
「ゥウ…」
呻き声が聞こえるが構わず、別れの挨拶をする。
「俺としては、もう少し話していたいところなんだが、生憎次の予定が埋まっててな…。って事で、また会おう。えーっと……無能管理局?の次長さん。次は俺を倒してくれることを期待しているよ」
そう言い、俺は獣女に背を向け殺人ピエロの方向へと足を進める。
幸い、追ってくる気配はない。
これでも、追ってくるようなら足の1本や2本へし折ろうと思ったが、その必要は無さそうだな。
良かった。強くなってもらうのに、これ以上療養期間を増やすわけにはいかない。
「結構楽しかったな。多少経験不足な所はあったが、面白いスキルも見れたし、そこそこ良い悪役ムーブもできたしで、大方は満足だ。だがまぁ、総評としては今後に期待ってところだな」
快は、すっかり元通りになった両腕を上にして伸びをしながらそう満足げな顔をして呟いた。
「てか、普通に急ぐか…これで殺人ピエロ死んでましたってなったら洒落にならん」
そうして、鬼は疲労を感じさせない軽快な足取りで闇夜を駆けた。




