第46話 狂人vs獣女(1)
——サッ
獣女が軽い音を立て地面を蹴る。
戦いが始まって以降、初の受け身ではない積極的な動きに期待感で胸が高鳴る。
獣女は周囲にある木を足場にして、跳ね返るスーパーボールのように不規則に移動する。
来るであろう攻撃に備えて、動きを捉えようと目を凝らすが徐々に加速しているようで、なかなか動きを捉えられない。
——ゾクッ
不意に感じる命の危険に鳥肌が立つ。
そして、その直後。
気が付けば眼前にまで距離を詰められていた。
獣女は、俺の左側から加速した勢いに乗せて、そのまま思い切り腕を振り被っている。
「…っ!」
それを何とか仰け反る事で回避するが、面の鼻先スレスレを通る鋭利な爪に思わず息を呑む。
「…避けられてしまいましたか。面を剥ぎ取ろうと思ったのですが。失敗です」
獣女は、俺から10メートル程距離を取った所で立ち止まり、人と獣の良いとこ取りみたいな手を見て残念そうに言った。
どうやら今の初撃は、俺の素顔を確認するのが目的だったらしい。
危ないな。もう少し気が付くの遅れていたら、間違いなく身バレしていた。てか、本当に今の面が狙いか?
俺は、好奇心で緩んでいた警戒心を少しだけ引き上げる。
攻撃を受けるのは良いが、面を外されるのだけは回避しなければならない。そうなれば確実に俺の自由な生活が制限される。
「…」
余裕綽々といった感じで立つ獣女を見据える。
厄介なのはやはりあの身体だ。
基本的に頑丈なのもそうだが、獣化した事によってバネのようなしなやかさまで手に入れている。
そして、極め付けは肉体構造が人と異なるため、動きを読み辛い。
人の体とは違い、ネコ科の動物は踵を地につけない。そのため、地面を蹴る際、蹴る面積が小さく、一番分かりやすい初動である踏み込みのタイミングが読めない。
獣女よりスピードが無い俺からしたら、無駄な予備動作がないのは結構痛い。
おそらく、この獣女の等級は上級か特級。
なんとなく予想はしてたが、予想以上に攻撃に特化したスキルは強力だな。
テンマが汎用性の高いオールラウンダー型だとするなら、この獣女は攻撃に全振りのアタッカー型だ。いや、等級が高いからタンク型のような側面も持ち合わせているか。
それに対して、俺のスキルは治癒。ロープレ用語で言えばヒーラー。精々、サポートキャラだ。
不利だ。結構な不利だ。
でも、それでいい。
俺はこういう戦いを求めていた。
——サッ
獣女が地面を蹴るのと同時に、俺も地面を蹴る。
攻撃が読めない状態で受け身になるのは悪手だ。まずは、攻撃の範囲を絞らせないようその場には止まらないようにする。
森に立ち並ぶ木々を利用して、獣女を撹乱するように乱雑に動く。
その範囲は、地上だけでなく空中にも及んでいる。空間を余すことなく利用する。
気分はさながらどこぞの忍者漫画だ。
「ははっ」
自分が2次元のような動きをしている事に遅れて気が付き、つい笑みが溢れる。
——バキッ
背後からついさっきまで自分がいた枝が容赦なく折れる音がする。獣女だろう。
緩んだ頬を引き締め辺りに注意を払う。
攻撃を読めないのなら、いっそ撹乱して隙を狙い撃ちにしようと思ったが、どうやら獣女のホームグラウンドに移動してきてしまっていたらしい。
獣女は、俺以上に森という空間を使いこなしていた。
その姿は、まさしく野生に解き放たれた獣そのもの。立ち並ぶ木々を足場に、軽々と俺の後を追ってきている。
「やはり、機動力では分が悪いか」
俺がいくら乱雑に動いても、獣女は読めない動きをスピードでカバーして、ジリジリと俺との距離を詰めてきている。
さてどうしたものかと頭を捻るも大した考えは浮かばず、結局シンプルに虚を突く事にした。
今の状況は、例えるならサッカー選手にリフティング勝負を挑んでいるようなものだ。正攻法で勝てないなら奇襲しかない。
いくらサッカー選手といえどリフティングの最中に、驚かせられればコントロールも乱れるというもの。
今の俺と獣女との距離は約5メートル。
次に俺が足を着く頃には追いつかれ、俺の体にはあの鋭利な爪が突き刺さるだろう。
だから、仕掛けるのは今しかない。
俺は着地しようとする枝に、足を出すのを引っ込め逆に手を伸ばす。そして、そのまま飛び越えるようにして足場にするはずだったその枝を掴む。
イメージとしては、飛び越えたハードルに手をかけるようなものだ。
——パシッ
よし、ここまではイメージ通りだ。
そして、勢いそのままに掴んだ枝を鉄棒の如く利用して、後ろから迫ってきていた獣女の顔を右足で蹴り飛ばす。
「!?…ぐぅ!!」
獣女は、俺の変則的な動きに驚くが、なんとか左腕で攻撃を受け止める。
人の姿の時とは違った硬い手応え。
獣女は地面へとぶっ飛んで行き、落下地点には砂塵が巻き上がった。
——スン
しかし、獣女は軽々と立ち上がる。
俺の攻撃を受けた左腕のシャツは破れ、その隙間から獣の毛に覆われた前腕が露になっている。
大したダメージを受けていないどころか、息すら乱していないか。
不利な状況をなんとかしようと色々と策を弄してみたが、得られた結果はシャツを破れさせただけ。さすがにコスパが悪過ぎるな。
俺を睨むように見てくる獣女。
「なんだ?何か言いたいことでもあるなら、特別に聞いてやるぞ。因みに、シャツの弁償はしない。夏休みだからお小遣いの消費が何かと激しいんだ」
戦闘の最中だが、俺も何か情報を得られるかもしれないからな。聞くだけ聞いてみよう。
「シャツの事は良いです。ですが、聞きたいことはあります。あなたも能力者なんですよね?」
「能力者…あぁ、お前達はそう呼んでるのか。俺は、スキル所持者と呼んでいたが…まぁ、そうだな。俺はお前達の言うところの能力者って奴で間違いない」
俺にとってスキルは与えられたものと言うより、獲得したものという認識だったからな。
それに、スキルが元から備わっているものと慢心しない為にも、あくまで所持というような言い方をしていた。
だが…まぁ、そうだな。これからは、呼称をなるべく統一した方が良いかもしれない。
今後こういった邂逅も増えるかもしれないし、その時に呼び方が違ったら色々と面倒くさいのは事実だ。
能力者ね…確かにスキル所持者より短いし呼びやすい。
俺の言葉を聞いた獣女は、何やら思い切ったような顔をして話し始める。
「私は…能力者管理局という組織の者です。その主な業務は、スキル所持者の管理とそれにまつわる全ての問題を処理すること。私達が殺人ピエロの事を放置出来ないのもその為です」
何を話し始めるのかと思えば、確実に機密事項であろう内容を話出す獣女。
「なんだ、無傷に見えて実は頭でも打っていたのか?そんな情報を部外者の俺に漏らしてもいいのか?」
「分かりません。なにせ、このような事態が起こるとはこちらも予想外でしたので。まぁ、何かしらの処罰はあるでしょう」
なかなか本当に思い切った事をするな。
ですが、と獣女は続けて…
「既に色々と知られているので、今更な話でしょう。それに、あなたの事はあまり存じ上げませんが、あなたのこれまでの動きには事前に仕組んでいたかのような所が多々見受けられます。こうなる展開を望んでいたか、予期していたのかは分かりませんが、あなたには私達のような組織がある事は事前に把握とまでは行かなくても、予測ぐらいは出来ていたのではないですか?」
俺は黙って話の続きを促す。
それを肯定と捉えたのか、獣女は続ける。
「なら、尚更話してもあまり問題はありません。必要な情報開示です。端的に言います。あなたも能力者管理局…能管の管理官になりませんか?」
「なるほど。それはつまりスカウトという事か?」
「はい。あなたのスキルがどんな能力なのかはまだ分かりませんが、戦力になるのは間違いありません。私としてはこのまま戦闘を続けるよりも、諸々の交渉に移りたいというのが本音です」
真っ直ぐな双眸を向けてくる獣女。
どうやら、さっきのは睨んでいたのではなく、覚悟を決めた顔だったのかもしれない。今の目にそっくりだ。
さて、無論断ることは決まっているのだが、せっかくの機会だしもう少し情報を探ってみることにしよう。
「考える前にいくつか質問したい」
「どうぞ。答えられる範囲でお答えします」
「能力は自由に使えるのか?」
「上の許可があれば」
なるほど、やはり能力は制限されるか。
うん、改めてなしだな。この時点で既になしだ。だがまぁ、もう少し聞いてみよう。
「お前とあの3人以外に能力者はいるのか?」
「はい。多くはありませんが」
人数は言えないと…
「その中でお前が1番強いのか?」
「今のところは…」
この反応は、少なくとも今後の伸び次第では分からない能力者はいるって事だな。
これは吉報だ。
テンマにも後で3人の話を聞いておこう。
「お前は確か…次長とかって呼ばれてたな。局長は別にいるって事か」
「…はい」
それでもコイツが1番強いと。
よし、大体こんなもんだろ。
これ以上、深掘りすれば答えられない情報に踏み入るだろうし、現状知りたいことは最低限知ることが出来た。
今後の方針としては、やはりコイツらには俺の遊び相手になってもらわないと行けないから、もっと強くなってもらうことだな。
それに際して、まずはこの能管とかいう組織の1番強いやつをぶっ飛ばして危機感を覚えさせよう。
「質問は以上だ。答えてくれてどうもありがとう。勉強になった」
「いえ…それでスカウトの方は」
「お断りだ」
「…そうですか」
「あれ、重要な情報を開示した割には随分とすんなり引き下がるんだな。説得したりしないのか?」
「説得が通じる人ならしますが…通じるんですか?」
「無意味だな」
どうやら、この短い時間で既に俺の性格分析は済まされていたらしい。
恐ろしい奴だ。
とはいえ、話が早い奴は大好きだ。
次の展開は読めているのか、獣女は既に俺を敵を見る目でみている。
もう下手に策を弄するのはなしだ。
だが、少し決着を急ぐ必要はありそうだ。
この獣女がこの姿になるのを温存していた所を鑑みるに、きっとそう長い時間維持は出来ないのだろう。
強力な代わりにマナの消費が多いのか、それともマナの総量が元々少ないのか。
理由は定かじゃないが、この獣女の優勢が続くのはこれから少しの間だけだ。
スキルを使えなくなれば、俺の方が素の身体能力は高い。
普通に考えれば、俺は先刻のように回避に専念しているだけで良い。マナの減少していくのをじっと耐えていれば、勝手に時間が俺の味方をしてくれる。そうすれば、最後に立っているのは俺だろう。
耐久勝負において俺の右に出る者はいない。
だが、それじゃダメだ。
それではつまらない。
この獣女が全力を尽くせる内に、小細工なんてせずに真っ向から勝つ。
それに、殺人ピエロがそろそろ失血死しかねないからな。
そういう意味でも時間が勝負だ。
「短い第3ラウンドといこうか」




