第2話 予兆
軽い学級崩壊を起こしてから、およそ3ヶ月という時間が経過した。たった3ヶ月、されど3ヶ月という事だろうか。
どうやら先輩教師陣もあの一件以降、後輩教師への育成に力を入れ始めたらしく、あれだけ泣きじゃくっていた田中先生も今では時折笑顔を見せるほどにまで持ち直し、余裕を見せて授業を行っている。
まぁ、それも偏に先輩教師陣から伝授されたらしい「お母さんに電話するわよ?」という必殺ワードを事あるごとに乱用しまくった結果なのだが、そこは指摘しないのが優しさというものだろう。
傍目から見ても確実に以前よりも生徒達からは距離を取られているが、本人がそれで良いなら他に言う事はない。
何にせよ、俺は相変わらず退屈な日々を送っているというのに対し、田中先生は充実しているようで羨ましい限りだ。
正直、ここ最近はこの国の教育制度に対して文部科学省へ本格的に異議を申し立てたいと思う程度には、我慢の限界がきていた。
既に履修済みの授業内容を延々と聞かされ続ける。それは控えめに言ってもやはり地獄である。特に国語や社会の授業。あれは、もはや修行と言っても良いレベルの退屈の極みだ。
まぁ、それでも隣の女児に質問される度にあることないこと言って泣かせるのは一興ではあったが、それも何度も繰り返せば流石に飽きて来る。というか、最近は泣かされると分かっているのに懲りずに何度も質問に来る為、逆に鬱陶しく感じてきているくらいだ。
アイツの学ぶ意欲とは裏腹な学習のしなさ加減は半端ではない。その事から遂にはクラスメイトの名前すら碌に覚えていなかった俺が、認知するだけでなく、鶏なんていうピッタリすぎるニックネームまで付けてしまった。
そして今現在、念願の夏休みを2週間後に控えた俺は、例に漏れず短冊にお願い事を書くというおままごとをやらされていた。それも授業でもない帰りの会の真っ只中でだ。
七夕なんてクリスマスの下位互換のようなものなのだから無視していいのでは?と思い、田中先生に異議を唱えてみようにも、俺以外の殆どの生徒がそんなことお構いなしに短冊を片手に楽しそうにしているのだから仕方がない。この国は老若男女問わずどこまでも民主主義なのだ。
「…お願いね」
とはいえ、改めて願いを聞かれた所で、現実的な願いなんてのは何も思い浮かばない。
自慢でも何でもなく、事実として俺がこれまでそれなりの目標を持って取り組んできたことで達成出来なかったことなんて何もなかった。
それなのに今更何を願えと?
てか、そもそも何で織姫と彦星にお願い事をするのかが謎だ。
確か物語的には…2人が恋に落ちて、一緒に暮らす様になった途端に、真面目さが売りだった2人が仕事を怠けるようになったんだっけか?
うん、やはり謎だな。
そんな誰よりも人間らしい奴らが見ず知らずの他人のお願いを叶えてくれる訳がない。そもそも、他人のお願いを叶える余裕があるならとっくに自分たちの年一でしか会えない遠距離恋愛を解消している。てか、元が機織りと牛追いの2人にそんな大層な事頼むなよな、さすがに荷が重いだろ。
お願いするならせめて天帝…いやまぁ、それも真面目で仕事ばかりしていた婚期の遅れそうな娘に彦星を紹介したくせに、仕事を疎かにするからと言う理由で年に一回しか会わせないという鬼畜すぎる制約を課した心の狭い神様だからな。多分期待するだけ無駄だな。
「ねぇねぇ、快くんはなんて書くの?」
俺がこの茶番に対する面倒臭さからそうして脳内で七夕ファミリーへの愚痴を吐いていると、隣の席の女児もとい鶏が空気を読まずにツンツンと肩を指でつついてくる。
「…」
「あたしはねー、将来学校の先生になりたいんだー。だから頭が良くなりたいって書くの」
別にコイツのお願いなんぞに興味はないが、勝手に話し始めたから適当に反応してやるか。もし仮にコイツがドMだった場合、喜ばせてばかりってのは癪に障るしな。偶には褒めてやろう。
「そうか、そりゃ良い夢だな」
「…うん!!」
まさか俺の同意が得られるとは思わなかったのか、驚いたように暫しぼーっとした後、とびきりの笑顔を向けてくる鶏。
この様子を見るにどうやらドMではないらしい。普段の落ち着きのない態度を見ていて半ば確信していたが、やはり単純にアホだったか。
だが、それなら遠慮は要らないな。これ以上俺に無駄に関わらないようにする為にもここは泣かせておく他ない。
「お前にぴったりな夢だ」
「ほんとっ!快くんもそう思う?やったー!!」
俺からの太鼓判が余程嬉しかったのか、体を揺らしながら喜びを表現する鶏。
「あー、嘘偽りなくピッタリだと思うぞ。神に現実的なお願いをするのは勿体無いからな。どうせするなら、到底実現不可能なお願いをする方が得ってもんだ。この際タダなんだし、幾らでもお願いしておけ」
「な、なんで…そんなこと言うのぉーー、う、うぁぁあん」
はい、一丁上がり。
まぁ、これで俺を避けるようになってくれたら苦労はないが、おそらくこれでも効果は一時的なものでしかないだろう。どうせ明日にはまたケロッと話しかけてくるのが目に見えている。とはいえ、こういうのは長期戦だからな。別に焦る必要はない。じっくり嫌われていこう。
何にせよ、鳴いている鶏は放っておいて俺もそろそろ何かしら書かなきゃな。でないといつまで経っても帰るに帰れない。
だが、幾ら考えてもやはり現実的な願いは思いつかないな…まぁ、適当にそれっぽいことを書いて終わらせるのも良いがこの際だ。
どうせなら俺も鶏のように実現不可能な事でも書いておくかな。万が一、億が一にでも叶ったら儲けもんだ。
『俺が退屈しない世界になりますように』
そして、俺はダメ元でしかない願いを記した短冊を笹竹の適当な位置に括り付け、足早に帰宅した。
1階では両親がパン屋を営んでいる為、裏口から入りリビングや両親の寝室のある2階を通り抜け、自室のある3階へと向かう。
「ふー、やっと帰って来れたな」
自室に入るとランドセルを床に置き、そのままベッドを背もたれに床に座り息を吐く。
そして、俺はおやつ代わりに下から掻っ払ってきたクリームパンを齧りながら、ローテーブルの上にあるノートパソコンを開いた。
「政治家が不倫ね、見飽きたネタだな」
真っ先に見るのは、エンタメ、スポーツ、国際、経済、都道府県別、そして随時更新される速報まであらゆるジャンルのニュースを閲覧できるサイト。だが、目につく記事は俺の期待とは裏腹にどれもあり触れたものだった。
しかし、そうしてマウスパッドを操作し、ひたすらに興味を引く記事を探し続けること数分。遂に、あるひとつの記事が俺の目に留まる。
「おっ、これはちょっと面白いな!」
記事の内容は、要約するとアメリカで隕石が地上衝突したという一見物珍しく思えるものの、数年単位で見ればそこそこありふれているように思えるもの。
だが、記事の続きを読んでいくとそこには決して無視できない不可解さがあった。
「街の近くに落ちたのに死傷者が居ないってのは単なる偶然だとしても、ギリギリまで隕石が観測できなかったってのは興味深いな。NASAの職員は昼寝でもしてたのか?」
俺はこの記事に魅入られ、どんどんスクロールしていき続きを見ていく。
「ハハッ。落下したと思われる隕石が発見できずって、ますます意味が分からないな。第一発見者がパクったのか?それとも、隕石じゃなくて実は宇宙人で今頃地球探索に勤しんでるのか?それならぜひ地球侵略に踏み切って欲しいものだな」
その後も、他に面白そうなのは無いかと30分程粘って探してみたが、他に目ぼしい記事は見つけられなかった。
やはり面白い事ってのはそう簡単には起きないらしい。だが、今日の記事はなかなかに見応えがあった。
「隕石ね…夢がある」
そう呟くのと同時、そこでふと今日書いた短冊の事を思い出す。
「俺が退屈しない世界になりますように…か」
自分で言っておきながらそんな事は起きないと断言できる。しかし、NASA程の機関ですら観測できなかったという事実がどうも期待を持たせてくる。
「これがそのきっかけになってくれれば言うことなしなんだがな…」