第134話 転線(5)中部戦線
数分後、第3小隊の最後の位置情報が途切れた場所へと到着した銀次が、その付近で発見したのは、想像を絶する光景であった。
幸い既に避難は完了しているのか、一般市民の姿は見当たらない。しかし、静寂に包まれた街並みとは対照的に、戦闘が行われた一角だけは異様な光景を呈していた。
第3小隊の主力装備であったであろう装甲車は完全に大破しており、車体の周囲には、隊員達の装備が無残に散乱している。ひび割れたヘルメット、破れた戦闘服、そして至る所に点在する血痕。道路には深い爪痕が幾筋も刻まれ、周辺の建物には巨大な衝撃の跡が残されている。
「…」
銀次はその痛々しい光景に無意識に拳を強く握りしめる。
通信の後にこの場所でどんな事があったのかは、推測するしかない。だが、恐らく第3小隊は勝ち目がないと分かって尚、最後まで戦い抜いたのだろう。その場の空気には、まだ硝煙の匂いが色濃く残っていた。
もう少し早くその脅威に気が付いていればという思いが無い訳ではない。だが…
「…どうやら感傷に浸っている時間はなさそうだな」
その瞬間、銀次の頭上に巨大な影が差し…
——ドスンッ
重い音と共に、銀次の前方数メートルの地点に何かが着地する。
その衝撃で土煙と砂埃が一気に巻き上がるが、咄嗟に身を引こうとする間もなく、銀次は反射的に腕で顔を庇う。
そして、舞い上がった土煙が晴れると、そこには人間を遥かに凌駕する巨体を持つ異形の存在が立っていた。
「グルルル…こんな所にまだ虫けらが残っていたか」
その化け物は低く唸るような声で呟きながら銀次を見下ろす。
「お前だな…」
実のところ、銀次はこの場に来るまで一体どれだけの強敵ならば現代兵器を携えた一小隊を一方的に全滅させる事が出来るのだろうと考えていた。
竜人にも現代兵器が有効なのは既に確認が取れている。実際、これまでの戦闘において歩兵が携行する小銃や機関銃でも、適切な戦術と十分な火力を集中させれば竜人を撃退することは可能だった。
しかし、コレを前にしてみれば途端に納得する。目の前の存在は明らかに別次元の脅威だ。
身長は優に3メートルを超え、全身を覆う鱗は鋼鉄のような光沢を放っている。腕は丸太のように太く、そこから伸びる鉤爪は鋼鉄をも容易く引き裂きそうな鋭さを持っていた。
そして、これまで接敵したアヴァロンの勢力とは異なり、その完全に竜と化した頭部からは、禍々しい光を放つ瞳が銀次を見据えている。
「ほう…俺を前にして一歩も退かないとは、ようやく少しはマシな獲物が現れたか」
「虫けらといい、獲物といい、初対面の相手に対し、随分な言いようだな。俺の目にはお前の方が余程虫に見えるが…それは新手の自虐か何かか?」
銀次の挑発めいた言葉を聞いた瞬間、竜人は一瞬呆気に取られたような表情を見せる。
「…は?」
まるで予想だにしなかった反応に、巨大な竜人が間抜けな声を漏らす。
これまで遭遇した人間は皆、自分の姿を見るなり恐怖に震え上がり、命乞いをするか、せいぜい絶望的な抵抗を試みるかのどちらかだった。
しかし、目の前の男は違う。恐怖の色など微塵も見せず、それどころか自分を虫呼ばわりしてきたのだ。
「ク、クククク…面白い」
呆然とした表情から一転、低い笑い声が響く。しかし、その笑みは次第に狂気を帯びたものへと変わっていく。
「久々に楽しめそうだ。だが、その口の利き方は少々気に食わんな」
笑い声が止んだ次の瞬間、竜人の巨体が爆発的な速度で銀次に向かって突進をする。
そして、突進の勢いそのままに鋼鉄の如き鉤爪が銀次の頭部を狙って振り下ろされる。
「…」
しかし、端から油断などしていなかった銀次はその攻撃を紙一重で屈んで回避すると、同時に軸足を踏み込み、竜人の脇腹に向けて渾身の回し蹴りを放つ。
足は確実に鱗に到達した…だが、まるで岩壁を蹴ったような鈍い衝撃が銀次の足に跳ね返ってくる。
「ふむ、やはり快のように一撃必殺とはいかないか」
銀次は手応えが明らかに不十分だったことを確認すると、素早く後方に跳躍し、距離を取る。
「しかし、この硬さは予想以上だな。まるで城壁を相手にしているようだ」
地味に痛む足を揺らしながら銀次の愚痴にも似た独り言が漏れる。
しかし、そんな銀次の動きを見ていた竜人の表情には、驚愕の色が浮かんでいた。そして、竜人は自分の脇腹を撫でながら、感心したような声を上げる。
「ほう…俺の攻撃を回避するだけでなく、反撃まで加えるとは…貴様、一体何者だ?」
その声には先ほどまでの嘲笑は消え、代わりに純粋な興味と、そして僅かな警戒心が混じっていた。
「人に何者か尋ねるなら、まずは自分から正体を明かすべきじゃないか?」
「クククククッ、つくづく面白い奴だ」
銀次の言葉にまたしても竜人の口元に不敵な笑みが浮かぶ。
「本来なら貴様ごときに教える筈もないが、この俺が手ずから葬ってやるのだ。今回は特別に良いだろう。冥土の土産にせめて名前ぐらいは覚えて死んでいけ」
そして、竜人は不敵な笑みを浮かべながら、胸を張って名乗りを上げる。
「俺の名はガルム。上鱗騎士ガルムだ」
「上鱗騎士……ガルム……」
銀次は初めて聞く称号に眉をひそめる。これまでの戦闘で遭遇した竜人達とは明らかに格が違うのは感じ取っていたが、アヴァロンにそのような体系的な階級制度があるとは思っていなかった。
「貴様が知らんのも無理はない。上鱗騎士は我らアヴァロンの中でも選ばれし者のみの称号、竜王様直属の精鋭だ。本来ならこんな前線に出る身分ではない」
そして、ガルムは己の巨体を誇示するように胸を張ると、傲慢な笑みを浮かべながら続けた。
「つまり、お前達がこれまで必死になって相手にしていたのは、せいぜい下鱗騎士程度の雑魚だったということだ。まぁ、中には中鱗騎士も居たかもしれないが、いずれにせよ俺のような上鱗騎士とは次元が違う」
「なるほどな…」
銀次は納得したように頷く。
これまで現代兵器で十分対処できていた所に、それが全く通用しない敵が突然現れた。となれば、第3小隊の混乱は相当なものだっただろう。一方的に殲滅された理由にもこれで合点がいく。
要は、目の前にいる敵はアヴァロンの中でも名実ともに屈指の実力者という訳だ。
「アイツらではなく、よりによって俺が最初にお前のような奴と出会ってしまうとはな…全く後が怖いな」
銀次のため息混じりの呟きを聞いたガルムの口元に残忍な笑みが広がる。
「ククク、ようやく自分の置かれた状況を理解したようだな。だが、もう遅い。貴様は俺に狩られる運命だ」
「いや、今のは別にそういう意味ではなかったのだが…まぁ、いいか」
威圧感に満ちたその宣告を前にしても、銀次は表情を変えない。
その銀次の態度にすぐにでも次の攻撃に移りそうな気配を見せるガルムだったが、その巨大な爪をわずかに止め、思い直したように顎を引く。
「クク、その虚勢がいつまで続くか見ものだな…しかし、そうだな。せっかく俺が名乗りを上げたのだ。礼儀として、貴様も名前ぐらい教えろ。覚えてはやらんが、最後の手向けに墓標にその名を刻んでやろう」
どの口が礼儀などと言うのか。
銀次は思わず鼻で笑いそうになる。目の前のこの上鱗騎士とやらは、これまで幾度も市街地を蹂躙し、多くの罪なき人々を虐殺してきた張本人である。そんな悪逆非道を平然と行ってきた相手が、今さら武人めいた矜持を口にするなど、銀次にとっては滑稽にしか映らなかった。
そのため、ガルムの言葉に返すべき答えは決まっていた。
「断る」
即座に返されたその一言に、ガルムは再び面食らったように目を見開く。
「何だと…?」
「先に正体を明かせと言った手前、騙すようで悪いが、生憎と死ぬ予定はないのでな。ならば答える必要もあるまい。だが、情報提供は助かった。礼を言う」
銀次の冷静な物言いに、ガルムの顔が徐々に歪んでいく。
「貴様…上鱗騎士たる俺の前でそのような態度を取るとは…死ぬ覚悟は出来ているのだろうな?」
「戦いの場に身を置く以上、死ぬ覚悟は当然出来ている。無論、殺す覚悟もな」
「そうか。ならばさっさと死ね」
その言葉が言い終わるのと同時に、ガルムの巨体が再び爆発的な勢いで銀次に向かって突進してくる。
しかし、今度は銀次も既に臨戦態勢を整えていた。
ガルムの鉤爪が迫る瞬間、銀次は地面を強く蹴り上げ、真上に跳躍する。
そして、空中で体を捻りながら、銀次は即座にマナを操り始める。
「錬成系統術『銀骸殻』」
その瞬間、銀次の衣服の下から銀色に輝く金属片が無数に現れ、瞬く間に全身を覆っていく。首元から始まり、肩、腕、胴体、そして四肢の先端まで、まるで生き物のように流れるような動きで銀色の鎧が形成されていく。
「…やはり貴様は能力者であったか」
下から見上げるガルムの表情に、先ほどまでの驚愕は消え、代わりに納得したような色が浮かんでいる。
「道理で俺を前にしても怯まなかった訳だ」
そして、ガルムの口元に、今度は心底楽しそうな笑みが広がる。一般人を一方的に蹂躙するよりも、自分と同等かそれに近い力を持つ相手との戦闘の方が、よほど興味深いのだろう。
しかし、銀次に相手の感慨に浸らせる気はない。
そのため空中で完全武装を完了した銀次は、そのまま重力に身を任せながら、ガルムの頭上から勢いよく振り下ろすような蹴りを放つ。
先ほどとは異なり、今度は銀骸殻によって強化された足がガルムの鱗を捉える。
——ガキィンッ
金属同士がぶつかり合うような鋭い音が響く。
「グアッ!」
ガルムの巨体がわずかによろめく。完全には通らなかったものの、確実に衝撃は伝わっていた。
「やはりこれなら多少は通るか」
着地と同時に距離を取りながら、銀次は手応えを確認する。銀骸殻による強化があれば、完全に無効化されることはない。
「フッ、やはり能力者は違うな。これまでの雑魚共とは手応えが段違いだ」
ガルムは自分の頭部を撫でながら、むしろ嬉しそうな表情を見せる。
「だが、それでもまだ俺には遠く及ばん。能力者といえど所詮は人間、上鱗騎士の前では無力だ」
「そうか?俺には無力という割には効いているように見えるが」
銀次の口から放たれたあからさまに挑発的な言葉に、ガルムは鼻で笑おうとする。
「効いている?馬鹿を言うな、この程度で俺が…」
しかし、その時ガルムは自分の頭部に伝う温かい感触に気づく。手で触れてみると、指先に赤い液体が付着していた。
「…血だと?」
ガルムの表情が一変する。
わずかとはいえ、確実に自分が傷を負っているという事実に、上鱗騎士としての誇りが激しく傷つけられたのだ。
「あり得ん…」
ガルムの声は先ほどまでの傲慢さが消え、静かに沸々と込み上げる怒りを押し殺したような低い調子となっていた。
「こんな事はあり得んぞ、貴様…この俺が、上鱗騎士たるこの俺が血を流すなど…一体何をした?何を使った?」
その問い詰めるような声には、明らかな動揺が混じっている。
当然の反応だ。
つい先ほどまで、現代兵器を装備した第3小隊の総攻撃を受けても傷一つ付かなかったのだ。小銃弾も、機関銃の連射も、果ては装甲車でさえも、ガルムの鱗には掠り傷すら与えることができなかった。それほどまでに絶対的だった自分の防御力が、たった一撃で破られるなど想定外の事態だった。
しかし、銀次は冷静にその質問に答える。
「見ての通り、特別な事は何もしていない。力のままに蹴っただけだ。だが、この『銀骸殻』は、俺が理論上最高硬度である完全剛体の再現を目指し、錬成スキルで一から創造した物質だ。故に、この世に存在するあらゆる物質を凌駕する硬度を持つ」
銀次は自分の拳を軽く握りしめながら、まるで講義でもするかのような口調で続ける。
「とはいえ、完全剛体は実際には存在しない未知の物質。故にイメージによる完全な再現は困難で、完成度としては未だ不完全だ。尤も、お前を相手ではそれで十分通用するみたいだが…」
その言葉の端々に込められた皮肉と挑発に、ガルムの理性の糸が完全に切れる。
「貴様ぁぁぁぁ!!」
ガルムの絶叫が戦場に響き渡る。もはや上鱗騎士としての威厳も何もない、純粋な怒りに支配された咆哮だった。
その瞬間、ガルムの全身から禍々しいオーラが立ち上り、周囲の空気が重く圧迫感に満ちたものへと変わっていく。
「絶対に…絶対に許さん…!この俺を、上鱗騎士たるこの俺を愚弄するなど…!」
怒りに震えるガルムの瞳が、先ほどまで以上に凶暴な光を放ち始めた。
そして、怒りに我を忘れたガルムが、再び銀次に向かって突進してくる。今度は先ほどまでの余裕などかけらもない、純粋な殺意に満ちた突撃だった。
しかし、今度は銀次も避けようとしない。
「来い」
むしろ正面から迎え撃つように、銀次もガルムに向かって駆け出す。
——ドゴォンッ
両者が激突する瞬間、爆発的な衝撃音が響く。
そこから始まったのは、まさに激しい肉弾戦だった。
ガルムの巨大な鉤爪が銀次を捉えようとするが、銀次は常人離れした身体能力でそれを紙一重で回避し、銀骸殻で硬化した拳でカウンターを叩き込む。一方でガルムも、銀次の攻撃を鱗の装甲で受け流しながら、巨体を活かした圧倒的な力で反撃を試みる。
拳と爪、蹴りと牙が交錯し、金属音と肉を打つ鈍い音が絶え間なく響く。
——キィンッ
——キィンッ
——キィンッ
…
そして、激しい攻防が続く中、銀次はついに好機を見出す。
「…っ!」
ガルムが大振りの攻撃を仕掛けてきた瞬間、わずかに生まれた隙を突いてカウンターの拳を放つ。
しかし、その拳がガルムに届く寸前、銀次は密かに拳付近の装甲を形状変化させる。
銀骸殻の一部が鋭い刃へと変化し、ガルムの胸部を貫こうとする。
「甘いわッ!」
だが、ガルムは咄嗟に自分の左腕で刃の軌道を遮る。刃は確実にガルムの腕を貫いたが、致命傷は免れた。
「ハハハハッ!読めていたぞ、小細工が!」
左腕から血を流しながらも、ガルムは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
しかし、その時…
「本命はこちらの方だ」
ガルムの背後から、複数の剣が同時に出現する。
「錬成系統術『剣樹』」
「何だとッ!?」
咄嗟に振り返ろうとするガルムだったが、もう遅い。
——グサッ
——グサッ
——グサッ
…
複数の剣が数多な攻防で弱ったガルムの巨体を一斉に貫く。背中、脇腹、そして首筋に深々と刺さった剣から、大量の血が噴き出す。
「グ、グァッ…」
致命傷を負ったガルムが膝をつき、大量の血を吐きながら銀次を睨みつける。
「小癪な…武器を隠し持っていたのか…」
その責めるような口調に、銀次は冷静に首を振る。
「端から隠してなどいない。俺のスキルは錬成…その能力は物質の生成だけに収まらず、干渉も可能だ」
銀次は周囲を見渡しながら続ける。
「つまり、俺の視界にあるもの全てが俺の武器なり得るということだ。道路のアスファルト、建物の鉄骨、そして…あの装甲車も含めてな」
その言葉を聞いたガルムの表情が、怒りから驚嘆へと変わる。
ガルムを貫いた剣は、第3小隊の装甲車を材料に錬成したものだ。
通常であればガルムの強靭な鱗に阻まれて刃など通りはしないだろう。だが、先ほどの連続攻撃で損傷した部分、鱗が剥がれ落ちた箇所を狙い撃ちした場合は違う。
「なるほど…確かに俺の負けだ。お前のような奴が現れるとは…この国もまだまだ侮れんな」
上鱗騎士としての誇りが、実力で上回った相手を素直に認めさせるのだろう。大量の血を吐きながらも、ガルムは苦笑いを浮かべる。
しかし、息も絶え絶えになりながら、ガルムは最後の力を振り絞って声を発する。
「だが……勘違いするな……俺は……上鱗騎士の中でも……末席に過ぎん……」
「……末席?」
銀次が眉をひそめる。
血の塊を吐き出したガルムは、さらに震える声で続ける。
「加えて……我らの上には……真鱗騎士と呼ばれる……さらに選ばれし者が……存在する……」
「真鱗騎士…」
ガルムの言葉に、銀次の表情が僅かに引き締まる。
「クク……やつらに比べれば……俺など……足元にも及ばん……せいぜい…気を…つける…んだな……」
その言葉を最後に、ガルムの巨体が完全に崩れ落ちる。
「これで少しは供養になったか…」
戦闘後の静寂の中、銀次は第3小隊の散乱した装備品を見渡しながら、静かに呟いた。