第133話 転線(4)中部戦線
——中部地方 名古屋市
テンマが夥しい数の敵と対峙していた頃、銀次もまた困難な状況に直面していた。
銀次はこの数時間、名古屋へと向かう道すがらもクロウズの情報網を駆使して各地の被害状況を精査し、より救援の優先度が高い地域を選んで移動していた。そして、今回もまた、被害が拡大しつつあるエリアに救助へと向かう途中だった。
だが、名古屋市内の被災地区に足を踏み入れたその瞬間、銀次の行く手を重武装の戦闘部隊が阻んだ。
彼らは、あらかじめそこに展開していたかのように迷いなく行動し、銀次の姿を視認するやいなや、素早く包囲態勢を敷き始める。
「…目標視認!いや、あ、あれは…アヴァロンの勢力ではありません!こ、この者は…装備、特徴より、鬼灯の構成員と推定されます!」
恐らく彼らは、アヴァロンの勢力が避難所へ接近することを阻止するため、侵入の可能性がある経路を封鎖していたのだろう。銀次の姿を目にした隊員の声には、想定外の人物の登場に対する戸惑いが滲んでいた。
「各員、射撃準備!目標に照準、構え!」
しかし、いずれにせよ警戒すべき相手には違いないと判断されたのか、驚くのも一瞬で、現場の指揮官と思しき男の掛け声によって、複数の銃口が一斉に銀次へと向けられる。
「ふぅ…」
快との通信を終え、これからが本番という時に起こったその望まぬ状況に銀次は小さくため息をつく。
しかし、いずれこうした状況に直面することは、最初から覚悟していた為、動揺はしていない。
アヴァロンの脅威に備え、政府が各地の要所に部隊を展開するのは当然の対応だ。いや、むしろ同じように動いていたにもかかわらず、これまで直接ぶつかることがなかったことの方が不思議なくらいだ。
客観的に考えれば、互いの立場はともかく、アヴァロンに敵対的という根本的な部分での利害は一致しているのだから、ここで争う理由はない。
しかし、現実はそう単純ではない。
政府にとって鬼灯は、アヴァロンと同様に危険な能力者集団として警戒対象に分類されている組織だ。たとえ今この瞬間、銀次が救助活動という人道的な目的で行動していたとしても、彼らからすれば脅威であることに変わりはない。
確かにこれまで人々を助けてきた。SNSでももう十分にその情報は拡散されているだろう。だが、それを政府側が正しく把握しているとは限らない。
いや、むしろ混乱の中で鬼灯の構成員が各地を移動していることだけが報告され、疑念を深めている可能性の方が高い。
加えて、現在の情勢を考えれば、彼らが神経質になるのも無理はない。アヴァロンという未知の脅威に対処している最中に、別の能力者組織のメンバーが現れたのだ。二方面からの脅威に備えなければならない状況への警戒心は、当然のことだろう。
故に、この状況で下手に動くのは得策ではない。こちらに敵対する意志がなかったとしても、鬼灯という組織に対して危険な能力者集団であるという先入観がある以上、どんな動作も誤解を招く可能性がある。
とはいえ、状況が状況だけに、悠長に構えてもいられないのが難しいところだ。
その為、銀次は極めて慎重に両手をゆっくりと上げ、敵意がないことを示す。
「ま、待て、動くな!」
しかし、その些細な動作でさえ、部隊の緊張を一層高めることになってしまう。銀次の手が上がり始めた瞬間、複数の隊員が身を強張らせ、銃口をより確実に銀次へと向け直す。
「…仕方ないな」
その異常なまでの警戒度の高さに銀次は、これ以上の長居は無用だと、この膠着状態を打開するため、速やかにその場を離脱することを決断する。
無理に包囲網を抜けるのは誤解を強めかねない為、本意ではないが、救助を待つ人々のことを思えば、ここで時間を浪費している余裕はない。
そして、銀次は僅かに重心を後ろに移し、跳躍の準備に入る。
この状況で急に動けば多少の射撃をされるだろうが、スキルと身体能力を十分に駆使すれば、余計な被害を出さずに一瞬で現場から離脱することもそう難しくないだろう。
しかし、そうして銀次が覚悟を決め、脚部に力を込めようとしたその時…
「貴殿は…我々の知る鬼灯の構成員で間違いないか」
隊長格と思われる男の声が、緊張に満ちた空気を切り裂くように響いた。それは命令でも威嚇でもなく、確認を求めるような、どこか複雑な響きを含んだ問いかけだった。
「…」
その場にそぐわぬ問いに銀次の動きは止まる。
応えるべきか、否か…瞬間的に頭の中にあらゆる考えが浮かぶが、結果として、銀次は短く頷いた。
「…あぁ」
通常であれば、鬼灯の構成員を発見した政府部隊は問答無用で制圧に動くはずだ。これまでの両組織の関係性を考えれば、即座に攻撃が開始されても何ら不思議ではない状況だった。
しかし、部隊は警戒を怠らず銃を構えてはいたものの、予想していた銃撃はして来なかった。それどころか、隊長格の男は何かを確認しようとしている様子だった。
となれば、この異様な膠着状態には、何らかの意図や事情があると考えるべきだろう。
「…隊長、どうされますか」
銀次の簡潔な答えを受け、一人の部下が緊張した声で問いかける。そして、銃を構えたまま、じっと銀次を見据える隊長の男は、しばらく沈黙を保った後、銃口を地面へと向けながらゆっくりと口を開いた。
「…総員、射撃の構えを解け」
「え…?」
その言葉に部下達の間に困惑が走る。
鬼灯の構成員を前にして、なぜ警戒を緩めるのか。その疑問は当然のものだ。
「隊長、しかし…」
「命令だ」
隊長の男の声には有無を言わさぬ権威があった。それに部下達は多少の怯えを見せながらも、素直に銃口を下げていく。完全に武器を収めはしないものの、明らかに攻撃態勢は解除された。
「…俺が鬼灯の構成員と分かって尚、見逃すのか」
その予想外の展開に銀次は少し驚きを込めて問いかける。政府と鬼灯の関係性を考えれば、これは異例の対応だ。
しかし、その銀次の問いにも隊長の男はまるで台本でもあるかのように淡々と答える。
「上からの指示で、我々はそちらから仕掛けられない限り、極力交戦を避けるようにと命令されている」
男から発されたその上という言葉で銀次の脳裏に、自然と快から度々話に聞いていた人物の名前が思い浮かぶ。
まさか…とは思いつつも、政府内部でこれほどの指示を出せる影響力を持つ人物は限られている。さらに、ここが東日本であることを考えると、この推測はおそらく正しいだろう。
なるほど、混乱の中でも冷静に状況を分析し、適切な判断を下す…か。話を聞いた当初は少し褒め過ぎだと思ったが、この様子を見るに快の浅霧という男に対する評価に偽りはないようだな。
隊長の男は銀次の表情を見て取ったのか、更に説明を続ける。
「無論、警戒は怠るつもりはない。だが、現在進行形でアヴァロンという共通の脅威に直面している以上、無用な衝突は避けるべきだというのが上の判断だ」
「…賢明な判断だ。こちらとしても無駄な争いは望んではいない」
そう銀次が簡潔に答えると、隊長の男は小さく頷く。
「承知した。ただし、これはあくまで暫定的な措置だということは呉々も理解してもらいたい。そちらが民間人の危険を含む何らかの敵対行動を取った場合は即座に我々は…」
と、隊長の男がそう警告の言葉を言いかけた時だった。彼の腰に装着された無線機から突如として激しい雑音が響く。
——ザザッ
『こちら第3小隊!緊急事態発生!敵勢力に極めて強力な個体が出現、我が部隊は劣勢に陥っております!至急援軍を…!』
通信の向こうからは激しい銃声と爆発音、そして隊員達の切迫した叫び声が混じって聞こえてくる。明らかに現場は危機的状況に陥っていた。
——ザシュッ、ザザザッ
『うわああああ!』
『隊長が!隊長がやられました!』
『撤退だ!全員即時撤退!!』
——ブツッ
そこで突然通信が途切れ、辺りに重い沈黙が降りる。無線機からは不吉な無音が続いていた。
その瞬間、隊長の男の顔は瞬時に青ざめ、周囲の部下達の間にも明らかな動揺が走る。全員の視線は互いを行き交い、誰もが事態の深刻さを理解していた。
「隊長…これは…」
一人の部下が震えた声で呟く。
第3小隊といえば、彼らと同じ編成の一つだ。その数は決して少なくなく、場所によって差はあれど、最低でも銃火器を携えた隊員が50人は配備されている。その部隊が一瞬で壊滅状態に陥るなど、通常であれば考えられない事態だった。
そして、隊長の男は慌てて無線機を手に取り、必死に呼びかける。
「第3小隊、応答せよ!第3小隊!」
しかし、返ってくるのは雑音ばかりで、もはや生存者からの応答は期待できそうになかった。
部下達の顔には見るからに恐怖と困惑が浮かんでいる。アヴァロンの脅威は理解していたつもりだったが、竜王以外にこれほどまでに圧倒的な力を持つ個体が存在するとは想定外だった。
「ど、どうしますか隊長…我々も援軍に…」
「だが、我々がこの場を離れれば、この地区の封鎖が…」
部下達の間で混乱した議論が始まりかける。責任感と恐怖、そして現実的な判断の狭間で、誰もが決断を下しかねていた。
と、その時。
そんな彼らの様子を見ていた銀次は、静かに一歩前に出る。
「……俺が行く。場所を教えてくれ」
銀次の申し出に、隊長は驚き目を見開く。
「…何?」
「お前達が援軍に行けないなら俺が行くと言ったんだ。一般市民に被害が出る前に、事態を収束させた方がいいだろう」
「それはそうだが…いや、しかし…」
銀次の相変わらず淡々とした物言いに、隊長は困惑の表情を浮かべる。
無理もない。一時的な敵対回避で合意したばかりだというのに、鬼灯が表立って協力を申し出るなど、まったく予想していなかった展開だったのだから。
隊長の脳裏には、先ほどまで銃口を向けていた相手からの突然の協力の申し出に対する戸惑いと、第3小隊の悲痛な通信が交錯していた。
そして、深い葛藤が隊長を襲う。
決して少なくない数の部隊を一瞬で壊滅させるほどの敵。その脅威に対し、目の前の鬼灯構成員が立ち向かう実力を持っているということは、関係者から伝え聞く話で十分に理解している。
しかし、本来なら敵対すべき相手に、仲間の命がかかった作戦を委ねてもよいものか。この状況下で、彼を信頼することが正しい判断なのか。
「…っ」
隊長の額に冷や汗が浮かぶ。
これほどまでに重い選択を迫られたことは、これまでの軍歴の中でも数えるほどしかない。部下達の視線が自分に注がれているのを感じながら、彼は歯を食いしばる。
どちらを選んでも、取り返しのつかない結果を招くかもしれない。しかし、指揮官である以上、この重圧に押し潰されるわけにはいかない。誰かが決断を下さなければならないのだ。
現場からの緊迫した通信を聞く限り、一刻の猶予もない状況であることは明らかだ。このまま事態を放置すれば、被害は確実に拡大するだろう。援軍を要請しても到着までには時間がかかり、その間にも犠牲者は増え続ける。
となれば、残る選択肢は最初から一つしかない。
そして、隊長は深く息を吸い込み、覚悟を決めたような表情で銀次を見据える。
「………分かった。場所はここから北東に約5キロ、工業地帯の倉庫群だ。第3小隊の最後の位置情報はここになる」
そう言って、隊長は腰のポーチから地図を取り出し、赤いペンで素早く円を描いて銀次に差し出す。
「ただし、これは正式な協力要請ではない。あくまで…」
「分かっている。元より、そのつもりだ」
そして、銀次は言葉半ばに地図を受け取り、一瞥してその位置を瞬時に記憶すると、静かに踵を返し、包囲していた部隊員の間を音もなく抜けていく。
一方で部隊員達は思わず道を開け、銀次の通り過ぎる姿を緊張した面持ちで見つめる。
そうして銀次が部隊の包囲網を抜け、跳躍のための姿勢を取ったその時…
「待て」
隊長の声が響く。その声には、先ほどまでの警戒心とは違う、複雑な感情が込められていた。
その声に銀次は振り返りはしないが、足を止めて隊長の言葉を待つ姿勢を示す。
「…無茶はするな。貴殿が倒れても、我々に貴殿を助ける義理はない」
それは警告であり、同時に隊長なりの気遣いでもあった。敵対関係にありながらも、同じ脅威に立ち向かう者同士としての、微かな連帯感が言葉の端に滲んでいる。
それに銀次は振り返ることなく、僅かに口元に笑みを浮かべながら短く答える。
「心配は無用だ」
そして、地面を蹴る準備の為、僅かに腰を落とし、脚部の筋肉に力を込める。
その瞬間、周囲の空気が張り詰め、まるで弾丸が発射される直前のような緊張感が辺りを包む。
「俺は…いや、俺達は負けない」
その言葉を最後に、ドンッという地面を砕かんばかりの爆発的な踏み切りと共に、銀次の姿は弧を描きながら市街地の向こうへと消えていく。
残された部隊の面々は、その人知を超えた身体能力と、最後に漂った圧倒的な自信に驚愕しながらも、複雑な表情でその背中を見送った。
今回の投稿で、これまでカクヨムに先行して載せていた最新話に追いつきました!そのため、6時間ごとの更新は今日までとさせていただきます。
今後は最低でも週一更新を目指していきますが、素人ゆえに少しお時間をいただくこともあるかもしれません。ですが、個人的にはこれからも面白い展開が続くと思っていますので、引き続き応援してもらえたら嬉しいです!
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