第132話 転戦(3)近畿戦線
「いやー、避難所にある程度の戦力がいることは予想してたけど、この数は流石に想定外だなー…」
避難所を視野に捉えると、そこには既に多くの避難民で溢れかえっていた。そして、それと同時に何とも見覚えのある活動服に身を包んだ集団…自衛隊や能力者管理局の武装部隊も展開していた。
「これはあまり近付かないのが得策だよね…」
指名手配犯である自分にとって、政府関係者が大勢いる場所は極力避けたいのが本音だ。特に能力者管理局の部隊となれば、正体を見破られる可能性も高い。
その為、テンマは避難所から数百メートル離れた建物の陰で空中制動をかけると、人目につかないようそっと地上に降り立った。
「はい、到着!お疲れさま!」
「あ、ありがとうございました…」
母親は震え声でお礼を言いながらも、まだ避難所まで距離があることに気づいて不安そうに辺りを見回す。娘も母親の腕の中で小さくなったまま、まだ恐怖から立ち直れずにいる様子で、時折びくりと体を震わせている。
「えーっと、それじゃあここからは君達だけで大丈夫かな?本当は最後まで送り届けたい所なんだけど、僕はちょっと目立つから…」
テンマがそう言いかけた時、幼い少女が不安そうに呟いた。
「おかあさん、こわいよ…あの人たち、またこない?」
「大丈夫、大丈夫よ…避難所までもう直ぐ近くだからね」
母親は娘を抱きしめながら答えたが、その声は明らかに震えていた。先ほどの恐怖体験がまだ心に深く刻まれているのだろう。少女は言うまでもなく、母親自身も顔は青ざめ、足元もおぼつかない状態だった。
テンマはそんな2人を前に困ったような表情を浮かべながら小さくため息をつく。
「あはは…こりゃ参ったな。でも、流石にこの状態で放っておくわけにはいかないよね…」
政府の監視下にある避難所に近づくのは危険だ。だが、不安そうな母娘を見ていると、愛や鈴の姿とダブってしまい、どうしても最後まで責任を持ちたくなってしまう。
「…よし、分かった!やっぱり最後まで付き添うよ!」
そうテンマは覚悟を決めると、再び母娘を抱えて避難所へと向かった。今度は迂回せず、一直線に避難所の入り口を目指す。
そして、ものの数秒で避難所の入り口付近に静かに着地すると、テンマはなるべく周囲に威圧感を与えないよう意識的に背筋を丸め、ゆっくりとした動作で歩き始める。
しかし、黒装束に鬼面という出で立ちは、どう取り繕っても異様さを隠しきれない。その為、テンマが避難所の敷地に足を踏み入れた瞬間、周囲の空気が一変した。
そして、避難所周辺に配置されていた自衛隊員や能力者管理局の武装部隊の視線が、まるで磁石に引き寄せられるように一斉にテンマに向けられる。
「あー、うん。何となく分かってはいたけど、やっぱりこうなるよね…」
テンマはその予想通りの展開に呆れつつも、これ以上警戒心を煽らないよう、できる限り無害であることをアピールしようと両手をゆっくりと上げて見せる。
そして、避難所の受付らしき場所にいる職員に向かって、いつもの人懐っこい調子で声をかけた。
「…あのー、お忙しい所すみません。避難民の受け入れをお願いしたいんですけど!」
至極丁寧な口調だったが、やはり黒装束に鬼面という外見の威圧感は隠しようがない。その影響か、はたまた既にSNSのせいで正体がバレているのか、テンマの言葉に、受付の職員は露骨に顔を青ざめて後ずさりした。
そして、その行動はまるで落とされた石が水面に波紋を描くように、平穏だった避難所全体に緊張を伝播させていった。
「おい、あの格好…まさか例の」
「黒装束に鬼面って…」
「危険能力者集団の一員じゃないのか?」
武装部隊の間でも緊張が走り、警戒の色を露わにした彼らの一部は既に武器に手をかけている。避難所の職員も母娘を受け取るのを明らかに躊躇しており、むしろテンマから距離を取ろうとしているのが見て取れた。
「あー、えーっと、いや、誤解でもないんだけどさぁ。こりゃどうしたもんかな…ははは」
そうしてテンマが苦笑いを浮かべながらも何とか場を収めようとした時…避難所の外周で警戒に当たっていた自衛隊員の一人が無線機に向かって緊急報告を始めた。
「こちら外周警備班、避難所南東方向に複数の不審な影を確認。距離約800メートル、徐々に接近中…」
その報告が聞こえた瞬間、テンマの表情が一変する。先ほどまでの困ったような笑みが消え、代わりに警戒の色が浮かんだ。
「まさか…」
そして、テンマの嫌な予感が的中するかのように、突如として避難所全体を震わせるような巨大な咆哮が響き渡った。
「グオオオオオオオッ!!!」
その声は明らかに人間のものではない。野太く、禍々しい響きは空気を震わせ、一瞬にして避難所にいる全ての人々を恐怖に陥れる。
そして、その咆哮と共に、まるで呼び寄せられたかのように、避難所の周囲に次々と敵影が現れ始める。
自衛隊や能力者管理局の部隊が即座に臨戦態勢を取る中、テンマは状況を把握して乾いた笑いを浮かべながら呟く。
「はは…ボスに倣って羽虫とは呼んでたけど、まさか本当に仲間まで呼べちゃうとはね。空鳴でここら一帯に敵が多いのは既に知ってたけど、ここでこの展開は流石に想定外…ってか、この状況ってもしかしなくても僕結構やばい?」
避難所を取り囲むように現れた竜人化したアヴァロンの構成員達。その数は軽く数十を超え、それぞれが戦闘態勢を整えている。また、自衛隊や能力者管理局の部隊も即座に応戦の構えを見せるが、その一方でテンマに向けられる警戒の視線も一向に緩んでいなかった。
「危険能力者集団、鬼灯の一員を確認!」
「避難民から離れろ!」
「下手な抵抗はせずに投降しろ!」
複数の銃口がテンマに向けられる中、アヴァロンの構成員達も不気味な笑みを浮かべながらじりじりと包囲網を狭めてくる。
「ケケケ、何だか知らねぇが面白い状況じゃねぇか」
「これはまた予想以上に面倒なことになっちゃったなぁ…」
テンマはその状況に苦笑いを浮かべながら周囲を見回す。前方にはアヴァロンの敵、後方と左右には政府の武装部隊。文字通り四面楚歌の状況だった。
「えーっと、皆さん聞いてください。僕はですね、別に避難所を襲撃しに来たわけじゃなくて…」
「黙れ!」
「鬼灯の言葉など信用できるか!」
誤解を解こうにもテンマの説明を遮るように怒声が飛ぶ。避難所の職員も避難民も、恐怖に震えながらテンマとアヴァロンの両方を警戒している。
そんな中、竜人達の一体が獰猛な笑みを浮かべて一歩前に出る。
「おい、そこの仮面の小僧。詳しい事情は知らねぇが、お前も政府に追われる身なんだろう?なら、ここは俺達と手を組んで、この政府の犬どもを一掃しちまわねぇか?」
「え?」
思わぬ提案に、テンマは困惑の声を上げる。
「ケケケ、何故かは知らんが、お前は奴らに俺たちと同様に敵視されている。なら迷う必要なねぇ。利害は一致してるじゃねぇか!」
「君達と利害が一致してる?!いやいやそんなわけないでしょ!てか、混乱に乗じて何言ってくれちゃってんの!余計に誤解されちゃうでしょうが!」
テンマは竜人の言葉に慌てて首を振る…が、その否定の言葉が政府側の疑心を更に煽ることになってしまう。
「やはり同じ穴の狢か!」
「避難民を人質にするつもりだな!」
「撃て!」
そうして緊張が極限まで高まり、今にも銃声が響きそうになったその時…
「だめ!」
幼くはあるが、確かな声がその場に響いた。
「おにいちゃんをいじめないで!」
声の主は、つい先程テンマが助けた少女だった。母親の腕から抜け出し、小さな体を震わせながらも、テンマを背に両手を広げて銃の前に立ちはだかる。
「ゆ、ゆいちゃん!だめよ、危険だから!」
母親が慌てて娘を呼び戻そうとするが、少女は頑として動こうとしない。それどころか、目尻に涙を溜めながら泣き叫ぶようにして言葉を続ける。
「おにいちゃんは、さっきも怖い人達に襲われそうになっていた私とおかあさんを助けてくれたの!だから、おにいちゃんは悪い人じゃないの!」
そんな少女の純粋な言葉が、張り詰めた空気に一筋の光を差し込む。
「そ、そんな…」
「子供が…」
政府側の武装部隊にも動揺が走る。一方で、アヴァロンの構成員達は苛立ちを露わにする。
「チッ、ガキが余計なことを…」
「邪魔だ、そのガキも一緒に…」
「それ以上は言わせないよ」
竜人が少女に向かって殺気を向けようとした瞬間、テンマの声が低く響いた。
その瞬間、周囲の空気が変わる。
「この子を傷つけようとする奴は、誰が相手であろうと僕が許さないよ」
テンマの纏う空気が変化し、今まで感じたことのない威圧感が辺りを包む。そのあまりの迫力にアヴァロンの構成員達も、政府の武装部隊も、皆一様に息を呑み、その動きを止めた。
そして、テンマは少女に向かって優しく声をかける。
「怖かっただろうに庇ってくれてありがとう。君が僕のことを信じてくれて、すごく嬉しいよ」
別にここまでして庇う程、この少女に特別思い入れがあるわけではない。しかし、この場にいる全員が敵になりかけた時に、勇気を振り絞ってくれたこの少女の想いを無駄にはしたくない。
そんなテンマの想いが伝わったのか、少女は涙を浮かべながらも、しっかりとテンマを見つめて頷いた。
「でも、ここは本当に危ないからもうお母さんの所に戻って。今度は僕が君を守ってあげるから」
「うん…」
少女が母親の元に戻ると、テンマは政府の武装部隊に向き直る。そして、いつもの軽やかな調子とは打って変わって、真剣な表情で口を開いた。
「それで…あの子はああ言ってたけど君達はどうする?」
主要警戒能力者のリストに名を連ね、天災級能力者とも称されるテンマを前にして、自衛隊や能力者管理局の武装部隊が警戒を露わにするのは当然の反応だ。テンマ自身、それが間違った判断ではないことを十分に理解している。銃口を向けるまでの行動に迷いが無かったことかしても、恐らく既に最近就任したという西日本支部の局長辺りからも、現場にアヴァロン以外の勢力が現れた際の対処なんかについては指示を受けているのだろう。
しかし、だからといって目の前の危機を看過するわけにはいかない。そして、それは目の前で銃を構えている人達にとっても同じはずだ。
「僕に君達と敵対する…ましてや避難所を襲撃する意思がないのはあの子の言葉からも、もう十分に伝わってる筈だよね。だから、上からの命令を忠実に守って要らぬ被害者を出すか、命令違反にはなるけど僕と協力してこの危機的状況を被害者を出さずに乗り切るか…今ここで5秒以内に選んでよ。あの羽虫達を蹴散らすにしても、後ろから撃たれることを想定してたら、流石の僕でもたまったもんじゃないからさ」
この状況でどちらを選択するかは、鬼灯について少しでも知識のある者なら明白だった。好き放題暴れながらも消息を掴ませない神出鬼没性、そして一般市民はともかく、詳しい情報を共有されている関係者の間では既に伝説級とまで言われるその戦闘力。
しかし、それでもテンマの提示した5秒という時間制限は、武装部隊に緊張を走らせるには十分だった。
そんな重苦しい沈黙の中、部隊を指揮していると思われる中年の男性が意を決したように一歩前に出る。階級章から察するに現場責任者だろう。
「待て…本当にお前一人で、あの数を相手にするというのか?いや、そもそもそんなことが可能なのか?」
責任者の声には明らかな疑念が込められていた。目の前に展開するアヴァロンの構成員は既に数十体。そして、遠方からも続々と増援が集結しつつある状況で、たった一人で立ち向かうなど、常識的に考えて不可能に思えた。
しかし、テンマは鬼面の下で不敵な笑みを浮かべる。
「あー、信じられないのも無理はないよね。でも、その点に関しては心配いらないよ。僕はただ1人を除いて、この世の誰にも負けないから」
その言葉には、根拠のない楽観論ではなく、確固たる自信が宿っていた。テンマの纏う空気が先程とは明らかに違う。戦いを前にした高揚感と、絶対的な自信が混じり合った、まさに天災級能力者と呼ばれる所以を感じさせる威圧感だった。
「…本気で言っているのか?」
「うん、本気だよ。というか、むしろ天災級なんて称号をつけられてるのに、あの程度の連中を止められないと思われてることの方が驚きだよ」
テンマの飄々とした物言いに、責任者は言葉を失う。そして、その会話を聞いていた避難民達の間にも変化が生まれ始めていた。
「あの鬼灯の人…本当に私達を守ってくれるの?SNSとかでは確かにそんな情報も書かれてたけど…」
「さっきゆいちゃんって子を助けてくれたのも、あの人なのよね…」
「でも、本当に一人で大丈夫なの?敵はあんなに沢山いるのに…」
避難民達の間に小さなざわめきが起こる中、先程テンマに助けられた少女が再び声を上げた。
「おにいちゃん、がんばって!」
その純粋な応援の声が引き金となったかのように、他の避難民達からも先程とは打って変わった声が上がり始める。
「お、お願いします…私達を守ってください!」
「が、頑張って!」
「負けないで!」
避難所に響く応援の声。それは、テンマの言葉を信じ、彼に希望を託す人々の想いだった。
その光景を目の当たりにした責任者は、深いため息をつく。
「…分かった。我々も全面的に協力させてもらおう」
「え、マジ?自分で言っておいて何だけど、僕の言うこと信じるの?てか、それって組織的に良いの?」
「この危機的状況では良いも悪いもない。それに現状、お前に敵対の意志がないことは明らかだ。そして、この数の敵を相手に避難民を守り切るには…正直、我々だけでは厳しい」
責任者は苦渋の決断を下すように、テンマを見据える。そして、何かを諦めたように息を吐き、後ろに控える隊員達へと指示を飛ばす。
「この判断に対する責任は私が取る。今は、ただ目の前の命を守ることを最優先とする」
その言葉に、自衛隊員や管理局の部隊員たちも次々と頷き、銃口をテンマからアヴァロンの構成員へと向け直す。
「全隊員、迎撃態勢を整えろ!目標はアヴァロン勢力!そして、我々は避難民の防衛を最優先とする!各班、持ち場に着け!」
『了解!』
隊員たちの統一された返事が避難所に響き渡ると、まるで一つの意志を持った生き物のように、避難所の一角が瞬く間に要塞へと変貌していく。
テンマはその手際の良さを眺めながら、感心したように肩をすくめる。
「………おー、さすがの連携だね。でも、まさか僕が政府の人間と共同戦線を張ることになるとは。人生、何が起こるか分からないね。応援された時は、不覚にもちょっと感動しちゃったよ」
その軽やかな口調に、責任者は鼻を小さく鳴らして応じた。
「勘違いするな。私はお前を信じたわけじゃない…あの子供を信じたんだ」
「ふふ、それで十分だよ」
テンマは口元に優しい笑みを浮かべると、ゆっくりと前方へ歩を進めた。その足音は静かだが、その足取りがどこか余裕を感じさせる。
そして、そのままテンマが避難所の最前線まで歩いて来ると、アヴァロンの構成員達は一斉に嘲笑を浮かべた。
「ケケケ、たった一人で俺達全員を相手にするつもりか?」
「政府の犬どもと手を組んだところで、所詮は烏合の衆だぞ」
「そうだ。仮面の小僧、お前一人が何をしようと無駄だぜ」
竜人化した構成員の一体が、獰猛な笑みを浮かべながらテンマを見下すように語りかける。
「俺達の数を見てみろよ。お前がどんなに強かろうと、この物量の前では無力だ。大人しく俺達の仲間になるか、それとも無様に蹂躙されるか…好きな方を選べ」
「そうそう、政府に追われる身なら、むしろ俺達と組んだ方が得策だろう?」
「避難民なんて守ったって何の得にもならねぇぞ」
アヴァロンの構成員達は口々にテンマを嘲り、挑発的な言葉を投げかけ続けた。その余裕に満ちた態度は、圧倒的な数的優位への絶対的な自信から来るものだった。
しかし、テンマはそれらの挑発を意に介することなく、ただ静かに歩き続ける。そして、避難民達を完全に庇う位置にまで来ると、ゆっくりと足を止めた。
「あー、確かに君達の言う通り、数だけ見れば圧倒的にこちらが不利だよね」
テンマの声は相変わらず飄々としていたが、その瞬間、テンマを取り巻く空気が微かに変化した。
「でも、一つ良いことを教えてあげるよ」
竜人達はまだ余裕の表情を崩していない。しかし、敏感な者は既に何かが変わり始めていることを察知し始めていた。
「戦いにおいて、数は全てじゃないんだ」
その言葉と共に、テンマから放たれる気配が徐々に変質していく。今まで感じていた人懐っこさや軽やかさが、まるで仮面を剥がすように消え去っていく。
「特に…」
そして、テンマが顔を上げた瞬間、鬼面の向こうから放たれる視線が、アヴァロンの構成員達を射抜いた。
「格が違いすぎる場合はね」
瞬間、空気が凍りつく。
そして、アヴァロンの構成員達の余裕に満ちた笑みが、一瞬にして恐怖の表情へと変貌する。体中の血液が逆流するような感覚に襲われ、呼吸すら困難になっていく。
「な、何だこの殺気は…」
「化け物か…こいつ…」
「ひ、人間じゃねぇ…」
いつの間にか数百体にまで増えていた竜人達が、たった一人の男を前にして総じて身を竦ませる。圧倒的な数的優位など、もはや何の意味も持たない。目の前に立つのは、文字通り天災と呼ぶに相応しい存在だった。
そして、凶悪な殺気が波のように押し寄せる中、テンマは、ただ静かに唇の端をわずかに吊り上げて呟いた。
「…さて、蹂躙されるのはどっちかな?」