第131話 転戦(2)近畿戦線
——近畿地方 大阪市
「はー、快ちゃんったら全く薄情なんだから!もうこの大心友である僕を何だと思ってるんだか!!」
通話が切れたスマホを見下ろしながら、テンマは不服げに頬を膨らませる。しかし、その表情は数秒と持たず、直ぐに普段の少年のような表情へと変わった。
「ふふ。まぁ、これが快ちゃんなりの照れ隠しなのは僕には全然お見通しなんだけどね!」
そんな風に一人で納得したテンマの表情には、確かに嬉しそうな色が浮かんでいた。
快が気が向いたら等と言ったのは、決して見捨てるつもりがあったからではない。むしろその逆で、テンマなら一人でも十分にやっていけると、その実力を認めているからこそ出た言葉なのだ。
「快ちゃんは、あれで意外と心配性な所があるからね。この状況での放任は逆に嬉しいな〜!」
テンマは自分の解釈に満足げに頷くと、改めて戦闘への意欲を燃やし始める。
そして、大阪市内の高層ビルの屋上から街を見下ろしながら、軽やかな口調で呟く。
「とはいえ、そろそろ本気で取り掛からないとヤバいよね。これ…」
眼下に広がる光景は、関東と変わらず正に戦場そのもの。しかし、その被害規模はパッと見でも関東の数倍の規模にまで上るのが分かる。
この状況を見る限り、恐らく既に政府が関知出来ていない死傷者が少なからず出ている。その事実に、テンマの表情にも幾らかの真剣さが宿る。
そして、そこで今一度自らに与えられたただ一つの命令を思い出した。
——敵対勢力アヴァロン、奴等が目論む全ての意に反せ
「快ちゃんはこの命令の難しさ分かってるのかな〜。いや、あの感じ絶対わかってないよね〜」
快がこの言葉を放った時のニュアンスとしては、恐らく盛大に嫌がらせをしろという軽いものだったのだろう。しかし、いつも難なく不可能を可能にしてしまう快からの命令となれば、対等の仲間でありたいテンマや銀次にとって、それは途端に絶対に遵守しなければならない重みを持ち始める。
となれば、当然この状況下での全ての意に反せという命令。それは即ち、少しの犠牲も許すなと言っているも同じことだ。
「ま、快ちゃんが望むなら僕はどんな無茶振りだって応えて見せるけどね……とはいえ、快ちゃん以外でこの規模の戦いの中で被害ゼロは流石に無理があるから。まずは、優先度の高いものから処理していこうかな」
そして、テンマはかつてない程に繊細にマナを操作し始める。
「風系統術『空鳴からなり』」
薄く、細い糸のように伸ばされたマナが、テンマを中心として数キロ先まで張り巡らされていく。それらは風に乗って街中のあらゆる音を拾い集め、悲鳴、爆発音、崩壊する建物の轟音、そして敵の足音や会話に至るまで、全ての音情報がテンマの元へと届けられた。
この技は、これまでテンマが使用してきた攻撃的な風術とは一線を画す高度な探知術だ。マナの制御に求められる精密さは桁違いで、まだ慣れていないこともあってテンマの集中力を著しく消耗させる。その証拠に、わずか数十秒の使用で、テンマの額には大粒の汗が浮かんでいた。
「ふぅ〜…やっぱりこういう細かいマナ操作はまだ慣れないな。てか、普通に苦手。でも、お陰で何となく周囲の状況は読めた!差し当たって緊急を要するのは…」
そして、集められた音情報を順番に整理していくと、一つの場所から特に切迫した状況が伝わってきた。
——南西方向、約2キロメートル先
そこからは母親らしき女性の心配する声と、幼い少女の泣き声が響いている。そして、それらを嘲笑うかのような複数の男達の下品な笑い声が混じっていた。
「本当、懲りない奴等だね…」
呆れの表情を浮かべながらも、テンマの体は既に行動を開始していた。
「風系統術『空歩』」
その瞬間、テンマの全身を透明な風の渦が包み込む。足元から立ち上がった風は螺旋を描きながら体を持ち上げ、瞬く間に高層ビルの屋上から宙へと舞い上がらせる。
そして、そのまま建物の間を縫うように飛び、障害物を避けながら一直線に約2キロメートルの距離を僅か数十秒で駆け抜けたテンマは、目標地点の上空で急制動をかけると、風の力を利用して静かに地上へと降り立った。
現場に到着すると、そこには予想していた通りの光景が広がっていた。アヴァロンの下級構成員と思われる数人の男達が竜人化した姿で、角に追い詰められた母娘を取り囲んでいる。
「おかあさん…こわいよぉ…」
「大丈夫、大丈夫よ…」
母親はガタガタと震える手で必死に娘を抱きしめ、小さな体を自分の後ろに隠そうとしていた。しかし、竜人化した男達の前では何もできないことを悟っているのか、その表情は深い絶望に染まっている。幼い少女は母親の腕の中で小さく身を縮め、恐怖に震えながら泣きじゃくっていた。
そんな親子の姿を見て、男達は愛を襲った時のように愉快そうな笑い声を上げている。
「ケケケ、良い面構えじゃねぇか」
「ハハハ、ちげぇねぇ。だが、ガキの方はどうする。ギャーギャーうるせぇからとっとと殺しちまうか?」
「バカ言え、こういうのは観客がいるから盛り上がるんだろ!」
その男達の会話を聞いた瞬間、テンマは一層脚に力を込めて空歩を使う。
「…そこまで」
そして、気が付けば、テンマは既に男達と母娘の間に立っていた。
『な、何だお前は!?』
突然、目の前に現れた見るからに怪しい鬼面と黒装束を身に付けた男の登場に、男達は余裕のある態度から一変、揃って驚きの声を上げ、一気に警戒の色を強める。
「何だお前は…か。んー、そう言われると確かに何て言えば良いのかな。君達と同類に扱われるのは心底嫌だけど、政府連中からしたら度々迷惑を掛ける僕も同じようなもんだろうし……いや、でもこの場はややこしいから正義の味方とでも言っておこうかな!」
「…正義の味方だと?」
「そうそう。暴漢から善良な一般市民を守る正義の味方。いや、僕もらしくないと思うけどさ。仕方ないでしょ。それ以外に良い表現思いつかないんだから…」
「ふざけた野郎が…舐めた口利きやがって!邪魔くせぇからガキ諸共まとめて始末してやる!」
返答が気に入らなかったのか、敵意を剥き出しにした竜人達の怒声が響く。しかし、テンマはそうして興奮する男達には目もくれず、ゆっくりと振り返った。
そして、恐怖で身を寄せ合う母娘に向かって、テンマは鬼面の下で人懐っこい笑顔を浮かべる。
「僕が来たからにはもう大丈夫だよ。でも、このまま虫退治しなきゃだからもう少しだけ目を閉じててね」
声音も普段通りの軽やかで温かいもの。まるで友人を安心させるかのような、そんな優しさに満ちた声だった。
しかし…
——ビクッ
鬼面に隠されたテンマの表情は、どれほど優しく微笑んでいても相手には伝わらない。その影響か、テンマの優しい声音とは裏腹に、母親は更に娘を強く抱きしめた。
助けに入ったとはいえ、この反応は仕方がなかった。
黒装束に身を包み、不気味な鬼面を被った謎の男。その圧倒的な存在感と、複数の敵を前にしても一切動じない余裕を目の当たりにすれば、どれほど優しい声音であっても母親には不気味に響いてしまう。
善意が伝わらないもどかしさ。テンマ自身もそれを理解しているのか、小さく肩を落とすような仕草を見せる。
「ははは。そりゃ、見るからに怪しいし怖いよね。でも、ほんと大丈夫だから」
そして、再び男達に向き直ると、テンマの声色は先程とは打って変わって冷徹なものになる。
「さてと、この人達も君達がいる限り安心出来ないみたいだからね。僕が危害を加えないって信じてもらう為にも、君達には早いとこ消えてもらおうかな」
「ハッ!さっきの身のこなしからして、多少は出来るみたいだが…テメェ、俺達を一体誰だと思ってやがる!」
「誰って…数に物言わせてイキるだけの害虫でしょ」
「…この辺り一帯を制圧した俺達に向かって害虫とは良い度胸じゃえねぇか…そんなに死にてぇなら、その女とガキの前で八つ裂きにしてやるよ!」
テンマの余裕綽々とした態度が癪に障ったのか、竜人達は牙を剥き出しにして威嚇の唸り声を上げる。そして、その声に比例して露骨にパワーアップとでも言うように男達の鱗に覆われた筋肉が膨張し、爪が鋭く伸びていく。
「へー、君達ってそんな事も出来たんだ。個体差があるのかもしれないけど、これまで瞬殺してたから、その変身は初見だなー」
しかし、テンマはその様子を見ても相変わらず慌てる素振りも見せなかった。むしろ、その場の空気が殺伐としていくのを感じ取ったかのように、小さくため息をついた。
「でも、所詮見掛け倒しだよね。ほんと、数ばかり多くて嫌になっちゃうよ…」
そして、右手を軽く横に払うような動作を見せる。
「風系統術『刃』」
すると、その瞬間…
——スパッ
空気を切り裂く鋭い音と共に、透明な風の刃が横一線に駆け抜ける。そして、それはまるで見えない大剣が一閃したかのような軌跡を描きながら、風刃は竜人達を捉え…
「な、何だこ…ガハッ!」
「ぐあああああっ!」
竜人達が反応する間もなく、風刃は正確に男達の胴体を切り裂いた。そして、どさり、どさりと次々に地面に倒れ込む男達。
「はい、お疲れさま。治癒スキルの持ち主でもあるまいし、君達が幾らしぶといって言っても流石にそこまでの損傷を受けたら回復は出来ないでしょ。それじゃ、残り少ない余生を楽しんで」
竜人化の恩恵故か、即死せずに痛みに悶える彼らを一瞥すると、テンマは笑みを浮かべて軽く手を振り、まるで軽い挨拶でもするかのような気軽さで、倒れた敵達に声をかける。その余裕ぶりは、先程まで殺気立っていた竜人達との力の差を如実に物語っていた。
そして、テンマは母娘の元に歩み寄ると、再び優しい声色に戻る。
「よし、これで虫退治は完了! 2人共怪我はない?」
「…は、はい。お、おかげさまで…わ、私も娘も無事です…」
「それは良かった!じゃ、今から安全な場所まで送るからね」
「い、いえ…あの…」
母親は明らかに警戒している。恐怖で震えているのが、先程までの敵に対してなのか、それとも目の前の鬼面の人物に対してなのか、もはや区別がつかない状態だった。
テンマもその様子に気付いているが、時間的余裕がないため説明は後回しにする。
「風で飛ぶから、ちょっと怖いかもしれないけど我慢してね。すぐに着くから…」
「…え、あっ…!?」
そして、未だ状況が把握出来ず、困惑する母娘を問答無用で抱えて空へと舞い上がる。
目指すは、事前に空鳴で確認済みの最寄りの避難所だ。