第130話 転戦(1)散開
「酷い有り様だな」
アヴァロンのせいで街の所々から煙が上がり、荒れた印象を受ける街をひた走りながら、俺は独りごちる。
つい数日前まで、なんて事のない日常を送っていた筈の街並みが、今や戦場と化している。倒壊した建物の瓦礫が道路を塞ぎ、放置された車両が無造作に散乱し、割れたガラスが路面に散らばって陽光を乱反射させる。空気中には焦げ臭い匂いが漂い、遠くから時折響く爆発音が、この状況の深刻さを否応なく物語っている。
俺達も以前、陽動作戦で似たような混乱を引き起こしたことがあったが、これほどの惨状が広がっているにも関わらず、ここがまだ最前線ではないということを考えれば、実際の被害規模は、あの時とは比較にならないものだろう。
不幸中の幸いなのは、未だに最前線である九州以外では死者が出ていないことだが、その状況もいつまで続くかは分からない。現在は、俺達の介入によって戦況を保てているものの、それも決して余裕があるとは言えないのが実情だ。
敵の戦闘力自体はそれ程問題ではない。アヴァロンの奴等が揃って竜人化もといスキルの能力を発現できているカラクリは未だに不明だが、その強さは個体差があると言えど、いずれも現代武器のゴリ押しで倒せる程度に収まっている。
まだ主力が控えている可能性もあるが、これまでのように散発的に現れる程度の奴等であれば、能管をはじめとする公的機関の部隊でも十分に対処できるだろう。
ここで問題となってくるのはやはりその数。物量だ。
どうやら竜王とかいう奴は余程この国を我が物としたいらしい。一体どれだけ備えていたのか、奴等はまるでゲームのリスポーン機能でもあるかのように、倒しても倒しても際限なく現れる。
まぁ、それでも俺達が目についた敵から順次駆除していた為、手応え的には関東地方における敵勢力の大部分は片付けることができたと思うが、供給源そのものが断たれない以上は、これも一時凌ぎにしかならないだろう。
「はぁ、言っている側からか…」
そして、俺がそんな愚痴を漏らした瞬間、前方の角から新たなアヴァロンの一味もとい竜人化した男女が2人、瓦礫の影から這い出るように姿を現す。鱗に覆われた皮膚、爪牙を剥き出しにした獰猛な表情。もはや見慣れた光景だ。
「またかよ…」
うんざりした気持ちを押し殺しながら、俺は地面を蹴る。強化された身体能力が瞬時に発揮され、一歩で数十メートルの距離を詰める。俺の接近に男がいち早く気が付くも碌に抵抗する間もなく、俺の拳が男の鳩尾に深々と突き刺さる。
「ぐはっ!」
男は苦悶の声を上げながら壁に叩きつけられ、そのまま意識を失う。
その瞬間、女が慌てて爪を振り下ろしてくるが、俺はそれを軽々と受け止めると、逆に相手の腕を掴んで先の男同様に投げ飛ばす。
「うぅ…」
しかし、アスファルトに叩きつけられた女は呻き声を上げながらも、まだ意識を保っている。
「丁度いい」
俺は未だかろうじて意識のある女の方に近づくと、躊躇なくその右手首を握り締めた。骨が軋む音と共に、女の甲高い耳障りな悲鳴が響く。
「ぅぁああああ…」
「楽に死にたければ竜王の居場所とお前達のような羽虫の供給源を教えろ」
俺の質問に女は苦痛に顔を歪めながらも、頑なに口を閉ざす。
「…手が汚れるからあまり手荒な真似はしたくなかったんだがな」
そう言うと俺は更に力を込めた。すると、ぐちゃりという嫌な音と共に、女の手首が完全に潰れる。
「あああああ!!」
再び周囲に鳴り響く女の絶叫。しかし、依然女は口を噤んだままでいる。
「そのしぶとさも竜人化の恩恵か?はぁ、面倒臭いことこの上ないな。まぁ、尋問には丁度良いが…」
そして、俺は今度は左手の指を一本ずつ折り始める。骨の折れる音が乾いた空気に響く度に、女の絶叫が街に木霊する。
しかし、そうしてどれだけ苦痛を与えても、どれだけ脅しをかけても、終始、女の態度は変わらなかった。むしろ、底知れぬ狂信的な光を瞳に宿していた。
そして…
「竜王様に...栄光を...」
全ての指が違う方向を向いた頃、掠れた声でそう呟くと、女は眠るように意識を失った。
その後も俺は気を失っているのにも構わず、殺人ピエロの時と同様、2匹の羽虫を相手に様々な方法で情報を引き出そうと試みたが、結果は同じだった。どれだけ痛めつけても、奴らの忠誠心は微塵も揺らがない。
「やっぱり何も吐かないか」
俺は呆れ気味に2匹の羽虫のトドメを刺しながらため息を吐く。
この結果はやる前から半ば分かりきっていた。なんせ、これまでに捕らえた竜人たちも皆、同じような反応なのだ。奴等はまるで洗脳でもされているかのように、竜王への忠誠を貫き通す。いや、これはもはや忠誠を超えた崇拝の域だ。
竜王とやらに簡単には寝返ることが出来ない相当な恩があるのか、はたまたスキルの影響故か…何にせよ逆らえない何かがある。それは間違いない。でなければ、この組織力は説明が付かない。
俺もそれなりに鬼灯の奴等に慕われている自覚はあるが、幾ら何でも組織の末端の人間にまであれ程までの忠誠心があるとは思えない。
実際、もし仮にコイツらのように鬼灯メンバーが拷問にかけられるような事があった場合、比較的痛みに強いテンマや銀次ならまだしも、カラーズ幹部、特にイエロー辺りなら俺の居場所くらいなら秒でゲロるだろうしな。
「ま、情報の方はそのうち手に入るだろ」
この事態を収束させる為には、竜王との決着をつけなければならない為、アヴァロンの情報が必要なのは間違いない。
しかし、現状はそれよりも先に優先すべき事がある。
その為、俺は手についた血を近くの水道で洗い流してから、スマホを片手に改めて思考を整理する。
政府発表の随時更新される被害状況のマップによれば、やはりアヴァロンの勢力は北は北海道から南は沖縄まで、文字通り全国各地で同時多発的に出現している。
北海道では札幌市内で大規模な戦闘が発生し、東北では仙台周辺で敵勢力が集結している。中部地方では名古屋が包囲されかけており、近畿地方より西に関しては最前線である九州に近付けば近付く程、被害規模が増している様子だ。
沖縄に至っては、恐らく既にアヴァロンの支配下に落ちている可能性が高い。
アヴァロン関係者から情報を得られない以上、奴等の本拠地の正確な位置は不明だが、数日前まで動向を掴めなかった事実を考えると、国外に拠点を構えているのは確実だろう。そうであれば、本土制圧における中継地点として沖縄を第一目標とするのは、戦略的に極めて合理的な判断と言える。
そしてこの推測が正しかった場合、さらに厄介なのは沖縄の住民達が事実上の人質状態に置かれている可能性が高いことだ。
こうした状況では、島民の安全を交渉材料として利用することも可能になる。いや、まず間違いなく窮地に陥った際にはそうするつもりなのだろう。予め次善策を用意しておくこのような手法は、これまでのアヴァロンの作戦パターンと完全に一致している。
実際、九州本土よりも南に位置する沖縄から死傷者の報告が上がっていないのがその証拠だ。政府が被害状況を把握できていない可能性も皆無ではないが、現在の九州本土の混乱状況を考えれば、殊更情報の把握を急ぐだろう。だから、その可能性は極めて低いと言わざるを得ない。
何にせよ、現状、この戦いは戦闘力よりも時間こそが勝敗を決める鍵となっている。
「…にしても、卑怯というか、狡猾というか、こうして改めて考えてみると、竜王ってのはつくづく性根の腐った奴だな」
大筋の狙いとしては、立ち回りからして、やはり首都圏を制圧するための戦力の分散なのだろうが、正直これまでの動きはよく考えられていると言う他ない。
人口の多い都市への集中攻撃による陽動。思惑は誰の目から見ても明らかだが、政府側はこれが敵の作戦の内だと分かっていても、人命を安易に見捨てる事が出来ない。
「政府側からしてみれば正に進退窮まると言ったところか。まぁ、敵として俺がいる以上、そう易々と好きにはやらせないがな」
とはいえ、いくら俺一人が関東で暴れ回ったところで、全国規模での同時多発攻撃に対処するには限界がある。こういう時こそ、組織として動く必要がある。
幸い、鬼灯のメンバーは俺の指示の下、既に各地に散らばって対応に当たっている。俺がここでサービス残業をしている間にも、アイツ等は着々と任務を遂行しているはずだ。
しかし、俺は血の匂いが残る現場を後にしながら、改めて全体の戦況を把握する必要性を感じていた。個々の戦闘では勝てても、戦略的に後手に回っては意味がない。こうした混乱の最中にこそ、こまめな連絡による状況把握が不可欠だ。
その為、俺はスマホを再度操作し、確認の為のグループ通話を開く。
「各自、首尾はどうだ?」
『ご、ゴホゴホ…こ、こちら近畿地方担当のテンマ!僕はもう大阪に着いてるよ!敵の規模は想定通りってところ!思ったより歯応え…じゃなかった、手応えはないけど、それなりに楽しんでます!』
テンマの声には、戦闘への期待と興奮が滲んでいた。通話越しでも分かるほど弾んだ口調からは、まるで待ちに待った娯楽を満喫しているかのような高揚感が伝わってくる。相変わらず、こういう状況になると本性を現す奴だ。
てか、絶対たこ焼きかなんか食ってるだろ。
『…こちら中部地方担当の銀次。現在は名古屋周辺の状況を確認中だ。そして、クロウズと協力して敵の分布を確認したが、恐らく2時間以内には制圧できると思われる』
対照的に、銀次の報告は冷静で分析的だった。やや緊張の色を隠しきれない声音ではあったが、それでも状況を的確に把握し、着実に任務を遂行している様子が窺える。
それに俺は内心で安堵の息を吐く。
銀次の性格を考えると、相手が悪党とはいえ、実際に命を奪うことについては心理的な負担があるのではないかと懸念していたが、この様子を見る限り、そうした心配は杞憂だったようだ。
『ガウゥ!!』
そして、クロからはスマホ越しに低い唸り声が聞こえる。元気そうな声色からして恐らく拠点周辺の警備は問題なく、カラーズのメンバーとも連携が取れているという意味だろう。
普通に通話に関しては状況把握も兼ねているからカラーズが出て欲しいところだが、まぁ、やる気に満ち溢れているようで何より。問題ないなら頼もしい限りだ。
「よし、一先ずは順調そうだな。だが、各自、油断だけはするなよ。特にテンマ、お前はバカなんだから言動には一層注意を払え」
『えー、快ちゃん僕のこと心配してくれるの〜!なんか嬉しいな〜!』
「おい、割と真面目に身バレとか気を付けろよ。非常時で比較的人の目が少ないとは言え、SNSはまだ生きてるんだからな。羽虫を駆除する傍ら観光を楽しむのも良いが、1人の目撃者が命取りだぞ」
『もう僕だってそのくらい分かってるって!快ちゃんも心配性だなー!』
よし。この能天気な反応を見るに、やはりいざという時は迷わず見捨てる覚悟を固めておいた方が良さそうだな。唯一の懸念点としては巻き込まれる事だが、そうなったら知らぬ存ぜぬで突き通そう。
『僕としては、僕らが離れた後の関東の方が全然心配だよ!拠点近くはクロとかユンの最強アニマル部隊が控えているから問題ないとしても、敵の最終的な目的地は結局はその辺りの訳だし…』
「まぁ、そうだな。今は俺が残っているお陰でかろうじて軽微な被害で収まっているが、それが無くなればこの辺でも少なくない犠牲が出るだろう」
能管を始めとする公的機関もアヴァロンの勢力を相手に頑張ってはいるみたいだが、それでもその討伐効率は俺達とは比較にならない。
「だが、それに関しては当てがあるから問題ない」
『当て?』
「あぁ。繋ぎの役目は十分に果たしたからな。SNSでの情報の拡散も済んだ頃だし、多分そろそろ出てくるんじゃないか?」
『うわー、それってもしかして…』
テンマは俺の物言いからその当ての存在を察したのか、露骨に怪訝な声を出す。
「ま、お前の思ってる奴だろうな」
『はー、僕…やっぱりあの人のこと気に入らないなー。そりゃ、死傷者を出さない為には、能力者の手が多いに越した事ないのは分かるけどさ!だからって今頃出てこられても遅いよ!そもそも、特級の…それも水の能力者ならもっと効率的な動き方があったんじゃないの?……いや、別に勘違いしないで欲しいけど、私情で文句言ってる訳じゃないからね。快ちゃんに認められてるのが気に食わないとか、頼りにされてるの羨ましいとか全然思ってないからね。実際に戦った事はないけど、多分、絶対、僕の方が強いし…』
頑なに名前を出さない辺り、滅茶苦茶に私情が入っていると思うが…まぁ、それはひとまず置いておこう。物言いはともかく、テンマの言い分にも一理ある。
数ある能力者の中でも浅霧の実力は俺も認めるところだ。その水の特級という色々と規格外過ぎる能力を抜きにしたとしても、アイツの咄嗟の判断力や身体能力の高さは目を見張るものがある。
これを口にすると、またテンマが煩くなりそうだから、あまり大きな声では言えないが、鬼灯の面々を抜きにすると、浅霧は現時点で俺を殺せる可能性のある唯一の存在と言えるだろう。
しかし、だからこそ疑問が生まれる。
何故そんな高い能力を持ち合わせていながら、こんな惨事が広がっているのか…と。アイツの能力の高さであれば、全国各地で同時多発的に起こる奇襲は仕方ないにしても、最前線である九州の戦いを早々に決着させる事も十分に可能なはずだ。
いや、答えは明白か。
浅霧は高い能力を持ち合わせているとは言え、それなりの数の部下を抱える能力者管理局という公的機関の長だ。西日本支部の設立やその立場柄が影響して、何かと自由に動けない理由があるのだろう。でなければ、頭の切れるアイツが俺と同じ結論に辿り付かない訳がない。
まぁ、多少効率が悪くとも、他の地域を放置する訳には行かないしな。こちらの羽虫共を一気に殲滅してから最前線に出向くのも悪くないだろう。
「何にせよ、浅霧が関東に留まる以上、関東が敵の手に落ちる心配はない。だから、お前もいい加減切り替えて、目の前の敵に集中しろ」
『…はいはい…でも、本当に大丈夫かな〜。快ちゃんが居なくなった途端、また被害増えちゃうんじゃないのぉ〜』
「しつこいな。大丈夫だっての」
実際、SNSに上がっている情報を見る限り、俺達が介入する以前より増して関東地方での敵勢力の動きは他地域と比べて鈍くなり始めている。
恐らく、俺の読み通り、俺達の動向を把握した浅霧がようやく動き始めたのだろう。その動き方はまるで「他の地域は任せたよ」とでも言いたげだ。
鬼灯の実力と思想を理解した上で、関係性すら無視して、効率よく全体の被害を最小限に抑える戦略を立てる。実に浅霧らしい、合理的で柔軟な判断だ。
依然、政府の連中は嫌いだ。だが、俺の遊び相手の願いならば、その期待に応える他あるまい。
「引き継ぎも無事済んだみたいだし、俺もこれから作戦通り関東を離れる。だが、あの羽虫共がまた小細工を仕掛けてくる可能性もある。だから関東に程近い銀次は、いざという時はフォローに回る準備もしておいてくれ」
『あぁ、その件に関しては、既にカラーズに何か異変があれば連絡するよう伝えてあるから問題ない』
おー。流石銀次。俺の意図をわざわざ言わなくとも理解しているとは…やはり気に入らないだの何だのと騒ぐだけのバカとは違うな。
『それより、俺としてはお前が北海道から東北までを一人で回る方が心配だ。流石にそれだけの広範囲を回るのは無理があるんじゃないか?』
まぁ、銀次の指摘はもっともだな。北海道と東北の国土面積は、日本の約4割を占めている…確かに、一人で担当する範囲としては広すぎる。だが、他に選択肢がない以上、やるしかない。
「まぁ、地方にも少なからず能管部隊や自衛隊は居るだろうし、多分何とかなるだろ。治癒もあるし、体力的には何ら問題ない」
『……お前もそっち方面に関してはテンマに負けず劣らず大概楽観的だな。まぁ、お前達の実力を鑑みれば、それも仕方ないのかもしれないが…もし万が一危険な状況に陥るようなことがあったら、遠慮なく応援要請してくれよ。直ぐに救援に向かう』
「必要ないとは思うが分かったよ。お前らも自分だけでは手に負えないと思ったら見栄を張らずにすぐに連絡しろよ…テンマ以外なら助けに行ってやる」
『了解だ!』
『ガウゥ!』
『わーい!って、え、僕は?!』
「お前は気が向いたらな。ちょっと遠いし」
『そっか、確かに東北から近畿は少し遠いもんね。そりゃ、気が向いたらになるよねって…そんなので納得出来るかぁ!!大親友のピンチなn…』
——ピロンッ
「…おっと、あまりの煩さについ反射的に切ってしまったな。まぁ、情報の共有と把握も一通り済んでたしいいか」
そうため息混じりにスマホを、上着の内ポケットにしまうと、俺は改めて周囲を見回した。
煙の向こうに見える空は、まだ青さを保っている。だが、その青空の下で繰り広げられているのは、正真正銘この国の存亡をかけた戦いだ。
「とはいえ、緊張なんかはしないけどな」
政府や能力者管理局がどう動こうと関係ない。俺達は俺達のやり方で戦う。
それが鬼灯の在り方だ。
全ては、敵対勢力アヴァロン、奴等が目論む全ての意に反する為に。
そして、俺は鬼面の下で小さく笑みを浮かべると、血と硝煙の匂いが仄かに漂い始めた北へと向かう道を駆け出した。