第119話 社会科見学(2)
暫しの休憩を挟み、その後も様々な場所を巡り、順調に社会科見学を続けた俺達であったが、ふと気が付けば、何故だかとても馴染み深い場所に立っていた。
そう、拠点である。
え、本当に何で?…と思うだろうが、それもゆくゆく考えてみれば当然の帰結といえる。
幾ら肉体の質が高いと言えど、鈴は未だ生後2ヶ月の乳児中の乳児。成長速度は比較的早いが、未だ身体機能に関してはそこらの乳児と同じで未熟のままだ。となれば、当然街を歩けど体験できるものなんかは殆どない。
食べ歩きをしようにも現在の主食はミルクの為、美味しそうな食事を見つけても口にすることは叶わない。公園で遊ぼうにも最近ハイハイもどきを習得したばかりの為、俺やユンの補助なしでは満足に遊ぶこともままならない。
ま、要は見学ばかりで飽きてしまった訳だ。
どれだけ名作と言われる映画であっても何度も見れば、流石に見飽きてくる。なら、鈴が徐々に関心を示さなくなるのも頷けるというものだ。絶景ならまだしも、平凡な街並みなら尚仕方ない。
その点、拠点には他にはないモノが溢れている。刺激が少なかった先程までとは違って、鈴も幾らか楽しみようがあるだろう。ユンも事あるごとに隠れなくて良いしな。
俺にはもはや家と同様に馴染みの場所ではあるが、飽きを解消するのにこれ程適した場所も他にない。正に灯台下暗しという訳だ。
そして、現在。
「どうだ、鈴。これが本物のクマだぞ」
「うぅぅうー!!うぅううぁぁ!!!」
鈴は、生まれて初めて目にする巨大生物もといクロに大興奮していた。
「ぅぅうあ!!にぃにぃ!きぃきぃ!」
「あー、そうだな。絵本に出てくる奴と同じだな。気に入ったか?」
「あぅ!!あぅ!!!」
余程クロが気に入ったのか、鈴は怯えるどころか、躊躇なくペチペチとクロに触れていく。
その様子に、今日も今日とて拠点の改築工事を進めていた為に居合わせた銀次が驚き目を丸くする。
「大の大人でも怖がるヒグマを前にも、全く物怖じしないか…あまり比べるような物言いはしたくないが、流石にこの光景を見ると血縁を感じざるを得ないな」
「まぁ、確かに俺や両親を思えば物怖じしないのは遺伝のようにも思えるが…逆に幼いからこそ脅威が分からないってのもあるんじゃないか?」
「ふむ。それもそうか…だが、逆にクロの方が鈴にビクビクしているように見えるのは何故だ?」
「あぁ、それはさっき俺がクロに忠告したからだな。呉々も丁重に扱えって」
「…いや、あの怯えようは絶対にそれだけじゃないだろ。本当はなんて言ったんだ」
何故だが俺がクロを脅迫していると確信しているような物言いをする銀次に、俺は眉を顰める。
「心外だな。別に嘘はついてないぞ。熊鍋に転生したくなければ…っていう修飾語があるかないかの差だ」
「いや、その差はでか過ぎるだろ…はぁ、鈴の為とはいえ、クロも歴とした仲間なんだ。あんまり虐めてやるなよ」
「分かってる。クロの奴も賢いからな、俺が態々言わなくても十分気をつけるだろ。単なる冗談だ冗談」
「冗談は冗談と伝わってこそだ」
「…はいはい。以後気をつけます」
そう露骨に責めるような目で説教をしてくる銀次に、俺は軽く頭を下げて反省の意を示す。
別に悪気はなかったが、銀次の言っている事も確かに一理あるからな。こういう時は早めに謝っておくに限る。説教が長引くのは俺も御免だ。
しかし、常識人枠の銀次さんは、こういう時に面倒臭い。生真面目というか、堅物というか、まぁ、そこが長所でもあるのだが…どうにか性格をバカのテンマと足して2で割れないものかね。そしたら、多少は過ごしやすくなるんだが。
と、そんなことを考えていると…
「にぃーにぃー!!!!!」
「ユーーン!!!」
俺にその勇姿を見せたかったのか、いつの間にかクロの上に跨った鈴とユンがブンブンと手を振り俺を呼ぶ。
「おー、絵本の真似だな。かっこいいぞー」
俺はそれに丁度良いと適当に返して話の転換を図る。
そして、それが功を奏したのか、銀次は再び鈴に関心を寄せ始める。
「にしても、ヒグマを前に泣かないのも驚きだが、絵本の内容を覚えてるってのもまた驚きだな。普通あの位の年代は単純な好き嫌いくらいしか分からないんじゃないか?」
「ま、そうかもな。俺みたいに大きくなってからも覚えているかどうかはさておき、現時点でも物覚えがすこぶる良いのは間違いない。多分、他の童話の内容も大方覚えてるぞ」
例に漏れず比較的早めに始まった鈴の夜泣き。その程度は意外にも酷く、両親の眠りを著しく妨げた。
しかし、何故だかその夜泣きは俺と寝ることによってピタリと和らいだのだ。実のところ、理由には幾つか心当たりはあるが、鈴との意思疎通にも限りがある為、未だ正確な理由は分かっていない。
まぁ、何にせよ鈴の夜泣きが収まり、両親の負担を減らせるのならと、今や就寝時のお供に鈴に絵本を読み聞かせるのは、俺の日課となっている訳だ。
「ふむ、そうか。前々から賢いとは思っていたが鈴はそんなにも賢いのか。それなら、まだ少し早いと思っていたが、俺もそろそろ絵本でもプレゼントしてみるのもいいかもしれないな…」
そう、クロやユンと一緒になって遊ぶ鈴を見据えながら、思案げな表情を浮かべる銀次。その様は完全に甥っ子を溺愛する叔父さんである。
テンマも相当だが、銀次も大概だな。
そして、銀次はそのやけに真剣な面持ちのまま視線を俺へと向ける。
「そこで物は相談なんだが…快。良ければ鈴の好みを教えてくれないか。折角なら喜んで欲しいのだが、生憎絵本には詳しくなくてな。参考にしたいんだ」
「…乳児のプレゼントにそんな悩むなよ。アホらしい。そもそも何読んでやったって直ぐ寝ちまうんだから、急に好みとか言われても俺が分かるわけないだろ」
「そ、そうか…」
俺の言葉で、真剣な面持ちから一変、一気に深刻な面持ちになる銀次。
こいつも必死だな。
仕方ない。役に立つかはさておき、持っている情報くらいは公開してやるか。このままだと本屋にある絵本全てを買い占めかねない。
そして、俺は鈴へ読み聞かせた絵本を脳内で思い返し、ざっくりとした統計を取ってから銀次へと伝える。
「…そうだな。好みかどうかは分からないが、リクエストするのが多いラインナップとしては、桃太郎とか、一寸法師辺りのバトルものだな」
「おぉ、助かる!幸いそれなら俺も知っているし、すごく参考になりそうだ!」
「そりゃよかったな」
「あぁ!……しかし、鬼を討つ物語ばかりがお気に入りというのは少し…そのアレだな」
「あぁ、それな。俺も読み聞かせながら、多少複雑な気持ちになったもんだ」
別に空想上の存在の鬼と俺達は直接的な関係はない。
しかし、鬼を冠する組織の長を務める俺としては、少なからず思うところがあるのは確かだ。まぁ、それも異名に大々的に鬼と付いている銀次程ではないと思うが。
「とはいえ、そこまで気にする必要もないだろう。桃太郎や一寸法師なんかは童話の中でも定番中の定番だ。俺は大してハマった覚えはないが、子供なら大概好きなもんだろ」
「そ、そうだよな。定番だし子供ならみんな好きだよな…幾ら快の弟だからって、急に鬼退治したいとかは言い出さないよな?」
コイツ、俺のことなんだと思ってるんだ?
いや、実際先刻のバスでの事もあるし一概に無いとも言い切れないのだが、一体どんな風に俺を認識してたらそんな悲観的に物事を考えられるんだ?絶対、碌な認識してないだろ。
まぁ、それは今更だし別にいい。
実際問題、鈴に懐かれている俺はまだしも、未だ抱っこも満足に出来ない銀次からしてみれば不安になるのも仕方ない。
「…そんなに不安なら退治されないように今の内に好感度でも上げてこいよ。テンマはその辺無意識だろうが、アイツは着々と鈴の好感度を上げてるぞ。今では家族以外で唯一泣かれずに抱っこが出来るくらいだ」
「な、なに?!…いつの間にそんなに距離を縮めたんだ?!というか、どうやったんだ?!つい先日までは、俺と同じで抱っこしたら大泣き必至だっただろ?!」
深刻な面持ちから一変、今度は一気に慌て始める銀次。
情緒不安定かよ。落ち着けっての。
「…アイツの場合、汎用性抜群の風のスキルがあるからな。それを使えばどんなに好感度がマイナススタートであったとしても、赤子1人手懐ける位訳ないだろ。今では鈴も飛んで欲しさに定期的に抱っこをせがんでるぞ」
「ひ、卑怯な…空なんて誰だって飛びたいに決まってる」
「それは褒めてるのか、貶してるのかどっちなんだよ」
「僻んでるんだ…クッ、俺にもそんな力があれば」
なんで好感度一つにそこまで必死になれるのかはこの際どうでも良いが、そのセリフを使うのは絶対に今じゃないだろ。
そもそもこの件に関しては悩む必要はない。以前の銀次ならまだしも、今の銀次にはテンマにも引けを取らない力がある。客観的に見てもここからの挽回は十分に可能だ。
しかし、今の銀次は嫉妬や焦りで視野が狭くなっているのかそれに気付かず、変な方向に暴走し始める。
「そ、空か…空を飛ぶならやっぱり飛行機か…いや、子供はヘリコプターの方が好きか?だが、問題はそれらが果たして俺に作れるのかだが…どう思う、快」
「…どう思うじゃないだろ。てか、まず空を飛ぶ事から離れろよ。餅屋に餅で張り合おうとしてどうする。お前の能力ならもっと他に有効利用出来る事があるだろ」
「む…それもそうだな。俺としたことが…」
俺のツッコミでようやく冷静じゃなかったと我に返る銀次。
「テンマと張り合い空を飛んだところで二番煎じにしかならないのは明白だ。しかし、そうなると俺はどうやって鈴の好感度を上げるべきだろうか…」
コイツの真面目さも難儀なものだ。解決方法は簡単だってのに、冷静になってもまだ頭を悩ませてやがる。
仕方ない。ここは組織の長として未熟な構成員に金言を授けてやるとしよう。
「おい、銀次。慎重なのは結構だが、行動を伴わない思考はどこまでいっても机上の空論に過ぎないぞ。大層なリスクがあるならまだしも、大したリスクもないなら考えるより先に動いてみろ」
「動く?」
「はぁ…ったく鈍い奴だな。鈴の好感度を上げたいなら、今ここで色々と試してみればいいだろって言ってんだ。今日は邪魔をしかねないテンマも居ないんだ…好感度を上げるには絶好の日だろ」
「た、確かにそうだな!」
俺の助言に目から鱗とばかりに興奮する銀次。
しかし、その後すぐに悲観的に物事を考え始める。
「…だが、もし失敗したらどうする」
完全に溺愛ぶりが裏目に出てやがる。面倒くさいったらない。
「失敗したら…だと?あれ、おかしいな。今のお前に下がるのを気にする程の好感度ってあったっけ。正直、現時点での好感度ランキングだとお前…今日鈴と会ったばかりのクロにも劣るんじゃないか?」
「そっ……」
俺の言葉に、そんな事はない!…と咄嗟に否定をしようとするも、現在進行形で目の前で楽しそうにクロと戯れる鈴を前にして反論の余地がないことを悟ったのか、銀次は堪らず口ごもる。
「…今日はいつにも増して辛辣だな」
そして、追加で俺を睨み恨み言も吐いてくるが、俺は悪くない。ウジウジやってるのが悪い。
「だが、確かにその通りだな。今更失うもの等なかった…行ってくる」
そして、銀次はウジウジと悩むのをやめ、無駄に覚悟を決めた顔をして鈴の元へと赴く。
その気合いも裏目に出なければ良いが、まぁ、幸い銀次はまだ鈴の前でスキルを披露していないから、関心を集めるのはそう難しい話ではないだろう。きっと鈴も直ぐに夢中になる。
唯一の懸念点としては、鈴の好反応に気をよくした銀次が調子に乗ってやり過ぎないかどうかだが、それも心配するだけ無駄というものだろう。
あの溺愛ぶりからして、やり過ぎるのはもはやお約束。あの無駄に真剣な態度も鈴の笑顔の前では限度なんてあってないようなものと言っているも同然だ。
そして、その後…俺の予想はものの見事に的中した。
俺の予想通り鈴が喜ぶ度にスキルの出力を上げた銀次は、兼ねてより改築を進めていた地下空間にほんの数時間の内にテーマパーク顔負けのアトラクションが立ち並ぶ鈴専用プレイルームなるものを完成させた。
ハイハイでも怪我する事がないように配慮された床や壁に乳児の体でも問題なく乗車できる魔改造ジェットコースターにコーヒーカップ。ユンやクロ等の動物と戯れられるフリースペース。
至れり尽くせりとは正にこの事である。
そして、それらを日が沈むまで堪能した鈴が、最後銀次に対してどんな態度を取ったのかは言うまでもないだろう。
「あーーと!」
「グハッ……」
鈴の満面の笑みから繰り出された感謝の言葉に、悶絶し倒れる銀次。
この様である。
一向に起き上がらないことからして、悶絶と同時にマナの枯渇まで引き起こしたのだろう。まぁ、スキル獲得からひと月と経たないうちに、あれだけ派手にスキルを行使すれば、どれだけ器を拡張していようとマナも枯渇する。調子に乗った罰だな。
いや、案外罰でもないのかもな。その証拠に、気絶するその顔は本望とばかりに穏やかなものだ。何にせよこの様子なら放置していても何ら問題はないだろ。
「今日は楽しかったか?」
「あぅ!!」「ユーン!!」
家へ帰る道すがら掛けられた俺の言葉に、鈴とユンはそう満足げな笑みを浮かべて頷く。
俺はそれにほっと安堵の息を吐いて、鈴とユンを優しく撫でる。
どうやら、俺は無事今日の1番の目的を果たせたらしい。
まぁ、最後の方は社会科見学という枠から大分逸脱したような気もするが、元より当初の目的は遊ぶことだ。なら、細かいことはどうでも良いだろう。終わり良ければ全てよしだ。
かくして、鈴の初の社会科見学及び俺の濃くも短い小学校最後の夏休みは幕を閉じていった。