第111話 認識
鬼灯の襲撃騒動から数日。
事態の収拾と暫しの休息を経た現在、浅霧は今回の事件に対する更なる詳細の報告の為に上層部へと呼び出されていた。
しかし、そんな重要な予定を前にして、浅霧は例の如く一緒に昼食を取る森尾へとうんざりといった内心を隠さずに愚痴をこぼす。
「よし、森尾ちゃん。物は相談なんだけど…俺はお腹痛いから後日また伺いますって上層部に連絡しといてくれない?」
「局長…一応の確認なのですが、私はあなたの保護者ではなく、部下なんですよ?」
「うん、そうだね。真面目で頼りになる優秀な部下だよね。で、それがなにか?」
「いえ、なにか?ではなく、冷静に考えて仮病の連絡を部下に頼むって正気ですか?それもただの上司への連絡ではなく、国のお偉方に向かって虚偽の報告をしろって。普通にパワハラのレベルを超えてるんですが」
「あー、やっぱそう思う?」
「はい。まぁ、命令ならしますが…骨は拾ってくださいね?」
「……行ってきます」
森尾のいつものブラックジョーク。
しかし、命令だと一言でも言ってしまえば、本当にしてしまいそうな森尾の空気に負け、浅霧はゆっくりと立ち上がる。
「行ってらっしゃい。骨は拾いますので、強気で行っても大丈夫ですよ」
「いや、それ俺死ぬの確定しちゃってるじゃん。完全に当たって砕けちゃってるじゃん」
「まぁ、骨拾う云々は冗談ですが、強気でって言うのは本当です」
どういうことだ?と視線で説明を求めると、森尾はこれまでの和やかな雰囲気を一変させ、珍しく怒りを滲ませながら続きを口にする。
「殺人ピエロの時と同様、今回の件が私達に落ち度があるのは認めます。実際、またしても歯が立ちませんでしたし…」
森尾は今回の騒動での自分を含めた能管の立ち回りを思い出し、苦虫を噛み潰したような顔をする。
今回の騒動が局員全員の実力と覚悟の不足によって陥った事態なのは事実だ。
もっと実力が有れば事態がこれ程までに深刻化することが無かったのも十分に理解している。
そして、今回の襲撃で図らずも浮き彫りとなった問題点の数々は、実働部隊、支援部隊に問わず反省し、根本からの意識改革が必要となるのも間違いない。
故に責任の所在は明確。
とはいえ、全ての責任が能管にあるのかと言われれば、それは断じて違うというのが鬼灯という組織の恐ろしさを身をもって知る森尾の紛れもない本心だった。
森尾は、怒りや悔しさによって乱れた感情を軽く息を吐いて落ち着かせた後、感情的にならないよう慎重に言葉を選んで話を続ける。
「…ですが、上層部にも責任の一端があるのは間違いありません。鬼灯という組織の脅威はとても一組織が責任を負って収まるものではありません。その範疇を優に超えています」
森尾の言葉に、浅霧は同意を示すように真剣な面持ちで頷く。
今回の騒動がこの程度で収まったのは、あくまで鬼灯という組織の特異性故…というのは、上層部が意に介するかはさておき、この事案に関して少しでも知る者にとっては当然の認識だった。
能管の主力を相手に一方的に圧倒して見せたことといい、非常時にはシェルターとしても稼働する程頑強な施設や制圧部隊をものともせずにたった1人でめちゃくちゃにしたことといい。
森尾の言う通り、その実力が余す事なく、能管へとひいては国へと向けられた際には、とてもこの程度で収まるものでないのは想像に難くない。
そして、森尾はこれからの事を懸念するように不安げな表情をして、更に言葉を続けた。
「それに……これは単なる私の勘違いかもしれませんが、上層部の私たちに対する対応は、何というか何処か誠意に欠けているように感じられます。立派な施設と手厚すぎるとも言える待遇。それらも一見すれば、誠意のようにも感じられますが、何処か賄賂のようで胡散臭いです。実際、能管という組織にありながら、これまでの能力者に対する肝心な情報の共有などは全て世間より少し早いくらいのものでしたし…すみません……上手く言えませんが、何というか…解せないんです」
森尾同様、浅霧もそれは薄々とだがこの能管という組織が発足した当初から感じていた。そして、その違和感は上層部の人間と接する度に、大きくなっていったように感じる。
例えるなら、こちらが少し踏み込めば、その分だけ距離を取られるような得も言えぬ疎外感。
もしかしたら、自分などでは知ることさえままならない、何か秘匿しなければならない深い事情があるのかもしれない。これまではそう思っていた。
だが、浅霧は何かと勘の優れた森尾からの指摘と前々から抱いていた自身の違和感があるのなら、それは単なる気のせいではないのだろうと、機会があれば探ってみようと心に留める。
「ですから、今回の招集であまりにも一方的に咎められるようでしたら、上にやられっぱなしになるのではなく、強気でいってください。私はその…局長の…み、味方ですので」
些か熱くなりすぎた自覚はあったのか、森尾は後半にかけて頬を染めていく。
しかし、伝えてはおきたい本心ではあった為か、恥ずかしそうにしながらもそのまま最後まで気持ちを口にした。
そんな森尾を見て、浅霧はイタズラを思いついた子供のようにニヤニヤとしながら口を開く。
「え〜、なんだって〜?いや〜後半声が小さくてよく聞こえなかったな〜。私は局長の〜なになにもう一回言って〜?」
——バキッ
「最大の味方が敵になる前に出発したらどうですか。局長の意思はともかく、絶対に外せない用事なのは間違いないんですから、早めに到着するに越したことはないでしょう?」
「あ、はい」
そう優しい笑顔を浮かべながらも、軽々と箸をへし折って見せる森尾の姿に、浅霧はやり過ぎたと心の中で猛省し、そそくさと空いた皿の載ったトレーを持って食堂を後にする。
「……」
森尾はその背中を見て、何とも言えない表情を浮かべる。
今回の騒動による死者は居ない。それどころか重症と言える人間はごく僅かで、殆どが軽い傷で済んでいる。
しかし、その数字以上に能管が受けた損害はあまりにも大きかった。
スキルオーブとそれに関する機密情報の損失。
それは、能管の存在理由の根幹とも言える悪質な能力者から国民の安全を守れなかったということを意味する。
元々、あまり良好とは言えなかった上層部との関係。それを思えばあの浅霧の渋り方にも妙に得心がいく。
詳細の説明…とは恐らく浅霧を呼び出す名文に過ぎず、その真の目的は責任の追求にあるのだろう。
殺人ピエロに次ぐ失態に加え、独断専行による命令違反。
民間人に直接的な被害が出なかった事を加味したとしても、その追求が甘いもので終わる可能性が低いのは、そういった事に疎い森尾でも容易に想像出来る。
きっと数多の罵倒と叱責を喰らうのに違いない。
「だからって…」
森尾は折った箸を血が出るのにも構わず、そのまま強く握りしめる。
今回の事に対する責任が無い訳ではない。そんな事は森尾とて理解している。
しかし、だからといって今回の一件での功労者である浅霧が罵詈雑言にも近い叱責を受けていい謂れはない。
あの戦力と言える戦力がいない状況で、あの化け物を相手に、他にどんな対処をすれば、死亡者を出さずに事を切り抜けられるのだろうか。
浅霧の機転と能力が無ければ、被害はこの程度では収まらず、確実に事態はより悪化したものとなっていた。
浅霧が命令違反に及んだ詳細は分からなくとも、それだけは森尾は強く確信していた。
森尾が気絶から目覚め、実働部隊を連れ本部へと帰還した時に見た光景は未だに忘れられない。
終ぞ、壊れる事はないだろうと思っていた頑丈な施設はもはや見る影もなく、その様はまるでピンポイントで隕石が落ちたのかと思う程の惨状だった。
全11階層ある全ての階層を繋げるような大穴に、それを生み出したであろう存在の理不尽さをこれでもかと物語るような綺麗な断面。
それは…それは…それはあまりに現実離れしていた。
もはや以前の戦闘で手加減をしていたのは疑いようもない。
出動した先で散々体感したはずの理不尽を更に超える理不尽の残影。
そのあまりの惨状を前に、戦闘を終え帰還したばかりの森尾達能力者を含む実働部隊が疲労も忘れて、言葉を失ったのは言うまでもない。
普段、何かと強気な言動が目立つ火焚でさえそうなのだから、その衝撃は本物だろう。
事実、今回の事件によって恐怖を感じ、職を辞してしまった局員は少なくない。
しかし、それも敵の脅威を思えば、責められるようはずもない。あの脅威を目にすれば、誰だって命あっての物種だと考える。
「すみません…本当に。すみません…」
その事実を前に森尾は謝る事しか出来ない。
その謝罪には、当然力を持っているのに守る事が出来なかった至らぬ自分に対する戒めの意味も含まれている。
しかし、その謝罪の大半は浅霧へと向けられていた。
事の成り行き上、仕方なかったとは言え、能力者管理局の局長という面倒極まりない立場へと押し上げてしまったこと。
そして、遂にはその立場が故に能力者となり、本格的に命の危険を要する場所へと誘ってしまったこと。
そして…その事実に本来であれば責任を感じなければならないと言うのに、立場も忘れて心底安堵してしまっいること。
「局長…すみません。ですが、私はあなたが味方なら何も怖くないです。だからどうか…どうか強気で居てください」
あなたはもう名実共に能力者管理局の局長の座に相応しい最強の能力者なんですから。
森尾はそんな本人の前では決して言えない本音を心の中で呟き、今正に嫌々ながらに上層部からの呼び出しに応じているであろう浅霧へと力を送るようにそっと目を瞑った。