第109話 幕切れ
キューブ型の巨大施設に忽然と開けられた通し穴。それは、地下深くからでも難なく青空を確認出来るほど綺麗な断面をしていた。
快は、それを施設の屋上部に立って覗き込み、感心するように声を上げる。
「ほー、これはまた綺麗にくり抜いたもんだな。我ながら惚れ惚れする破壊力。芸術点でもあげたいくらいだ」
何故だか随分と久しぶりに感じる青空の影響か、はたまた滅多に出すことのない全力パンチの影響か、快の今の心中はとても清々しく晴れやかなものだった。
「にしても、まさかこの状態の俺を相手に傷を付けるとはな…」
ポタポタと少なくない血が滴る腕を一瞥し、治癒を使わずに筋肉の収縮によって出血を止める。
比較的、大きな傷が幾つかあるといえど筋繊維が通常の数倍にもなっている今なら出血を止めるくらいの芸当は容易い。
むしろ、異常に変化させた肉体の影響によって、筋繊維と同様に倍増してしまっている血管から幾らか血を出せたことで、全身に巡る血の量が減って熱も下がり身体的には楽になったくらいだ。
とはいえ…
「血液の操作とは中々やってくれる」
どれだけの不純物が混ざっていようと、液体であれば少なからず水は含まれている。ならば、水を司る浅霧が操作できない謂れはない。
俺も能力的にはいずれはそういったことも出来るようになるだろうとは思っていた。だが、まさかここまでの応用をスキルを獲得した初日にやってのけるとは誰も思わないだろう。
流石に想定外だ。
恐らくは、俺が違和感を抱き始めた近接戦闘を繰り出し始めた辺りで自分の血液にスキルが反応したりと何かしらの確信があったのだろう。
まぁ、浅霧の行動から推測するにまだ俺の身体強化と同様、制御に不慣れで発動には対象への接触が必要だったりするみたいだが、それを完全に会得するものもきっとアイツのセンスなら時間の問題だ。
今回の経験も相まって、時間が経てば更に面白い遊び相手となるのは間違い無いだろう。上々だ。
——タッ
そうして暫しの感傷に浸っていると、心底うんざりといった感情を隠そうともせずに遅れて屋上部にやってくる浅霧。
その姿に目立った外傷がない事からして、落下の衝撃を殺す事には成功したのだろう。
そして、浅霧は第一声にとても国防を担う機関の要職に就く人間とは思えない発言をする。
「…ねぇ、本当に一生のお願いだから死んでくれない?」
「それが前途有望な若者に対して言うことか?」
「いや、仕方ないでしょ。てか、こんな厄介な若い芽は今のうちに潰して置くに限るでしょ。現時点でも十分手に負えないのに、ここから成長するとか普通に考えたくないわ。本当なら俺が殺さなきゃならない所だけど、残念ながら現時点ではこの通り少し傷を与えるだけで精一杯だしさ」
うん。まぁ、言っていることは滅茶苦茶な上に情けないことこの上ないが、ここで心が折れるのではなく、さりげなく未来の自分なら殺せると言い含められる辺りが浅霧の非凡たる所以だろう。
そう言うことで楽しむ事を基本理念とする俺が浅霧を簡単には殺せないと分かっている。そして、その自信もきっとハッタリではなく本気で可能性があると思っているのだから面白い。
とはいえ…
「自殺は却下だな。貴重な一生のお願いを使ってくれたお前には悪いが、面白い事がある内は簡単に死んでやるつもりはない」
「まぁ、そうだよね…なら、ここから君はどうする?」
端から期待はしていなかったのか、浅霧は落胆も程々に俺の今後の動きを把握しようとする。
俺の答え如何によっては、まだ交戦の意思はありそうだが、浅霧としてはこの辺りで俺に引いて欲しいのが本音だろう。
現在の実力では俺に勝てないのは既に明らかとなった。加えて、俺が全ての階層の天井をぶち抜いた事で上層階へと避難していた部下の安否も気になるところ。
そして、何より体力の消耗が激しいはずだ。平気そうにしていてもその疲労は確実に蓄積している。
格上との戦闘にスキルの獲得。
この1時間にも満たない僅かな時間は俺にとっては終始楽しいひと時でも、浅霧にとっては、肉体だけでなく、精神的にも相当な負担だったのは想像に難く無い。
文字通り満身創痍。
きっと立っているだけできつい。いや、未だ意識を保っているだけ褒めてやるべきだろう。
なら、俺がここでどう応えるかは自ずと決まってくる。
「フィールドも変えて使える空間も大幅に増えた事だし、無論戦闘を続ける……と、言いたい所だったんだけどな」
「…はぁぁ」
浅霧は、俺の言葉に心臓に悪いと深めのため息を吐く。
「これ以上、戦闘を続けた所で結果は見えているし、お前が呼んでいたと言う応援もどうやら到着が近いみたいだからな。予定変更だ」
俺の目と耳が僅かにだが、遠くから聞こえるヘリのプロペラ音と慌ただしく地面を走る幾つもの車両の存在を捉える。
一体どんな要請をしたのかは知らんが、その規模感は小さい国なら難なく制圧出来そうなほどだ。
「名残惜しくはあるが、予想以上に楽しめたし、当初の目的も果たせたから、お前の望み通り今日の所はここらでお暇させてもらおう」
正直な所、現代兵器部隊との正面対決という展開は大分惹かれるが、今日の目的はあくまでスキルオーブと情報の奪取だ。
USBの情報がどこまでの物なのかは、今はまだ判断は付かないが、それを差し引いたとしても使い勝手の良い上級のスキルオーブが手に入った事を鑑みれば、目的は十分に果たせたと言っても過言ではない。なら、これ以上の要らないリスクは控えた方がいい。
多少のマッチポンプ感は否めないが、能力者バトルも出来たしな。思い残すことは何も無い。
「…ふぅ…被害を考えれば全く良くはないけど、一先ずは一安心かな…だぁぁぁぁ疲れたーーーーーー」
俺から撤退する旨の言葉を聞き、もはや我慢の限界だったのか、浅霧は無防備にも大の字に寝転がりながら徐に体を休め始める。
「おい、幾ら何でも気を抜き過ぎじゃないか?念のため言っておくが、お前はまだ俺の間合いだぞ」
「勘弁してくれ、もう色々と限界なんだよ…それとも俺をこのまま殺すかい?」
コイツ、俺にこれ以上の戦闘の意思がない事を悟って、もう完全に開き直ってやがるな。戦闘中の隙のなさは何処へやら、今や本当に同一人物なのか疑わしくなるほどに隙だらけとなっている。
今なら本当に秒で殺せそうだ。
とはいえ、俺に戦闘を続ける気がないのは事実の為、今更こういった態度を取られた所で態々殺す気も起きないのだが…にしても限度というものがあるだろう。
大胆というか、図太いというか、能力の高さもさることながら何とも不思議な奴だ。
「…精々、強くなるんだな」
「おや、それは忠告かい?存外、優しいんだね」
「はっ…何を今更当たり前のことを。今日なんて終始優しかっただろ?」
「…ははは、ご冗談を」
一種の皮肉のつもりだったのか、俺の返答にあからさまに顔を引き攣らせる浅霧。
何だか反応が気に食わないが、話の腰を折らないよう取り敢えずは追求せずに聞き流す。
「まぁ、真面目な話…俺としてもお前程の遊び相手が居なくなるのは困るからな。つまんない死に方だけはしてくれるなよ」
ここ数時間の付き合いだが、浅霧がその人柄に反して冷徹な側面を持ち合わせているのは分かっている。だが、それが身近な者を相手にもそういった判断が下せるかと問われればそれは分からない。
となれば、どれだけ浅霧1人が強くとも、味方が弱かったが為に敵に人質に取られて呆気なく…なんて結末も場合によっては十分にあり得る。
敵がシンプルに強くて殺されるなら俺も仕方がないと諦めがつく。だが、そうでないのなら到底看過できない。
故の忠告だ。浅霧個人にではなく、能管という組織に向けた。
「厄災ってのは唐突にやってくる。今回は良くても、次もこうして運良く対処出来るとは限らないぞ」
浅霧は、横にしていた体を起こして真剣な面持ちで俺を見る。
「忠告感謝するよ…でも、君のそれはまるで再戦が近いことを確信しているような物言いだね」
その指摘に俺は面の下でニヤリと口角を上げ、楽しげな雰囲気を隠さずに答える。
「はははっ、流石に鋭いな……まぁ、再戦はともかく再会は存外早いかもな」
「それは一体どういう……いや、まさか…」
俺の言葉に、何か思い当たる節でもあるのか、浅霧は何かを危惧するように考えを巡らせる。
しかし、情報が足らず確信にまでは至らないのか、明確な答えは出ない。
そこに俺は僅かなヒントを添えて言葉を続ける。
「最近、ヨーロッパ辺りで能力者による事件が頻発している」
「!!」
浅霧は、ヨーロッパという単語を聞いた途端に目を大きく見開く。
この様子を見るに、やはり既に能管ひいては政府内では、その動向に関してはしっかりと把握しているみたいだな。
まぁ、今や日本だけでなく世界中で能力者の存在に関しては認知されているからな。異変や危険をいち早く察知する為に、国同士で協力して情報共有を行なっていたとしても何らおかしな事ではない。
「それらの事件が今後、日本を巻き込むような事態に発展すると…君はそう言いたいのかい?」
政府側にいる浅霧としては、僅かな可能性としての危惧はあれど、そこまでの事態に発展するとは考え難いのだろう。
俺を見る浅霧の目には、俄には信じがたいという疑心で溢れている。
しかし、この反応も普通に考えてみれば当然だ。
能力者の力が強力と言えど、ヨーロッパと日本の間には幾つもの国が連なっており、情報の共有も簡単だ。となれば、どれだけ強力な能力者であろうと、いずれは制圧されると考える方が余程現実的というもの。スキルも強いが、大前提として現代武器も決して弱くない。
だが、俺の意見は違う。
能力者とは手段さえ選ばなければ、世界を滅茶苦茶に出来るほどの力を持っている。それが特級ともなれば尚更だ。
俺が思うに今回の数多の事件を起こしている奴は、相当思考回路が破綻している人間だ。情報の節々から、人的被害や物的被害のどちらも全く気に留めていないのが隠しきれていない。
なら、当然その脅威も半端なものではない。
「俺もまだ推測の段階だから明確なことは何も言えない。だが、よく考えてみろ浅霧。初めはスペインから始まった事件も今では同様のやり方がフランス、ドイツ…と続き、遂にはロシアにまで進出しようとしている」
「……徐々に東へと進んでいる…か」
「はははっ…あぁ、そうだ。徐々にだが着実に東へと進行している。なぁ、面白いと思わないか浅霧。予測進路は東。なら、このままユーラシア大陸を横断し、中国にまで進出した奴等は次にどう動くんだろうな?」
「…!!」
はじめは話半分に聞き始めた話。だが、いつのまにか妙に説得力のある快の話術に乗せられ、遂には同じ結論にまで辿り着いてしまった。
そして浅霧は、驚愕の表情を浮かべたまま、その答え合わせをするかのように快を見る。
「歴史は繰り返すとは言うが、ここまで来ると妄想も多少は現実味を帯びてくるだろう?これではまるでかつてのモンゴル帝国だ」
「…その話、よく覚えておくよ。それで…こんな話をしてくれたということは、君は仮にそういった非常事態が起きた時には手を貸してくれるという認識でいいのかな?」
「さぁ、それは相手の出方次第だな。現時点では何とも言えない。だがまぁ、面白そうならお前らの敵にもなるし、味方にもなるとだけ言っておこう」
「いやマジ、その楽しむっていう厄介過ぎる基本理念どうにかしてくれない?ほんと一生のお願いだからその時は助けてよ」
そうして両手を揃えて、切実にお願いのポーズをとる浅霧。
それなりの地位に居ながら、ここまで綺麗に…というか、簡単に頭を下げて来るとなると呆れを通り越して逆に感心するな。
まぁ、国を守るためなら頭一つ下げるくらいなんて事ないってことなんだろうが、それで良いのか能力者管理局局長。その潔さと柔軟な思考自体は嫌いでは無いが、俺はこれでも犯罪者でありお前らに甚大なる被害を与えた張本人だぞ。
「…お前、マジか。ってか、一生のお願いはさっき使ってただろ。何ちゃっかり2回目繰り出してんだよ」
「え、拒否されたのに使った事になるの?未遂ならまだ有効じゃない?」
「有効なわけないだろ。それと返事は変わらないから諦めろ」
そもそも自殺の次のお願いが非常時の助力って何の冗談だよ。図々しいにも程があるだろ。
俺はもはや本気に相手にするだけ無駄だと、それ以上の浅霧からの割と本気っぽい打診を華麗に無視し、面倒臭い事になる前に踵を返してヒラヒラと手を振りながら別れを告げる。
「……じゃあな。これ以上留まる理由はないし、俺はもう行く。次に会う時はもっと強くなってることを期待してるぞ。よっ」
これだけの騒ぎを起こしておきながら、そうコンビニでも行くかのような軽い調子で天高く跳び上がり、一瞬で雲の中へと姿を消す侵入者。
その姿に浅霧は再び大の字に寝転びながらその底知れなさに感嘆するように、そしてしみじみとこの局面を乗り切った自分を褒めるように呟いた。
「…一難去ってまた一難か。兎にも角にも…よくぞあんな化け物相手に生き残った…俺」