第108話 狂人vs浅霧梁(3)
——ガクッ
「成功だな」
一瞬の脱力の後に全身から沸き起こる尋常ではない力と熱に快はホッと安堵の息を吐く。
開発して間もなく、まだ発動に慣れていないというのもあるが、この技の成功率は決して高くない。現状、良くて5回に1回、悪くて10回に1回というところだろうか。
些か実戦で使うにはリスクが高いようにも思えるが、それもスキルというものについて改めて考えてみれば仕方がないことだろう。
スキルとは自由なようで不自由なものだ。
俺が元より体外でのスキルの操作が苦手なように、スキルは本来の仕様以外の使い方をしようとすれば、途端にその難易度は高くなる。
これも同じだ。
技自体は強力であるが、本来の治癒という仕様から外れている為、その発動は容易ではない。成功率が低いのもそれ故だ。
この技の発動に必要となるトリガーは、他の治癒系統術と同様に膨大なマナと想像力と変わらない…だが、ここで必要となる想像力はこれまでの比ではない。
正に極限にまで洗練された想像力。いや、これはもはや想像力という域を超え、暗示や洗脳といった表現の方が近いだろうか。
創造力と言い換えてもいい。
発動のプロセス自体は、これまで幾度となく行なってきた肉体の強化と同じ。
肉体を破壊し、その後より戦闘に適した肉体へと身体構造を根本から再構成するという治癒のマナの破壊と再生の性質を応用した肉体の強化。
肉体の強化と大きく違う点としては、やはりスキルの特性をあくまで技として昇華している為、効果が永続的なものではなく一時的という部分だろう。
まぁ、一見すればやっていることは普段と変わらず、難しい事は何もないようにも思える。
しかし、事はそう単純ではない。
根本からの身体構造の再構成とは、つまり骨や筋肉等の身体能力の向上に繋がる全ての器官の細部までを自らのイメージで補完することを示す。
骨はより密度を高くした頑丈なモノへ、筋肉は筋繊維の数をより多くしなやかにしたモノへの変化を意図的に促す。
これは緻密かつ正確に想像力を働かせなければ、ただ肉体を破壊し、再生しただけの普段の肉体の強化で終わってしまい、身体強化の発動には決して至らない。
それに加え、技の発動に成功したとしても想像力の質が悪ければ、身体機能上に何らかの不具合をきたし、数秒と保たずに肉体が崩壊を始めることもある。
スキルは能力者の意思を反映する。そして、その事象の具現化の完成度は想像力に由来する。
このスキルの発動と応用における絶対の法則は、当然浅霧と同様に能力者である俺にも適用されるのである。
その点、この身体強化という新技は、現段階においての俺の集大成。諸刃の剣であることを加味したとしても、ことスキルの応用という分野においてはその極致と言っても過言ではない代物だろう。
「ま、苦労した甲斐はあったな」
快は、発動に成功してなお現在進行形で全身を襲う苦痛に平然と耐えながら、ニヤリと口角を上げ、大幅に変わった感覚を確かめるように手の開閉を繰り返す。
0にも等しい可能性から見出し、数多の試行錯誤の果てに辿り着いた身体強化という最適解。
それを実戦で最上の能力者を相手に試せる事が堪らなく嬉しい。
しかし、だからと言って刻一刻と状況が悪くなる中で、そう悠長にしている時間はない為、感慨に耽るのも程々に、数秒の内に幾らか様相の変わった俺を見て、青天の霹靂とばかりに驚いた表情をする浅霧へと意識を向ける。
「それは一体…いや、聞いたところで仕方ないか」
未だ俺の言動と変化に混乱しているようだったが、何にせよ迎える展開は変えられないと思ったのか、浅霧は直ぐに平静を持ち直す。
そして、少しの動揺も感じさせない毅然とした態度で言葉を続ける。
「どうやら、ここからが本領発揮みたいだね」
「はっ…どうだかな。それはお前の頑張り次第だ。だが、せっかくここまでサービスしているんだ。頼むから早く終わってくれるなよ?」
「俺としてはもう大分頑張ったし、こんな心身共に疲れる戦いは早く終わらせたかったんだけどね…はぁ、全く嫌になるよ」
そう首を振りあからさまに弱々しい愚痴を溢す浅霧。
しかし、その態度とは裏腹にいつでも虚を突けるようにとばかりに、視界の端にはしっかりと俺の姿を捉えている。
全く油断も隙もない奴だ。
しかし、それでいい。それでこそ俺の遊び相手に相応しい。
言葉で倒す、殺すと敵を前に強気な発言をするのは簡単だ。だが、殊の外行動でその覚悟を示せる者は多くない。
実際、俺がこれまでに相手にしてきた奴等の中で、そう宣う輩は多くいても、本気で殺意ある攻撃をしてきたのは後にも先にもテンマ1人だけだ。
しかし、コイツの攻撃には軽い態度とは裏腹に、その全てに明確な殺意が宿っている。躊躇がなく、本気で俺を殺しにきている。
面白い。
浅霧の俺に対する純度100パーセントの殺意も、この絶体絶命と呼ぶに相応しい程の危機的状況も全て。
この空間を構成する全てが俺を高揚させる。
「ははっ」
視界の両端に包囲するように展開されている水の障壁はもはや大波と化し、正面には増して殺伐とした雰囲気を放つ浅霧がいる。
断じて笑っている場合ではない。しかし、それでも俺は笑いを抑えられない。
それどころ興奮も相まってより一層脈を打つ心臓は、身体強化によって発生した熱を更に上昇させ、俺の闘志を最大限にまで引き上げる。
そして、それが最高潮にまで達した時、俺は浅霧に負けじとこれまで抑制していた本気の殺気を放ちながら煽るように後半戦の開始を告げる。
「来い、浅霧。俺がお前の限界を教えてやる」
浅霧からの返答はない。
しかし、俺の意思は十分に伝わっていたのか、その瞬間、これまでは逃げ場を奪うように展開されていた大波が、意思を持つ生き物のように俺へと迫り始める。
これは浅霧の俺の殺気に対する反射なのか、ある種の防衛本能なのか…その大波の勢いは荒れ狂う海を彷彿とさせ、治癒という能力を持つ俺でさえ咄嗟に死を連想してしまう程の迫力を持っていた。
だが…
「邪魔だ」
——ズシャーーーンッ
両側面から迫る大波に向け、上段から下段へと回転するように放った蹴り。
それは、先の水の侵食を食い止める為に放った蹴りとは似ても似つかず、比べ物にならない強風を生み出しながら、大波を簡単に切り裂いた。
「!?」
その衝撃の光景に驚愕で追撃も忘れて目を見開く浅霧。
そんな中、俺は未だ掴めない加減の具合を確かめるようにぷらぷらと体のあちこちを動かす。
「やっぱり想定より少し威力が強いな。ま、力の細かい制御は今後の長期目標か」
とはいえ、殺してしまっては元も子もないし、制御に慣れるまでの当分の間は、人を相手に行使する場合はより一層注意が必要だな。
そして、数秒の間に現状の課題と問題点を正確に把握した俺は、浅霧の追撃がくる前に、即座に次の攻撃へと移る。
これまでは浅霧の事情を鑑みて、比較的受け身だったが、能力の行使にも幾らか慣れ、環境が味方となった今なら俺が多少攻勢に出ても何ら問題はないだろう。
直ぐ背面にある壁を視認し、そこに向かって軽く飛び、足裏で壁側面を捉え、正面で一層警戒した様子で身構える浅霧へと視線を向ける。
——タッギッ
そして、軽い音と僅かな亀裂の入る音と共に壁を強めに蹴ると、俺の体はテンマの空歩にも劣らぬ速度で宙を舞い、地面一体に広がる水を踏むことなく浅霧へと迫る。
その刹那。
急に大幅なパワーアップをした影響か、脳内に俺の攻撃によって派手に爆散して死ぬ浅霧のイメージが鮮明に思い浮かぶ。
——ギュッ
だが、俺はそれでもお構いなしに躊躇することなく握る拳へと力を込める。
するとその時、『あれ、今し方人に対して使う場合は気を付けるって言ってなかった?』と、ほんの数秒前の自分の声が脳内に響くが……ケースバイケースというなんとも使い勝手のいい言い訳をして、懲りずに更に拳を力強く握り込む。
これで死ぬなら所詮その程度だ。俺が少し本気を出しただけで為す術もなくやられるようならどっちにしろ近い将来殺される。
真の強さとは、いつ如何なる時でも、如何なる相手であっても揺るがないものを指す。
なら、浅霧を相手に手加減は無用だ。
俺の好敵手となるなら、せめて一回くらいは俺の本気の攻撃を防いで貰わなくてはお話にならない。
「っ!?」
しかし、そうして絶対に手加減なんかしないぞ!と意気込んでいたのも束の間、俺の飛ぶ軌道線上に唐突に球状の巨大な水の塊が出現する。
その水球の出現に俺は少なからず焦る。
俺の肉体や身体能力がどれだけ人間離れしていようと、生物である以上、呼吸は生きる上では絶対に欠かせないものである。それは治癒というスキルがあろうと決して覆らない。
単に水へ放り込まれるだけなら先の管制室へ向かう際の仕掛けの時のように息を止めるなりなんなりとまだ抵抗のしようはある。
だが、水という属性を司る特級の能力者が操る水の中に飛び込むのは、幾ら何でも話が違ってくる。
きっと、俺が水の中へ入水したら最後、今の浅霧には俺に抵抗させる時間さえ与えずに殺す事が可能だ。
悩む時間はない。
既に水球は目と鼻の先。
地に足が付いていない為、ここからの急な減速や方向転換は実質不可能。そもそも、地に足を付いていたとしたらその時点で、その場にある水によって戦闘不能となっている。
「っは!」
背中がヒヤリとする久方ぶりの危機感を堪能しながら、俺は咄嗟ながらにもこの場においての最適解を選択する。
——パーーーーーーーーーンッ
大量の水が流れる音が鳴り響く中に、突如として割り込むように破裂音が轟く。
あの状況で絶対に避けなければならないのは、水球の中に入水すること。となれば、必然的にあの一瞬で俺が取れる選択肢としては限られてくる。
張り手。
点ではなく面の攻撃による水球の破壊。
恐らく、俺があのまま水球に向かって拳を繰り出していた場合、俺はそれなりの抵抗は感じていただろうが、入水は避けられなかった。
浅霧が俺の攻撃を何度も水の障壁で回避していた時の事を思い返せばよく分かる。あの時、俺の拳の威力は軽減されていたが、水の障壁自体は突破していた。
となれば、入水しない為には、当然破壊する方向性で考えるしかないだろう。
今の浅霧を相手に水に少しでも触れれば、そこからは芋蔓式にズルズルと状況が悪化していくことは想像に難くない。
まぁ、賭けによる部分の大きい選択ではあったが、終わってみれば水の特性を利用した見事な立ち回りだったと言えるだろう。
水は粘弾性を持つ為、瞬間的な強い力には変形が追いつかない。浅霧の制御下にある今なら、その耐久力は必然的に物理によるものになる。
なら、今の俺に壊せない理由はない。
そうして、見事に浅霧が展開した巨大な水球という難関を突破した俺は、周りの水を利用し大きな水球を作り出した影響で、一時的に水のない地面が出来ている隙を狙って、即座に壁へと避難する。
例え数秒にも満たない時間だったとしても、今の状況で水に触れるのは危険だ。
——ドシンッ
避難の都合上、地面へと着地する訳にはいかず、例の如く壁に拳大の穴を開けるが、シャワー室に面した壁ではない為、これ以上の水の流入はない。
しかし、それも今や要らぬ心配か、既にこの密室空間には水が膝下にまで及んでしまっていた。
俺はその光景を見下ろし、今後の立ち回りを明確にしていく。
「!」
と、その時…簡単には近付けない位置にいる筈の俺の視界に、突如として入ってくる浅霧の姿に目を見開く。
大量の水と流れを操作することで自らの足場としたのか、浅霧は10メートル程の高さをものともせず、悠然と俺へ拳を振るう。
「はははっ!仕掛けてくるなら今のタイミングだろうとは思っていたが…お前、俺の身体能力を見た後に、接近戦仕掛けるとか正気か?それともふざけてんのか?」
「それはこっちのセリフだっての!マジでああいうの大概にしてくれる?渾身の攻撃を引っ叩いて対処される方の気持ち考えた事ある?」
「そうか。それは悪い事をしたな。だが、対処される方が悪い」
俺は壁にめり込ませて居ない右腕で拳を捌くが、浅霧はそれでも構わないとばかりに効果も残り僅かであろう付与の力を総動員して攻撃を繰り返す。
しかし、その悉くが当たらない。
それも当然と言えば当然。水という不安定な足場の中でも洗練された身のこなしが変わらないのは見事だが、身体強化を発動する前の俺ですら回避できた攻撃だ。左腕が埋まり多少の行動制限が掛かるといえど、避けられない謂れはない。
まぁ、回避をする傍ら、常に水の奇襲を警戒しなければならないという若干の面倒臭さはあるが、それも平時から並列思考を取り入れている俺からしてみれば取るに足らない作業だ。
とはいえ、浅霧にはこうして油断して出し抜かれた前科がある為、俺は早々に展開を切り替える為の動きを始める。
——ガシッ
「グァッ…!」
攻撃を頭を下げて避けるのと同時に、浅霧の首を鷲掴みにする。
——タッ
そして、そのまま壁を蹴り、浅霧を携えたまま部屋中央部目掛けて山なりに高く跳ぶ。
「何を企んでいたのかは知らないが、今度は受けてやらんぞ?」
「…!」
空中でそう煽るように言うも…浅霧はそれどころじゃないのか、必死な様子で首元に伸びる俺の腕を両腕で外すように力強く掴み、なんとか呼吸の軌道を確保しようとする。
その底知れない諦めの悪さについ頬が緩むが、その直後に俺と同様に僅かに口角を上げる浅霧を見て、眉を顰める。
理由は分からない。
だが、経験上何かをしようとしているのは確実な為、殆ど条件反射にも近い速度で浅霧を持った右腕を振り被り、部屋の隅へと投げる。
しかし、それでも寸秒遅かったのか、俺の手が浅霧の首を離した瞬間、浅霧は囁くようなか細い声量で声を紡いだ。
「…一本…貰うよ」
して、その直後。
——プシュッ
——プシュッ
——プシュッ
…
俺の右腕の随所から弾けるように次々と始まる出血。
「……」
その光景に俺は思わず唖然とする。
そして、直ぐに笑みを浮かべる。
「お前、最高だな」
恐らくだが、部屋の隅へと現在進行形で子供が投げたオモチャのようにぶっ飛んでいく浅霧には聞こえていない。
だが、それにも構わず快は内から込み上げるもはや表現のしようもない程の歓喜を体現するように声を張り上げる。
「悪いな、浅霧!お前には楽しませてもらってばかりだ!!だからこれがお返しになるかは分からんが…正真正銘!俺の今の全力を見せてやる!!!」
そして、俺は浅霧がダメージを軽減するために操作したのであろう大量の水が浅霧の落下位置へと猛スピードで集まっていくのを良いことに、部屋の中央部にそのまま着地し、これでもかと膝を折り曲げ、力を蓄える。
それをそのまま留めて、留めて、留めて、留めて、留めて…力を最大限に発揮できるタイミングまで留めて、一気に爆発させる。
——ドンッッッッッッ
俺が踏み込むのと同時に、この施設内でも一際頑丈である訓練室の地面に部屋の外にまで続く大きな亀裂が入る。
——ブォォォォォォォォ
そして、飛び出すのと同時に襲いくる未だかつて感じた事がない程の風の抵抗。その感覚はまるで自分自身が弾丸になったように錯覚させる。
しかし、俺はそんな中でも目的を果たす為に、目標物である天井から視線を外さない。
この空間でこれ以上戦うのは無理がある。流石の俺でも活動区域が制限されるのはキツい。
だから、強制的にフィールドを広げる。
そして、世界が変わってもなお、緩い環境で緩い覚悟でのうのうとしている能管へ向け、これを今後の教訓としてもらおう。
「消えろ」
そうして俺が全力の勢いをつけ、全力で振り被った渾身の拳。
それは、直撃と同時に半径数キロにまで轟くような爆音を立て、全11階層ある能管施設の全ての天井を1発でぶち抜いた。