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第107話 狂人vs浅霧梁(2)


 俺の拳によって堰き止められていた水は、拳大の穴から止め処なく訓練室内に流入し、着実にこの広大な密室空間を満たしていく。


 その証拠に、既に地面の一部にはものの数秒で大きな水溜まりが形成されていた。


 この調子なら地面一体を浸すのにもそう長い時間は掛からないだろう。


「やれやれ、全くしてやられたな」


 刻一刻と状況が悪化していく。


 そんな絶体絶命の状況の中、快は危機感を感じさせない何処か他人事のような声色で呟いた。


 別に本当に危機感が無いわけではない。ただ、この危機的な状況を素直に飲み込んでいるだけだ。


 この事態を招いたのは俺が浅霧を相手に不覚を取ったという他ない。いや、正直に自業自得と言うべきか。


 まぁ、ここで未知数の能力の為、警戒し様子見をしていた…なんてそれっぽい言い訳を並べ立てる事も出来るのだが、結局その元を辿れば単なる好奇心に負けたという弁解の余地のない理由に行き着いてしまうのだから、もうどうしようもない。


 現に、既に俺のそういった考え、もとい隙を利用したと浅霧本人の口からも明言されてしまっているのだから尚更。身から出た錆というやつだ。


 故にどんなに苦境に立たされようと、ここは潔く状況を飲み込むしかない。


 とはいえ、状況は控えめに言って最悪だ。


 完全なる密室の中に止め処なく流れ込む水とその水を操る特級能力者と共に軟禁。


 形勢は完全に浅霧へと傾いたと言っても過言ではない。


 今思えば、浅霧の狙いははじめからこの状況を作り出すという一点にのみ絞られていたのではないだろうか。


 何故、対処されると分かりきっている攻撃を使えるマナに制限のある浅霧が懲りずに何度も繰り返したのか。


 何故、俺がこれまで何度も力を込め踏み込んでも問題ない程の耐久力を誇る頑強な壁が、ここぞというタイミングに難なく破壊出来たのか。


 これまでの些細な違和感。これらも全てはこの状況を作り出す為の布石だったと考えると説明がつく。


 この施設に馴染み深く、構造を把握している浅霧ならこの方法を咄嗟に思いつくのも頷けるというものだ。


「ふむ」


 せめてこれ以上の水の流入を止められないかと画策するも、望みが薄いことが深く考えずとも分かってしまい、噴出口を一瞥するだけで早々にその思考を取りやめる。


 この訓練室に隣接しているのは脳内に記憶済みの簡易地図によればシャワー室。この施設の規模感からすれば、その大きさが公共の温泉施設にも劣らないものになるのは想像に難くない。なら、水源が尽きることはないと考えたほうがいいだろう。


 そして、マナを温存しなければならなかった先程までとは違って、現在の浅霧には態々マナで作り出さなくても自在に操ることができる水が大量に存在する。その為、おそらく俺を利用するまでもなく単独での壁の破壊も容易い。


 となれば、今ある噴出口を何らかの方法で堰き止めたとて、無駄に終わる可能性は極めて高い。


 さて、どうしたものかな。


「ほっ」


 ものは試しと、陣地を広げるように徐々にこちらに押し寄せてくる水に向かって、本気の蹴りを放ってみる。


 ——ザッ


 しかし、やはり今の身体能力ではテンマのような強風までは起こらず、少し強めの風が吹くだけで、全てを押し返すまでには至らない。


 正直なところ全く持って意味を成していない。焼け石に水だ。


 むしろ、水量が増してきてるのも相まって、俺が少し押し返したのも束の間に、水の浸食は留まるどころか次第に勢いが強まってきているようにも見えた。


 それなら、面倒くさいからいっそ一か八か制御装置である浅霧を狙おうと考え視線を向けるも、浅霧を囲むように展開されている大量の水を前にして、即座にその作戦ともいえない作戦を破棄する。


 というかそもそもの話、際限なく追加され続ける水の存在感が大きくてつい失念していたが、それを操る浅霧の存在が1番の問題だ。


 能力者にとって、スキルと関連する物質はそこにあるだけで力の底上げとなる。属性系の能力であるならそれは特に顕著だ。


 その上昇度合いは浅霧という最上の使い手という要素を抜きにしたとしても、きっと数倍では収まらないだろう。使い手の能力を考えれば、その倍率が考えたくもない程になるのは確実だ。


 ましてや、俺は表立って治癒スキルが使えず、攻撃手段が近接しかないのに対し、浅霧は付与の効果もあり近接と遠隔の攻防も問題ない盤石の布陣ときてる。


「はぁ」


 おっと、思いの外…というより考えていた以上に戦況が悪く思わずため息が出てしまった。


 まぁ、こんな劣勢になるなら余裕ぶっこいて延長線なんて始めないでとっとと逃げとけよ!…なんて言われて仕舞えば、その通り過ぎて返す言葉もないのだが、今更そんな事を言われても全ては後の祭りだしな。


 ここはキッパリと切り替えて、目の前のことに集中しよう。


 まずは手始めに現状の戦況の把握…だが、それは誰がどう見ても俺の劣勢だな。


 それを浅霧も理解しているのか、優勢なのにもかかわらず、好機を伺うようにマナを温存して、冷静な眼差しで俺の挙動に注視している。


 そして、浅霧の作戦が成功した今、マナの消耗というアドバンテージも無くなった為、時間の優位性も俺にはない。


 ここからは時間を経る毎に自然と形勢は浅霧へと傾き続ける。


 それを考えれば、この浅霧の一見手を抜いているようにも見える静観という選択も最善の判断と言えるだろう。


「っと、危ない危ない」


 打開策を考える最中でも容赦なく水は迫りくる。それを前に、俺は適宜水に侵されていない箇所へと回避を続ける。


 幸い、浅霧は相も変わらずマナを決定機となるギリギリの時まで温存するつもりなのか、手を加えていないようでその速度は水の流れに任せた緩やかなものであった為、回避は難しくなかった。


 しかし、いくら広大な室内とはいえ限りはある。加えて、完全なる密室の為、絶えず室内へと流入し続ける水の逃げ場は何処にもない。


 その為、それなりの時間が経過すれば、必然的に逃げ場はなくなっていく。


「ふむ、ここらが限界か」


 そして、その後も考えを整理する傍ら水に侵されていない箇所への回避を続けた結果、遂には噴出口と浅霧から最も遠い位置にある室内の隅へと俺は追いやられる。


 そこで浅霧は、ようやくここまで閉じていた口を開いた。


「これで少しは俺の勝ち筋も見えてきたかな?」


「あぁ、そうかもな。この状況は俺には分が悪過ぎる。いや、悪いなんてもんじゃないか。これは俗に言う絶体絶命って奴だ」


「そう、なら安心したよ。でも、絶体絶命という割には随分と落ち着いているね」


 何やら浅霧が訝しんだような表情で見てくるが、俺はそれに嘘偽りのない本心で応える。


「そうでもないさ。ここまで追い込まれる事は滅多に無いからな…これでも感情を抑えるのに必死なんだ。油断するとつい噛ませ犬みたいな高笑いをしそうになってしまう」


 こうしている間にも水は着実に室内を満たしていき、浅霧の支配下に置かれる水の量は増える為、正真正銘、状況は刻一刻と悪化の一途を辿っている。


 無事にスキルオーブを持ち帰るという任務を果たすなら確実に今直ぐ逃走を試みた方が良い。


 だが、それは出来ない。いや、したくないと言う方が正しいか。


「君はこの状況でさえも楽しむのか。やっぱり俺には全く理解出来ないな」


「別に理解して欲しいとは思ってないさ。ただ、単に俺が苦戦や逆境を好むってだけの話だ」


「本当に厄介な性格してるね。でも、実際のところ今の君には楽しむ余裕はない筈だよ」


 そう言い浅霧は、既に支配下にある大量の水を操り、絶対に逃がさないとばかりに対峙する俺と自分だけを挟むように瞬く間に巨大な水の壁を生成する。


「!!」


 眼前で行われたその光景は、正に壮観のひとこと。


 先程までとは打って変わって大量の水を操り、俺と自分を繋ぐ道筋を残した全てをあっという間に水で取り囲むその所業に、俺は思わず息を呑む。


 流石、浅霧。流石、スキル等級の最上級の特級と言うべきか。その様は、まるで旧約聖書に出てくる海を割ったモーセのように気迫に満ちていた。


 そして、浅霧は殺気を隠そうともせずに真剣な表情で言葉を続ける。


「それとも君はここからこの状況を覆せると?」


 言外に確実に俺を殺せると滲ませた強気な物言い。


 そんな浅霧に対し、俺は面の下でこれでもかと笑みを浮かべ、挑発するように質問を質問で返す。


「ふっ、それはどうだろうな?覆せるかもしれないし、覆せないかもしれない。それはやってみるまで俺にも分からないな」


 これは本音だ。現に、そんなつもりはなかったというのに、こうしてかつてない程に追い詰められてしまっている。


 もはや俺に浅霧を侮る気持ちは何処にもない。むしろ、何処かまた予想を超えてくるのではと、更なる期待までしてしまっている始末だ。


「だがまぁ、これだけは言っておくかな…………お前。まさか秘策を持ってるのが、自分だけだとでも思ってるのか?」


「!?」


 秘策という言葉に、浅霧は目を見開き分かりやすく驚きを露わにする。


 元はと言えば、俺の我儘で始めた延長戦もいよいよ大詰め。


 実のところはじめは軽く相手をしたら適当な所で切り上げるつもりだった。だが、期せずして窮地に陥っている今なら話は変わってくる。


 後半戦、いや脱出の傍ら…もう少しだけ楽しんだってバチは当たらないだろう。今手元にあるスキルオーブさえ無事なら何ら問題はない。


 周囲の環境もとい水の量はマナの総量の少ない今の浅霧の戦闘力に直結する。なら、環境を味方につけた浅霧の戦闘力はどれ程のものになるのか。そんなの気にならないはずがない。確かめずには帰れないだろう。


 しかし、戦況は言わずもがな悪い。


 このまま時間をかければ、いずれ水がこの空間を満たして俺は死ぬ。かといって、流入し続ける水をどうにかしたらそれで良いのかというとそういう訳でもない。


 既にこの空間に膨大な量の水がある以上、動きに制限のかかるこの密室空間で身体能力を武器に戦う俺の劣勢はそう簡単には変わらない。それに加え、表立って治癒スキルを使えないとなれば尚更。


 故の秘策。


 スキルが露見することも無ければ、現状をも打破できうる可能性を秘めた文句なし文字通りの秘策。


 これは当初の予定では使うつもりも、使わされる予定もなかった新技だ。だが、ここまで追い詰められてしまっては仕方がない。


 嬉しい誤算というやつだ。


 正直なところ能力者に成り立ての者を相手に、この技は些か荷が重いのかもしれない。


 だが、その相手がこれまで何度も予想を超えてきた浅霧となれば話は変わってくる。


 俺の本気の一端。それを見せることは、まず間違いなく浅霧の成長の糧となる。


 偶然にも見つけた最高の好敵手候補。そんな奴をこのまま緩い環境で腐らせる訳にはいかない。今回の作戦の裏テーマは、能管へ刺激を与えることなのだ。


 となれば、この選択も致し方ないだろう。


 そう。この場を切り抜ける為には致し方なく、未来を見据えたとしても仕方がないことなのだ。


 これも考えようによっては浅霧にスキルを与えたのと同様に未来への投資。浅霧が強くなるのは、国の治安ひいては俺の家族を守る為の布石となる。


 決して、俺が楽しむ為だけが理由ではない。


 そうして、それっぽい理屈で自らを正当化した快は、もはや後のことなど微塵も頭にはなく、嬉々として技の発動へと着手し始めた。


「…」


 目を閉じ、気が遠くなるほどの鍛錬の末にもはやデフォルトと化した複数に分岐した思考回路を、1つの回路へと集約させ意識を集中させる。


 そして、その集中が極限にまで至ると、快には激しい痛みと共にかつて感じたことのない程の熱が襲い掛かった。


「!!!!」


 常人であれば立つことさえままならない。いや、確実に死に至るほどの痛みと発熱。


 しかし、その2つの症状が現れた時、快は技の成功を確信し、辛さを微塵も感じさせない喜びに満ちた顔をした。


 そして、未だ驚きが残る浅霧にもはっきりと聞こえるよう声高らかにその技の名を口にした。


 治癒系統術…


「『身体強化』」




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― 新着の感想 ―
ギ○セカンド! マナの量があったら大量の水で一気に潰せたと思うし、マナの量ってやっぱ大切なんだなぁ
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