第105話 同格
「さて、これでお前の念願叶って能力者の仲間入りを果たした訳だが…気分の程はどうだ?」
「そうだね。先ずは、無事にスキルを獲得出来て一安心ってところかな」
俺の言葉に、浅霧は喜ぶ訳でも、浮かれる訳でもなく、凛とした…それこそ凪いだ水面のように落ち着いた様子で応えた。
ふむ。この様子を見るに、どうやら俺の心配は杞憂に終わったみたいだな。
全能感…これは、スキルを獲得し能力者となった者なら、大小の差はあれど、皆例外なく感じることだ。
特に、以前との変化を明確に知覚しやすいスキルを獲得した直後は、精神に及ぼす影響は絶大だ。
それ故に、注意が必要だった。
能力者デビューとでも言おうか…人によってはその全能感に支配され、人格までもが変質してしまう可能性がある。
ごく平凡な人間がスキルを獲得した事をきっかけに、ほんの数ヶ月足らずで数十人もの人間を殺害する殺人ピエロと化したのが良い例だ。
その点、スキルを獲得して尚、以前と何ら変わらない状態を保ったままでいる浅霧は、流石の精神力と言えるだろう。獲得したスキルの能力と等級を思えば、その全能感に酔いしれ、闇落ちしたってなんらおかしくなかった。
「力に呑まれていないようで何よりだ。だが、それでこそお前に託した甲斐がある」
「準備期間は十分にあったからね。その辺の心構えはとっくの昔に出来てるよ」
「流石だな。ま、俺も投資が無駄にならずに済んで一安心だ」
「無駄にならず…か。このスキルを渡された時点で、大方の予想は付いてたけど…君、その物言い的にやっぱり俺のスキル獲得後の状態如何では直ぐにでも殺す気だったでしょ」
「ん、当然だろ?」
【スキル:水(特)】
水を生み出し、操作する能力。
このスキルの危険性を語るのに、長々とした説明は必要ない。
水は、液体、個体、気体と特定の形を持たずに存在する物質だ。恐らく、スキルとして使用する場合、その汎用性はテンマの風をも超える。特級という等級を加味すれば、その強大さは計り知れないものとなるだろう。
「水の特級スキルは、比喩でも何でもなく使い手次第で簡単に世界を滅亡へと追い込む最強格の能力だ。それ故に、慎重に使い手を選ぶ必要があった。俺が今後も楽しい事をするにしても、その舞台となる世界を壊されては堪らないからな」
「なるほどね…その点、国防の一端を担う能力者管理局の局長という役職に就いている俺は都合が良かったわけか」
「そういうことだ。つまり、お前はこれ程危険な特級スキルを所持するに申し分のない人格者ひいては適任者だとして俺に認められた訳だ。どうだ、嬉しいだろ?」
「…そうだね。表現の仕方はともかく、現にこうして能力者となれたのは素直に嬉しいよ。でも、何だか君に体よく利用されているようで釈然としないね」
「いやいや、利用するなんてとんでもない。単に利害が一致しただけさ。考えてもみろ…お前はずっと待ち望んでいたスキルの獲得、俺は新たな遊び相手の獲得。な、ウィンウィンだろ?」
「これをウィンウィンと言えるのはごく少数の狂人だけだよ。こんなのは投資でも何でもなく単なる賭けだ。俺には君がとても割に合わない事をしているようにしか思えないよ」
「そうか。なら価値観の違いだな。事実、俺は全くそうは思ってない」
良い思いをする為に対価を支払うのは当然の事だ。
そして、俺は今回、好敵手候補を獲得する為に、少しばかりの労力とリスクという対価を支払った。ただそれだけのことだ。
そりゃ、まぁ…確かに客観的に見れば、その場のノリと流れに身を任せ過ぎた感は否めないが、結果的には何も損はしていないし、寧ろリターンを思えば、得をしているくらいなのだからとやかく言われる筋合いはないだろう。
もし、この場にテンマが居たなら強い遊び相手が出来たと確実に両手を挙げて喜んでいる。
我ながら良い選択をした。
まぁ、銀次がこれを聞いたら特級スキルを逃して惜しいと思うかもしれないが、俺の独断と偏見によれば恐らく銀次にはもうひとつの上級スキルの方が性に合っているからな。きっと最後には快く納得してくれるだろう…普通に水の方が良かったと言われる可能性もない事もないが、後の事は後で考えよう。
浅霧に説教した手前もあるし、俺も取り敢えずは今の事に集中しなければな。うん。
「よし、ではお前も無事スキルを獲得したことだし、そろそろ戦闘再開と行こうか。浅霧」
「うん、断る………と言いたいところだけど、君の事だしそうもいかないよね」
「いかないな。だが、それはお前も同じだろ?」
「まぁ、そうだね。能管の局長という立場上、時間稼ぎしか取れる選択肢のなかったさっき迄とは違って、挽回の可能性が出てきたのなら散々好き勝手した君をむざむざ見逃す訳にも行かない……まぁ、その可能性も諸悪の根源である君のお陰で生まれたってのがややこしいところなんだけど」
「ふむ、そう言われてみると確かにややこしいな。まぁ、お前に戦いに応じる意思があるならそんな事はどうでも良い。だが、挽回の可能性ってのは、少し過ぎた表現じゃないか?」
「君がまだまだ本気を出していないことは重々承知してるよ…でも、だからと言って別に撤回するつもりはないよ」
「ほー、それはつまりスキルを獲得したての新米能力者に過ぎないお前が、熟練の先輩能力者である俺に勝てると…そう言ってるのか?」
「絶対と断言は出来ないけどね。でも、不可能ではないと思っているよ」
そう、やけに確信めいた表情で自信を口にする浅霧に、俺は期待に胸を膨らませる。
俺の考えでは、どれだけ浅霧を高く見積もろうが、浅霧が俺に勝利する事はない。
だが、そこは思慮深い浅霧の事だ。この期に及んで、ありもしない自信を口にするような意味のない事はしないだろう。となればこの場合、ただのハッタリと切り捨てるのではなく、実際にスキルを獲得したての状態でも俺に勝つ可能性を語れる程度には、勝算があると考える方が妥当だ。
侵入者であるという前提を考えるなら、こういった局面では直ぐにでも逃走を試みるのが正しい選択だろう。どれだけ自信があろうと、万が一というものは往往にして起こるものだ。
だが、例え頭ではそうだと分かっていても、心の内から溢れてくる衝動には誰も抗うことは出来ない。
「ははっ、面白い」
同格との戦いが直ぐそこまで迫る中、俺の身体は今か今かと武者震いを始める。
そして、逸る気持ちを何とか抑えようと深呼吸を繰り返すこと数回。
遂にその時はやってくる。
「やろうか」
俺の様子から衝突が近い事を察していたのか、準備完了とばかりに再び殺伐とした雰囲気を纏った浅霧が落ち着き払った表情で俺を見据える。
その瞬間、辺りにはほんの数分前とは段違いの重厚な気配が漂う。まるで、この空間全てが浅霧の支配下に置かれたような感覚。
俺はそれに息が詰まるような閉塞感を感じながらも、同時にもはや抑えきれない程の昂まりを感じていた。
気を抜くと武者震いが身震いに変わってしまいそうな…そんな緊迫感が堪らなく心地いい。
そして、俺は早く早くと急かすその気持ちに身を委ねるように…満面の笑みを浮かべて、端的に開戦の口火を切る。
「来い…期待の新人に胸を貸してやるよ」