第102話 延長戦
——ウィーン
「おー、これはまた金が掛かってそうな大層な訓練室だな」
俺が、延長戦のゴールとして設定していた地下5階の訓練室へと入ると…そこには正六面体型の無機質ながらも高級感の漂う部屋の中央部で、驚いたような呆れたような何とも言えない表情を浮かべた浅霧が待っていた。
「これはまた…とんでもなく早い到着だね」
「悪いな、お前の期待に応えてやれずに。この通りピンピンしてるわ」
「本当だよ。もしかしたら突破してくるかもしれないとは思ってたけど、まさか無傷でやって来るとは思いもしなかった。それにしても、おかしいな。ここへ来るまでには少なくともバイオ◯ザード顔負けの超絶現代トラップを突破しないといけない筈なんだけど…」
「あー、あのレーザー光線の奴な。あれは良く出来てたし、見た時はテンション上がったよ。だが、既視感があっただけに攻略は簡単だった。序盤は関節を外したり、ボディコントロールさえミスらなければ、問題なく通過する事ができるし、後半の端から攻略させる気の無いやつは、馬鹿正直にレーザーの部分を通ろうとせずとも、壁壊して遠回りしながら進めば普通に通過できる。まぁ、バッグを背負っていた分、序盤は良い具合の難易度だったぞ」
「はぁ、もうどこから突っ込めばいいか分からないよ…ってか、そんなのあり?壁壊すのは流石にルール違反じゃない?」
「そんなルールは聞いてない。ってか、運営が先に悪質なゲーム設定をしたんだ。なら、利用者の裏技くらい見過ごせ。それか、端から裏技を使わせるような隙を作るな」
「はぁ、ごもっとも…それで、少しは楽しんでくれたのかな?」
大方のダメ出しが済んだところで、浅霧は遂に核心の質問をして来る。
そう、この延長戦の勝敗は、端から俺が楽しめるかどうかという一点のみ。その為、俺がここまで辿り着けるかどうかという点については、この際どうでも良い事なのだ。
俺がここで楽しかったと言えば、浅霧はスキルオーブを取り返す事ができ、楽しくなかったと言えばスキルオーブは取り返せない。至ってシンプルなゲームだ。
俺は、ここまでに至る道程を思い出し、簡潔に総評を述べる。
「正直に言うと…まぁまぁ楽しかった。だが、それは普段経験できない故の新鮮さが殆どを占めていて、要望として求めていたスリル面で言うなら今一つだった言わざるを得ない。よって、スキルオーブを渡す程ではないな…どうだ?我ながらフェアに判定したつもりだが」
「そうだね…まぁ、残念だけど結果については素直に受け止めるよ。現に初見殺しのトラップを難なく突破してきた君の事だ。何もスキルオーブを渡したくない意地悪で言っているんじゃないって事は分かる。君にとっては本当に退屈凌ぎ程度の娯楽にしかならなかったんだろう。ちょっと君の娯楽の基準を見誤ってたよ」
「まぁ、それに関しては身近に丁度いい喧嘩相手がいるもんでな。その分、娯楽の基準が上がっているのは否めん」
「…うわぁ、それは聞きたくない情報だったよ。あのさ、その喧嘩相手ってもしかしなくても…」
「あぁ、今頃お前のとこの部下と戦ってるだろうな」
「やっぱりかー…」
俺の言葉で、嫌な想像をしたのか、額に手を当て、深めのため息を吐く浅霧。
「あのさ、敵に…それもその首領であり、この騒ぎの首謀者であろう君にこんな事を聞くのも何なんだけどさ、正直ウチの部下達は生きてると思う?」
「さぁな。その辺りは現場の判断に任せてるから、現時点では俺にも何とも言えん。だが、面白そう奴なら生かしておくのが俺達のやり方だ。だから、生きているかどうかはお前が送ったという主力の力量次第じゃないか?」
「…なるほどね。答えてくれてありがとう、すごく参考になったよ。にしても、その物言い…既に君の中では俺達が負ける事が確定しているんだね」
「まぁな。だが、それはお前も既に察していることだろう。でなければ、そもそも仲間の生死なんて気にしない」
「…」
俺の言葉に、浅霧は否定も肯定もしない。
だが、勝敗よりも生死を心配する時点で、その能管の主力だという能力者の実力の程度も知れるというものだろう。
浅霧がどれだけ正確に部下の戦闘力を把握しているのかは分からない。だが、コイツが単なるお飾りで局長という座に就いているのでないのは、短い時間接しただけの俺でも分かる。
それなら、少なくともコイツが常日頃見ていた部下の実力的に、生死を心配するだけの不安要素を、俺が与えたというのは間違いないだろう。
鬼灯と能管には、現時点において覆し難い力の差がある。それを浅霧は既に確信している。
そして、それはこの施設の中を動いていく中で、俺自身も少なからず実感していたことだ。
ここの局員達は、能力者という存在が身近にいながらも、罠といい、施設の耐久性といい…想定が甘いところが多々見受けられる。
もっと言えば、能力者に対する認識が甘い。
俺が罠を突破した時の、管制室の奴等の反応ひとつとってもそうだ。予め、罠を突破されると想定し、余裕を持って動いていれば、俺にUSBを、ましてや緊急ロックのボタンなんかも押されずに済んだ筈なのだ。
しかし、奴等はそうしなかった。慢心し、驚愕し、怯え、俺にまんまとしてやられた。
それは常日頃、能力者を見ていて、そいつ等と勝手に比較し俺の実力を測り、これだけの設備があるのだから問題ない…と心のどこかで油断していた何よりもの証拠だ。
故に、俺のテンマ達に対する心配はもう微塵もない。それは、どれだけの戦力を投入されていようが関係ない。肉体的な強さは言わずもがな、精神的な部分での強さが能管の奴等とは段違いなのだ。それに加えて安全策としてポーションも持たせてある。なら、心配するだけ無駄というものだろう。
「結局、俺をガッカリさせなかったのはお前だけだったな。浅霧梁」
「そうかな。それは少し買い被り過ぎなんじゃない?俺は単なる中間管理職だよ」
「褒め言葉は素直に受け取っておけよ。俺はした事ないから知らんが、過度な謙遜は嫌味となるらしいぞ?」
「いやいや、本音だって!現に、こうして窮地に陥ってるでしょ!」
「窮地ね…それはおかしいな。俺の認識とは大分異なる。俺は、お前がここに意図的に俺を招き入れたと考えていたんだが、それは違ったか?」
「……」
「断言するが、そもそも並の管理職なら俺のふざけた提案にすら乗ってないんだよ。だが、お前はその提案に乗るだけでなく、それを逆手に取った」
俺が、延長戦を始める前に浅霧から要求されたのは2つ。
1つ、延長戦を始めるにあたり、暫しの準備時間を設けること。
2つ、準備が終わるまでは、俺は誰も傷付けず、スタート地点である駐車場から動かず、大人しくしていること。
その準備時間中に、浅霧が何をやっていたのかは、この最下層に到達するまでの間に、誰1人として局員とすれ違わなかった事から容易に想像がつく。大方、逃げ遅れた局員達をその間に地上階層へと避難させたのだろう。
浅霧がこの場に残ったのは、何も俺に対する人身御供という訳ではない。コイツには、スキルオーブという打算があった。
しかし、この作戦の間、俺の思考を何度も先読みしていたコイツの事だ…当然、その計画が失敗した時のこともしっかりと考えていたはずだ。
故のこの場所だ。
ここは何かと都合が良いだろう。
局員を逃した地上階層から最も遠く、元より、能力者の戦闘を想定して作られたであろう頑丈な設備。
幾つもの設備を力づくで破壊した俺みたいな能力者を閉じ込めるには、正に絶好のロケーションと言える。
「窮地に陥りながらも決して諦めず、限られた時間の中でも冷静にその局面での最善手を打つ判断力。そして、それを他人に任せず自らで実行する豪胆さ。俺には到底、単なる中間管理職が為せる事とは思えないね」
「…分かった。君のコ◯ン君ばりの洞察力に免じて白状する。ってか、もうバレているだろうし。確かに、ここをゴール地点としたのは意図的だ。その意図も凡そ察しているだろうけど、君の提案を完遂出来なかった時に備えての予備作。言ってしまえば、時間稼ぎだよ」
「時間稼ぎか。やっぱり既に応援を呼んでいたか」
「うん、能管としては少し情け無い話かもしれないけど、背に腹は代えられないからね。もう沢山呼んじゃったよ。だって、君普通にヤバいし…どうせこの部屋からも時間かければ、出れちゃうんでしょ?」
「さぁな、だが小水石を穿つとも言うからな。なら、この部屋がどれだけの強度を誇っていようとやってやれない事はないだろう」
「…ねぇ、何なの君のその前向きさ。もう少し慌てるとかないの?俺、子供相手に結構大人げない事してるよ?」
「慌てる…ね。お前は何か勘違いしてるな。俺が何の為にお前の企みを承知でここまで急いで来たと思っているんだ?」
「うわ、待って。その話の続き…全然聞きたくない」
どうやら、浅霧には俺が言おうとしていることが何か、既に予想がついているらしい。浅霧は、両手を前にして、俺の話を中断させようとする。
しかし、俺はそれに構わず続きを口にする。
「まだ遊びもとい延長戦は終わっていないぞ、浅霧。罠で足りないならその分はお前が埋め合わせれば良い」
「…わー、スキルオーブを取り返すチャンスがまだ残ってるなんてありがたいね。なら、そうだね…このまま俺とお喋りを楽しもうか」
「それも悪くないな。だが、俺はお喋りより体を動かしたい気分なんだ」
「まぁまぁ、そう言わずに。えーっと…クラスに好きな子とかいるの?」
コイツ…とうとう力技に出始めたな。俺の真意を理解しながらも、分が悪いと踏んで急に修学旅行の夜みたいなこと言い出しやがった。
大方、俺の気を逸らして、援軍が到着するまでの時間を稼ぐ算段なのだろう。だが、そうはさせんぞ。
俺は電話を終えた時点で、障害物走よりも浅霧の見極めの方に重きを置いていたんだからな。この楽しみを逃したりはしない。
「よし、お前が俺とお喋りに興じたい気持ちはよく分かった。だが、ここはフェアに行こうじゃないか、浅霧」
「フェア?」
「あぁ、フェアだ。先の延長戦の種目はお前が決めたよな。なら、次の種目は俺が決めるのが筋というものじゃないか?」
「…いや、まぁ、そうね。それが普通なら正しいかもね…でも、そこは年功序列的な?」
「悪習だな、その考えだと近いうちに部下に嫌われるぞ?」
「……はぁ、もう分かったよ。でも、一回り以上歳上の俺に少しは配慮してくれる?ほら、俺君みたいに体力有り余ってないし!」
俺の正論カウンターパンチが思いの外クリーンヒットしたのか、浅霧は遂に観念したように額に手を当てて、俺の言葉に承諾する。
そして、俺の方も浅霧の要望を承諾し、俺は直ぐに種目の概要を伝える。
「種目は、簡単に言えば鬼ごっこ。俺が殺しにかかるから、お前は全力で抵抗してみせろ。制限時間は、援軍の到着までってところか。分かりやすくて良いだろ?」
「…ちょっと待った。確かに分かり易いけど、それ俺の知ってる鬼ごっこじゃない!」
「ふむ、これがジェネレーションギャップか。全く歳は取りたくないものだな」
「いや、鬼ごっこって世代間で変わるものだっけ?ってか、そもそも鬼ごっこって2人でやるものだっけ?」
「これが最近の若者の流行だ」
「んな、バカな。でもちょっと、俺には体力的に厳しいんじゃないかな。おかしいな…快く承諾してくれたはずの配慮がどこにも見えないんだけど」
「心配するな、俺も直ぐ終わったらつまらないから良い塩梅で手加減してやる」
「それって、文字通り生かさず殺さずって事じゃん…」
「そうとも言うな。よし…じゃあ、面倒臭い説明も終わったことだし、早速10数えるな。その間に準備するなりなんなりしろよ?」
「え、ちょっ」
「1、2、3…」
「マジかよ、本当に問答無用じゃん」