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追放乙女と吸血鬼:枉の実  作者: かたつむり3号
第一章 百合は枯れても
3/7

03


 改めて場を設けるまでもなく、夜会の翌日、エリオットは父親に連れられレイン侯爵家へ乗り込んできた。

 応接間のソファーに我が物顔で踏ん反り返る伯爵は、昨夜のアンジェリカの物言いが余程に腹に据えかねたのか、苛立ちを隠そうともしない。隣に座るエリオットはうつむいてしまって、その表情は窺い知れない。


「あらぬ疑いで妹君を粗末にするとは、よく教育されたお嬢さんですな」


 伯爵は開口一番、棘だらけの言葉を吐く。


「ふむ……。初耳だな」


 対するバジェッタは上の空で、視線はずっとスフィアの部屋のあるほうを向いている。今朝、遠方より取り寄せた薬を飲ませてみたところであった。そばに寄り添い、手を握り、様子を見守りたい気持ちでいっぱいであるのだろう。

 駄目かもしれない。アンジェリカはそっと溜め息を飲み込んだ。


「実の娘のことでしょう、侯爵」

「アンジェリカに任せておけば問題ない」

「そのアンジェリカ嬢が問題を起こしたからこそ、こうして我々は馳せ参じたのですぞ」


 何もわかっていない。

 伯爵の口端には、早くも嘲りが滲む。彼はすっかりバジェッタを軽んじていた。


「エリオットのことを信用せず、自分の妹に恋をしているなどと、とんだ勘違いもあったものですな。失礼極まりない」

「……」


 大前提として、アンジェリカはエリオットのことを愛していない。妬心を募らせたとエリオットは彼女を責めたが、そもそも嫉妬が芽を出す畑がないのである。

 それについては、妹へ向ける笑顔を見て愛を自覚した、という話だったが、それがいつの出来事であるのかとんと思いつかない。エリオットはいつの間にクリスティーナと笑い合う仲になったのか。せめて目撃させるべきだろう。

 現在、確定していることはただ一つ。

 アンジェリカの妹クリスティーナ・レインは、姉の婚約者エリオット・アルバートを愛している。


「アンジェリカ、お前の妹のことだぞ」


 バジェットがアンジェリカの袖を引いた。

 あなたの娘のことでもありますよ、お父さま。

 言うだけ無駄なので腹の底に沈め、代わりに別のことを言う。


「クリスティーナからは、横恋慕しているという報告を受けております」


 そう、あの愛らしい顔をした妹は、アンジェリカに直接、隠しもせず伝えてきた。


『お姉さま、私エリオットさまを愛してしまいました。譲ってください』

『そう、お父さまに相談しておきます』


 姉妹のやり取りはそれだけで、バジェッタへ報告する前に昨夜がきた。夜会の前日に言うのだから、報告が遅れたことは責められないだろう。

 ところで、アンジェリカの名を聞くだけで動けなくなるほど怯えているというクリスティーナだが、今朝も普通に挨拶を交わした。


『おはようございます、お姉さま』

『おはよう、クリスティーナ』

『昨日は随分とお早いお戻りだったと聞きました』

『出て行けと言われてしまったの』

『またきついおっしゃりようで、伯爵の神経を逆撫でたのですか?』

『エリオットさまに言われたのよ』

『あの方も遂に父親の短気を継ぎましたか』

『さあ? 恋でもしたのではなくて?』

『お相手は私だと嬉しいです』

『今度お会いしたときにでも聞いてごらんなさい』

『そうします』


 口はよく動いていたし、あれで怯えているというのなら、随分と肝の据わった怯え方をする妹である。巻き込むのならせめて、口裏くらい合わせておくべきではないだろうか。


「報告などと白々しい。脅して吐かせたと聞いておりますぞ」

「証拠の提出を要求します、伯爵」

「……」


 ツンと突き放す。

 アンジェリカは伯爵が嫌いである。狐と陰口を叩かれるくせに、狐のような美しい毛並みをしていない。髭の形ばかりは立派であるが、似合っていないので台無しだ。


「そのような態度でよろしいのですかな?」


 舌はいくつも生えているようだが、どうにも絡まっているらしく洗練されているとは言えない。そういうところも嫌いであった。ついつい短い導火線に火をつけ、剥き出しの神経を引っ掻いてやりたくなる。


「何か問題がありましたかしら」

「どうやらアンジェリカ嬢は、借金の件がすっかり頭から抜け落ちていらっしゃるご様子」

「あら、ご心配には及びませんわ。それとも、この場で明細を述べて御覧にいれたほうがよろしいかしら」

「っ、……!」


 レイン侯爵家が支払うべき金銭を代わりに支払う。没落寸前だったレイン侯爵家には天の恵みとも呼べる申し出だった。そこを否定するつもりはない。しかし肯定もしない。

 アルバート伯爵家の申し出はあくまでも、レイン侯爵家の弱みにつけ込んで、掌握し、蹂躙し、支配することが目的だ。腹の内を食い破ろうと、善意の皮を被って寄ってきた男。そんなやつは詐欺師と違わない。


 代わりに支払われた金銭は、順次きちんと返している。

 バジェッタが際限なく次から次へと借りた分、アンジェリカが稼ぎ、返済している。

 バジェッタの暴走を止める代わりに稼いでいた頃の何倍も無茶をして、馬車馬のように働いて、必死になって金を持ち帰っている。現状抱えている借金と呼べるものはあと一か月の内に、全額の返済について目途が立っている。借用書を作成し、そこに明記された期日から遅れることはない。細々ちまちま作成した借用書は山のように積みあがっているが、整理と管理は徹底している。


 借金は借金だと言われてしまえばその通りだが、相手が詐欺師である以上は厚顔を責められる謂れはない。弱みを見せたら死ぬのだ。今、路頭に迷っては、病の母は死ぬだろう。そうなれば父は生きていけない。デビュタントを済ませたばかりの妹に、生きる術など備わっていない。領民の生活を保障してくれる確約もなく、むざむざ食い破られるわけにはいかなかった。


「もういいか? スフィアが心配だ」


 会話が途切れた隙に、バジェッタが腰を浮かす。

 まるで他人事。まったく興味がない。

 引き留めたいのだろう。伯爵が慌てて口を開く――その瞬間、沈黙を保っていたエリオットが先んじて言葉を吐いた。


「クリスのことは、なんとも思わないのか?」


 声に覇気はなく、うつむいたまま、泥を吐くように言った。

 バジェッタは億劫そうに嘆息し、渋々といった様子で座り直す。アンジェリカへの問いではあるが、話を聞く気はあるらしい。

 エリオットの様子をしかと見る。見逃さないよう目を凝らす。クリス、と彼は言った。クリスティーナを愛称で呼んだことに、胸がざわついた。


「思うべき何かがありまして?」

「彼女は深く傷ついている。君に怯え、震え、いつも泣いているんだ」


 そんなことはない。そんな姿は見たことがない。

 クリスティーナが生まれて十八年。それだけの年月、姉妹をやっていれば、傷つけたことくらいあるだろう。喧嘩らしい喧嘩をした覚えはなくとも会話はある。そのときの何かが彼女の傷になっていても不思議ではない。けれど怯え、震えるほどの恐怖を植えつけたことはなかった。

 クリスティーナは容姿こそ愛らしいが、流れる血潮の半分はバジェッタのものだ。猛り荒ぶる狩人の面を、彼女は確かに持っている。傷を傷のままにする妹ではない。

 嫌は嫌と叫ぶ。嫌いは嫌いと拒む。憎いは憎いと噛みついてくる。


「そういえば、クリスティーナを邪険に扱い傷つけたわたくしが気に食わない、というのが、婚約破棄の理由でしたわね」


 認識にずれがある。何かがおかしい。


「ありもしないことで妹を傷つける君の心根が歪んでいる、という話だ」

「クリスティーナを傷つけたという話は一体、どこから出てきたのかしら」

「言っただろう。クリスは泣いていた。泣きながら、ぼくに助けを求めてきたんだ」


 クリスティーナが、エリオットへ、泣きついた。周囲からの入れ知恵ではなく、本人からの訴えであるというのなら。であればこの認識のずれは、つまりクリスティーナの行動がずれているということである。エリオットには姉の悪辣な行為を嘆き、アンジェリカには普段と変わらない姿を見せる。

 ずれている。

 クリスティーナが攻略されたのではない。エリオットに誑し込まれたのではない。

 クリスティーナが攻略し、エリオットを誑し込んだのだ。化かされたのは他でもない。


(譲ってください、なんて……)


 白々しい。

 奪ってやるから覚悟しろ。これくらい強い言葉であったのだ。

 見誤った。……見損なった。

 クリスティーナ・レイン。まったく強かな妹だ。


「わたくしはクリスティーナを害していません。婚約を破棄するにあたって、その辺の真偽はきちんと確かめる必要がありますね」


 時間がかかりそうだ。

 衆人環視の中で婚約破棄を宣言した以上、いまさら覆すことはできない。破棄に至った経緯を洗い出すだけでも骨が折れる。クリスティーナの虚言を引き剥がす。おそらくはそこが最も手間取るだろう。

 考えるだけで頭痛がする話だ。

 今後の流れを脳内で整理していると、アルバート伯爵が勝気に笑った。


「婚約は、アンジェリカ嬢の有責で破棄します」

「は?」


 思わず遠慮のない声が出た。伯爵は口角を吊り上げ、続ける。


「エリオットはクリスティーナ嬢と改めて婚約を結ぶ。この条件を呑んでいただければ、我が家は今後もレイン侯爵家への惜しみない援助をお約束します」

「それは――」

「呑めないというなら、一切の援助を打ち切る。借金も、今この場で返済していただきましょう」


 それは明確な脅迫であった。


「借用書はどうなります?」

「あんなもの、あなたの信用が地に落ちた以上なんの効力もない」


 そんなはずないだろう。署名はバジェッタがした。アンジェリカの信用など無関係だ。

 反論すべく開いた口から声を出すより先に、視線を尖らせるその前に、――バジェッタの腕が、アンジェリカの肩をつかんだ。


「アンジェリカ……!」


 その険しい表情が、絶望で濁る双眸が、すべてを物語っていた。


「お、父さま……」


 アンジェリカは負けたのだ。父が母へ向ける愛の前に、あっさりと敗北した。完敗した。

 フッと体から力が抜けたのがわかった。可笑しい。気を抜くと漏れそうになる笑みを、奥歯で噛み砕く。腹の底から湧いてくるこれは、自嘲だ。

 母は目覚めない。父は母しか見ていない。妹には陥れられ、婚約者は自分を信じる気配もない。アンジェリカががむしゃらに守り抜いてきたものは、こんなものだった。

 ――もう、いい。疲れた。


「両家の出した結論に、わたくしは従いましょう」


 父を呼ぶ。アンジェリカを守ってくれない、父の腕に手を添える。


「領民の生活くらいはせめて、守ってくださいましね」

「ん? あぁ、そうだな」


 アンジェリカが反抗しないとわかるや否や、バジェッタはもうこの状況から興味を失っていた。こんなものだ。

 立ち上がる。


「あとの話し合いはお任せします」

「自分がこれからどうなるのか、確認しなくていいのか?」


 笑声を弾ませて、伯爵がアンジェリカを見る。もはや飾りの敬語さえかなぐり捨てている。せっかちな男だ。もう侯爵家を奪った気でいるらしい。


「妬心に狂って妹を傷つけた、でしたかしら。まさかそんな曖昧な話で死ねと言われるわけでなし、謹慎でも幽閉でもお好きになさいませ」


 身体に傷が残っているわけでもない。証拠はなく、クリスティーナの証言しかない状態で、アンジェリカを何かの罪に問うことはできない。罪がなければ、裁くことも罰することもできないのだ。

 新たな罪を捏造するにも時間はかかる。その間に逃走の算段を立てることなど、アンジェリカにとって難しくもない。

 落胆の気配すら滲ませない様子が気に食わないのだろう。伯爵は堂々と舌打ちした。


「それでは、失礼」


 無視して、退室の挨拶を述べる。ごきげんよう、とは言わなかった。ごきげんなど味わってほしくない。

 とりあえず部屋に戻ろう。そう思い背を向けたアンジェリカへ、エリオットの鋭い声が突き刺さった。


「出て行け!」


 振り返る。

 エリオットは顔を上げていた。表情を彩るのは、憤怒を超えた憎悪である。


「君がいてはクリスティーナの心が休まらないだろう。なんの罪もない彼女が、なぜ怯えながら過ごさなくてはいけないんだ」


 出て行け、とエリオットは繰り返す。

 何がそんなにも腹立たしいのだろう。何がどんなにも恨めしいのだろう。アンジェリカにはわからない。


「罪に問わず幽閉もしない。自由をやるから、妹への贖罪として君は出て行け!」


 伯爵の顔が歓喜で歪む。反してアンジェリカの心は芯から冷え込んだ。

 罪には問わないと言ったそばから、罪を贖えと怒鳴る。もっと頭のいい男だと思っていた。婚約者という贔屓目がなくなると、途端に粗末に見える。こんな男であったのか。


 バジェッタを見る。彼の視線はスフィアの部屋があるほうを向いており、エリオットの声が聞こえたかどうかも怪しい。反論がない以上これは、両家の出した結論として扱われることだろう。

 遠慮せず、深々と溜め息を吐き出した。もう、いい。


「わかりました。では、荷物をまとめしだいすぐに」

「今すぐだ。邸の中をうろつかれては、クリスと遭遇する恐れがある」


 お黙り。

 つい、……遂にアンジェリカは声を荒げた。エリオットが、引っ叩かれたように目を丸くする。伯爵もまた口を半開きにして瞠目した。


「なんの手続きも済んでいない現状、公的にあなたはまだわたくしの婚約者で、わたくしの籍は侯爵家にあります。どの口が偉そうに、このアンジェリカ・レインに出て行けなどとのたまうのです?」


 伯爵位の人間が、身の程をわきまえなさい。


「己の発言には責任を持ちます。両家の出した結論である以上、わたくしの有責で婚約を破棄することに異論は申しません。この邸からも出て行きます。けれど、伯爵位の人間が不敬にも侯爵家の娘を身一つで、それも侯爵邸から叩き出したと触れ回らないとは言いません」

「……」

「手続きが終わるのとあなた方の不敬が知れ渡るのと、どちらが早いかしらね?」

「脅すつもりか……!」

「あなた方の言えたことではないわね」


 ぴしゃり、と抗議を叩き潰す。


「大きな声を出さずとも、クリスティーナを引きずり回して殺そうなどとは考えていませんよ。家を出る準備をさせろと言っているだけです」


 もう面倒になって、言葉選びに向ける遠慮を放棄する。

 扉の前まで急ぐ。さっさと扉を開け、体を半分だけ外へ出し――振り返る。


「そうそう、これは助言ですけれど、手続きが済むまでは気安くクリスなどと呼ばないことですわ。わたくしの瑕疵を訴える以前に、あなたの心変わりを疑われますよ」


 ぎょっとしたように顔を強張らせるエリオットの反応で、すべてが知れた。くだらない。伯爵などは、もっとわかりやすかった。貴族失格だ。黒い腹の内側が、こんなにもわかりやすく外に見えていては台無しだろう。


「それでは、さようなら」


 昨夜と似たような言葉を吐いて、しかし頭は決して下げず、アンジェリカは退室した。

 

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