91.解呪
あけましておめでとうございます。2022年、1回目の投稿です。今年もどうぞよろしくお願いします。
「アンです。お湯をお持ちしました」
私とローランはソファに座り、アンを迎え入れた。アンはお湯が入ったコップを1つテーブルに置くと、すぐに部屋を出て行った。
私は何も言わずに、右のポケットから小さな紙包みを取り出すと、ローランの顔をじっと見る。
「ローラン、これは呪いを解く薬なの。飲んでみる?」
そして、紙包みを開いて、中の粉薬をローランに見せた。
久しぶりの再会という和やかなムードを早々に一変させ、真剣な表情をしている私を見て、物分かりの良いローランは何かを察したようだ。
ローランも真剣な顔つきになり、茶色の粉末をしっかりと確認してから、私の顔を真っ直ぐ見て頷いた。
「うん。飲むよ」
ローランの言葉を聞いて、私は粉薬をコップの中に全て入れた。ティースプーンでよくかき混ぜる。粉薬がお湯に溶けるにつれ、透明なお湯が段々とコーヒーのような色になった。
でも、コーヒーとは違って、とても臭い。
粉末の時にはここまでの臭いに気づかなかったが、お湯に溶かすと、えずきそうな臭いがした。混ぜると、その悪臭が周りに拡散する。
だけど、私は表情に出さないように気をつけた。
ローランがさっきから不安そうにずっと私の様子を見ている。私はそんなローランを少しでも安心させるため、悪臭に耐え無表情を保ちながらしっかりと混ぜた。そして、コップの中を1匙すくう。
溶け残りは無いようだ。
私は粉薬が溶けたコップをローランの目の前にそっと置いた。
「どうぞ」
ローランの目をじっと見て囁く。
ローランは目の前のコップを見た。ごくりと唾を飲み込む音が聞こえる。少し緊張しているようだ。
私はコップから漂う臭いに顔を顰めそうになるが、眉間に力を入れて表情が変わらないように気をつけながら、ローランをじっと見る。
ローランもまた、その悪臭に顔を顰めそうになるのを我慢しているように見えた。
ローランはしばらくじっとコップを見ていたが、覚悟を決めたのかコップを手に取った。そして、ちらりと私の顔を見た後、そのままごくごくと勢いよくコップの中身を飲み干す。
そのまま、空になったコップをドンと勢いよくテーブルに置くと、ローランは途端に顔を顰めて叫んだ。
「うへー、に、苦い……。リジー、み、水をちょうだい!」
その声は掠れて、別人のようだ。
喉を押さえながら、顔をしかめて、足をバタバタさせている。
いつも年齢の割に落ち着いているローランしか見たことがなかったので、こんな風に悶えているローランを見たのは初めてだ。思わずじっと見てしまった。
すると、ローランは、じたばたと体を動かしながら
「は、早く、み、水……」
と強く訴えてきた。
「は、はい。お水、どうぞ」
我に返った私が慌ててローランに水を手渡すと、ローランは機敏な動作でコップを受け取り、一気に水を飲み干す。
そして、はぁはぁと肩で息をした。
「リジー、こんなに苦くて不味い薬は初めてだよ。ああ、本当に不味かった」
ローランはそう言うと、舌をべろんと出して見せてくれた。ローランの舌は、先ほどの薬で茶色くなっている。
「うわ、茶色い……」
私はローランの舌の色を見て、思わず口を押さえた。ローランがアハハと笑う。
私もつられて笑いながら訊いた。
「そんなに不味かった?」
ローランは笑うのを止めて答えた。
「うん、やばいよ。この不味さは……。リジーがなかなかお水をくれないから、どうしようかと思った」
ローランの言葉に「ごめん」と謝る。
だって、子供っぽいローランの反応を初めて見たから「水がほしい」と言われているのは耳に入っていたけど、つい見入ってしまった。
普段は冷静沈着なローランも、やっぱりまだ子供なんだな。
ローランのかわいい一面が垣間見れて、にやにやしてしまう。
それにしても、呪いを解く薬は、ひどい臭いだった。無表情を保つのも大変だった。
さらに、めちゃくちゃ不味いなんて……。あとでウンディーネ様に文句を言わなくては。
そう思っていると、ふとウンディーネ様の言葉を思い出した。
「そうだ。このお薬は即効性があるから、もう効いているかも。ローラン、呪いの刻印を確認して」
ローランは頷くと、上着のボタンを外して、自分の胸元を確認する。
私も一緒に見ようとしたが、ローランの頭が邪魔して刻印がどうなっているかは見えなかった。仕方がないので、ローランが頭を上げるまで待つ。
ローランはしばらく胸元を確認し、その手で何度も刻印の辺りを触っていたが、突然パッと顔を上げてこちらを見ると、にやりと微笑んでから大声で叫んだ。
「消えてる!呪いの刻印が消えてる!リジー、見て!!」
ローランは、胸元を私にも見せてくれた。
確かに、今までそこにあった魔女の呪いの刻印は無かった。もともと魔女の呪いの刻印があった場所が思い出せないほど、跡形もなく消えていた。
私の目の前には、鍛え上げられた厚い胸板があるだけだ。
魔女の呪いの刻印は、刺青のようにしっかりとその胸に刻まれているように見えていた。でも、薬を飲んだだけで跡形もなく消えたということは、ローランの内面から表出されたものだったのだろう。
「凄い!本当に、何にも無い!」
私はウンディーネ様に貰った薬の効果に驚きながら、何度も刻印があった場所を触った。
「凄いよ、リジー!本当にありがとう!」
ローランは歓喜の声を上げながら、私をぎゅっと抱き締める。ローランの両眼には涙が光っていた。
「リジー、ありがとう!本当にありがとう!」
ローランは次々と頬を伝う涙を拭おうともせず、ただひたすらに私を抱き締めて、何度も何度もそう言った。
「ローラン、良かったね。これで、魔女の呪いは消えたよ。もう呪いで死ぬことは無いから。本当に良かった」
私はそう言うと、抱き締められローランに預けていた体をそっと起こして、両手でローランの頬を伝う涙を拭いた。
私の両手の上に、ローランがその手を重ねてくる。
「うん。もう呪いに怯える日々を送らなくて済むと思っただけで、本当にうれしいよ。ずっと怖かったんだ。リジー、本当にありがとう」
そして、私の頭を優しく何度も何度も撫でた。
ありがとうございました。