85.妖精
「私は日常でほとんど魔法を使わないので、こういうことが出来ることも気づかなかったです……」
「そうなの?別に使う必要もないしね。洗えば済むものね」
そう言って、サラさんはコロコロと笑った。
「それで、リジーは今から、あの水色の屋根の家に行こうとしているのね?」
サラさんは、じっと私の顔を見る。全てを見透かされているようだ。正直に答える。
「はい、行こうと思っています。 昨日、あの家にウンディーネ様が入るのを見たので……」
「そう。ウンディーネもわざと見せたのかもね。 もしかしたら、リジーのことを心配しているんじゃない?」
「そうなんですか」
口ではそう言ったが、「そうかもしれない」と思った。
以前、ウンディーネ様は私のことをいつでも見守っている、と言ってくれたのだ。
婚約式の後、ウンディーネ様とたくさんお話しする機会があった。
そのときは、ローランとの婚約式が幸せすぎて、一番浮かれていた時だった。私はつい調子に乗って、ローランがいかに素敵な人なのかをウンディーネ様にこれでもかと話しまくった記憶がある。
そんな私が婚約不成立となって王宮から追い出されているこの状況に、思いのほか心配をかけているかもしれない。
実は私は二度目の人生ということもあり、人生に達観したところがあるので、今のこの状況をそのまま受け入れている。
人生なんて、いいことは長く続かない。
いいことがあれば、うまくいかないこともある。
いや、前世も含めた私の経験上、うまくいかないことのほうが多い。
でも、それはそういうものなのだと思っているのだ。
もともとローランとは、身分が違いすぎる。
一瞬だけでも婚約者として王宮で過ごせたのは、いい思い出だった。
二度目の人生にいい経験をさせてもらえたな、と感謝しているくらいだ。
この人生では、言いたいことさえ、ちゃんと言えればいいと思っているだけなのだから。
そういう意味では、だいたい言いたいことを言わせてもらっているので、いい人生だといえる。
だけど、ウンディーネ様は私が傷ついていることを心配してくれている気がする。とてもやさしい人だったから。
そんなに心配しなくていいですよ、とお伝えしたい。
「リジー。大丈夫? 私も一緒に行くわね」
サラさんが私の顔を覗き込んできた。あまりに長いこと考え事をしていたので、気になったようだ。
「え?どこへですか?」
我に返って、問い返す。
「だから、水色の屋根の家よ」
「サラさん……、あ、サラ様もですか?」
ふと、ウンディーネ様には「様」を付けるのに、サラさんと呼ぶのは失礼だと思った。
サラさんも妖精なんだから、サラ様と呼ぶのが正解なのではないだろうか。サラマンダー様とは呼びづらいし。
「もう、サラ様って何? 今までどおり、サラさんでいいわよ」
「でも、妖精なのに、サラさんと呼ぶのは失礼です。これからは、サラ様と呼ばせてください」
「うふふ。どっちでもいいわ。好きな方で呼んで」
その言葉に、これからはサラ様と呼ぶことに決めた。
それから、二人で外に出た。
サラ様に導かれて工房街を歩く。
私は工房街を歩くのが初めてなので、ついきょろきょろとしてしまった。
「へぇ、ここはいろんな工房が並んでいるのですね」
色とりどりの三角屋根が軒を連ねる工房街は、ギャラリーを併設しているところも多く、作品を眺めて歩くだけでも楽しい。
「ここが、ジャルジさんが行きつけの陶磁器工房よ」
緑色の屋根の陶磁器工房もギャラリーが併設されており、大きな窓を通して、きれいに並べられた作品が見えた。
小皿、大皿、ティーカップ等、様々な陶磁器作品に思わず見入ってしまう。
「うふふ、気に入った? 帰りに寄ってみる?」
私の様子を見て、サラ様が言った。「はい、ぜひ」と頷きつつ、作品を堪能する。
「リジー、行くよ」
サラ様に急かされて、私も陶磁器工房の前を離れた。
陶磁器工房の3軒隣りが目的地だった。水色の屋根の家だ。
これがカモフラージュされて、普通の人には見えないの?
不思議な気分だった。目の前にある、この家が見えないなんて。
家の周りを観察する。工房ではないようだ。看板等は見つけられない。
サラ様が入口の扉を開ける。
サラ様に付いて中に入ると、バーのような造りだった。
細長い部屋で、大きなカウンターがL字型に配置され、カウンターの前には3つ椅子が並んでいた。
サラ様は迷わず、そのうちのひとつの椅子に座る。私も、その隣りに座った。
二人でカウンターに向かって座ったが、カウンターの中には誰もいない。
棚にお酒は並んでいないので、造りはバーのようだが、バーという訳でもないようだ。
すぐに、カウンターの奥から誰かがやって来た。
ウンディーネ様だった。
「いらっしゃい。よく来たわね」
カウンターの中のウンディーネ様は笑顔を見せ、私とサラ様の前に立つ。
「ウンディーネ様!お久しぶりです」
私は久しぶりにウンディーネ様と会えたことがうれしくて、自然と笑顔になった。
「えっと、ウンディーネ様に、私、報告しないといけないことがあるのです。以前お話したローラン王子殿下との婚約なんですが……不成立となってしまいました。いろいろとアドバイスいただきましたけど、私には王子を癒すことはできなかったです。すみません」
私はウンディーネ様に伝えたかったことを一気に話して謝った。「そうだったの」とウンディーネ様は優しく微笑む。
「リジーは、国王の息子と婚約していたことがあったの?」
私の言葉を隣りで聞いていたサラ様が驚いたので、「はい」と頷いた。
私の返事をきっかけに、サラ様とウンディーネ様が話し出した。
「ローランといったら、タミアの呪いを自ら受けた子じゃない?」
「そうね」
「まだ生きているの?」
「もうすぐ16歳になるはずよ」
「結局、タミアと国王ってどうなったんだっけ?」
「今のところ睨み合いってところだけど、一番小さい王女の呪いも解けたし、また国王が何か仕掛けてくるかもね」
「そうかもしれないけど、タミアの力を借りるのは無理だと悟って、自力で他国と戦争するんじゃない?」
「ああ、それはそうね。つい先日も戦争を仕掛けていたみたいだし」
ちょ、ちょっと……待ってください……。
聞き捨てならない話が目の前で繰り広げられているが、どう口を挟めばいいのか分からず混乱した。
ありがとうございました。