81.工房3
私は急にサラさんのことがとても心配になった。
でも、兄は私以上だったようだ。
「サラさん、もしよければうちに来ませんか? お一人だなんて心配です。この辺りは狼が出ますし」
兄は今すぐサラさんを連れて帰りそうな勢いだったが、サラさんは兄の言葉を笑って受け流した。
「心配ご無用よ。時々こうして買いに来てくださったら、うれしいわ」
その時、ジャルジさんが戻って来た。
私はジャルジさんのところに駆け寄った。
「ジャルジさん、もう買い物は終わったのですか?」
「はい、とてもいい買い物ができました」
「一緒に行けなくてすみません」
「いえいえ、いいんです。お嬢様は、ガラス製作の様子を見られましたか?」
「はい、とても素晴らしかったです。サラさんは本当に凄いですね」
「ええ、こんなに凄いガラス職人を私は他に知りません。しかも、こんなに若い女性なんですから、驚きますよね」
遍歴商人として各国を回っているジャルジさんが凄いと言うのだから、サラさんは世界一のガラス職人だといっても過言ではないはずだ。
そんな凄い人が我が領地にいるなんて。
とても誇らしい気持ちになった。
ふと兄の方を見ると、兄はサラさんに熱心に話しかけている。
兄は、本気でサラさんのことを口説こうとしているのかしら?
確かにとても美しい女性だけど、あまりしつこい男は嫌われる。サラさんは、少し引いているように見えた。
私は、急いで兄の元へ駆け寄り、兄の腕を強く引っ張った。
「さ、兄さん、帰りましょう。ジャルジさんのお買い物は終わったそうですよ。……サラさん、長時間お邪魔して、すみませんでした。ガラス製作の様子を見せていただき、本当にありがとうございました。凄かったです。グラスの仕上がりを楽しみにしています。明日またグラス取りに来ますね」
サラさんはコロコロと笑いながら「また明日お待ちしてます」と見送ってくれた。
ジャルジさんは、兄を強引に連れ出す私を見て、目を丸くしている。兄は王宮の騎士として鍛えているので、かなりガッチリした体格だ。それを引っ張って歩く私のことを凄い怪力の持ち主だと思ったに違いない。
ジャルジさん、私は決して怪力女じゃありません。
私は普段はそれほど力が強くないのに、兄を引っ張ったりする時だけ力が出るのだ。
でも、それをうまくジャルジさんに説明出来ない。私に目が釘付けになっているジャルジさんには、仕方ないので無言で微笑んでみた。
もう、兄さんのせいで、ジャルジさんに変な誤解されたじゃない。
そう思って兄を睨むが、兄はさっきからずっと心ここにあらずだ。
私が頑張って馬車に乗せた後も「もっとサラさんとお話したかった……。サラさん、素敵な女性だ」と上の空で呟いている。
兄は本気でサラさんに恋したのかもしれない。
美しい女性だし、ガラス職人として独り立ちされているのもカッコイイ。何よりあの技術。本当に凄かった!
兄が惚れるのも無理はないと思うが、サラさんにその気はなさそうだ。
サラさんの兄への対応を見ていれば、いくら鈍感でも分かる。
サラさんは顧客対応が上手なだけだ。
兄の恋は残念ながら叶わないだろう。
どうせ兄は明後日にはジャルジさん一行とここを出発する。
サラさんと会えるのも明日で最後なのだから、少しでもいい思い出にして、王都で騎士の任務に励んでほしいな、と勝手に思っていた。
◇◇◇
翌日、兄と二人で馬車に乗って、サラさんの工房へ向かった。
ジャルジさんご一行は、今日が広場での特別出店の最終日ということで、皆朝からバタバタと忙しそうだった。
ジャルジさんの話では、昨日仕入れたガラス製品や陶磁器の一部も早速販売するということだ。
仕入れから販売までのスピードが早い!ジャルジさんの商売上手っぷりに感心してしまう。
「兄さん、サラさんの工房でグラスを受け取った後、私も広場の特別出店を見に行きたいな」
馬車の中で兄に話し掛けるが、兄は答えてくれない。
さっきからずっとそうだ。
何を話し掛けても兄は上の空で、時々「ああ」とか「うん」とか適当に言うだけだった。
「ねぇ兄さん、聞いてる?」
昨日、工房から屋敷に戻った後、兄は今とは真逆で、機関銃のようにサラさんの素晴らしさを語ってきた。
そんな兄も大概面倒くさかったが、二人きりの馬車の中でずっと無言というのも拷問のようだ。
普通の会話ぐらいしてくれてもいいのに。
今も兄は乙女のような顔で、窓の外を眺めている。
兄さんって、そんなキャラだっけ?
兄の横顔を見て、私は盛大にため息を吐いた。
仕方なく私も窓の外を眺める。
すると、昨日見た風景が見えてきた。工房街だ。カラフルな三角屋根が可愛い。
サラさんの工房も見えた。
心がはやる。早く完成したグラスが見たい。
「兄さん、着いたよ」
近くに馬車を止めると、足取りも軽く、工房の中へと入った。
「サラさん、こんにちは。リジーです。グラスをいただきにきました!」
扉を開けてもサラさんの姿が見えなかったので、奥に向かって大声を出す。
兄はまだ無言だった。
「はーい、ちょっと待って」
奥の方から、サラさんの声が聞こえた。
その声を聞いた途端、隣で兄がソワソワしだした。
なんでだろ? 兄の緊張感が私にも伝染して、私もなぜか緊張してしまう。
兄妹二人でドキドキしながら待っていると、サラさんが手に青いグラスを持ってやって来た。
長い髪をおろし化粧もしていて、妖艶な雰囲気だ。
昨日のサラさんも美しかったが、今日のサラさんは一段と美しかった。
「綺麗だ」兄がポツリと呟いている。
サラさんは兄の言葉をスルーして、私にグラスを見せながら訊いた。
「はい、出来たわよ。もしよかったら、今からこれにカッティングするけど、どうする?」
「ぜひお願いしたいです」
サラさんは、引き出しからカッターナイフのようなものを取り出した。
「昨日買ってもらったグラスのカッティングと同じでいいかしら?」
「はい」
私たちの目の前で、手にしたナイフを器用に使い、サラさんは青いグラスにカッティングを施す。
迷いなく彫り進めていく様は圧巻だ。
あっという間にカッティングが終わった。
「早い!凄い!」
私も兄もそのスピードと出来栄えに驚いて、それ以上声も出ない。
サラさんは、そんな私たち兄妹を見てニコニコと笑っていた。
ありがとうございました。