73.来客
屋敷に帰ると、いつもと違う雰囲気がした。
執事のアントンに呼ばれる。
「今、旦那様あてに外国のお客様がいらっしゃっていて、お二人にも応接室に来てほしいとのことでした」
レオをアントンに預けて、急いで着替える。
こちらに来てから、来客なんて初めてだ。
身なりを整えて、兄と一緒に応接室へ入った。
応接室では父と見知らぬ紳士がにこやかに会話をしていたが、私たちの姿を見ると父が手招きをした。父が紳士に私たちを紹介する。
「これが私の息子のジャックと娘のリジーです」
続けて、父が私たちに紳士のことを紹介した。
「ジャック、リジー。こちらはグラヴィエ国の遍歴商人ジャルジさんだ。数日我が家に滞在した後、ナディエディータ王国の王都に向かうそうだ」
遍歴商人とは、都市から都市へ旅をしながら物を売っていく商人で、国境に近いこの場所はナディエディータ王国の王都へ向かう商人たちの経由地として、以前からよく利用されていた。
今、目の前にいるジャルジさんも遍歴商人として、これから王都へ向かうということのようだ。
ジャルジさんは、おかっぱ頭に個性的な口ひげを生やし、がっしりした人が多い遍歴商人には珍しく随分と細身だ。
兄と私は、ジャルジさんとそれぞれ挨拶を交わしソファに座った。
父が兄に向って言った。
「ジャック、お前が王都に戻るときにジャルジさん一行を護衛できないか? 商品を盗賊から守ってほしいと依頼に来られたのだ」
「どうせ王都に戻るついでなのでそれは構わないのですが、私一人で大丈夫でしょうか?」
兄は心配そうに言った。
ジャルジさんはひょろひょろしていて弱そうなので、盗賊に狙われたらすぐにやられてしまいそうだ。
父も兄が心配している理由が分かったのだろう。
「ジャルジさんの一行ももちろん武装して行くし、鍛えている者も複数いるそうだから、そこは問題ないだろう。ここには明後日まで滞在するそうなので、その間に皆をお前に紹介できる」
「出発は明々後日ということですね?」
「そうだ。何か問題がありそうか?」
「いえ、大丈夫です。承知しました。ジャルジさん一行を安全に王都まで護送します」
「ジャック、ありがとう」
父の言葉を受けて、兄とジャルジさんががっちり握手をした。
父は王都までの安全護送契約を結ぶため契約書の準備を始める。
契約金額は事前に折り合っていたようで、すんなりとジャルジさんは署名した。
無事に契約が成立したところで、ジャルジさんが私の方に向いた。
「リジーお嬢様。もしよろしければ、うちの商品をご覧になりませんか。せっかくですので、気に入ったものがありましたら、ひとつプレゼントいたしますよ」
ジャルジさんはそう言って、机の上に自慢の商品を並べだした。商品は多種多様なものを扱っているようで、品揃えが凄い。今までに会った遍歴商人の中でもトップクラスの品揃えだと思う。
毛皮、衣服、帽子、香水、宝石、金属製品、アクセサリー、ワイン、塩、香辛料、蜂蜜などが並んだ。
「わあ、すごい!」
私は初めて見る物も多く、所狭しと並べられた商品に圧倒される。
その様子をにこやかに見ていたジャルジさんに促され、商品を一つ一つ見てみる。珍しい物やよく分からない物も多いので、じっくりと眺めていった。
父と兄もジャルジさんの品揃えには驚いたようだ。一緒になって商品を見ている。
「奥様にも何かひとつ差し上げますので、ぜひゆっくりご覧ください」
ジャルジさんの言葉に、ふと横を見ると、いつの間にか私の隣りに母もいた。
私があまりにも夢中になって商品を見ていたので、母がいつ来たのか気づかなかった。
母は商品を俯瞰して眺めた後、ジャルジさんに頼んで香水をいくつか試し、そのうちの一つを受け取っていた。
お母様、早い! こんなに商品が多いと、目移りしてなかなか決められないというのに……。さすが長年いいものを見てきただけある。
今度は兄が私の隣りにやってきて、私に耳打ちをする。
「おい、リジー。何やってるんだよ。母さんに抜かされている場合か。早く決めろ!」
私も皆に聞こえないように、小声で兄に反撃した。
「言われなくても分かってるわよ。商品が多すぎて、なかなか決められないの!」
そして、私は兄を無視して、もう一度商品にじっくりと向き合う。
どうしようかな。この帽子も可愛いし、外国のデザインのアンクレットも気になる。
うーん。ピアスも捨てがたいし、このスカーフの色使いだって綺麗だわ。
「あら?」
色鮮やかな商品が並ぶ中で、ふとひとつの宝石に目が留まった。
煌びやかな宝石の中に、ひとつだけ研磨が十分でない石がある。
あまりに商品が多すぎて、先ほどまでは存在に気付かなかった。
この薄緑色の石。これって、レオのぬいぐるみに付けていた石と同じじゃないかしら?
そう思うと、急に、薄緑色の石が気になった。
「この石を近くで見せていただいてもいいですか?」
私がジャルジさんに伝えると、ジャルジさんは白い布の上にその宝石をのせて「どうぞ」と渡してくれた。
兄がまた私に耳打ちする。
「なんだよ、お前。その石はあんまり輝いていないぞ。それよりは、もっと輝いている他の宝石のほうがいいんじゃないか?」
私はじとっと兄を睨みつけてから、薄緑色の石をよく見た。
うん、間違いない。これは、レオのぬいぐるみに付けていた石だ。
ローランの手紙によれば、魔力を増幅させる力がある、と書いてあった。
「ジャルジさん、この石は何という石なんですか?」
「ああ、その石はスフェーンという石です。本当はダイヤモンドの様に綺麗な宝石なのですが、硬度が低く割れやすい石でして、我が国の技術ではそれ以上の研磨が出来ませんでした。旅の途中で良い研磨師に出会えたら研磨を頼もうと思っていたものです。ですから、今はその石は宝石として使える水準には達していないものですよ」
「そうなんですか? これをいただきたいなと思ったのですが……」
「それでよろしければ、もちろん喜んで差し上げますが。お嬢様、こちらをご覧ください」
ジャルジさんはそう言うと、薄緑色の石にすっと入った傷を見せた。
「この線は研磨をしたときに入った傷なんですけどね。この石は次に衝撃が入ると、この線でスパッと裂けるように割れてしまいますよ」
ありがとうございました。